ブログ記事一覧
2018.08.06
「北朝鮮はミサイルの製造を続けている。」
「北朝鮮は、米国が朝鮮戦争の終結宣言に応じないので非常に不満であり、非核化の作業を進めていない。」
「北朝鮮は最近、国連の制裁やぶりにますます熱心になり、海上での積み荷の積み替え(瀬取り)を盛んにしていると国連で報告されている。」などである。
さらに8月2日に行われたASEAN外相会議の際に垣間見られた北朝鮮の姿勢もかなりの関心を集めた。
これらは、多かれ少なかれ根拠があるようだが、北朝鮮の非核化に関し現在最も重要なことはいわゆる高官協議である。実は、その中には、実務者の協議や「作業部会」とも呼ばれている小規模で、専門的な問題を扱う場も含まれている。
高官協議については、さる7月初めにポンペオ国務長官が平壌を訪問して以降、何も発表されておらず、米朝双方とも情報を出さないので実情が分からないのだが、米朝両国がしようとしていることは推測が可能である。
それに比べると、本稿の冒頭に掲げたさまざまな観察や分析は、あえて言うなら、「周辺的な問題」である。それには、米朝間の駆け引き、政策決定者でない人たち、南北両朝鮮の考えが影響していると思う。
また、最初に掲げたウランの濃縮については、以下で述べるように目下米朝で協議中であり、結論が出る前に北朝鮮が自発的に一部を濃縮施設の解体を実行しなくても何ら不思議でない。
米国としては北朝鮮と詰めなければならないのは、大きく言って次の4項目である。
① 北朝鮮による核兵器廃棄の「決定」。
② 決定の実行。核弾頭の解体、関連施設の廃棄、平和目的利用への転換、核廃棄物の処理などを含む。
③ 非核化の「申告」。「非核化」の決定と実行について北朝鮮政府がIAEA(国際原子力機関)に行う。
④ 申告の「検証」。申告内容が正確かの検証。
①核兵器廃棄の「決定」
金正恩委員長はトランプ大統領との会談に先立って、「非核化」の意思を示していたことは周知である。トランプ大統領との会談でも、改めてその考えを説明したはずだ。
会談後の共同声明では、「金正恩委員長は、朝鮮半島の非核化についての確固とした、揺るぎのないコミットメントを再確認し」「北朝鮮は非核化に向けて進むことにコミットする」と記載された(第3項)。
にもかかわらず、政治体制の違いから、北朝鮮は「非核化」の決定を正式に行ったかどうか、不明である。そこで、米側としては、正式の決定が、いつ、どのような内容で、どのような手続きで行われるかを確認する必要がある。余談だが、その確認が行われるまで、ワシントンなどでは、北朝鮮は本気で「非核化」を実行する意思がないという懐疑論が消えないだろう。
なお、北朝鮮の現憲法は北朝鮮を核保有国と明記しており、「非核化」すればその改正が必要となる。憲法改正を行うのは最高人民会議であり、北朝鮮はこれを予定より早く開催するともいわれている。いずれにしても、憲法改正自体はここでいう「非核化」の決定でなく、確認的なことであろう。
②決定の実行
決定には様々な内容が含まれているが、なかでも重要なことは核兵器の廃棄である。北朝鮮が何発保有しているか、また、どこに、どのような状況で保管しているか。廃棄はいつ、だれが、どこで、どの順番で行うか。廃棄した核兵器は北朝鮮内で処分するか、国外へ搬出するか。米側としてはこれらを確定する必要がある。
1980年代の末に保有していた核兵器を廃棄した南アフリカ共和国の場合、自国ですべての核兵器を廃棄した後に発表したので、これらが問題になることはなかったが、これから「非核化」する北朝鮮の場合には、後で述べる「検証」においてこれらの事実関係についての情報開示が求められる。
これに対して、北朝鮮側では米側の要求に応じるのに抵抗する力が働く恐れがある。たとえば、人民軍や労働党の強硬派が、「主権」にかかわることとして説明を拒む事態である。これは米国としてとくに知りたいことであろう。
核兵器を製造するのに使用された施設の廃棄も重要問題だ。関連施設の数は多い。ウランの鉱石から核兵器を製造するまでにはかなりの数の工程がある。例えば、自然な状態で存在するウランを濃縮すること、そのため気化などの加工が必要である。また濃縮されたウランは金属状に加工される。冷却施設や、実験場も必要だ。
米国は人工衛星などで関連施設の存在をある程度把握しているが、完全ではない。協議においては北朝鮮側からすべての関連施設の現状と廃棄について説明を受ける必要がある。
「非核化」の実行上、北朝鮮による原子力の平和利用も問題となる。平和利用は核兵器不拡散条約(NPT)でもすべての国に認められている権利であるが、兵器用と平和利用用の境界が明確でないことがあるので、協議の対象とせざるを得ないのだ。
兵器用と平和利用用の混在は様々な局面で現れてくる。たとえば、ウランの濃縮は兵器のためにも、また、平和利用のためにも行われ、そのための施設は完全に分離されていない。したがって、兵器用の濃縮施設を廃棄するといっても、では平和利用の濃縮はどうするかが問題となる。
③④申告と検証
「非核化」を実行すれば、北朝鮮はIAEA(国際原子力機関)に対して、「非核化」の顛末を記した「申告」を行うことになる。「申告」の主たる目的は、「非核化」の決定が正しく実行されたか、政府の「申告」に虚偽やその他の誤りがないことを「検証」するためであり、「検証」はIAEAによって行われる。どの国でも、核兵器を保有しない国でも、核分裂性物質は厳格に管理されているはずだが、「申告」が正しく行われるとは限らない。
「検証」は高度に専門的、技術的な問題だが、その詳細について双方で決めておかないとうまくいかない。「検証」が途中で失敗し、とん挫した例はいくつもある。かつての北朝鮮やイランがそうであった。
「検証」では、核兵器や関連施設の中に存在する「核分裂性物質」、具体的にはウラン235(U235)と途中で生成されるプルトニウムの増減を調べ上げ、「申告」から漏れている「核分裂性物質」はないことが確認される。つまり、1国内の「核分裂性物質」の量がすべて、兵器用か平和利用用かをとわず、また、全工程を通して確認されるのだ。そのための調査を「査察」というが、煩雑になるのを避けるため本稿では「査察」も含め「検証」と呼ぶこととする。
例えば、核兵器1発を解体した場合、約50キロのU235が取り出されるのだが、そのことが正確に記録され、正しく保管されていることを確認されるのである。
「検証」のために、すべての関連施設は完全に開放するよう求められる。そして、壁に付着して残る物質がないかということまで調べられる。
これは普通の感覚では考えられないようなことであり、いわば、他人が家の中に入り込んできて、「裸になってください」と言われるようなものだ。「検証」とはそういう世界なのであるが、それに対する理解がないと抵抗が起こるのも当然だ。だから「検証」はよくとん挫する。
したがって、「検証」は円滑に実施されなくなる危険があるという前提に立って、その場合にはどう対処するかまで決めておかなければならない。
南アの場合も、「検証」は何回も困難に逢着したが、その都度検証チームは南ア政府の全面的な協力を得たので「検証」を貫徹できたという。
今回の平壌協議に先立ち、複雑な「検証」のための作業部会を米朝間で立ち上げたことは正しいステップであった。このことには北朝鮮も同意していたはずだが、それでもポンペオ長官が提出した要求は、あまりも一方的で、多すぎると映ったのであろう。だから「一方的に強盗のように要求してきた」と非難したのだ。もっと上品な表現はあったかもしれないが、北朝鮮の気持ちは率直に表現していたと思う。
しかし、「強盗」であろうと何であろうと、「検証」を最後まで貫徹しなければそれまでの努力はたちまち無に帰する。米国としては何としてでも徹底した「検証」を確保しなければならない。北朝鮮の「強盗」声明は、米国がなすべきことを実行している証である。
以上のようなことは技術的、専門的な性質が強く、結論を出すには時間がかかるが、米朝双方がそのために作業を進めているか否かが最大のカギである。
よく「CVID、すなわち完全な、検証可能な、不可逆的な、核廃棄」に北朝鮮がコミットしているかいなかが問題にされるが、CVIDという言葉の有無をもって米朝協議が進展しているかいないかを判断することはできない。内容が問題なのだ。それはつまるところ、まさに本稿で述べたようなことである。
北朝鮮の非核化をどうみるべきか
6月の米朝首脳会談後、北朝鮮の非核化に関しいくつかのことが話題になってきた。「北朝鮮は今もウランの濃縮を進めている。」「北朝鮮はミサイルの製造を続けている。」
「北朝鮮は、米国が朝鮮戦争の終結宣言に応じないので非常に不満であり、非核化の作業を進めていない。」
「北朝鮮は最近、国連の制裁やぶりにますます熱心になり、海上での積み荷の積み替え(瀬取り)を盛んにしていると国連で報告されている。」などである。
さらに8月2日に行われたASEAN外相会議の際に垣間見られた北朝鮮の姿勢もかなりの関心を集めた。
これらは、多かれ少なかれ根拠があるようだが、北朝鮮の非核化に関し現在最も重要なことはいわゆる高官協議である。実は、その中には、実務者の協議や「作業部会」とも呼ばれている小規模で、専門的な問題を扱う場も含まれている。
高官協議については、さる7月初めにポンペオ国務長官が平壌を訪問して以降、何も発表されておらず、米朝双方とも情報を出さないので実情が分からないのだが、米朝両国がしようとしていることは推測が可能である。
それに比べると、本稿の冒頭に掲げたさまざまな観察や分析は、あえて言うなら、「周辺的な問題」である。それには、米朝間の駆け引き、政策決定者でない人たち、南北両朝鮮の考えが影響していると思う。
また、最初に掲げたウランの濃縮については、以下で述べるように目下米朝で協議中であり、結論が出る前に北朝鮮が自発的に一部を濃縮施設の解体を実行しなくても何ら不思議でない。
米国としては北朝鮮と詰めなければならないのは、大きく言って次の4項目である。
① 北朝鮮による核兵器廃棄の「決定」。
② 決定の実行。核弾頭の解体、関連施設の廃棄、平和目的利用への転換、核廃棄物の処理などを含む。
③ 非核化の「申告」。「非核化」の決定と実行について北朝鮮政府がIAEA(国際原子力機関)に行う。
④ 申告の「検証」。申告内容が正確かの検証。
①核兵器廃棄の「決定」
金正恩委員長はトランプ大統領との会談に先立って、「非核化」の意思を示していたことは周知である。トランプ大統領との会談でも、改めてその考えを説明したはずだ。
会談後の共同声明では、「金正恩委員長は、朝鮮半島の非核化についての確固とした、揺るぎのないコミットメントを再確認し」「北朝鮮は非核化に向けて進むことにコミットする」と記載された(第3項)。
にもかかわらず、政治体制の違いから、北朝鮮は「非核化」の決定を正式に行ったかどうか、不明である。そこで、米側としては、正式の決定が、いつ、どのような内容で、どのような手続きで行われるかを確認する必要がある。余談だが、その確認が行われるまで、ワシントンなどでは、北朝鮮は本気で「非核化」を実行する意思がないという懐疑論が消えないだろう。
なお、北朝鮮の現憲法は北朝鮮を核保有国と明記しており、「非核化」すればその改正が必要となる。憲法改正を行うのは最高人民会議であり、北朝鮮はこれを予定より早く開催するともいわれている。いずれにしても、憲法改正自体はここでいう「非核化」の決定でなく、確認的なことであろう。
②決定の実行
決定には様々な内容が含まれているが、なかでも重要なことは核兵器の廃棄である。北朝鮮が何発保有しているか、また、どこに、どのような状況で保管しているか。廃棄はいつ、だれが、どこで、どの順番で行うか。廃棄した核兵器は北朝鮮内で処分するか、国外へ搬出するか。米側としてはこれらを確定する必要がある。
1980年代の末に保有していた核兵器を廃棄した南アフリカ共和国の場合、自国ですべての核兵器を廃棄した後に発表したので、これらが問題になることはなかったが、これから「非核化」する北朝鮮の場合には、後で述べる「検証」においてこれらの事実関係についての情報開示が求められる。
これに対して、北朝鮮側では米側の要求に応じるのに抵抗する力が働く恐れがある。たとえば、人民軍や労働党の強硬派が、「主権」にかかわることとして説明を拒む事態である。これは米国としてとくに知りたいことであろう。
核兵器を製造するのに使用された施設の廃棄も重要問題だ。関連施設の数は多い。ウランの鉱石から核兵器を製造するまでにはかなりの数の工程がある。例えば、自然な状態で存在するウランを濃縮すること、そのため気化などの加工が必要である。また濃縮されたウランは金属状に加工される。冷却施設や、実験場も必要だ。
米国は人工衛星などで関連施設の存在をある程度把握しているが、完全ではない。協議においては北朝鮮側からすべての関連施設の現状と廃棄について説明を受ける必要がある。
「非核化」の実行上、北朝鮮による原子力の平和利用も問題となる。平和利用は核兵器不拡散条約(NPT)でもすべての国に認められている権利であるが、兵器用と平和利用用の境界が明確でないことがあるので、協議の対象とせざるを得ないのだ。
兵器用と平和利用用の混在は様々な局面で現れてくる。たとえば、ウランの濃縮は兵器のためにも、また、平和利用のためにも行われ、そのための施設は完全に分離されていない。したがって、兵器用の濃縮施設を廃棄するといっても、では平和利用の濃縮はどうするかが問題となる。
③④申告と検証
「非核化」を実行すれば、北朝鮮はIAEA(国際原子力機関)に対して、「非核化」の顛末を記した「申告」を行うことになる。「申告」の主たる目的は、「非核化」の決定が正しく実行されたか、政府の「申告」に虚偽やその他の誤りがないことを「検証」するためであり、「検証」はIAEAによって行われる。どの国でも、核兵器を保有しない国でも、核分裂性物質は厳格に管理されているはずだが、「申告」が正しく行われるとは限らない。
「検証」は高度に専門的、技術的な問題だが、その詳細について双方で決めておかないとうまくいかない。「検証」が途中で失敗し、とん挫した例はいくつもある。かつての北朝鮮やイランがそうであった。
「検証」では、核兵器や関連施設の中に存在する「核分裂性物質」、具体的にはウラン235(U235)と途中で生成されるプルトニウムの増減を調べ上げ、「申告」から漏れている「核分裂性物質」はないことが確認される。つまり、1国内の「核分裂性物質」の量がすべて、兵器用か平和利用用かをとわず、また、全工程を通して確認されるのだ。そのための調査を「査察」というが、煩雑になるのを避けるため本稿では「査察」も含め「検証」と呼ぶこととする。
例えば、核兵器1発を解体した場合、約50キロのU235が取り出されるのだが、そのことが正確に記録され、正しく保管されていることを確認されるのである。
「検証」のために、すべての関連施設は完全に開放するよう求められる。そして、壁に付着して残る物質がないかということまで調べられる。
これは普通の感覚では考えられないようなことであり、いわば、他人が家の中に入り込んできて、「裸になってください」と言われるようなものだ。「検証」とはそういう世界なのであるが、それに対する理解がないと抵抗が起こるのも当然だ。だから「検証」はよくとん挫する。
したがって、「検証」は円滑に実施されなくなる危険があるという前提に立って、その場合にはどう対処するかまで決めておかなければならない。
南アの場合も、「検証」は何回も困難に逢着したが、その都度検証チームは南ア政府の全面的な協力を得たので「検証」を貫徹できたという。
今回の平壌協議に先立ち、複雑な「検証」のための作業部会を米朝間で立ち上げたことは正しいステップであった。このことには北朝鮮も同意していたはずだが、それでもポンペオ長官が提出した要求は、あまりも一方的で、多すぎると映ったのであろう。だから「一方的に強盗のように要求してきた」と非難したのだ。もっと上品な表現はあったかもしれないが、北朝鮮の気持ちは率直に表現していたと思う。
しかし、「強盗」であろうと何であろうと、「検証」を最後まで貫徹しなければそれまでの努力はたちまち無に帰する。米国としては何としてでも徹底した「検証」を確保しなければならない。北朝鮮の「強盗」声明は、米国がなすべきことを実行している証である。
以上のようなことは技術的、専門的な性質が強く、結論を出すには時間がかかるが、米朝双方がそのために作業を進めているか否かが最大のカギである。
よく「CVID、すなわち完全な、検証可能な、不可逆的な、核廃棄」に北朝鮮がコミットしているかいなかが問題にされるが、CVIDという言葉の有無をもって米朝協議が進展しているかいないかを判断することはできない。内容が問題なのだ。それはつまるところ、まさに本稿で述べたようなことである。
2018.07.31
在米の中国語新聞『多維新聞』7月16日付は要旨次のように論評している。
〇米中間の貿易戦争を背景に、北戴河避暑の直前から、「個人崇拝」に関する議論が突然沸き起こってきた。
〇最近、習氏の写真やポスターを即刻撤去するよう警察が指示したとする文書がインターネット上で拡散した。今月初めには、上海で董瑶琼という名前の女性が「独裁、暴政に反対する」と叫びながら、習氏の写真に墨汁をかける事件が起こった。
〇政府も習近平の宣伝頻度を下げている。人民日報7月9日付は、1面の見出しの中に習氏の名前を出さなかった。
〇政治状況に詳しいある人物は「政変」はあり得ないと言いつつ、「個人崇拝」を生み出す原因に注目すべきだと述べている。
〇中国では、毛沢東の「個人崇拝」から文化革命がおこった苦い経験から、「個人崇拝」を排除し、集団指導によることにした。
〇しかし、胡錦涛の時代、またもや「船頭多くして船進まず」や「中南海から指示が出ない」現象が現れた。
〇そこで第18回党大会の前後、党の集中統一的指導を強化し、内政・外交両面で現れていた問題を克服する試みが行われた。
〇しかし、この時の調整にも問題があった。諸団体の活力を抑制したため、個人崇拝の傾向を復活させたのだ。
〇個人崇拝は中国政治において周期的に現れる問題である。中央が「政治意識」「大局的意識」「核心意識」「右に倣う意識」を強調すると、上から下への統制が強化され、結果、本来細かいことでも大きな事にし、厳しい罰を課すようになる。また、下から上へお世辞を言うようになる。
〇西側の政治と中国の政治は違う。前者においては意見の集約が困難なためそれだけ能率が悪くなる。中国はその逆であるが、中国政治においては階層、官民の区別と対立が重要な問題になる。中国型の権力集中型政治は体制の硬化を惹起しやすく、西側の政治より早く老化する。
中国における「個人崇拝」問題
最近、中国では、習近平主席に対する批判が起こっていると一部のメディアが指摘している。とくに問題視されているのは「個人崇拝」の傾向である。中国では毎夏指導者が河北省北戴河で非公式の協議をする習わしがあり、そこでも話題になっているという。在米の中国語新聞『多維新聞』7月16日付は要旨次のように論評している。
〇米中間の貿易戦争を背景に、北戴河避暑の直前から、「個人崇拝」に関する議論が突然沸き起こってきた。
〇最近、習氏の写真やポスターを即刻撤去するよう警察が指示したとする文書がインターネット上で拡散した。今月初めには、上海で董瑶琼という名前の女性が「独裁、暴政に反対する」と叫びながら、習氏の写真に墨汁をかける事件が起こった。
〇政府も習近平の宣伝頻度を下げている。人民日報7月9日付は、1面の見出しの中に習氏の名前を出さなかった。
〇政治状況に詳しいある人物は「政変」はあり得ないと言いつつ、「個人崇拝」を生み出す原因に注目すべきだと述べている。
〇中国では、毛沢東の「個人崇拝」から文化革命がおこった苦い経験から、「個人崇拝」を排除し、集団指導によることにした。
〇しかし、胡錦涛の時代、またもや「船頭多くして船進まず」や「中南海から指示が出ない」現象が現れた。
〇そこで第18回党大会の前後、党の集中統一的指導を強化し、内政・外交両面で現れていた問題を克服する試みが行われた。
〇しかし、この時の調整にも問題があった。諸団体の活力を抑制したため、個人崇拝の傾向を復活させたのだ。
〇個人崇拝は中国政治において周期的に現れる問題である。中央が「政治意識」「大局的意識」「核心意識」「右に倣う意識」を強調すると、上から下への統制が強化され、結果、本来細かいことでも大きな事にし、厳しい罰を課すようになる。また、下から上へお世辞を言うようになる。
〇西側の政治と中国の政治は違う。前者においては意見の集約が困難なためそれだけ能率が悪くなる。中国はその逆であるが、中国政治においては階層、官民の区別と対立が重要な問題になる。中国型の権力集中型政治は体制の硬化を惹起しやすく、西側の政治より早く老化する。
2018.07.24
東欧と南欧の地図を見ながら説明すると、ハンガリーの南側はバルカン半島と呼ばれる地域であり、その東側半分はルーマニアとブルガリアで、比較的安定しているが、西側半分(西バルカン)は様々な事情により政治状況は非常に複雑である。
日本人にとっては、この複雑さと日本との関係の少なさのため、この地域の特徴はつかみにくい。
そして、バルカンをさらに南へ下るとトルコとなり、日本人の目にもイメージははっきりしてくる。
クロアチアは西バルカンの一国であり、人口的には2番目だ。最も人口が多いのはセルビアで、3番目がボスニアヘルツェゴビナである。本稿の表題はこの人口順に並べて表示した。
どの国もサッカーが盛んであり、セルビアも今大会に出場したが、16強に残れなかった。ボスニアも後で述べるように優秀なサッカー選手を輩出している。
西バルカンにはこの3国のほか、スロヴェニア、モンテネグロ、コソボ、マケドニア、アルバニアなどの国がある。
民族的には、西バルカンの諸民族は、すべてロシアと同じスラブ民族である。その使用言語は方言程度の違いはあるが、基本的には同じである。各国とも独自の言語を使用しているように言っており、たとえばクロアチアでは「クロアチア語」を話すと説明しているが、それはナショナリズムのせいであり、実際にはセルビア語とクロアチア語は日本の関東弁と関西弁ほどの違いもない。
しかし、国境線は同じ言葉を話す人たちを分断する形で引かれている。最大の理由は、歴史的にバルカン半島が北のオーストリア・ハンガリー帝国と南のオスマン帝国の勢力分岐点であったためであり、第一次世界大戦に至るまでの数百年間、クロアチアだけはオーストリア・ハンガリーによって、その他はオスマン帝国によって支配されていた。
この状況は宗教面にも反映している。クロアチア人の大多数はローマ・カトリックであるが、ボスニアはイスラムである。セルビアはセルビア人勢力が強かったので正教(ギリシャ正教やロシア正教と同系統であり、セルビア正教と呼ぶ場合もある)が主流である。宗教以外では、イスラムの影響は至る所に残っている。セルビアの田舎を旅行すると、いかにもトルコ風というか、イスラム風の音楽が聞こえてくる。
西バルカンには、かねてからこの地域を一つの国にしようとする「大セルビア主義」構想があり、第二次大戦後にユーゴスラビアとなって実現した。セルビア、クロアチア、ボスニア、さらにその他の西バルカン諸国は、アルバニアを除き、すべてユーゴスラビアに組み込まれた。
ユーゴスラビアになっても日本にとってはなじみが薄かったが、第一次世界大戦がボスニアの首都サラエボから起こったことは例外的に有名である。
個人で日本に知られているのは、ユーゴスラビアを建国したヨシップ・ブロズ・チトー(単にチトーと呼ばれることが多い。クロアチア生まれ)である。大戦中ナチスと戦い、戦後にユーゴを建設した立役者であり、国際的にも非同盟運動の指導者としてインドのネルーなどと並び称せられた人物であった。
ニコラ・テスラ(クロアチア生まれ)は世界で初めて交流電流を実用化した。エジソンと同時代であり、エジソンはマルチ発明王として有名だが、テスラは知られていない。テスラ自動車会社が同人の名を受け継いだことも知る人は少ない。しかし、電流の実用化の面ではエジソンは直流であり、後の工業化に貢献した度合いではテスラのほうがはるかに上であった。
スポーツにおいては日本でもよく知られている選手が何人かいる。サッカーではモドリッチ(クロアチア)のほか、ストイコビッチ(セルビア)、ハリルホジッチ(ボスニア)、オシム(ボスニア)も有名である。テニスでは、ジョコビッチ(セルビア)がいる。
チトーは1980年に死去。それから10年余りたつと、ユーゴスラビアは解体し小国割拠状態になり始めた。ユーゴの内戦である。主要な戦闘は数年で終わったが、解体の過程は現在に至るも完全には終わっていない。
バルカンでは、内戦以前から、最大の民族であるセルビア人がセルビア以外の地にも多数居住していた。それで何も問題はなく、セルビア人もクロアチア人もその他の民族も仲良く暮らしていたが、各国が独立を求めセルビアと戦うに至り、民族間の衝突が生じてしまった。
セルビアはクロアチアなどの独立を阻止するため、また、自国民を保護するため兵を出したのだが、その行動は過激になり、多数の民間人が犠牲になり、また、難民となった。モドリッチの祖父は殺害されたクロアチア人の一人であった。
ボスニアの首都サラエボでは大きな公園を墓場にして多数の死者を弔った。急激に多数の人が犠牲となったのでそうするよりほかに方法がなかったのである。
ユーゴの内戦に対し、EU、国連、米国などが関与して和平の実現に努めた。この和平に至る過程も複雑であり、国際社会のリード役はEUと国連から米国になった。内戦が終結し、現在の国境が確定したのは1995年の末であった。
セルビア・クロアチア・ボスニア
今回のサッカーワールドカップ・ロシア大会決勝でクロアチアはフランスに敗れ準優勝で終わったが、その活躍ぶりには世界が目を見張った。同国のエース、モドリッチは今大会の最優秀選手に選ばれ、プーチン大統領からゴールデンボールのトロフィーを受け取った。しかし、クロアチアがどのような国なのか、知っている日本人は極めて少数だろう。東欧と南欧の地図を見ながら説明すると、ハンガリーの南側はバルカン半島と呼ばれる地域であり、その東側半分はルーマニアとブルガリアで、比較的安定しているが、西側半分(西バルカン)は様々な事情により政治状況は非常に複雑である。
日本人にとっては、この複雑さと日本との関係の少なさのため、この地域の特徴はつかみにくい。
そして、バルカンをさらに南へ下るとトルコとなり、日本人の目にもイメージははっきりしてくる。
クロアチアは西バルカンの一国であり、人口的には2番目だ。最も人口が多いのはセルビアで、3番目がボスニアヘルツェゴビナである。本稿の表題はこの人口順に並べて表示した。
どの国もサッカーが盛んであり、セルビアも今大会に出場したが、16強に残れなかった。ボスニアも後で述べるように優秀なサッカー選手を輩出している。
西バルカンにはこの3国のほか、スロヴェニア、モンテネグロ、コソボ、マケドニア、アルバニアなどの国がある。
民族的には、西バルカンの諸民族は、すべてロシアと同じスラブ民族である。その使用言語は方言程度の違いはあるが、基本的には同じである。各国とも独自の言語を使用しているように言っており、たとえばクロアチアでは「クロアチア語」を話すと説明しているが、それはナショナリズムのせいであり、実際にはセルビア語とクロアチア語は日本の関東弁と関西弁ほどの違いもない。
しかし、国境線は同じ言葉を話す人たちを分断する形で引かれている。最大の理由は、歴史的にバルカン半島が北のオーストリア・ハンガリー帝国と南のオスマン帝国の勢力分岐点であったためであり、第一次世界大戦に至るまでの数百年間、クロアチアだけはオーストリア・ハンガリーによって、その他はオスマン帝国によって支配されていた。
この状況は宗教面にも反映している。クロアチア人の大多数はローマ・カトリックであるが、ボスニアはイスラムである。セルビアはセルビア人勢力が強かったので正教(ギリシャ正教やロシア正教と同系統であり、セルビア正教と呼ぶ場合もある)が主流である。宗教以外では、イスラムの影響は至る所に残っている。セルビアの田舎を旅行すると、いかにもトルコ風というか、イスラム風の音楽が聞こえてくる。
西バルカンには、かねてからこの地域を一つの国にしようとする「大セルビア主義」構想があり、第二次大戦後にユーゴスラビアとなって実現した。セルビア、クロアチア、ボスニア、さらにその他の西バルカン諸国は、アルバニアを除き、すべてユーゴスラビアに組み込まれた。
ユーゴスラビアになっても日本にとってはなじみが薄かったが、第一次世界大戦がボスニアの首都サラエボから起こったことは例外的に有名である。
個人で日本に知られているのは、ユーゴスラビアを建国したヨシップ・ブロズ・チトー(単にチトーと呼ばれることが多い。クロアチア生まれ)である。大戦中ナチスと戦い、戦後にユーゴを建設した立役者であり、国際的にも非同盟運動の指導者としてインドのネルーなどと並び称せられた人物であった。
ニコラ・テスラ(クロアチア生まれ)は世界で初めて交流電流を実用化した。エジソンと同時代であり、エジソンはマルチ発明王として有名だが、テスラは知られていない。テスラ自動車会社が同人の名を受け継いだことも知る人は少ない。しかし、電流の実用化の面ではエジソンは直流であり、後の工業化に貢献した度合いではテスラのほうがはるかに上であった。
スポーツにおいては日本でもよく知られている選手が何人かいる。サッカーではモドリッチ(クロアチア)のほか、ストイコビッチ(セルビア)、ハリルホジッチ(ボスニア)、オシム(ボスニア)も有名である。テニスでは、ジョコビッチ(セルビア)がいる。
チトーは1980年に死去。それから10年余りたつと、ユーゴスラビアは解体し小国割拠状態になり始めた。ユーゴの内戦である。主要な戦闘は数年で終わったが、解体の過程は現在に至るも完全には終わっていない。
バルカンでは、内戦以前から、最大の民族であるセルビア人がセルビア以外の地にも多数居住していた。それで何も問題はなく、セルビア人もクロアチア人もその他の民族も仲良く暮らしていたが、各国が独立を求めセルビアと戦うに至り、民族間の衝突が生じてしまった。
セルビアはクロアチアなどの独立を阻止するため、また、自国民を保護するため兵を出したのだが、その行動は過激になり、多数の民間人が犠牲になり、また、難民となった。モドリッチの祖父は殺害されたクロアチア人の一人であった。
ボスニアの首都サラエボでは大きな公園を墓場にして多数の死者を弔った。急激に多数の人が犠牲となったのでそうするよりほかに方法がなかったのである。
ユーゴの内戦に対し、EU、国連、米国などが関与して和平の実現に努めた。この和平に至る過程も複雑であり、国際社会のリード役はEUと国連から米国になった。内戦が終結し、現在の国境が確定したのは1995年の末であった。
アーカイブ
- 2025年4月
- 2025年3月
- 2025年2月
- 2025年1月
- 2024年10月
- 2024年8月
- 2024年7月
- 2024年6月
- 2024年5月
- 2024年4月
- 2024年3月
- 2024年2月
- 2024年1月
- 2023年12月
- 2023年11月
- 2023年10月
- 2023年9月
- 2023年8月
- 2023年7月
- 2023年6月
- 2023年5月
- 2023年4月
- 2023年3月
- 2023年2月
- 2022年12月
- 2022年11月
- 2022年10月
- 2022年9月
- 2022年8月
- 2022年7月
- 2022年6月
- 2022年5月
- 2022年4月
- 2022年3月
- 2022年2月
- 2022年1月
- 2021年12月
- 2021年11月
- 2021年10月
- 2021年9月
- 2021年8月
- 2021年7月
- 2021年6月
- 2021年5月
- 2021年4月
- 2021年3月
- 2021年2月
- 2021年1月
- 2020年12月
- 2020年11月
- 2020年10月
- 2020年9月
- 2020年8月
- 2020年7月
- 2020年6月
- 2020年5月
- 2020年4月
- 2020年3月
- 2020年2月
- 2020年1月
- 2019年12月
- 2019年11月
- 2019年10月
- 2019年9月
- 2019年8月
- 2019年7月
- 2019年6月
- 2019年5月
- 2019年4月
- 2019年3月
- 2019年2月
- 2019年1月
- 2018年12月
- 2018年11月
- 2018年10月
- 2018年9月
- 2018年8月
- 2018年7月
- 2018年6月
- 2018年5月
- 2018年4月
- 2018年3月
- 2018年2月
- 2018年1月
- 2017年12月
- 2017年11月
- 2017年10月
- 2017年9月
- 2017年8月
- 2017年7月
- 2017年6月
- 2017年5月
- 2017年4月
- 2017年3月
- 2017年2月
- 2017年1月
- 2016年12月
- 2016年11月
- 2016年10月
- 2016年9月
- 2016年8月
- 2016年7月
- 2016年6月
- 2016年5月
- 2016年4月
- 2016年3月
- 2016年2月
- 2016年1月
- 2015年12月
- 2015年11月
- 2015年10月
- 2015年9月
- 2015年8月
- 2015年7月
- 2015年6月
- 2015年5月
- 2015年4月
- 2015年3月
- 2015年2月
- 2015年1月
- 2014年12月
- 2014年11月
- 2014年10月
- 2014年9月
- 2014年8月
- 2014年7月
- 2014年6月
- 2014年5月
- 2014年4月
- 2014年3月
- 2014年2月
- 2014年1月
- 2013年12月
- 2013年11月
- 2013年10月
- 2013年9月
- 2013年8月
- 2013年7月
- 2013年6月
- 2013年5月
- 2013年4月