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2017.09.13

習近平政権の宗教政策の特色

 教皇フランシスコが就任したのは2013年3月13日、習近平が中国共産党の総書記に就任して4カ月後のことであるが、国家主席に就任したのは同年の3月14日であり、時差を考慮すると実質的には教皇と同日に就任したと言ってよい。
 
 バチカン(ローマ教皇庁)は台湾と外交関係がある。しかし、教皇庁側には、台湾との関係を断つことはできないが、1000万人と推定されるカトリック信者がいる中国を無視すべきでないという認識があった。中国はmissing link(大事なものが一つ欠けているという意味)だとも言われていた。
 教皇フランシスコは就任以来中国との関係改善に意欲を示し、教皇庁と中国政府の間で定期的に非公式交渉が行われた。その結果、両者の距離は縮まり、最大の争点であった司教の任命権について、バチカンはあくまで司教の任命権を維持するが、中国政府の同意を条件とするという方式で妥協が成立するところまでこぎつけた。
 フランシスコが2014年8月、韓国を訪問するにあたって、教皇を乗せた旅客機が中国の領空を通過できるか問題になったが、中国は認めた。教皇は中国の領空を通過した際、中国の国土と国民に祈りを捧げたという。

 しかし、習近平の強硬姿勢は変わらず、宗教面でも共産党による指導の強化を繰り返し言及した。
 2016年12月、北京で開かれた「中国カトリック全国代表会議」で兪正声・人民政治協商会議主席(中国のナンバー4)が「中国のカトリック教会は、バチカンから独立すべきだ」「教会への愛情と愛国心を統一せよ」などと発言したことは中国の強硬姿勢を代表するものとして注目された。

 中国においては、宗教は共産主義イデオロギー上の問題があるが、深刻なのは少数民族問題との関係であり、台湾はカトリック、チベットは仏教、新疆ウイグル自治区はイスラムとそれぞれ関係しているので弱い姿勢を見せられない。
 台湾との関係では、中国はバチカンを引き付け、外交関係を結ぶには柔軟に対応したほうがよいが、宗教問題で弱い姿勢を見せればイスラムや仏教徒との関係でも影響が生じるので、バチカンにも甘い顔を見せられない。習近平主席が2016年4月に「宗教工作は、祖国統一などに関係する特殊な重要性を持つ」と述べたのはそのような事情があるからであった。
 ともかく、習近平政権はカトリックに対しても強硬な姿勢を取り、浙江省においては教会が取り壊されたり、十字架が撤去されたりした。

 そして、9月7日、旧「宗教事務条例」を修正した新条例が公布された(施行は2018年2月1日)。その特徴は、習近平政権下で進められた「国家安全」対策の強化が新たに盛り込まれたことである。この対策については本HP 2017年6月14日付の「習近平主席の国家安全対策の強化」を参照願いたい。
 このほか、旧条例に規定されていた「国家統一、民族団結、社会の安定、社会秩序、公民の身体健康、国家教育制度、社会の公共利益、公民の合法権益などに対する危害を加えることの禁止」に加え、「テロ活動、過激活動、インターネットを利用した各種の破壊活動の禁止」が追加された。
 なお、中国の宗教政策の基本である「国家による正常な宗教活動の保護」および「宗教团体は外国勢力の支配を受けてはならない」は旧条例の規定がそのまま維持された。 


2017.09.08

中国における軍改革の完成と習近平の絶対体制

 第19回中国共産党大会の開催を来月に控え、中国軍の改革がほぼ完成したらしい。軍の改革は今次党大会の目玉になるとも言われている。習近平主席は軍事においても権限を一身に集中させることになった。

 軍の改革は、第18回党大会で定年退職した郭伯雄および徐才厚両副主席の汚職追及を皮切りとして進められ、制度改革はほぼ完成している。
 まず、参謀機能が強化された。どの国の軍でも参謀が中枢の機能であるが、中国では歴史的経緯から「総参謀部」は党の軍内出先機関である「総政治部」、兵站(ロジスティックス)を担う「総後勤部」および装備担当の「総装備部」などと並列の地位に置かれていた。これは解体され、総参謀部は「連合参謀部」となり、他の3つの総部は15の部門に再編された。旧総部が古くからのしがらみの巣窟にもなっていたことへの反省であった。
 兵員数の削減も実行された。
 最大の難問は軍内の腐敗の除去であり、これは郭伯雄および徐才厚の処断後も継続中である。

 中央軍事委員会には2名の副主席が置かれていたが、今回、4名に増加されたことにより各副主席の権限は自然に縮小し、習主席の権限が増大することになる。この新しい仕組みは「軍事委員会主席責任制」と呼ばれている。

 現在の副主席のうち范長龍は第19回大会で定年退職する(1947年生まれ)。もう一人の許其亮は1950年生まれなので定年にはならず、留任する。
 新たに副主席となる一人は、最近連合参謀長に就任した李作成である。前任の房峰輝はさる8月30日に規律違反のかどで拘束された。房峰輝は、胡錦濤主席が任期を終える直前の2012年10月に、次の主席となる習近平に断りなく総参謀長に任命したのであり、郭伯雄・徐才厚の両副主席が引退した後の胡錦濤系の代表と見られていた。習近平としては、胡錦涛は前任の主席であり、引退後もそれなりに遇しなければならないが、胡錦涛の出身母体である共青団(共産主義青年団)には厳しく望んでおり、その権限も削っている。そのようなことも背景にあったと思われるが、房峰輝は現役軍人のトップであり、その排除は簡単でなく、5年近い時間を要した。中国共産党主席と軍との関係は微妙であることをうかがわせる一事であった。

 残る2人の副主席候補は、装備発展部長の張又侠とロケット軍司令員の魏風和であり、前者はいわゆる太子党(革命元老の子)である。太子党だからといってちやほやしてはいけないというのが習近平の年来の主張であるが、習近平が張又侠を抜擢したのは同人をよく知っているからであろう。
さらに、許其亮と張又侠は政治局入りも噂されている。

 習主席は今年の春ごろから「核心」と呼ばれていた。「主席」はもちろん中国共産党のナンバーワンであるが、それは、本来、事務的な呼称である。一方、「核心」とは党規約で決まっている地位でないだけに特別だという意味合いが強い。習主席が引退した後には新しい主席が選出されるが、「核心」と呼ばれるとは限らない。
 「習近平同志を核心とする党中央が強軍と興軍(新興の軍)を指導・推進する」と題する8月30日付の新華社・解放軍報共同論評では、「核心を強力に擁護し、軍事委員会主席責任制を決然とかつ徹底的に守ることが最重要である」「習近平は「党の領袖」であると同時に「軍の統帥」であり、一切の重要問題は習主席が決定し、一切の工作については習主席が責任を持ち、一切の行政は習主席の指示に従う」などと習近平主席を持ちあげた。これはかつての毛沢東礼賛を彷彿させる習近平への忠誠宣言である。

 香港の新聞や在米の中国語新聞などは、習近平は完全に軍を掌握し、「絶対権威」を確立したとも述べている。
 今次党大会への軍の代表も一新されるらしい。軍と兄弟の関係にある武装警察から党大会へ送られる代表303名のうち新人は90%に上るという(『明報』9月7日付)。
 軍の改革は前任の胡錦涛、前前任の江沢民も十分に成果を上げることができなかった難問である。習近平は以前、軍の改革を2020年に完成させると言っていたが、基本的に繰り上げ実行できたことは習近平政権の大きな成功であり、習近平政権は安心して第2期目を迎えられる。

 しかし、絶対権威となると、逆に「個人崇拝」の危険は生じないか。習近平が信頼し、重用しているのはお友達や知人だけではないか。5年後に引退する習主席の後継者もそのような独裁的指導者になりうるか。現在、党中央は将来党のトップ人事においても複数の候補から選挙で選ぶ仕組みを導入できるか検討中だと言われているが、それは、独裁体制を強めたことに対しバランスを取るために議論ではないか。習近平政権の2期目においては、そのような側面からも注目していく必要がある。
2017.09.06

BRICS首脳会議をめぐる中印両国のライバル関係

 BRICSとはブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカのことである。いずれも大きな将来性がある国であり、すでに世界のGDPの2割、総人口の4割を占めている。
 BRICS首脳会議は2009年、前年秋のリーマンショックから世界的な金融危機が発生したことがきっかけとなって設立されたものであるが、G7の向こうを張る意図もあったものと思われる。
 BRICSは毎年首脳会議を開催しており、その枠内で2015年、BRICS銀行(英語ではNew Development Bank略してNDB)を設立した。
 首脳会議でもまたNDBでも中国は主導的な立場に立つ野望を隠さないが、とくにインドはそのような中国に警戒的である。ただし、首脳会議はG7と同様持ち回りで開催されているので、形式的には平等である。
 一方、ADBについては、中国の姿勢は露骨であり、出資比率を他国より高くしたいと働きかけたが、インドをはじめ各国は賛成せず、結局本部は上海に置き、初代の総裁はインドから出すことで妥協が成立した。
 しかし、これでは中国はなお不満であり、別途、中国だけが拒否権を保持しつつ、数十カ国を集めてアジアインフラ投資銀行(AIIB)を設立した。この2つの銀行の設立準備を行ったのはほぼ同時期であり、中国にとっては大きな負担であったはずだが、世界の大国になりたいという願望を実現し、かつ、他の4カ国との協力関係を進めるためには必要だったのである。

 BRICSが発足した頃は世界的に注目されたが、その後各国の経済成長は陰りが生じるようになっており、首脳会議の存在意義も薄くなってきたと見られている。昨年の首脳会議はインド南部のゴアで開催されたが、成果が乏しいまま終了した。
 今年の首脳会議は中国のアモイ市で開催された。中国としてはAIIBを最重視しているが、BRICSは西側に対抗するためにも重要であり、首脳会議が先細りになるのは何としてでも避けたいところであった。

 しかし、今年、新たな問題が発生した。中国とインドの間の一部国境について1962年以来争いが継続していたところ、2017年6月、インドの北東部シッキム州に近いブータン西部の係争地ドクラム高地で紛争が再燃し、中印両軍がにらみ合い状態に入ったのである。これはなかなか収まらず、3カ月近くが経過しBRICS首脳会議が開催される9月3日が間近に迫ってきてようやく両軍は撤退した。中印両国が同時にそのことを発表したのは8月28日であった。もしこの問題が未解決のまま会議が開かれると、BRICS首脳会議には計り知れないダメージとなったであろうし、ホスト国の中国としては新たな消極的要因が加わるのを何としてでも回避したかったであろう。

 かくして、アモイ首脳会議は無事開催された。余談であるが、会議の初日であった9月3日、今度は北朝鮮が核実験を行った。北朝鮮が核やミサイルの実験をするのは、金日成主席の誕生日などに合わせることが多いとよく言われるが、最近はむしろ第三国の重要行事に合わせることが多くなっている。先般の米国の独立記念日の際に第2回目のICBM実験をしたことなどである。北朝鮮は、今回も、中国が力を入れているBRICS首脳会議に合わせた可能性がある。

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