平和外交研究所

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2017.06.23

戦争で戦った人たち

 1945年6月23日は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日。戦って命を落とされた方々を悼んで、22年前、読売新聞に以下の一文を寄稿した。戦争で戦った人は立派だった、しかし戦争を指導した人たちは敬うべきでないという考えだ。

 「戦後五十年、戦争に関する議論が盛んであるが、戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。あくまでも個人的見解であるが、一考察してみたい。
 個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は、少々考えるべき点があるのではないだろうか。
歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
 では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。従って「犠牲者」のイメージで連想される弱者には似つかわしくない。勇者と呼ぶにふさわしいと思う。また、[殉国]のイメージとも違う。[殉国]型の評価は、個人が国家のために一身を捧げたとみなされており、自らを守ることについて特に評価は与えられていないのだ。
個人と国家は区別され、その個人の評価は国家に対する献身なり、貢献という角度から下されている。しかし、ひめゆり学徒隊の大部分は、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。
 これは軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。もちろん罪でもなく、任務であり、当たり前のことである。
 他方、このことと戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
 さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。他方わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。
 したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。
もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動を中心に評価が行われていない。
 顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。
戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。個人の行動を中心に評価するとなれば、積極的に評価できない場合も当然出てくる。
 一方、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。
 もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。
 個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。
 個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」

2017.06.22

韓国の新政権と米国および日本との関係

 6月21日、岸田外相は韓国のカン・ギョンファ(康京和)新外相と電話で話し合った。ムン・ジェイン(文在寅)新政権の対日関係がどうなるか、懸念材料は慰安婦問題をはじめいくつかあるが、今のところ、大きな問題にはなっていない。
 一方、韓国と米国の関係はムン・ジェイン政権成立からわずか1カ月半だが早くも困難な状況になっている。特に問題なのは、高高度防衛ミサイルシステム(THAAD)だ。
 THAADはパク・クネ(朴槿恵)政権時代の昨年7月、米韓両軍が韓国への配備を決め、2017年3月から装備の搬入が開始され、すでに2基が運用されている。発射台は全6基で運用される予定で、追加の4基の搬入が始まろうとしたときに、就任早々のムン・ジェイン大統領はそのことを事前に聞いていなかったと発言して、真相究明を指示したため配備が遅れた。
 米側としては、両国間の合意に従い配備の手続きを進めてきたのに韓国側から急に待ったがかかったので反発したのは当然だった。
 
 しかも、2つの問題が加わった。1つは、6月16日にムン・ジョンイン(文正仁)大統領統一・外交・安保特別補佐官が東アジア財団とウッドロー・ウィルソンセンターが共同主催のセミナー(ワシントン)で、「ムン・ジェイン大統領が2つのことを提案したが、1つは北が核・ミサイル活動を中断すれば米国との議論を通じて韓米合同軍事訓練を縮小できるということだ。私の考えでは、文大統領は韓半島(朝鮮半島)への米国の戦略武器展開を縮小することも念頭に置いている」と述べたことである。
また、同補佐官はセミナーでの発言後、特派員との懇談会で、ムン大統領の条件のない南北対話提案に対する米国の反対に言及しながら、「北が非核化しなければ対話をしないというのを我々がどのように受け入れるのか」とし「南北対話は朝米対話と条件を合わせる必要はない」とも述べた。
 米韓合同軍事演習、韓国内への武器配備、北朝鮮との関係はいずれも米国としては韓国のために行っているデリケートな問題である。ムン特別補佐官の発言に米側は不快感を示したという。
 
 さらに、ムン氏の発言から4日後に、韓国は中国と次官級の戦略対話を行った。韓国の新政権として中国との関係改善を重視したい気持ちはよく分かるが、中国はかねてからTHAADの韓国配備に強く反対しており、今回の韓国との戦略対話でも配備見直しを強く求めた。
 米側からすれば、これも余計なことだっただろう。韓国の高官は分かっておりながら、中国へ行って注文取りをしたと思ったとしても不思議でない。

 6月29日と30日に米韓首脳会談が米国で行われるが、これを前に「3大悪材料」が降ってわいたので、韓国大統領府が頭を抱えていると20日付の朝鮮日報は述べている。
 「3大悪材料」とは「THAADの配備問題」と「ムン・ジョンイン特別補佐官の発言」と、3つ目は、ムン・ジェイン大統領が韓国を訪問する米国の議員らとの面会を拒否するなど消極的な対応を見せたため、米国側から不満が噴出した件である。
 ムン大統領はトランプ大統領との会談でこれら問題、特にTHAADの配備問題をどのようにさばき、会談を乗り切るか注目される。

 米韓関係に比べれば日韓関係は今のところ平穏だ。カン・ギョンファ新外相は慎重な物言いをしているが、ムン政権下での日韓関係はまだ初歩的な接触の段階にある。
2017.06.21

北朝鮮外務省米州局長のチェ・ソンヒ(崔善姫)氏

 最近、北朝鮮外務省のチェ・ソンヒ(崔善姫)米州局長の名前がメディアに再登場するようになった。きっかけとなったのはさる5月初め、ノルウェーで行われた米朝協議であり、チェ氏は北朝鮮の代表であった。
 チェ氏は、米国との協議や核についての北朝鮮の立場をずばりと言える稀有な人物だ。以前は6カ国協議の際の米国との交渉で通訳をしており、英語は堪能だ。マルチの国際会議でも英語で発言できる。
 昨年までは米州局の次長であったが、今回のノルウェー協議の際には「米州局長」に昇格していたことが判明した。彼女は次長の時から非常に率直な発言をしていたが、問題にならなかったどころかますます認められているのだ。
 そのように振る舞えるのは養父のチェ・ヨンリム(崔永林)元首相の後ろ盾があったからだとも言われていた。チェ・ヨンリム氏は1929年生まれ(1930年生まれとの説もある)で、当然日本語もできるだろう。朝鮮戦争に従軍し、その後順調に党政の重要ポストについてきた人物だ。が、それだけでは保障にならない。チェ・ソンヒ氏は明らかに金正恩委員長の信頼を勝ち得ている。
 チェ・ソンヒ局長はノルウェーでの協議から帰国途中の5月13日、北京空港で香港のフェニックステレビなどの取材に応じ、「条件が熟せば、トランプ政権と対話する用意がある。(事務的な協議については)今後も機会があれば、行う」と話した。今後についての方針や、米朝首脳間の会談についても平然と話したのはいかにもチェ・ソンヒ氏らしい。
 
 少し古い話だが、2012年3月、ニューヨークで「北東アジアの平和と協力に関する」会議が開かれた。分かりやすく言えば、北朝鮮問題と米朝関係に関する会議であったが、これにチェ・ソンヒ次長が出席していた。当時は、金正恩氏が父正日氏の後継者となってから間がなく、新体制が安定的に動き出せるか微妙なときだったが、チェ次長はその際も歯切れがよかった。
 たとえば、チェ氏は、北朝鮮の核について、「南が核の傘を放棄すれば北は核を放棄する」と言い放った。これに対し、韓国の学者が「本当か」と質問したが、それに対しても「本当だ」と緩まなかった。
 私はその場にいて、チェ次長はよほど大胆な女性か、常識的には想像できない強いバックがあるなと感じた。また、チェ次長は、同席していたケリー上院外交委員長(当時、後に国務長官)に対し、「北朝鮮へ来てほしい。そこで議論しよう」とも言った。日本に限らず、他の国では外務省の一介の局次長がケリーのような大物に対して言えることでない。
 それから5年以上が経過したが、チェ氏は順調に昇格して米州局長になり、また以前と同様率直な発言を行っている。今後も注目すべき人物だと思う。

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