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2018.10.01
ロヒンギャ問題に関しミャンマー政府に対する国際的な批判が非常に強くなってきた。2018年9月末にミャンマー軍の関係者を訴追すべきだとする厳しい内容の決議が採択された。事実関係の調査は今後も続く。ミャンマー政府が抵抗すれば制裁は強化されるだろう。
アウン・サン・スー:チー最高顧問はきびしい状況に置かれている。同氏は、ミャンマーが民主化の第一歩を踏み出して以来、少数民族問題を解決し、軍を政治から遠ざけ、真に民主的な憲法を採択(ないし改正)することを目指したが、現在は、少数民族問題も民主化・軍問題も進展を期待できない状況に陥っている。
ロヒンギャ問題が原因で国際社会との関係も悪化し、とくに欧米諸国の間では、アウン・サン・スー・チー氏はミャンマーの最高権威者にふさわしい行動を取らないという批判が高まっている。
日本政府はミャンマー政府の立場を理解・尊重してきたが、事実関係の究明などについては、ミャンマー政府が嫌がっても実行するのが、結局はミャンマーの利益となる。監視カメラの設置などもよいが、国際NGOが実施している衛星写真の活用は有効な手段であり、支援すべきである。
ミャンマー政府ができないことを強要すべきでないが、その言いなりになってはミャンマーためにもならない。
(ロヒンギャ問題の経緯)
アウン・サン・スー・チー氏の解放後、ミャンマーにおける最大の政治課題は、民主化を進めることと少数民族を平和裏に統合することであった。しかし、少数民族の一部は政府に敵対し、武装闘争も続けているので政府としては軍に頼らざるを得ない、そのため、民主的な政治を実現することもできないという、困難な状況にある。
ロヒンギャの難民が増加し始めたのは2012年6月、ロヒンギャ(イスラム)と仏教徒の大規模な衝突が起き、多数のロヒンギャが犠牲となった事件がきっかけであり、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、2012年からの5年間で、ミャンマーから逃れたロヒンギャは16万8千人以上と推計している。
その後、ロヒンギャに対する迫害は繰り返され、また、ロヒンギャの側でも武装勢力が政府や仏教徒を襲撃するなどしてきた。
また、この間、ミャンマーにおいてロヒンギャは国籍も認められていないことに国際的な関心が集まった。
このような経緯から、ミャンマー政府に対してロヒンギャの迫害・襲撃の即時停止、難民の帰還を認めること、帰還が可能となるように環境を整えることなどが求められたが、進展していない。国際社会はミャンマーに対する不満を増大させ、国連などと同政府の関係は悪化した。
真相究明は国連側が必要とするのはもちろん、ミャンマー側も否定できない。アウン・サン・スー・チー国家顧問は2016年8月、特別諮問委員会を設置した。委員長は元国連事務総長のコフィ・アナン氏。ほかに3人の外国人と6人のミャンマー人の専門家で構成された。
この諮問委員会は2017年8月24日、ミャンマー政府に、「暴力は問題を解決しない」と指摘しつつ、国籍法を見直してロヒンギャに国籍を認めること、治安部隊の教育体制や指揮系統を見直し、検問所に監視カメラを設置して部隊への監視を強化すべきだなど、難問も含め計88項目を勧告した。アナン委員長は勧告発表後の記者会見で「実行の責任は政府にある」と政府に勧告履行を促した。スー・チー氏は「政府全体で勧告を推進する枠組みを作る」と答えたという。
国連ではミャンマー政府の対応では不十分だとの考えが強く、諮問委員会の報告が出る前であったが、2017年3月、国連人権理事会(UNHRC)は独立した国際調査団を早急に派遣する内容の決議を採択した。
当初、ミャンマー政府はこれを受け入れようとしなかった。ミャンマー側では諮問委員会の検討が進行中であったのと、国連人権理事会が決めた調査は公正性を期待できないとの考えであったからであろう。その背景には、仏教徒対イスラム教徒の対立が影響を及ぼしていた可能性もあった。
後に、ミャンマー政府は調査団をしぶしぶ受け入れた。
事態をさらに悪化させたのは、8月25日から始まったロヒンギャ武装勢力と政府軍の衝突であり、ふたたび多数の難民が流出した。国際社会では危機感が高まり、ミャンマーのイメージはさらに悪化した。グテーレス国連事務総長は、記者に「これは民族浄化だと考えるか」と問われ、「ロヒンギャ人口の3分の1が国外に逃れている。これを形容するのにより適した表現がほかにあるだろうか」と答えたという。
人権理事会は12月5日、ミャンマーによるロヒンギャへの対応を非難するとともに、ミャンマーに独立調査団への協力を呼びかける内容の決議を賛成33、反対3、棄権9で採択した。反対は中国、フィリピン、ブルンジ。棄権は日本、インド、コンゴ、エクアドル、エチオピア、ケニア、モンゴル、南アフリカ、ベネズエラであった。
また、国連総会でも12月24日、同趣旨の決議が採択された。
しかし、ミャンマー政府は調査団の特別報告者、Yanghee Lee(韓国人児童心理学者。漢字表記では「李亮喜」)の入国を拒否し、調査団に協力しないことを通告した。これについてYanghee Leeは「ミャンマー政府の決定に失望している。大変なことが起きているに違いない」と非難した。ミャンマー側は、Leeが2017年7月の訪緬の際「以前の(軍事)政権の手法が今も用いられている」などと批判したことが、「偏っており不公正だ」として、協力取りやめの理由に挙げたという。
12月12日、ミャンマー政府は、ラカイン州で取材していたロイターの記者2人(ワ・ロンとチョー・ソウ・ウー)と、協力者の警察官2人を逮捕した。
翌年9月3日、両記者はいずれも禁錮7年の判決を言い渡された。
この事件はミャンマー政府と国際社会の関係をさらに悪化させ、国連事務総長が判決の見直しを要求したのをはじめ、各国は非難の声を上げた。
2018年6月6日、ミャンマー政府はUNHCR(難民担当)およびUNDP(援助担当)との間で、難民のミャンマーへの帰還を可能にするためにとるべき措置について覚書を結んだ。
これはミャンマー政府と国連との間での一つの進展であった。また、アナン氏の諮問委員会の勧告が実施されれば、国連との関係も改善されるが、いずれも結果が出るには時間が必要であった。
8月27日、人権理事会が派遣した調査団がついに大部の報告書を作成し、発表した。ロヒンギャ難民ら875人への面談記録や、焼失した村の衛星画像などを根拠としつつ、ミャンマー国軍や治安部隊が国際人道法に違反する行為を行っており、ミン・アウン・フライン最高司令官には「特定集団を抹殺する意図があったと判断できる」と指摘し、ルワンダや旧ユーゴスラビアの紛争指導者と同様に、国際法廷で裁くべきだと指弾した。
1カ月後の9月27日、人権理事会はミャンマー政府を非難する決議を採択した。決議は報告書を踏まえており、ロヒンギャについて起こっていることは「ジェノサイド」という最も重い人道犯罪の疑いがあるとも述べた。さらに、ロヒンギャ問題のみならず、北部カチン、シャン両州での迫害にも言及した。
さらに、決議は調査団の活動延長に加え、証拠集めなどに当たる独立機関の設置を決めた。
この決議は国連でのミャンマー政府に対する非難・要求の集大成し、かつ、さらに内容を厳しくしたものである。ミャンマー政府はす抜き差しならぬ状況に陥った。
この間、アウン・サン・スー:チー最高顧問はきびしい状況に置かれた。同氏は、ミャンマーが民主化の第一歩を踏み出して以来、少数民族問題を解決し、軍を政治から遠ざけ、真に民主的な憲法を採択(ないし改正)することを目指したが、現在は、少数民族問題も民主化・軍問題も進展を期待できない状況に陥っている。
ロヒンギャはさらに各国との間で困難な問題となり、今や、とくに欧米諸国の間ではミャンマーの最高権威者であるが行動に出ないアウン・サン・スー・チー氏に対する風当たりが強まっている。同氏はノーベル平和賞を受賞していたが、それを返上すべきだという声も上がっている。
スー・チー氏はアナン諮問委員会を構成するまでは、積極的に応じようとしていたが、それ以降は国際社会の期待に応えられないでいる。とくに、2017年8月の事件発生以来防戦一方となり、スー・チーはなすべきことをしていないという印象が強くなっている。
スー・チー氏は内外の困難な矛盾に直面しており、解放された直後の高揚感はなくなっている。2017年3月には引退を示唆する発言をしたこともあった。
日本の対応については、2017年8月の事件後、安倍首相をはじめ河野外相からアウン・サン・スー・チー最高顧問などに懸念を表明し、問題解決への努力を促した。調査団の受け入れも求め、ミャンマー政府として独立調査団の活動に協力する用意があるとの発言を引き出したこともあった。
概して、日本政府は難民問題の解決には積極的であり、自ら拠出をしつつ、必要資金が集まるよう各国に働きかけも行い、この面では実績は上がっている。
国連での決議については、欧米諸国がミャンマー政府を厳しく批判するのと異なり、棄権投票を続けている。その理由について、河野外相は、「国連の委員会に決議が提出されましたが,その中には事実調査団の派遣といったような内容もありましたが,現実的にミャンマー政府が受入れるものでなければ,きちんとした調査ができないというようなこともあり,日本としては棄権をいたしました」などと説明している。
しかし、今やミャンマー政府ができる範囲内での行動を求めるだけでは乗り切れなくなりつつある。調査は今後も続く。ミャンマー政府が抵抗すれば、制裁は強化されるだろう。事実関係の究明などについては、ミャンマー政府が嫌がっても実行するのが結局はミャンマーの利益となるのではないか。アウン・サン・スー・チー最高顧問にとっても、ミャンマーの民主勢力にとっても、軍の良識派にとっても。
そうであれば、衛星写真の活用はアムネスティ・インターナショナルがかねてから実行していることであるが、日本政府としても積極的に支援すべきである。それだけでなく、事実関係の究明により積極的に取り組むべきである。
ロヒンギャ問題の長期化はミャンマー経済に深刻なダメージを与えている。投資も観光も減少している。前述の国際調査団の報告書は、ミャンマーに進出する外資企業に軍やその関係企業と経済関係を持たないようクギを刺している。
ミャンマー政府ができないことを強要すべきでないが、その言いなりになるのはミャンマーのためにも許されない。
ロヒンギャ問題と窮地のミャンマー政府
(要旨)ロヒンギャ問題に関しミャンマー政府に対する国際的な批判が非常に強くなってきた。2018年9月末にミャンマー軍の関係者を訴追すべきだとする厳しい内容の決議が採択された。事実関係の調査は今後も続く。ミャンマー政府が抵抗すれば制裁は強化されるだろう。
アウン・サン・スー:チー最高顧問はきびしい状況に置かれている。同氏は、ミャンマーが民主化の第一歩を踏み出して以来、少数民族問題を解決し、軍を政治から遠ざけ、真に民主的な憲法を採択(ないし改正)することを目指したが、現在は、少数民族問題も民主化・軍問題も進展を期待できない状況に陥っている。
ロヒンギャ問題が原因で国際社会との関係も悪化し、とくに欧米諸国の間では、アウン・サン・スー・チー氏はミャンマーの最高権威者にふさわしい行動を取らないという批判が高まっている。
日本政府はミャンマー政府の立場を理解・尊重してきたが、事実関係の究明などについては、ミャンマー政府が嫌がっても実行するのが、結局はミャンマーの利益となる。監視カメラの設置などもよいが、国際NGOが実施している衛星写真の活用は有効な手段であり、支援すべきである。
ミャンマー政府ができないことを強要すべきでないが、その言いなりになってはミャンマーためにもならない。
(ロヒンギャ問題の経緯)
アウン・サン・スー・チー氏の解放後、ミャンマーにおける最大の政治課題は、民主化を進めることと少数民族を平和裏に統合することであった。しかし、少数民族の一部は政府に敵対し、武装闘争も続けているので政府としては軍に頼らざるを得ない、そのため、民主的な政治を実現することもできないという、困難な状況にある。
ロヒンギャの難民が増加し始めたのは2012年6月、ロヒンギャ(イスラム)と仏教徒の大規模な衝突が起き、多数のロヒンギャが犠牲となった事件がきっかけであり、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、2012年からの5年間で、ミャンマーから逃れたロヒンギャは16万8千人以上と推計している。
その後、ロヒンギャに対する迫害は繰り返され、また、ロヒンギャの側でも武装勢力が政府や仏教徒を襲撃するなどしてきた。
また、この間、ミャンマーにおいてロヒンギャは国籍も認められていないことに国際的な関心が集まった。
このような経緯から、ミャンマー政府に対してロヒンギャの迫害・襲撃の即時停止、難民の帰還を認めること、帰還が可能となるように環境を整えることなどが求められたが、進展していない。国際社会はミャンマーに対する不満を増大させ、国連などと同政府の関係は悪化した。
真相究明は国連側が必要とするのはもちろん、ミャンマー側も否定できない。アウン・サン・スー・チー国家顧問は2016年8月、特別諮問委員会を設置した。委員長は元国連事務総長のコフィ・アナン氏。ほかに3人の外国人と6人のミャンマー人の専門家で構成された。
この諮問委員会は2017年8月24日、ミャンマー政府に、「暴力は問題を解決しない」と指摘しつつ、国籍法を見直してロヒンギャに国籍を認めること、治安部隊の教育体制や指揮系統を見直し、検問所に監視カメラを設置して部隊への監視を強化すべきだなど、難問も含め計88項目を勧告した。アナン委員長は勧告発表後の記者会見で「実行の責任は政府にある」と政府に勧告履行を促した。スー・チー氏は「政府全体で勧告を推進する枠組みを作る」と答えたという。
国連ではミャンマー政府の対応では不十分だとの考えが強く、諮問委員会の報告が出る前であったが、2017年3月、国連人権理事会(UNHRC)は独立した国際調査団を早急に派遣する内容の決議を採択した。
当初、ミャンマー政府はこれを受け入れようとしなかった。ミャンマー側では諮問委員会の検討が進行中であったのと、国連人権理事会が決めた調査は公正性を期待できないとの考えであったからであろう。その背景には、仏教徒対イスラム教徒の対立が影響を及ぼしていた可能性もあった。
後に、ミャンマー政府は調査団をしぶしぶ受け入れた。
事態をさらに悪化させたのは、8月25日から始まったロヒンギャ武装勢力と政府軍の衝突であり、ふたたび多数の難民が流出した。国際社会では危機感が高まり、ミャンマーのイメージはさらに悪化した。グテーレス国連事務総長は、記者に「これは民族浄化だと考えるか」と問われ、「ロヒンギャ人口の3分の1が国外に逃れている。これを形容するのにより適した表現がほかにあるだろうか」と答えたという。
人権理事会は12月5日、ミャンマーによるロヒンギャへの対応を非難するとともに、ミャンマーに独立調査団への協力を呼びかける内容の決議を賛成33、反対3、棄権9で採択した。反対は中国、フィリピン、ブルンジ。棄権は日本、インド、コンゴ、エクアドル、エチオピア、ケニア、モンゴル、南アフリカ、ベネズエラであった。
また、国連総会でも12月24日、同趣旨の決議が採択された。
しかし、ミャンマー政府は調査団の特別報告者、Yanghee Lee(韓国人児童心理学者。漢字表記では「李亮喜」)の入国を拒否し、調査団に協力しないことを通告した。これについてYanghee Leeは「ミャンマー政府の決定に失望している。大変なことが起きているに違いない」と非難した。ミャンマー側は、Leeが2017年7月の訪緬の際「以前の(軍事)政権の手法が今も用いられている」などと批判したことが、「偏っており不公正だ」として、協力取りやめの理由に挙げたという。
12月12日、ミャンマー政府は、ラカイン州で取材していたロイターの記者2人(ワ・ロンとチョー・ソウ・ウー)と、協力者の警察官2人を逮捕した。
翌年9月3日、両記者はいずれも禁錮7年の判決を言い渡された。
この事件はミャンマー政府と国際社会の関係をさらに悪化させ、国連事務総長が判決の見直しを要求したのをはじめ、各国は非難の声を上げた。
2018年6月6日、ミャンマー政府はUNHCR(難民担当)およびUNDP(援助担当)との間で、難民のミャンマーへの帰還を可能にするためにとるべき措置について覚書を結んだ。
これはミャンマー政府と国連との間での一つの進展であった。また、アナン氏の諮問委員会の勧告が実施されれば、国連との関係も改善されるが、いずれも結果が出るには時間が必要であった。
8月27日、人権理事会が派遣した調査団がついに大部の報告書を作成し、発表した。ロヒンギャ難民ら875人への面談記録や、焼失した村の衛星画像などを根拠としつつ、ミャンマー国軍や治安部隊が国際人道法に違反する行為を行っており、ミン・アウン・フライン最高司令官には「特定集団を抹殺する意図があったと判断できる」と指摘し、ルワンダや旧ユーゴスラビアの紛争指導者と同様に、国際法廷で裁くべきだと指弾した。
1カ月後の9月27日、人権理事会はミャンマー政府を非難する決議を採択した。決議は報告書を踏まえており、ロヒンギャについて起こっていることは「ジェノサイド」という最も重い人道犯罪の疑いがあるとも述べた。さらに、ロヒンギャ問題のみならず、北部カチン、シャン両州での迫害にも言及した。
さらに、決議は調査団の活動延長に加え、証拠集めなどに当たる独立機関の設置を決めた。
この決議は国連でのミャンマー政府に対する非難・要求の集大成し、かつ、さらに内容を厳しくしたものである。ミャンマー政府はす抜き差しならぬ状況に陥った。
この間、アウン・サン・スー:チー最高顧問はきびしい状況に置かれた。同氏は、ミャンマーが民主化の第一歩を踏み出して以来、少数民族問題を解決し、軍を政治から遠ざけ、真に民主的な憲法を採択(ないし改正)することを目指したが、現在は、少数民族問題も民主化・軍問題も進展を期待できない状況に陥っている。
ロヒンギャはさらに各国との間で困難な問題となり、今や、とくに欧米諸国の間ではミャンマーの最高権威者であるが行動に出ないアウン・サン・スー・チー氏に対する風当たりが強まっている。同氏はノーベル平和賞を受賞していたが、それを返上すべきだという声も上がっている。
スー・チー氏はアナン諮問委員会を構成するまでは、積極的に応じようとしていたが、それ以降は国際社会の期待に応えられないでいる。とくに、2017年8月の事件発生以来防戦一方となり、スー・チーはなすべきことをしていないという印象が強くなっている。
スー・チー氏は内外の困難な矛盾に直面しており、解放された直後の高揚感はなくなっている。2017年3月には引退を示唆する発言をしたこともあった。
日本の対応については、2017年8月の事件後、安倍首相をはじめ河野外相からアウン・サン・スー・チー最高顧問などに懸念を表明し、問題解決への努力を促した。調査団の受け入れも求め、ミャンマー政府として独立調査団の活動に協力する用意があるとの発言を引き出したこともあった。
概して、日本政府は難民問題の解決には積極的であり、自ら拠出をしつつ、必要資金が集まるよう各国に働きかけも行い、この面では実績は上がっている。
国連での決議については、欧米諸国がミャンマー政府を厳しく批判するのと異なり、棄権投票を続けている。その理由について、河野外相は、「国連の委員会に決議が提出されましたが,その中には事実調査団の派遣といったような内容もありましたが,現実的にミャンマー政府が受入れるものでなければ,きちんとした調査ができないというようなこともあり,日本としては棄権をいたしました」などと説明している。
しかし、今やミャンマー政府ができる範囲内での行動を求めるだけでは乗り切れなくなりつつある。調査は今後も続く。ミャンマー政府が抵抗すれば、制裁は強化されるだろう。事実関係の究明などについては、ミャンマー政府が嫌がっても実行するのが結局はミャンマーの利益となるのではないか。アウン・サン・スー・チー最高顧問にとっても、ミャンマーの民主勢力にとっても、軍の良識派にとっても。
そうであれば、衛星写真の活用はアムネスティ・インターナショナルがかねてから実行していることであるが、日本政府としても積極的に支援すべきである。それだけでなく、事実関係の究明により積極的に取り組むべきである。
ロヒンギャ問題の長期化はミャンマー経済に深刻なダメージを与えている。投資も観光も減少している。前述の国際調査団の報告書は、ミャンマーに進出する外資企業に軍やその関係企業と経済関係を持たないようクギを刺している。
ミャンマー政府ができないことを強要すべきでないが、その言いなりになるのはミャンマーのためにも許されない。
2018.09.25
モルディブが自国の資本で公共事業を行うのであれば、資金力、国家財政への影響などが考慮される。あまり無理をすると国家につけが回ってくる。日本もそのような赤字は大量に抱えている。しかし、中国からの借款を利用すれば、資金の制約がなくなる錯覚に陥るのかもしれないが、中国に対する債務、すなわち赤字が借り入れた分だけ増大する。自国に対する債務より危険だ。
近年、モルディブと中国との関係は深くなり、中国から多数の観光客が訪れるようになった。その数は年間30万人に達している。モルディブの人口は約40万人であり、常識では考えられないことが起こっているのだ。これだけの観光客を受け入れるにはホテル、道路、橋を大々的に新設することが必要になり、それも中国企業と労働者が行った。
中国という桁外れの大国と世界でも人口の少ない小国が接触すればどうなるかを表している。
モルディブのほか、東南アジア諸国でも、国によって程度の差はあるが、起こっている問題であり、マレーシアでは前政権が中国と進めていた「東海岸鉄道」などの巨大プロジェクトをマハティール新政権がキャンセルすることに成功した。あまりに国家財政への負担が大きくなるからである。
フィリピンは、中国からの資本流入を歓迎している。今までできなかったことが可能になったからである。ドゥテルテ大統領の強いリーダーシップの下で今のところ矛盾は大きくなっていないのだろうが、過度のインフラ投資をすれば財政面でひずみが出てくる問題にどのように対処するのか、また、中国への依存度が高まるという問題もある。これらを考えると、フィリピンがタイトロープを渡っているような危うさを感じる。
スリランカでも3年前、親中派の大統領が選挙で敗北した。新政権は追加工事を拒否したため、中国から賠償を求められたが、応じられないので港の管理権を99年間差し出す羽目に陥った。
中国の「一帯一路」の一部で矛盾が現実化したのである。皮肉なことに、日本政府は「一帯一路」にかつては慎重であったが、政治的な理由から、最近「一帯一路」に可能な限りの協力を行う方針に転じた。それで日中関係がよくなるのであればよいという面はもちろんあるが、「一帯一路」はしょせん巨大な土木工事であり、それには危険が付きまとう。
(追加説明)
スリランカでは、親中派のラジャパクサ前政権が中国から融資を受け南部のハンバントタにスリランカ第3の大規模港を2008年から建設した。第一期工事は中国の国有企業、中国港湾工程公司により完成されている。
乗客用ターミナル、貨物取扱所、倉庫、燃料積込地などが整備されているが、都市から港までのアクセス道路などの整備は遅れている。ハンバントタ港の稼働率は低迷しており、利益を上げるに至っていない。
そのため新政権は追加の開発計画を凍結した。これに対し、中国側は損害賠償を要求。返済免除と引き換えに、港の管理を99年間獲得した。
スリランカ首相府は2018年6月30日、同国海軍はハンバントタ港に南部司令部を移転させると発表した。
同港は東西を結ぶ主要航路に近く、いわゆる「真珠の首飾り」の一つである。中国は2014年から海軍の宋級潜水艦を含む複数の艦船を寄稿させている。このような中国の動向をインドは警戒し、不満を表明した経緯もあった。
スリランカ海軍の南部司令部を同港に移転する決定は、中国海軍の行動を抑制するためか、それとも協力するためか、見解は分かれている。
スリランカ首相府は、「中国が軍事目的で同港を使用することはない。同港の保安はスリランカ海軍の管理下に置かれるため、恐れる必要はない。スリランカは中国に対し、ハンバントタ港を(中国が)軍事目的で使用することはできないと通知した」などと説明しているという。
モルディブの大統領選挙と「一帯一路」
モルディブの大統領選挙が9月23日に行われ、野党統一候補のソリ氏が現職のヤミーン氏を破った。ヤミーン氏は親中国であり、中国からの借款で巨大土木工事を行ったが、その結果、モルディブはGDPの4分の1を超える対中国債務を抱え込んだという。モルディブが自国の資本で公共事業を行うのであれば、資金力、国家財政への影響などが考慮される。あまり無理をすると国家につけが回ってくる。日本もそのような赤字は大量に抱えている。しかし、中国からの借款を利用すれば、資金の制約がなくなる錯覚に陥るのかもしれないが、中国に対する債務、すなわち赤字が借り入れた分だけ増大する。自国に対する債務より危険だ。
近年、モルディブと中国との関係は深くなり、中国から多数の観光客が訪れるようになった。その数は年間30万人に達している。モルディブの人口は約40万人であり、常識では考えられないことが起こっているのだ。これだけの観光客を受け入れるにはホテル、道路、橋を大々的に新設することが必要になり、それも中国企業と労働者が行った。
中国という桁外れの大国と世界でも人口の少ない小国が接触すればどうなるかを表している。
モルディブのほか、東南アジア諸国でも、国によって程度の差はあるが、起こっている問題であり、マレーシアでは前政権が中国と進めていた「東海岸鉄道」などの巨大プロジェクトをマハティール新政権がキャンセルすることに成功した。あまりに国家財政への負担が大きくなるからである。
フィリピンは、中国からの資本流入を歓迎している。今までできなかったことが可能になったからである。ドゥテルテ大統領の強いリーダーシップの下で今のところ矛盾は大きくなっていないのだろうが、過度のインフラ投資をすれば財政面でひずみが出てくる問題にどのように対処するのか、また、中国への依存度が高まるという問題もある。これらを考えると、フィリピンがタイトロープを渡っているような危うさを感じる。
スリランカでも3年前、親中派の大統領が選挙で敗北した。新政権は追加工事を拒否したため、中国から賠償を求められたが、応じられないので港の管理権を99年間差し出す羽目に陥った。
中国の「一帯一路」の一部で矛盾が現実化したのである。皮肉なことに、日本政府は「一帯一路」にかつては慎重であったが、政治的な理由から、最近「一帯一路」に可能な限りの協力を行う方針に転じた。それで日中関係がよくなるのであればよいという面はもちろんあるが、「一帯一路」はしょせん巨大な土木工事であり、それには危険が付きまとう。
(追加説明)
スリランカでは、親中派のラジャパクサ前政権が中国から融資を受け南部のハンバントタにスリランカ第3の大規模港を2008年から建設した。第一期工事は中国の国有企業、中国港湾工程公司により完成されている。
乗客用ターミナル、貨物取扱所、倉庫、燃料積込地などが整備されているが、都市から港までのアクセス道路などの整備は遅れている。ハンバントタ港の稼働率は低迷しており、利益を上げるに至っていない。
そのため新政権は追加の開発計画を凍結した。これに対し、中国側は損害賠償を要求。返済免除と引き換えに、港の管理を99年間獲得した。
スリランカ首相府は2018年6月30日、同国海軍はハンバントタ港に南部司令部を移転させると発表した。
同港は東西を結ぶ主要航路に近く、いわゆる「真珠の首飾り」の一つである。中国は2014年から海軍の宋級潜水艦を含む複数の艦船を寄稿させている。このような中国の動向をインドは警戒し、不満を表明した経緯もあった。
スリランカ海軍の南部司令部を同港に移転する決定は、中国海軍の行動を抑制するためか、それとも協力するためか、見解は分かれている。
スリランカ首相府は、「中国が軍事目的で同港を使用することはない。同港の保安はスリランカ海軍の管理下に置かれるため、恐れる必要はない。スリランカは中国に対し、ハンバントタ港を(中国が)軍事目的で使用することはできないと通知した」などと説明しているという。
2018.09.20
〇平壌を訪問した文在寅大統領は平壌で、かつてない熱烈な歓迎を受けた。南北両朝鮮の友好ムードはおおいに盛り上がった。今後のさらなる友好関係増進につながるだろう。
〇「非核化」が今回も会談の中心議題であったと言うが、この点で具体的な進展があったとは見られない。発表された共同宣言についてはさまざまな見方があろうが、米国が望んでいることから外れているのではないか。
〇文大統領は近くトランプ大統領に会い、金委員長との会談について説明するそうだが、文大統領からは、「北朝鮮は具体的な措置を取っているのだから、米国もそれなりに譲歩すべきである。米国があまりに硬い態度を取り続けて「非核化」交渉が崩壊してしまっては元も子もなくなる」ということではないか。
〇トランプ大統領が聞きたいことは、「金委員長はあくまで完全な「非核化」を実行する。そのためにすべてをさらけ出す用意がある」ことではないか。米国が求めているのは「非核化のリストと工程」だと言われているが、この表現は誤解を招きやすい。米国が求めている情報の第1は、北朝鮮が何発の核兵器を保有しているかである。
〇寧辺の核施設の廃棄が北朝鮮の本気度を示しているという見方があるが、その廃棄は完全な「非核化」の一部にすぎず、大した問題でない。
〇「非核化」については、金委員長とトランプ大統領の会談が中心であり、それをめぐって側近、メディア、研究者の間で生じている混乱はますますひどくなっている。
(説明)
文在寅大統領は9月18日、夫人とともに平壌を訪問した。同日と翌日に金正恩委員長と会談し、その後、「9月平壌共同宣言合意書」が発表された。
北朝鮮が米朝会談以来米国から求められていることは、きたるべきIAEAなどによる査察において北朝鮮が提出することになる申告の準備である。その中には核兵器開発に関するすべての情報が含まれなければならない。つまり、北朝鮮には何発の核兵器があり、どこにあり、いつ、どこで、どのように廃棄するかなどが最重要問題であり、いわば完全な「非核化」の一丁目一番地である。
寧辺の核施設やミサイル発射施設の廃棄は、それなりに重要なことである。トランプ氏は、金氏がその廃棄に合意したことは「とても素晴らしい」とツイートしたが、かといって申告の準備を急がなければならないことに変わりはない。原子炉や実験場の廃棄など個別の問題にこだわるとそれだけ回り道になる危険がある。
米側が求めていることは、いわば、「全部脱いで裸になってください」というもので、それだけ聞くと、途方もない要求であるが、検証とはそういうものである。日本でもどの国でも、そのような要求を受け入れている。受け入れざるを得ないのだ。かつて、北朝鮮のメディアが「強盗のようだ」と評したことがあったが、これは表現はともかく、正しい指摘であった。もしこの言葉を使うのであれば、「米国が強盗のように要求しなければ北朝鮮の非核化などおぼつかない」のである。
しかし、南北両朝鮮の間では、北朝鮮が一方進んだのだから、米国も一歩前に出てほしいという気持ちが強く出てくる傾向がある。残念ながら、これは米国が合意していることではない。そもそも、今問題になっているのは「北朝鮮の非核化」である。もし、「米国の非核化」も問題になっているのであれば、お互いに一方ずつ歩み寄るのもよいだろうが、そもそもそういう事態ではないのである。
この筋道から外れれば混乱がひどくなる。
文在寅大統領の平壌訪問
(要旨)〇平壌を訪問した文在寅大統領は平壌で、かつてない熱烈な歓迎を受けた。南北両朝鮮の友好ムードはおおいに盛り上がった。今後のさらなる友好関係増進につながるだろう。
〇「非核化」が今回も会談の中心議題であったと言うが、この点で具体的な進展があったとは見られない。発表された共同宣言についてはさまざまな見方があろうが、米国が望んでいることから外れているのではないか。
〇文大統領は近くトランプ大統領に会い、金委員長との会談について説明するそうだが、文大統領からは、「北朝鮮は具体的な措置を取っているのだから、米国もそれなりに譲歩すべきである。米国があまりに硬い態度を取り続けて「非核化」交渉が崩壊してしまっては元も子もなくなる」ということではないか。
〇トランプ大統領が聞きたいことは、「金委員長はあくまで完全な「非核化」を実行する。そのためにすべてをさらけ出す用意がある」ことではないか。米国が求めているのは「非核化のリストと工程」だと言われているが、この表現は誤解を招きやすい。米国が求めている情報の第1は、北朝鮮が何発の核兵器を保有しているかである。
〇寧辺の核施設の廃棄が北朝鮮の本気度を示しているという見方があるが、その廃棄は完全な「非核化」の一部にすぎず、大した問題でない。
〇「非核化」については、金委員長とトランプ大統領の会談が中心であり、それをめぐって側近、メディア、研究者の間で生じている混乱はますますひどくなっている。
(説明)
文在寅大統領は9月18日、夫人とともに平壌を訪問した。同日と翌日に金正恩委員長と会談し、その後、「9月平壌共同宣言合意書」が発表された。
北朝鮮が米朝会談以来米国から求められていることは、きたるべきIAEAなどによる査察において北朝鮮が提出することになる申告の準備である。その中には核兵器開発に関するすべての情報が含まれなければならない。つまり、北朝鮮には何発の核兵器があり、どこにあり、いつ、どこで、どのように廃棄するかなどが最重要問題であり、いわば完全な「非核化」の一丁目一番地である。
寧辺の核施設やミサイル発射施設の廃棄は、それなりに重要なことである。トランプ氏は、金氏がその廃棄に合意したことは「とても素晴らしい」とツイートしたが、かといって申告の準備を急がなければならないことに変わりはない。原子炉や実験場の廃棄など個別の問題にこだわるとそれだけ回り道になる危険がある。
米側が求めていることは、いわば、「全部脱いで裸になってください」というもので、それだけ聞くと、途方もない要求であるが、検証とはそういうものである。日本でもどの国でも、そのような要求を受け入れている。受け入れざるを得ないのだ。かつて、北朝鮮のメディアが「強盗のようだ」と評したことがあったが、これは表現はともかく、正しい指摘であった。もしこの言葉を使うのであれば、「米国が強盗のように要求しなければ北朝鮮の非核化などおぼつかない」のである。
しかし、南北両朝鮮の間では、北朝鮮が一方進んだのだから、米国も一歩前に出てほしいという気持ちが強く出てくる傾向がある。残念ながら、これは米国が合意していることではない。そもそも、今問題になっているのは「北朝鮮の非核化」である。もし、「米国の非核化」も問題になっているのであれば、お互いに一方ずつ歩み寄るのもよいだろうが、そもそもそういう事態ではないのである。
この筋道から外れれば混乱がひどくなる。
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