平和外交研究所

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2013.06.15

憲法96条の改正は疑問

憲法第96条を改正することについての疑問
○96条を改正することは、どの問題であれ、改正を容易にする。これは改正でなく、憲法の性格を変えることであり、新しい憲法を作ることに等しいのではないか。
○憲法は部分的に改正する必要があるとは思う。「PKOへの参加」は正面から認めるべきであり、「戦力は保持しない」「交戦権は認めない」などは削除すべきである。しかし、そのような改正は、それぞれについて検討した結果に基づき実行すべきであり、要件は現憲法の定めている厳格なものでよい。「交戦権は認めない」とは国際的にも珍しい規定であり、意味不明である。もっとも、残しておいても大した障害にはならないであろう。
○憲法については、以前はイデオロギー的な見方(対応)が強かったが、傾向として、日本国民は現実的に見るようになっている。現憲法の改正は、物事いかんであるが、非現実的なことでない。
○集団的自衛権は、現憲法を改正することなく、認めることが可能であり、また、認めるべきである。もし集団的自衛権を認めるには憲法改正が必要というのであれば、それについては賛成する余地があるが、96条の改正によるべきでない。必要な条文だけ改正するのがよい。
○96条を改正して、国会による発議要件を緩和した場合、政権政党の意思によって容易に改正提案が行われ、その結果、国民が望まない内容の憲法改正発議が行われる可能性がある。天皇制廃止の発議さえ比較的容易に行われる。最近、96条改正論者は、国会の発議要件が現憲法のように厳格であると、国民が改正を検討する機会を奪っていると主張しているが、国民は、天皇制の廃止を国会が簡単に発議することを望んでいるか。けっしてそうでないであろう。改正論者の主張はおためごかしの議論ではないか。

2013.05.16

核燃料の再処理

2013年5月2日付米ウォール・ストリート・ジャーナル紙は日本の核燃料再処理に関して、「日本は米国の反対にもかかわらず(over the objections of the Obama administration)大規模な六ヶ所村工場を稼働させようとしている」という書き出しの記事を掲載している。
米国が具体的にどのように反対しているのか、説明はないが、この記事は全体として、六ヶ所村プラントの稼働開始は、核拡散を助長するおそれがあるという趣旨である。次のようなことも言っている。
北朝鮮の活発な核開発にかんがみると、六ヶ所村プラントの稼働開始は本来の想定よりはるかに広範な影響(far reaching affect)を他の核計画に及ぼすおそれがあると日、米、韓の公務員は恐れている。
中国、韓国および台湾は六ヶ所村を注意深く観察しており、中国は現有の設備を拡大すべきか、また、他の国は自分たちの核燃料技術を開発すべきか参考にしようとしている。また、韓国はすでに日本と同様の再処理の許可を米国に求めている。また、中国は仏アレバ社と六ヶ所村と同規模の再処理施設の建設契約を結んだ。六ヶ所村の稼働開始はこの地域に新しい次元の摩擦(a new dimension of friction)を惹起する恐れがある。
米国のもう一つの懸念は、核燃料のストックの安全性であり、日本は原子力発電が大幅に減少したのでプルトニウムのストックがそれだけ多くなり、安全面での危険性が高まっている。数週間前に米国は日本に安全面での懸念を伝えた。

米国は、日本をP5では唯一の例外国として核燃料の再処理を認めているが、この状態に黄色信号が点いている。韓国の経済成長とともに、これまでのように、日本はよいが韓国はダメというように片づけることは困難になりつつある。
日米原子力協定は2018年7月に満期を迎える。日米とも何もしなければ自動延長されるか。当然視はできない。現在未決着状態にある米韓原子力協定の更改問題との関連もある。
さらに深層心理としては、米国には水平的拡散のみならず、垂直的拡散、すなわち日本の核武装を懸念する気持ちがあるだろう。それは戦後つねに存在してきた問題であるが、現在の日本は右傾化していると米国は見ているのではないか。一般の日本人は、日本の核武装などありえないと思っているが、憲法が改正されるとどうなるか。
カーター政権時代、米国は日本の再処理を認めない方針を打ち出そうとしたが、日本の猛烈な働きかけにより、それは途中で沙汰やみとなった。しかし、そのときと国際環境は大きく異なっている。

2013.04.26

核の非人道性声明に賛同してほしい

核兵器不拡散条約(NPT)の再検討会議に向けたジュネーブでの第2回準備委員会で、核兵器の非人道性を訴える共同声明が行なわれた。昨年来スイス、南アフリカやノルウェーなどを中心に進められてきた運動であり、賛同する国は会議を重ねるごとに増加してきた。今回は、昨年秋の国連第一委員会の倍以上の74ヵ国が参加した。
核兵器はその巨大な破壊力のため、空間的・時間的にあまりにも広範囲に甚大な被害を惹起し、国際人道法において違法性を判断する無差別性、不必要性、慎重性、過度の損害や不必要な苦痛を与える性質などすべての要件を備えている。
1996年、国際司法裁判所は、核兵器が原則違法であるという判断を「勧告的意見」として下しているが、これには法的拘束力がないので、さらにそれを強め、核兵器は違法であることを法的に確立しようとする運動である。
日本は声明内容を修正して賛成できるよう各国と交渉したが、「いかなる状況でも核兵器が二度と使われないことが人類存続の利益になる」という文言は最後まで除去できず、結局声明に参加しなかった。
 なぜこのようなことになるのか。それは日本が米国の核の抑止力に依存しながら、その使用を禁止したり、違法とするわけにはいかない、使用を禁止されていれば、それに抑止力は期待できなくなる、というのが基本的な理由であろう。
 しかし、今回の声明は単純に使用を禁止しているのではないし、核兵器は違法だと断定しているのではなく、「いかなる状況でも核兵器が二度と使われないことが人類存続の利益になる」と述べているだけである。核兵器が使用されれば人類の存続が危機にひんする。したがって、それが使用されないことが人類存続の利益であるということは厳然たる真実ではないか。しかも、今回の声明がここまで現実的な表現にできたことについては、交渉当事者が非常な努力をしたことが窺われる。日本政府には今回の声明に賛同してもらいたかった。声明の文言では核の抑止力になにがしかの影を落とすことになるとしても、それはすべての国に当てはまることであり、日本の手だけが縛られるのではない。日本政府は、それとも核兵器の使用についてフリーハンドを持ちたいのであろうか。共同声明に賛成できなかったのは不可解である。

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