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2016.05.16
ドゥテルテの発言は、単に「過激」なだけでなく、たとえば、「私が大統領になれば、血を見る機会が増える」「犯罪者は殺す」と言ったり、同氏が女性を侮蔑する発言をしたので米国とオーストラリアの大使が非難したのに対して、「黙れ、両国と関係を切ってもいい」と言い放ったりするなど、「常軌を逸した」と評するほうが適切な感じがするくらいだ。
女性を侮蔑する発言は、1989年にダバオで起きた刑務所暴動でオーストラリア人修道女が強姦殺人された事件について、自分が先に強姦しておけばよかったと冗談で言ったものであり、これは絶対許されないはずだ。ドゥテルテは後で謝罪したが、そんなことで切り抜けられるような問題ではないだろう。
トランプもえげつないことを口にするが、ドゥテルテには及ばないようだ。
外交政策においてはもっと顕著な違いが見られる。
トランプの場合は、「偉大な米国を復活させる」ことを重視すると同時に、メキシコ、韓国、日本などに対する一方的認識、思い込みに基づいた攻撃的な注文をするところに特徴がある。
一方、ドゥテルテは、他国に対する一方的な認識や判断は、少なくとも今のところ、見られない。前述した「関係断絶発言」も特定の国に対するものでなく、批判をされたのに対する反撃だった。常軌を逸する内容だが、特定国を攻撃したのではなかった。
ドゥテルテの対中政策がどうなるか、これはとくに注目されている。フィリピンは南シナ海で中国と争っており、国際仲裁裁判所に提訴している。
ドゥテルテは、裁判では南シナ海問題は解決できず、中国との話し合いが必要との考えであり、その理由は「祖父が中国人だから」だという説もある。
しかし、ドゥテルテは、中国と領有権を争っている「スカーボロー礁に行って旗を立てる」とも発言している。話し合いについても、中国と2国間で行うという意味でなく、多国間で協議すると言っている。これは中国が嫌うことだ。このようなことから、ドゥアルテははたして中国に融和的か、強硬か、よくわからないとも言われている。
ドゥテルテ新大統領には、今後官僚機構や専門家のアドバイスを受けてバランスの取れた外交政策を策定していくことを期待したい。トランプのような思い込みがないのであれば、それは可能だと思われる。
近く公表される(はずの)南シナ海に関する仲裁裁判の結果に対しドゥテルテ政権がどのように対応するか。その外交姿勢が問われることになるだろう。
(短評)ドゥテルテ・フィリピン新大統領をどう見るか
来る6月30日にフィリピンの新大統領に就任するドゥテルテ氏は過激な発言で知られている。米国の大統領選でやはり過激な発言を武器に支持を拡大し、共和党の候補にほぼ確定しているトランプ氏によくなぞらえられているが、両者の間にはかなり違っている面があると思う。ドゥテルテの発言は、単に「過激」なだけでなく、たとえば、「私が大統領になれば、血を見る機会が増える」「犯罪者は殺す」と言ったり、同氏が女性を侮蔑する発言をしたので米国とオーストラリアの大使が非難したのに対して、「黙れ、両国と関係を切ってもいい」と言い放ったりするなど、「常軌を逸した」と評するほうが適切な感じがするくらいだ。
女性を侮蔑する発言は、1989年にダバオで起きた刑務所暴動でオーストラリア人修道女が強姦殺人された事件について、自分が先に強姦しておけばよかったと冗談で言ったものであり、これは絶対許されないはずだ。ドゥテルテは後で謝罪したが、そんなことで切り抜けられるような問題ではないだろう。
トランプもえげつないことを口にするが、ドゥテルテには及ばないようだ。
外交政策においてはもっと顕著な違いが見られる。
トランプの場合は、「偉大な米国を復活させる」ことを重視すると同時に、メキシコ、韓国、日本などに対する一方的認識、思い込みに基づいた攻撃的な注文をするところに特徴がある。
一方、ドゥテルテは、他国に対する一方的な認識や判断は、少なくとも今のところ、見られない。前述した「関係断絶発言」も特定の国に対するものでなく、批判をされたのに対する反撃だった。常軌を逸する内容だが、特定国を攻撃したのではなかった。
ドゥテルテの対中政策がどうなるか、これはとくに注目されている。フィリピンは南シナ海で中国と争っており、国際仲裁裁判所に提訴している。
ドゥテルテは、裁判では南シナ海問題は解決できず、中国との話し合いが必要との考えであり、その理由は「祖父が中国人だから」だという説もある。
しかし、ドゥテルテは、中国と領有権を争っている「スカーボロー礁に行って旗を立てる」とも発言している。話し合いについても、中国と2国間で行うという意味でなく、多国間で協議すると言っている。これは中国が嫌うことだ。このようなことから、ドゥアルテははたして中国に融和的か、強硬か、よくわからないとも言われている。
ドゥテルテ新大統領には、今後官僚機構や専門家のアドバイスを受けてバランスの取れた外交政策を策定していくことを期待したい。トランプのような思い込みがないのであれば、それは可能だと思われる。
近く公表される(はずの)南シナ海に関する仲裁裁判の結果に対しドゥテルテ政権がどのように対応するか。その外交姿勢が問われることになるだろう。
2016.05.13
核兵器(以下単に「核」)の廃絶がなかなか実現しないのは、現在の国際情勢下では核の抑止力が必要で完全に手放すわけにはいかないと考えられていることもさることながら、「核の非人道性に対する理解が十分でない」からだと思います。こう言うと、「いや、核が非人道的であることは明らかであり、理解されている」という反論が出てくるかもしれませんが、どういうことか以下に説明していきましょう。
兵器は本来非人道的ですが、一部の兵器はあまりにひどい結果をもたらすので19世紀の終わりころから使用を禁止しようとする動きが起こり、国連では、「非人道性」とは何かを研究するとともに、一定の兵器を禁止する条約が作られてきました。
その結果、「非人道性」とは、「過度に」あるいは「無差別に」人を殺傷することだということが明確になってきました。
核については、さらに「多数の市民を殺傷する」という問題があります。
そして、具体的には、毒ガスや対人地雷は条約ですでに禁止されていますが、核を禁止する条約はできていません。
核不拡散条約(NPT)や国連では、核の「廃絶」や「使用禁止」について議論をしていますが、核保有国と非保有国との間の考えの相違はまだ大きく、「核の使用禁止」が成立するのは「核の廃絶」と同じくらい困難なようです。
そこで、数年前からまず「核の非人道性」を確立しようとする運動が国際的に展開されてきました。この問題については1996年、国際司法裁判所は「核の使用は原則として国際人道法に反する」という判断をしましたが、これは「勧告」であり、各国に対して拘束力はありませんでした。
新たに展開されている運動は、核の廃絶が実現するまでの間、中間的な方策として「核の非人道性」について各国の合意を形成しようとするものです。
しかし、この運動においても核は抑止力のために必要だという考えが影響を及ぼしており、「核の非人道性」は国際的なコンセンサスとして確立するに至っていません。
日本はこの運動に参加する一方、世界の指導者に対し被爆地を訪問し、被爆の実態をじかに感じ取ってもらうことを勧めています。「核の非人道性」を確立する国際運動は、いわば、「言葉で」目的を達成しようとしているのに対し、被爆地訪問は「体験により」核の非人道性を会得するものであり、4月に広島で開催されたG7外相会合は非常に効果的でした。
特筆すべきは、「核の非人道性」は言葉では分かっていたようでも、被爆地で体験することはそれと大きく違っていることが分かったことです。ケリー米国務長官は率直に驚いたと表明しました。
わたくしは軍縮大使であった関係上、広島や長崎で欧米諸国の人と一緒に被爆状況を展示している資料館を訪問したことがあり、彼らが想像を絶する強い衝撃を受けたのをこの目で見ました。ある人は、訪問が終わると、どんなにひどく叱責されるか、おびえるまなざしでわたくしを見ていました。
「核の非人道性」は理屈や頭では分かっているつもりでも、実はその理解は浅いのです。その恐ろしさが言葉だけでなく、体で本当に分かってくると、核に対しての取り組みがより真剣になるのではないでしょうか。「核の非人道性」を知って取り組むのと、理解しないで取り組むのでは「核の廃絶」を推進する力も違ってきます。核爆発の実態を正しく知ることは核問題に取り組むのに絶対的に必要なことなのです。
被爆地を訪問すると謝罪を求められると危惧する意見を始め、さまざまな消極的意見を克服してオバマ大統領が被爆地、広島を訪問することを決意されたことは、核軍縮にとっても、日米関係にとっても、さらには世界の平和にとっても言葉では言い尽くせない意義があると思います。
今回実現しなかった長崎訪問も積極的に検討されることを希望しつつ、広島訪問がつつがなく完了することを願っています。
オバマ大統領の広島訪問と核の非人道性
昨日に続くTHE PAGEへの寄稿文です。核兵器(以下単に「核」)の廃絶がなかなか実現しないのは、現在の国際情勢下では核の抑止力が必要で完全に手放すわけにはいかないと考えられていることもさることながら、「核の非人道性に対する理解が十分でない」からだと思います。こう言うと、「いや、核が非人道的であることは明らかであり、理解されている」という反論が出てくるかもしれませんが、どういうことか以下に説明していきましょう。
兵器は本来非人道的ですが、一部の兵器はあまりにひどい結果をもたらすので19世紀の終わりころから使用を禁止しようとする動きが起こり、国連では、「非人道性」とは何かを研究するとともに、一定の兵器を禁止する条約が作られてきました。
その結果、「非人道性」とは、「過度に」あるいは「無差別に」人を殺傷することだということが明確になってきました。
核については、さらに「多数の市民を殺傷する」という問題があります。
そして、具体的には、毒ガスや対人地雷は条約ですでに禁止されていますが、核を禁止する条約はできていません。
核不拡散条約(NPT)や国連では、核の「廃絶」や「使用禁止」について議論をしていますが、核保有国と非保有国との間の考えの相違はまだ大きく、「核の使用禁止」が成立するのは「核の廃絶」と同じくらい困難なようです。
そこで、数年前からまず「核の非人道性」を確立しようとする運動が国際的に展開されてきました。この問題については1996年、国際司法裁判所は「核の使用は原則として国際人道法に反する」という判断をしましたが、これは「勧告」であり、各国に対して拘束力はありませんでした。
新たに展開されている運動は、核の廃絶が実現するまでの間、中間的な方策として「核の非人道性」について各国の合意を形成しようとするものです。
しかし、この運動においても核は抑止力のために必要だという考えが影響を及ぼしており、「核の非人道性」は国際的なコンセンサスとして確立するに至っていません。
日本はこの運動に参加する一方、世界の指導者に対し被爆地を訪問し、被爆の実態をじかに感じ取ってもらうことを勧めています。「核の非人道性」を確立する国際運動は、いわば、「言葉で」目的を達成しようとしているのに対し、被爆地訪問は「体験により」核の非人道性を会得するものであり、4月に広島で開催されたG7外相会合は非常に効果的でした。
特筆すべきは、「核の非人道性」は言葉では分かっていたようでも、被爆地で体験することはそれと大きく違っていることが分かったことです。ケリー米国務長官は率直に驚いたと表明しました。
わたくしは軍縮大使であった関係上、広島や長崎で欧米諸国の人と一緒に被爆状況を展示している資料館を訪問したことがあり、彼らが想像を絶する強い衝撃を受けたのをこの目で見ました。ある人は、訪問が終わると、どんなにひどく叱責されるか、おびえるまなざしでわたくしを見ていました。
「核の非人道性」は理屈や頭では分かっているつもりでも、実はその理解は浅いのです。その恐ろしさが言葉だけでなく、体で本当に分かってくると、核に対しての取り組みがより真剣になるのではないでしょうか。「核の非人道性」を知って取り組むのと、理解しないで取り組むのでは「核の廃絶」を推進する力も違ってきます。核爆発の実態を正しく知ることは核問題に取り組むのに絶対的に必要なことなのです。
被爆地を訪問すると謝罪を求められると危惧する意見を始め、さまざまな消極的意見を克服してオバマ大統領が被爆地、広島を訪問することを決意されたことは、核軍縮にとっても、日米関係にとっても、さらには世界の平和にとっても言葉では言い尽くせない意義があると思います。
今回実現しなかった長崎訪問も積極的に検討されることを希望しつつ、広島訪問がつつがなく完了することを願っています。
2016.05.12
以下は前者の「オバマ大統領の「広島」訪問 最大の意義とは?」です。
5月10日、オバマ米大統領はG7伊勢志摩サミット後の同月27日に広島を訪問することが発表されました。米国の大統領として初めての訪問であり、第二次大戦後の歴史において画期的なことになるでしょう。
今回、オバマ大統領は長崎へは行かれません。厳しい日程の関係でしょうが、長崎も広島と等しく重要です。米国大統領の訪問が実現することを望みます。
オバマ大統領は2009年4月のプラハ(チェコ)演説で、「核のない世界」の実現を目指すと表明しました。その後核軍縮がどの程度進展したかについてはさまざまな見方があり、期待外れだという意見もあります。
しかし、オバマ大統領は現在も核軍縮には強い関心を持ち続けています。このたび広島を訪問することを決断したのはその表れでしょう。
これまで米国の大統領による被爆地訪問が実現しなかった理由の一つは、米国内で、原爆の投下は必要だったという考えが今なお強いからです。米国の退役軍人は、最近オバマ大統領の広島訪問に反対する意見を再度提出しています。
反対や消極意見は元軍人に限りません。オバマ大統領が日本を訪問して天皇陛下と会見した際に頭を下げてお辞儀をしたことについても批判の声が上がりました。米国は偉大だと尊大に構える人は少なくありません。
また、米国の大統領が被爆地を訪問すれば謝罪を求められると懸念して反対する声もあります。
オバマ大統領としては米国内のこのような反対意見と、広島訪問の持つ積極的意義の双方を勘案して決定を下さなければなりませんでした。
オバマ大統領による広島訪問の意義は何でしょうか。
オバマ大統領の広島訪問を機に核軍縮を大いに進めたいという強い期待感があります。先のG7外相による広島会合についても同様でした。
また、「核兵器の非人道性」を確立しようとする一種の国際的運動が現在展開されており、外相会合はこの点に関しどのようなメッセージを出せるか注目されました。結局、外相会合の広島宣言では「原子爆弾投下によるきわめて甚大な壊滅と非人間的な苦難という結末を経験」と記述されたにとどまりました。これは一部の国が「核兵器は非人道的だ」と断言することに応じなかったので、やむを得ない妥協だったと思います。
オバマ大統領の広島訪問においても同じ問題が出てくる可能性があります。
しかし、わたくしは、オバマ大統領の広島訪問の成果を「核軍縮」や「核兵器の非人道性」などの物差しで測るべきでないと思います。
また、米国内には大統領が「謝罪」すべきでないという意見があることは前述しましたが、広島も長崎も要求していません。「謝罪」をするかどうかが問題にならないことはすでにはっきりしています。
オバマ大統領による広島訪問の意義は、被爆の実相に触れ、体感することだと思います。もちろん被爆を直接体感することはできませんが、被爆地で見、聞き、感じ取ることは他では経験できません。
実は、世界の多くの人は、日本人も例外でないでしょうが、被爆の実相を必ずしも深く理解していません。頭では核兵器の恐ろしさを知っていても、それは知識にすぎません。その証拠に、ケリー国務長官は被爆地訪問の後、非常に強い衝撃を受けたこととともに、「驚いた」ということも述べていました。
つまり、頭で知っている核兵器の恐ろしさと核爆発の実相とはかけ離れており、どんな人でも被爆地へ行ってみないと本当のことは分からないということです。核爆発の実相は、あらゆる核問題の出発点です。これをオバマ大統領に体験してもらうことが最大の意義だと思います。
オバマ大統領の広島訪問の意義
5月11日と12日の両日、THE PAGEに、オバマ大統領の「広島」訪問に関する記事が掲載されました。以下は前者の「オバマ大統領の「広島」訪問 最大の意義とは?」です。
5月10日、オバマ米大統領はG7伊勢志摩サミット後の同月27日に広島を訪問することが発表されました。米国の大統領として初めての訪問であり、第二次大戦後の歴史において画期的なことになるでしょう。
今回、オバマ大統領は長崎へは行かれません。厳しい日程の関係でしょうが、長崎も広島と等しく重要です。米国大統領の訪問が実現することを望みます。
オバマ大統領は2009年4月のプラハ(チェコ)演説で、「核のない世界」の実現を目指すと表明しました。その後核軍縮がどの程度進展したかについてはさまざまな見方があり、期待外れだという意見もあります。
しかし、オバマ大統領は現在も核軍縮には強い関心を持ち続けています。このたび広島を訪問することを決断したのはその表れでしょう。
これまで米国の大統領による被爆地訪問が実現しなかった理由の一つは、米国内で、原爆の投下は必要だったという考えが今なお強いからです。米国の退役軍人は、最近オバマ大統領の広島訪問に反対する意見を再度提出しています。
反対や消極意見は元軍人に限りません。オバマ大統領が日本を訪問して天皇陛下と会見した際に頭を下げてお辞儀をしたことについても批判の声が上がりました。米国は偉大だと尊大に構える人は少なくありません。
また、米国の大統領が被爆地を訪問すれば謝罪を求められると懸念して反対する声もあります。
オバマ大統領としては米国内のこのような反対意見と、広島訪問の持つ積極的意義の双方を勘案して決定を下さなければなりませんでした。
オバマ大統領による広島訪問の意義は何でしょうか。
オバマ大統領の広島訪問を機に核軍縮を大いに進めたいという強い期待感があります。先のG7外相による広島会合についても同様でした。
また、「核兵器の非人道性」を確立しようとする一種の国際的運動が現在展開されており、外相会合はこの点に関しどのようなメッセージを出せるか注目されました。結局、外相会合の広島宣言では「原子爆弾投下によるきわめて甚大な壊滅と非人間的な苦難という結末を経験」と記述されたにとどまりました。これは一部の国が「核兵器は非人道的だ」と断言することに応じなかったので、やむを得ない妥協だったと思います。
オバマ大統領の広島訪問においても同じ問題が出てくる可能性があります。
しかし、わたくしは、オバマ大統領の広島訪問の成果を「核軍縮」や「核兵器の非人道性」などの物差しで測るべきでないと思います。
また、米国内には大統領が「謝罪」すべきでないという意見があることは前述しましたが、広島も長崎も要求していません。「謝罪」をするかどうかが問題にならないことはすでにはっきりしています。
オバマ大統領による広島訪問の意義は、被爆の実相に触れ、体感することだと思います。もちろん被爆を直接体感することはできませんが、被爆地で見、聞き、感じ取ることは他では経験できません。
実は、世界の多くの人は、日本人も例外でないでしょうが、被爆の実相を必ずしも深く理解していません。頭では核兵器の恐ろしさを知っていても、それは知識にすぎません。その証拠に、ケリー国務長官は被爆地訪問の後、非常に強い衝撃を受けたこととともに、「驚いた」ということも述べていました。
つまり、頭で知っている核兵器の恐ろしさと核爆発の実相とはかけ離れており、どんな人でも被爆地へ行ってみないと本当のことは分からないということです。核爆発の実相は、あらゆる核問題の出発点です。これをオバマ大統領に体験してもらうことが最大の意義だと思います。
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