平和外交研究所

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2014.08.06

「中東、ウクライナ……激動の国際情勢で日本外交の独自性とは?」

THEPAGEに8月4日掲載された一文

「安倍首相は、7月25日から8月2日まで中南米の5か国(メキシコ、トリニダード・トバゴ、コロンビア、チリおよびブラジル)を歴訪しました。9月にはさらに南西アジアのバングラデシュとスリランカへの訪問が予定されています。これを含めると安倍首相は政権発足以来49か国を訪問したことになり、小泉首相が記録した48か国を抜いて歴代トップになります。外国訪問の頻度は1か月あたり2、3か国で、これは小泉首相をはるかに上回っています。
「地球儀を俯瞰する」外交
 首脳外交は簡単でありません。日程の制約は大きく、また、首脳にかかる体力的な負担は非常に重いですが、安倍首相は矢継ぎ早に各国を訪問し、友好親善関係の増進に努めています。
 首脳間ではどのような話し合いが行なわれているのでしょうか。たとえば、メキシコでは、安倍首相はペニャ・ニエト大統領と金融危機の克服、企業の進出・投資、エネルギー面での協力拡大など経済関係の諸問題から地震対策、学術交流、スポーツ交流、さらには400年前に欧州へ向かう途次メキシコに立ち寄った支倉常長のことなど実に幅広く話し合いを行なっています。世界がグローバル化した今日、日本が各国と協力して、解決、あるいは推進していく事柄は非常に多くなっているのです。
 安倍首相の積極外交は、「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」と呼ばれています。「俯瞰」とは高いところから広い範囲を見渡すことです。政府は、「単に周辺諸国との2国間関係だけを見つめるのではなく、地球儀を眺めるように世界全体を俯瞰して、自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値に立脚した外交」と説明しています。第1次安倍内閣の時には「自由と繁栄の弧」が外交の基本方針を象徴的に示すものとして掲げられましたが、「地球儀俯瞰外交」と基本的には同じ内容でした。
各地の紛争で存在感薄い日本
 一方、世界各地で起こっている紛争の関連では、日本外交は存在感が薄いという印象を持たれていると思います。ウクライナでは、クリミアの独立とロシアの承認から発生した混乱が東ウクライナにも飛び火し、その上悲惨な事故が起こったのにその処理は遅々として進んでいません。イラクではイスラムのスンニ派武装勢力が反政府攻勢を強めイラク第2の都市モスルを制圧し、首都バグダッドに迫ろうとしていますが、マリキ首相が率いる政府はこれに対処するのに難渋しています。パレスチナでは、イスラム原理主義のハマスとイスラエルがガザ地区で戦闘を再開しており、民間人の犠牲が急速に増えていますが、事態が鎮静化する見通しはまったく立っておらず、米国の仲介も効果をあげるに至っていません。
 日本は、中東ではとくに石油輸入の面で関係が深いですが、紛争となると、日本として独自に政治的・軍事的な役割を果たす状況にはありません。国連やG8の一員として紛争当事者に自制を求め、和平の達成を促し、また、復興援助など平和構築の支援をしています。このような地道な外交努力は派手さはありませんが、国連を中心とする国際社会の仕組みや日本国憲法の下で平和主義に徹する国是にかんがみますと、それも日本外交の特色と考えられます。
 国際的紛争において目立った役割を果たすのはやはり米国です。米国に匹敵する外交力を持つ国は他にありませんが、ロシア、中国などは国連安全保障理事会の常任理事国、いわゆるP5としての役割があります。とくに中国の台頭はめざましいものがあります。
このような一般的な状況に加えて、個別の地域に特有の事情もあり、ウクライナでは米国とロシアの他、欧州連合(EU)も大きな役割があります。パレスチナ問題ではヨーロッパ諸国が関与することも時折ありますが、圧倒的に影響力が強いのはやはり米国です。
日本の外交にとって最重要な国は米国であり、また、中国と韓国です。日本と米国の関係が変化する、しかも日本の主導でそのようなことが起これば、これは世界の耳目を驚かすことになるでしょうが、そういうことは考えられません。一方、日本は中国および韓国と、他の国とは比較にならないくらい長い期間にわたって交流の歴史があり、また、グローバル化にともない経済的な関係は飛躍的に発展していますが、政治的な関係は安定していると言えない面があります。
 一つの原因はいわゆる歴史問題です。これは日本においてはすでに過去のことという目で見られがちですが、中韓両国においては決してそうではありません。戦後日本は戦争の処理のために努力を積み重ねてきました。その結果、諸国との関係は改善し、ともに発展してきました。しかし、歴史問題は決着ずみであり、過去のこととして今後は未来志向で行こうと言うだけではすみません。日本の若者の中にはこれら両国から繰り返し批判されてきたのでうんざりしている人が少なくありませんが、この歴史問題はこちらの判断を押し付けるわけにはいきません。相手国の国民感情に十分配慮しながら慎重に対処する必要があります。
 また、中韓両国とも著しい経済発展を遂げ、世界における地位は格段に向上しています。とくに中国は、経済面のみならず、政治面でも独自のカラーを打ち出そうとしており、「中国の特色」を強調し、そのための政策を大々的に実施しています。今後の世界情勢においては中国がますます大きな役割を演じることになるでしょう。
 日本としてはこれら両国との関係を改善し、発展させていかなければなりません。政府が言うように、「単に周辺諸国との2国間関係だけを見つめるのではなく、地球儀を眺めるように世界全体を俯瞰して」というのはどういう意味でしょうか。世界の諸国との友好関係増進も必要ですが、中韓両国との関係改善なくしては「画竜点睛を欠く」のではないでしょうか。これらの国との関係を今後どのように増進していくか、日本外交の真価が問われます。

2014.07.27

集団的自衛権の閣議決定を急いだ理由

THEPAGEに7月16日掲載されたもの。

日本国政府は2014年7月1日、集団的自衛権の行使を可能にする新しい閣議決定を行なった。安倍首相のかねてからの持論が実現したわけであるが、この閣議決定には手続き面、内容面で強い異議の声が上がっている。
手続き面では、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」が報告書を提出したのが2014年5月15日であり、それから閣議決定の採択までわずか1カ月半というスピード決着であった。政府・与党は何回も会合を開いたのは事実であるが、議論の内容は、一時期、日替わりメニューのように変化するありさまであった。議論が尽くされたとは、国民は思っていないであろう。
内容的には、今回の決定により憲法の解釈が変更されたのか、問題となった。政府は新方針について、「憲法解釈の再整理という意味では一部変更ではあるが、憲法解釈としての論理的整合性、法的安定性を維持している。いわゆる解釈改憲ではない」という考えを示している(6月26日、各紙に報道された想定問答)。憲法解釈を変えたとは言わないよう努めていることが伝わってくるが、歴代の内閣の下ではできなかった集団的自衛権の行使ができるようになったので、やはり変更であろう。
 集団的自衛権の行使が認められるとどうなるかについての政府・与党の説明は矛盾を含んでいる。自衛隊が外国へ派遣されることになるのが集団的自衛権行使の主たる効果のはずであるが、政府は「海外派兵は従来通りしない」という説明である。また、検討段階で提示された具体的事例を実現するのに集団的自衛権の行使が必要か、についても疑問が出ている。さらに、今回の決定の結果、米国などから派兵を求められると断れなくなるのではないかという指摘も行われている。
政府が今回の閣議決定を急いだのは、「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」が2014年内にも行なわれる予定であることと関連があるという説もある。ガイドラインは、日本の国力の増大などを考慮し、日米安保条約の実質的片務性から生じる問題点を改善することを目指すものとして1978年初めて策定され、冷戦終了後の1997年に改訂され現行のガイドラインとなっている。その後の国際情勢と安全保障環境の変化、具体的にはわが国の周辺国における軍事活動の活発化、国際テロ組織の活動激化、海洋・宇宙・サイバー空間でのリスクの顕在化、海賊対策、PKO活動の拡大などにかんがみ、日米両国はガイドラインの見直しを検討することについて合意しており、現在防衛当局間で準備が進められている。
 わが国が集団的自衛権を行使できるようになれば、日本が攻撃されていなくても公海上で自衛隊が米艦の防衛をできるようになるなど日米防衛協力の可能性は大きく拡大するので、今回の閣議決定の内容が新ガイドラインに反映されることとなるのは当然である。閣議決定を急いだのは、そのことを考慮したからであった可能性もある。しかし、集団的自衛権の行使という日本国にとってきわめて重要な問題に関する法整備についてガイドラインを理由に期限を設定するのは本末転倒である。米国のアジア太平洋戦略との関係があるので日本だけの都合だけで片付けられないが、ガイドラインは約20年おきに策定されており、次の改訂がたとえば半年、あるいは1年遅れても支障が生じる筋合いのものではない。日本国民の不安や疑念を払しょくすることが先決であろう。
 今回の閣議決定は、昨年、特定秘密保護法がろくに議論もされないで成立させられたことを想起させる。安倍首相は政治のモメンタムをよく口にする。それは経験豊かな政治家としてのするどい感覚に裏付けられているのかもしれないが、政府・与党は、圧倒的な多数を占めているときこそ慎重に対応してもらいたい。

2014.07.25

兵庫県中部・北部で古代を想像する

兵庫県宍粟(シソウ)市一宮町(姫路市の西北)にある伊和神社は播磨の国一宮、すなわち姫路や加古川などを含む播磨でもっとも格式が高い神社である。大国主命を祭神としており、創設された時期は非常に古い。成務天皇または欽明天皇の御代と伝えられている。成務天皇はあまりに古過ぎて歴史以前であるが、欽明期であっても6世紀中葉である。『延喜式神名帳』には、「伊和坐大名持魂神社(いわにいますおおなもちみたまのかみやしろ)」(伊和に鎮座する大己貴神の社)と記載されている。大己貴神とは大国主命の別名である。
地元では、大国主命がこの地に来て、将来のための礎を築いたと言い伝えられている。もともとこの地にいた豪族を排除して善政を引いたのかもしれない。
北播磨のさらに北側に位置する但馬の国の一宮は出石(イズシ)神社である。この神社の祭神は天日槍命(アメノヒボコノミコト)であり、古事記や日本書紀には新羅の王子として記載されている。記紀にそう書かれているのでいつもそのように紹介されるが、アメノヒボコは新羅の王家、朴氏、昔氏、瓠公と関連している可能性があるとする説もある。このうち昔氏は但馬地方から新羅に渡り王となったとされており、アメノヒボコは出身地へ戻ってきた可能性もある。むしろそのほうがわかりやすい話である。ただし、昔氏のもともといた場所については但馬の他にその隣の丹波、さらには日本の東北地方等が上げられているそうである。よく調べている人がいる。
天日槍命は大国主命と争ったと播磨国風土記は伝えている。天日槍命、大国主命、新羅と時代の考証を始めると、話が合わなくなるが、それは記紀の時代にはままあること、気にしないことにする。ともかく、天日槍命は但馬に来て、製鉄の技術をもたらしたり、川(丸川という)の治水をしたりしたそうで、さきに勢力を張っていた大国主命、あるいは土着の勢力と争いになったということではないか。
天日槍命は出石神社のほかいくつかの神社で祭られている。それだけの存在として尊敬を受けていたのであろう。地元では、但馬地方を開いた人という人もいる。

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