ブログ記事一覧
2016.06.07
以来、議会で憲法改正の試みが行われたが、4分の1の議席を持っている軍人が反対したため試みは失敗した。
新しい試みとして、ビルマ族、各少数民族、武装グループがすべて参加する新パンロン(Panglong)会議を開催して憲法改正の突破口を開こうとする構想がNLDを中心に進められている。
パンロン会議とは、1947年2月、ビルマ独立の指導者アウン・サン(ビルマ族の代表)と少数民族がシャン州のパンロンで行った会議で、合意に参加したのはシャン、カチン、チンの3民族だけであった。
問題は少数民族の自治権をどの程度認めるかであり、パンロン会議では自治権を与えることが合意された。また、後に制定された1947年憲法で、シャン、カヤーについては独立後10年目以降の連邦からの離脱権を認める条項が加えられた。
しかし、その後、パンロン協定で保障された諸民族の自治権も失われ、シャン、カレンニーに認められた連邦離脱権も剥奪された。
この間(47年7月)アウン・サンは暗殺されるなど情勢は不安定であり、1948年1月4日のビルマ独立は諸民族間の完全な合意がないまま強行された感がある。
もちろん、すべての少数民族の合意を待っていては英国からの独立自体が危うくなる恐れがあっただろうし、その時点でのビルマ連邦独立が時期尚早であったとは断定できないが、その時未解決であった問題が今日まで尾を引いていることは否定できないようだ。
昨年10月に休戦協定が合意され、その後、Union Peace Dialogue Joint Committeeが設置された。民族間の対話を進めることが目的だが、7月に新パンロン会議を開催する準備の意味もある。
また、休戦協定には一部少数民族は参加しなかったので、この委員会の下部委員会では非参加のグループとの対話を行うことになっており、6月中に初会合が予定されている。
しかし、新パンロン会議が成功する保証はない。シャン族のリーダーは、休戦協定に不参加のグループを含めすべての民族が出席するようにならなければ会議の成功はおぼつかない、NLDは民族政党の合意なしに進めようとしていると批判的だ。
すべての少数民族の合意を取り付けるのは簡単でない。ビルマの独立以来続いている難問だ。
スー・チー顧問は議会に1人でも出している民族政党はすべて新パンロン会議に招待すると言っているが、議員が1人もいない少数民族はどうなるのかという疑問もある。
一方、休戦合意に参加したグループの中には、国家顧問、軍の司令官と大統領との会談を求める声もある。
いずれにしても、新パンロン会議の成功のためには、まだ合意に加わっていないグループ、とくに休戦協定に未参加のグループとの対話の成り行きが注目される。
(短文)ミャンマーの新国民会議
ミャンマーでは今年の3月30日にティン・チョウ新大統領が就任し、国民民主連盟(NLD)の指導者であるアウン・サン・スー・チー氏は憲法規定により大統領になれないので国家最高顧問となり、外務大臣などを兼任している。以来、議会で憲法改正の試みが行われたが、4分の1の議席を持っている軍人が反対したため試みは失敗した。
新しい試みとして、ビルマ族、各少数民族、武装グループがすべて参加する新パンロン(Panglong)会議を開催して憲法改正の突破口を開こうとする構想がNLDを中心に進められている。
パンロン会議とは、1947年2月、ビルマ独立の指導者アウン・サン(ビルマ族の代表)と少数民族がシャン州のパンロンで行った会議で、合意に参加したのはシャン、カチン、チンの3民族だけであった。
問題は少数民族の自治権をどの程度認めるかであり、パンロン会議では自治権を与えることが合意された。また、後に制定された1947年憲法で、シャン、カヤーについては独立後10年目以降の連邦からの離脱権を認める条項が加えられた。
しかし、その後、パンロン協定で保障された諸民族の自治権も失われ、シャン、カレンニーに認められた連邦離脱権も剥奪された。
この間(47年7月)アウン・サンは暗殺されるなど情勢は不安定であり、1948年1月4日のビルマ独立は諸民族間の完全な合意がないまま強行された感がある。
もちろん、すべての少数民族の合意を待っていては英国からの独立自体が危うくなる恐れがあっただろうし、その時点でのビルマ連邦独立が時期尚早であったとは断定できないが、その時未解決であった問題が今日まで尾を引いていることは否定できないようだ。
昨年10月に休戦協定が合意され、その後、Union Peace Dialogue Joint Committeeが設置された。民族間の対話を進めることが目的だが、7月に新パンロン会議を開催する準備の意味もある。
また、休戦協定には一部少数民族は参加しなかったので、この委員会の下部委員会では非参加のグループとの対話を行うことになっており、6月中に初会合が予定されている。
しかし、新パンロン会議が成功する保証はない。シャン族のリーダーは、休戦協定に不参加のグループを含めすべての民族が出席するようにならなければ会議の成功はおぼつかない、NLDは民族政党の合意なしに進めようとしていると批判的だ。
すべての少数民族の合意を取り付けるのは簡単でない。ビルマの独立以来続いている難問だ。
スー・チー顧問は議会に1人でも出している民族政党はすべて新パンロン会議に招待すると言っているが、議員が1人もいない少数民族はどうなるのかという疑問もある。
一方、休戦合意に参加したグループの中には、国家顧問、軍の司令官と大統領との会談を求める声もある。
いずれにしても、新パンロン会議の成功のためには、まだ合意に加わっていないグループ、とくに休戦協定に未参加のグループとの対話の成り行きが注目される。
2016.06.06
この会議には軍と政府の関係者以外にもメディア、研究者などが多数参加し、全体の参加者数は数百人にのぼる。
アジアの安全保障が会議のテーマであるが、実際には半分くらいが中国に関する話題である。今年の会議では昨年にも増して南シナ海での中国の行動に関心が集中し、カーター米国防長官は、中国の南シナ海での行動は「みずからの孤立を招き、孤立の長城を築くことになるだろう」と警告を発した。
これに対し、中国の代表である孫建国・中央軍事委連合参謀部副参謀長(海軍上将)は、中国は孤立していないと反論した。
また、フィリピンが申し立てている仲裁裁判について、孫副参謀長は「領土主権の問題は海洋法条約の範囲外である。フィリピンの一方的な仲裁申し立ては国際法違反で、中国は受け入れない」と中国の立場を繰り返した。
この会議はよく「中国対その他の代表」という構図になり、多くの出席者が中国の行動について疑問を呈し、中国からの参加者が反駁するのだが、見方によっては、中国は被告人席に立たされることになる。
しかし、中国としてもアジア安全保障会議にメリットを感じているのであろう。この会議が中国軍のPRになるとは思えないが、中国のいないところで中国が批判されるのは困るという考えはあるだろう。
この会議と踵を接して6日から北京で、「米中戦略経済対話」が行われる。これは米中両国の政府間会議で、議題の半分は安全保障であり、当然南シナ海の問題が注目されるが、米側からはケリー国務長官とルー財務長官が出席し、カーター国防長官は出席しない。中国側は楊潔篪(ヤンチエチー)国務委員(副首相級)と汪洋(ワンヤン)副首相が出席する。昨年もおなじ顔ぶれであった。この対話に両国の軍のトップが出席しないことに特別の意味はないらしい。
(短評)アジア安全保障会議(シャングリラ対話)
恒例のアジア安全保障会議が6月3~5日、シンガポールで開催された。英国の国際戦略研究所(IISS)が主催しており、中国軍の高官と安全保障について意見交換できる場として貴重である。中国軍の実情については透明性が低く、また日本も含め各国の安全保障関係者との接触・交流は少ないからだ。この会議には軍と政府の関係者以外にもメディア、研究者などが多数参加し、全体の参加者数は数百人にのぼる。
アジアの安全保障が会議のテーマであるが、実際には半分くらいが中国に関する話題である。今年の会議では昨年にも増して南シナ海での中国の行動に関心が集中し、カーター米国防長官は、中国の南シナ海での行動は「みずからの孤立を招き、孤立の長城を築くことになるだろう」と警告を発した。
これに対し、中国の代表である孫建国・中央軍事委連合参謀部副参謀長(海軍上将)は、中国は孤立していないと反論した。
また、フィリピンが申し立てている仲裁裁判について、孫副参謀長は「領土主権の問題は海洋法条約の範囲外である。フィリピンの一方的な仲裁申し立ては国際法違反で、中国は受け入れない」と中国の立場を繰り返した。
この会議はよく「中国対その他の代表」という構図になり、多くの出席者が中国の行動について疑問を呈し、中国からの参加者が反駁するのだが、見方によっては、中国は被告人席に立たされることになる。
しかし、中国としてもアジア安全保障会議にメリットを感じているのであろう。この会議が中国軍のPRになるとは思えないが、中国のいないところで中国が批判されるのは困るという考えはあるだろう。
この会議と踵を接して6日から北京で、「米中戦略経済対話」が行われる。これは米中両国の政府間会議で、議題の半分は安全保障であり、当然南シナ海の問題が注目されるが、米側からはケリー国務長官とルー財務長官が出席し、カーター国防長官は出席しない。中国側は楊潔篪(ヤンチエチー)国務委員(副首相級)と汪洋(ワンヤン)副首相が出席する。昨年もおなじ顔ぶれであった。この対話に両国の軍のトップが出席しないことに特別の意味はないらしい。
2016.06.03
6月1日付の日本経済新聞は、次のような記事を掲載した(便宜上一部は割愛)。非常に参考になる
「「日本は南シナ海問題を大げさに騒ぎ、緊張を宣伝している。G7(主要国首脳会議)は世界経済を論議する場なのに、日本はそれを利用し、ケチなソロバンをはじき、小細工をした」
中国外務省の伊勢志摩サミットの成果に関する公式論評である。まるで北朝鮮の宣伝放送なのかと見まごう口調だ。
■日中外相会談での高圧姿勢
これで驚いてはいけない。4月30日、北京で開かれた日中外相会談では、外相同士の高尚な協議の場のはずなのに、これと同様か、それ以上に高圧的な言葉が外相の岸田文雄に浴びせられた。発言者は中国外相、王毅である。
「誠意があるなら歓迎する」。王毅は会談冒頭の握手場面でも厳しい表情を崩さず、けんか腰にも見える言葉を吐いた。会談のホストとしては極めて異例だ。ここから食事も挟んで4時間、激しい応酬が続いた。
会談の公式ブリーフには出ていない王毅の激しい言葉は、在京の外交関係者らに少しずつ漏れ、大きな話題になったほどだ。細かいニュアンスが分かるよう英語に訳した場合、聞くに堪えないやり取りになる。攻撃性を帯びた余計な一言も多い。岸田は冷静だった。「ミスター・キシダは、これでよく耐えましたね」。中国と距離のある国の外交筋からは、こんな感想まで出たという。
実は、温厚さで知られる岸田も反論はしている。「立場を述べるだけなら外務報道官でもできる。立場の違いを認識した上でどうするのかを考えるのが外務大臣だ」。その場に気まずい雰囲気が漂ったのは想像に難くない。
それでも岸田は激高はしなかった。年内の日本でのハイレベル経済対話(閣僚級)と日中韓首脳会談に道筋を付けたいと考えれば、当然だ。そして9月に中国・杭州で開く20カ国・地域(G20)首脳会議の際、首相の安倍晋三と、中国国家主席、習近平の首脳会談を実現する必要がある。
もう一つ、王毅が主導した「事件」が起きた。伊勢志摩サミットの初日だった5月26日。あえてその日に当てて、北京で記者会見を開いたのだ。G20の意義を強調し、G7に南シナ海問題を扱わないよう要求する中身だった。異例である。中国で外相が自ら記者会見するのは、年に1度、3月の全国人民代表大会(国会に相当)の時ぐらいしかないのだから。
この記者会見には国際的な影響力を持つ欧米メディアも出ている。いくら「G20の100日前」との理由を付けても、「G7を邪魔しようとする意図は明らか」と揶揄(やゆ)されるのは目に見えていた。逆効果だ。それでも王毅は、中国外務省の“気骨”を見せるため開催せざるを得なかった。
中国当局の矛先は、南シナ海問題を含めたG7の議論を主導する日本と、首相の安倍晋三に向いている。だが、米大統領、オバマには言及しない。オバマが5月25日の日米首脳会談後の共同記者会見で「南シナ海問題の解決は中国次第だ」と強くけん制したにもかかわらず、である。
「広島訪問で全世界の注目を浴びる米大統領を直接攻撃すれば逆効果だ、との計算が働いたのは確かだろう」。アジア外交筋の見方である。
■若き日から中国外務省のエース
日本政府内には王毅への不信感が漂う。だが、それだけでは生産性に乏しい。なぜ王毅がこんな態度をとるのか詳細な分析が必要だ。そこには、なかなか深い闇がある。
62歳の王毅は、1960年代終わりから黒竜江省でいわゆる「下放」を経験する。その後、25歳という年齢で北京第二外国語学院に入学し、日本語を専門に学んだ。29歳で中国外務省で仕事を始めたなかなかの苦労人である。その後は日本畑から順調に昇進し、駐日中国大使を務めた知日派である。
だからこそ注意が必要だ。中国共産党の内部、軍内には反日機運が残る。ともすると「日本びいき」と後ろ指をさされかねない。外相就任後、3年もたつのに対日関係の表舞台に出るのを慎重に避けてきたのはそのためだ。
他国に比べ中国での外相の地位は極端に低い。王毅は200人以上いる党中央委員の一人にすぎない。日本の場合、外相は重要閣僚で、中国で例えるなら「チャイナ・セブン」といわれる党政治局常務委員クラス。米国でも外交を担う国務長官の地位は極めて高い。記憶にある範囲で、中国の外交畑から副首相、党政治局委員にまで昇進したのは1990年代の銭其●(たまへんに探のつくり)の例くらいだ。
「王毅には外務省の地位格上げを狙って国務委員から副首相、あるいは党政治局委員まで狙ってほしい。本人も一段の出世のためには日本と関わらないほうがいい、と思っているのでは……」。こんな臆測まで中国内にある。」
おりしも王毅は5月31日から6月4日までカナダを訪問しており、日経新聞の記事と同じ1日(時差を無視する)、オタワで記者会見を行ったが、記者の質問に対して異例の対応を見せたそうだ。一言でいえば、「激した」といえるくらい感情的になったのだ。
以下はワシントン・ポストの2日付の記事である。
Emily Rauhala
“Wang Yi did not like the question.
At a press conference in Ottawa on Wednesday, Canadian journalists were granted the chance to ask the Chinese foreign minister a single query, plus a follow-up. They asked about human rights. Wang lost it.
“Your question is full of prejudice and against China and arrogance … I don’t know where that comes from. This is totally unacceptable,” said Wang, speaking through a translator.
“Other people don’t know better than the Chinese people about the human rights condition in China and it is the Chinese people who are in the best situation, in the best position to have a say about China’s human rights situation,” he said.
Wang asked if the journalist if she’d ever been to China. “Do you know that China has lifted more than 600 million people out of poverty?” he asked.
“And do you know that China is now the second-largest economy in the world from a very low foundation? … And do you know China has written protection and promotion of human rights into our constitution?”
The heart of what Wang said — that only China is equipped to understand China — is not new. The ruling Chinese Communist Party often expresses anger and frustration over what it considers the ignorance and hypocrisy of the West, particularly when it comes to human rights. They feel China is targeted unfairly, willfully misunderstood.
What’s surprising and revealing is that Wang let himself look rattled.
The question, which was broad, left plenty of room for Wang to articulate China’s position on specific issues of domestic and foreign policy. Given the restrictive format, he could have held the floor, fending off a follow-up by sticking to his notes. Instead, he lost his cool.
The outburst is a reminder of how rarely China’s top leaders face the press. At home, their public appearances are rare and tightly scripted. At Premier Li Keqiang’s annual press conference, for instance, a select group of local and foreign journalists are “invited” to ask screened questions on live television.
During Obama’s November 2014 visit to China, a journalist from the New York Times surprised President Xi Jinping with a question about journalists being denied visas based on their coverage. Xi paused, gazed across the room, then took a question from state media. Later, he returned to the Times reporter, awkwardly comparing journalists to broken-down cars.
Xi, unlike Wang, managed to look composed, but his words conveyed frustration and unease. “When a car breaks down on the road, perhaps we need to get off the car and to see where the problem lies,” he said.
“And when a certain issue is raised as a problem, there must be a reason. In Chinese we have a saying: The party which has created a problem should be the one to help resolve it.”
本稿も異例に長くなってしまったが、王毅を知る一人としていくつか思うことがある。もちろん「知る」と言ってもそれほど深く知っているのではないが、王毅の言動は重要であるだけに、あれこれ考えておく価値がある。
第1に、王毅は日本だけに強い主張をしているのではなさそうだ。もちろん日本との関係については言いたいことも多くなるだろう。しかし、中国における人権問題であっても、中国として不愉快なことについては同様に感情を表に出し攻撃的な態度で相手方を批判しているように思われる。
第2に、中国の外相として平均的な行動でない。他の中国人であればもっと違った対応をしたかもしれない。ワシントン・ポストの記事は”The question, which was broad, left plenty of room for Wang to articulate China’s position on specific issues of domestic and foreign policy. Given the restrictive format, he could have held the floor, fending off a follow-up by sticking to his notes. Instead, he lost his cool.”と指摘している。要するに、中国の外相として適当にはぐらかすことができたということだ。
わたくしも同感であるが、王毅が例外的なのか、王毅が例外的に強い態度をとっているのか。つまり、人の問題か、状況のためか、どちらもありうると思う。
第3に、推測を重ねることになるが、中国の外交は、外から見るときわめて積極的で、実績も上げているようだが、中国内ではそのように評価されていない可能性がある。南シナ海や台湾との関係などはとくに問題がある。内政面で困難な状況に直面している習近平政権としては、外に対して必要以上に強く出ざるを得ないのではないか。
ともかく、王毅の強い態度を正しく理解するには内政との関連は不可欠の観点だ。
王毅中国外相の強い姿勢の背後にある事情
王毅中国外相の言動が注目されている。6月1日付の日本経済新聞は、次のような記事を掲載した(便宜上一部は割愛)。非常に参考になる
「「日本は南シナ海問題を大げさに騒ぎ、緊張を宣伝している。G7(主要国首脳会議)は世界経済を論議する場なのに、日本はそれを利用し、ケチなソロバンをはじき、小細工をした」
中国外務省の伊勢志摩サミットの成果に関する公式論評である。まるで北朝鮮の宣伝放送なのかと見まごう口調だ。
■日中外相会談での高圧姿勢
これで驚いてはいけない。4月30日、北京で開かれた日中外相会談では、外相同士の高尚な協議の場のはずなのに、これと同様か、それ以上に高圧的な言葉が外相の岸田文雄に浴びせられた。発言者は中国外相、王毅である。
「誠意があるなら歓迎する」。王毅は会談冒頭の握手場面でも厳しい表情を崩さず、けんか腰にも見える言葉を吐いた。会談のホストとしては極めて異例だ。ここから食事も挟んで4時間、激しい応酬が続いた。
会談の公式ブリーフには出ていない王毅の激しい言葉は、在京の外交関係者らに少しずつ漏れ、大きな話題になったほどだ。細かいニュアンスが分かるよう英語に訳した場合、聞くに堪えないやり取りになる。攻撃性を帯びた余計な一言も多い。岸田は冷静だった。「ミスター・キシダは、これでよく耐えましたね」。中国と距離のある国の外交筋からは、こんな感想まで出たという。
実は、温厚さで知られる岸田も反論はしている。「立場を述べるだけなら外務報道官でもできる。立場の違いを認識した上でどうするのかを考えるのが外務大臣だ」。その場に気まずい雰囲気が漂ったのは想像に難くない。
それでも岸田は激高はしなかった。年内の日本でのハイレベル経済対話(閣僚級)と日中韓首脳会談に道筋を付けたいと考えれば、当然だ。そして9月に中国・杭州で開く20カ国・地域(G20)首脳会議の際、首相の安倍晋三と、中国国家主席、習近平の首脳会談を実現する必要がある。
もう一つ、王毅が主導した「事件」が起きた。伊勢志摩サミットの初日だった5月26日。あえてその日に当てて、北京で記者会見を開いたのだ。G20の意義を強調し、G7に南シナ海問題を扱わないよう要求する中身だった。異例である。中国で外相が自ら記者会見するのは、年に1度、3月の全国人民代表大会(国会に相当)の時ぐらいしかないのだから。
この記者会見には国際的な影響力を持つ欧米メディアも出ている。いくら「G20の100日前」との理由を付けても、「G7を邪魔しようとする意図は明らか」と揶揄(やゆ)されるのは目に見えていた。逆効果だ。それでも王毅は、中国外務省の“気骨”を見せるため開催せざるを得なかった。
中国当局の矛先は、南シナ海問題を含めたG7の議論を主導する日本と、首相の安倍晋三に向いている。だが、米大統領、オバマには言及しない。オバマが5月25日の日米首脳会談後の共同記者会見で「南シナ海問題の解決は中国次第だ」と強くけん制したにもかかわらず、である。
「広島訪問で全世界の注目を浴びる米大統領を直接攻撃すれば逆効果だ、との計算が働いたのは確かだろう」。アジア外交筋の見方である。
■若き日から中国外務省のエース
日本政府内には王毅への不信感が漂う。だが、それだけでは生産性に乏しい。なぜ王毅がこんな態度をとるのか詳細な分析が必要だ。そこには、なかなか深い闇がある。
62歳の王毅は、1960年代終わりから黒竜江省でいわゆる「下放」を経験する。その後、25歳という年齢で北京第二外国語学院に入学し、日本語を専門に学んだ。29歳で中国外務省で仕事を始めたなかなかの苦労人である。その後は日本畑から順調に昇進し、駐日中国大使を務めた知日派である。
だからこそ注意が必要だ。中国共産党の内部、軍内には反日機運が残る。ともすると「日本びいき」と後ろ指をさされかねない。外相就任後、3年もたつのに対日関係の表舞台に出るのを慎重に避けてきたのはそのためだ。
他国に比べ中国での外相の地位は極端に低い。王毅は200人以上いる党中央委員の一人にすぎない。日本の場合、外相は重要閣僚で、中国で例えるなら「チャイナ・セブン」といわれる党政治局常務委員クラス。米国でも外交を担う国務長官の地位は極めて高い。記憶にある範囲で、中国の外交畑から副首相、党政治局委員にまで昇進したのは1990年代の銭其●(たまへんに探のつくり)の例くらいだ。
「王毅には外務省の地位格上げを狙って国務委員から副首相、あるいは党政治局委員まで狙ってほしい。本人も一段の出世のためには日本と関わらないほうがいい、と思っているのでは……」。こんな臆測まで中国内にある。」
おりしも王毅は5月31日から6月4日までカナダを訪問しており、日経新聞の記事と同じ1日(時差を無視する)、オタワで記者会見を行ったが、記者の質問に対して異例の対応を見せたそうだ。一言でいえば、「激した」といえるくらい感情的になったのだ。
以下はワシントン・ポストの2日付の記事である。
Emily Rauhala
“Wang Yi did not like the question.
At a press conference in Ottawa on Wednesday, Canadian journalists were granted the chance to ask the Chinese foreign minister a single query, plus a follow-up. They asked about human rights. Wang lost it.
“Your question is full of prejudice and against China and arrogance … I don’t know where that comes from. This is totally unacceptable,” said Wang, speaking through a translator.
“Other people don’t know better than the Chinese people about the human rights condition in China and it is the Chinese people who are in the best situation, in the best position to have a say about China’s human rights situation,” he said.
Wang asked if the journalist if she’d ever been to China. “Do you know that China has lifted more than 600 million people out of poverty?” he asked.
“And do you know that China is now the second-largest economy in the world from a very low foundation? … And do you know China has written protection and promotion of human rights into our constitution?”
The heart of what Wang said — that only China is equipped to understand China — is not new. The ruling Chinese Communist Party often expresses anger and frustration over what it considers the ignorance and hypocrisy of the West, particularly when it comes to human rights. They feel China is targeted unfairly, willfully misunderstood.
What’s surprising and revealing is that Wang let himself look rattled.
The question, which was broad, left plenty of room for Wang to articulate China’s position on specific issues of domestic and foreign policy. Given the restrictive format, he could have held the floor, fending off a follow-up by sticking to his notes. Instead, he lost his cool.
The outburst is a reminder of how rarely China’s top leaders face the press. At home, their public appearances are rare and tightly scripted. At Premier Li Keqiang’s annual press conference, for instance, a select group of local and foreign journalists are “invited” to ask screened questions on live television.
During Obama’s November 2014 visit to China, a journalist from the New York Times surprised President Xi Jinping with a question about journalists being denied visas based on their coverage. Xi paused, gazed across the room, then took a question from state media. Later, he returned to the Times reporter, awkwardly comparing journalists to broken-down cars.
Xi, unlike Wang, managed to look composed, but his words conveyed frustration and unease. “When a car breaks down on the road, perhaps we need to get off the car and to see where the problem lies,” he said.
“And when a certain issue is raised as a problem, there must be a reason. In Chinese we have a saying: The party which has created a problem should be the one to help resolve it.”
本稿も異例に長くなってしまったが、王毅を知る一人としていくつか思うことがある。もちろん「知る」と言ってもそれほど深く知っているのではないが、王毅の言動は重要であるだけに、あれこれ考えておく価値がある。
第1に、王毅は日本だけに強い主張をしているのではなさそうだ。もちろん日本との関係については言いたいことも多くなるだろう。しかし、中国における人権問題であっても、中国として不愉快なことについては同様に感情を表に出し攻撃的な態度で相手方を批判しているように思われる。
第2に、中国の外相として平均的な行動でない。他の中国人であればもっと違った対応をしたかもしれない。ワシントン・ポストの記事は”The question, which was broad, left plenty of room for Wang to articulate China’s position on specific issues of domestic and foreign policy. Given the restrictive format, he could have held the floor, fending off a follow-up by sticking to his notes. Instead, he lost his cool.”と指摘している。要するに、中国の外相として適当にはぐらかすことができたということだ。
わたくしも同感であるが、王毅が例外的なのか、王毅が例外的に強い態度をとっているのか。つまり、人の問題か、状況のためか、どちらもありうると思う。
第3に、推測を重ねることになるが、中国の外交は、外から見るときわめて積極的で、実績も上げているようだが、中国内ではそのように評価されていない可能性がある。南シナ海や台湾との関係などはとくに問題がある。内政面で困難な状況に直面している習近平政権としては、外に対して必要以上に強く出ざるを得ないのではないか。
ともかく、王毅の強い態度を正しく理解するには内政との関連は不可欠の観点だ。
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