平和外交研究所

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2014.10.05

日米防衛指針の中間報告

政府は、年末に予定されている、日米防衛協力のための新指針(ガイドライン)に関する中間報告において、1997年に策定された現行の指針が日米の防衛協力を日本の周辺(「周辺事態」)に限っていた制限をなくすそうである(『朝日新聞』10月4日付)。政府は、関連法案が国会で審議される際、「周辺事態」は必ずしも地理的概念でないと説明していたので、新指針についての報告が行われ、「周辺事態」の概念がなくなっても自衛隊の行動範囲を変更するのではないと説明するかもしれないが、「周辺事態」とは、「我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重大な影響を与える事態」と法律で定義されている。「周辺事態」という区分がなくなれば、地理的限定がなくなることは明らかであろう。7月に決定された集団的自衛権等に関する閣議決定で、他国に対する武力攻撃が行われた場合にも一定の要件を満たせば自衛隊が出動することが可能になったこととあいまって、自衛隊が米軍と協力する範囲について限定がなくなれば、たとえば中近東で米軍が行なう活動に自衛隊が参加することが可能になることを意味している。
そうなると、米国が要請してくれば、イラク戦争のような場合に自衛隊が米軍に協力すべきか問われることになる。しかるに、閣議決定された新方針に従えば、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」などの要件が満たすことが条件であるが、自衛隊を派遣することはできる。さらに、日米間で合意された(現時点ではまだ合意前であるが)日米防衛協力のための指針でも自衛隊を派遣できるわけである。
日本は協力を拒否できるか。法的には、集団的自衛権を行使するか否かは日本の権利であり義務でないので拒否できるが、法的に可能であるにもかかわらず拒否するのはよけい困難であろう。
米軍の活動に自衛隊が参加する場合に実態的に何が問題となるか。米軍は紛争のあるところでも活動する。イラクもそうであったし、シリアについても米議会では軍事介入すべきであったという意見は強い。世界政治における米国の在り方から見て、紛争があり、それに巻き込まれるから行動しないというのはありえないことである。もっとも米軍は問題があれば必ず出動するのではない。米国が軍事介入の是非を検討したが、結局しなかった例はいくつもある。北朝鮮との関係でも検討したがやめたことがあった。しかし、米軍が行動しない理由は紛争に巻き込まれるからではない。成功の可能性がどのくらいあるか、米軍のこうむる損害の大きさなど諸般の事情を勘案した結果である。
日本の状況は大きく異なっている。紛争を起こしてはならない、紛争に巻き込まれてはならないというのは、日本国憲法の根幹であり、またそのような制限を自らに課すことについては、大多数の国民が支持している。「絶対的平和主義」と揶揄されるような硬直した考えを取らない人も、自衛隊の積極的意義を認める人も、また、国連の平和維持活動には自衛隊も他国と同じように参加、貢献すべきであるという考えの人も、紛争に巻き込まれてはならないことを心底から受け入れるのではないか。
この重要な国民的規範を閣議決定の新方針や日米間防衛協力の新指針が変更するのは認めるわけにはいかない。これこそ憲法を改正して自衛隊が米軍と同じように行動できるようにすべきか、国民に十分な議論の機会を提供し、その意見を聞くべきことである。

2014.10.03

日朝協議9/29

9月29日に中国の瀋陽で日朝協議が行なわれ、その後10月1日に日本政府から拉致被害者家族に対する説明が行なわれた。日朝協議で北朝鮮の宋日昊大使は伊原アジア大洋州局長に対し、「日本側が平壌を訪問して特別調査委員会のメンバーと面談すればより明確に聴取できるだろう」と語った。
これに対し家族からは日本の担当者が訪朝することに反対する意見が大半を占めたそうである(『朝日新聞』10月2日付)。北朝鮮側の対応に対する疑念、平壌に行けば相手の思惑にはまるおそれがあるという懸念はまことにもっともであるが、一方、次のようのことを考慮すれば、平壌に行くのがよいと思う。
○日本政府は対北朝鮮制裁を続ける一方、日朝間で担当者が交渉するというこれまでの方式では大きな進展を得るのは困難ではないかと思われる。この方式では、北朝鮮側が誠実に対応しているか、判断しようにも交渉に出てくる北朝鮮側の担当者の説明しかないからである。
○日本政府の担当者が平壌へ行けば、日本側の要求、考えなどを、人を介することなく、特別調査委員会に対して直接伝えられる。また、北朝鮮側の状況を、北朝鮮側の担当者の説明よりよく知ることができる。
○金正恩第1書記の考えを知る上で参考になる可能性もある。

2014.09.29

シリア空爆と集団的自衛権

8月8日にイラクで、また9月22日にシリアで開始された「イスラム国」に対する米国の空爆について、日本として、とくに去る7月に閣議決定した新方針との関係でどのように考えるべきか。

米国の空爆は安保理の決議がないまま行われたが、多くの国は支持を表明し、空爆直後の時点で支持国の数は40に上った。日本も支持を表明し、また難民支援や周辺国への人道支援を行なう用意があることを表明した。ロシアや中国は安保理決議がないまま空爆が開始されたことを批判したが、「イスラム国」に対する空爆自体に対しては理解していると見られている。両国ともイスラムとの関係で問題を抱えているからである。
このような状況はイラク戦争の場合と大きく異なっている。米英等有志国がイラクへの攻撃を開始したことについては、明確に賛成を表明した国は多くなかった。一つの理由は、イラクに対する攻撃を認める安保理決議が成立しなかったからである。米英などは1990年代初頭の湾岸戦争以来の諸決議で十分であるという解釈を取ったが、そのような解釈に疑問を抱いた国は少なくなかった。ともかく、戦争終了後、事後的に米英などの行動を承認する安保理決議が採択されたことは、戦争開始時の安保理決議は十分でなかったことをあらためて示した。
しかし、この安保理決議の有無は決定的な理由でなかったようである。「イスラム国」への空爆の場合は、それを認める安保理決議はなかったことを米国自身も明言している。にもかかわらず圧倒的な賛成が得られたのである。その理由は、「イスラム国」の蛮行により現地の少数民族が迫害され、無辜のジャ―ナリスや法律家がむごたらしく殺害されていることを重大視し、対応が必要と各国が考えたからであろう。つまり、すさまじい人道問題を起こしている原因を除去することに各国が賛同したからである。
米国は、今次空爆を国連憲章51条に基づく「集団的自衛権の行使」であると主張している。「イスラム国」によりイラクが武力攻撃を受けて危機的な状況に陥り、米国に空爆を要請したので自衛権行使の要件を満たしているように見える。そうであれば、安保理決議はなくても武力行使は可能であり、安保理には事後的に報告すれば足りる。
これは、「イスラム国」に対する空爆の場合、もっとも適切な理論構成であるように思われるが、このような理論構成が広く行なわれることについては不安を覚える。たとえば、1991年の湾岸戦争の場合はイラクがクウェートに侵攻したので集団的自衛権行使の要件である武力攻撃があったことは明らかである。しかし、実際にはそういう解釈、つまり国連憲章51条に基づく行動なので安保理決議は必要でないという解釈は米国も取らず、あくまで安保理決議の成立に努めた。それは正しいことであったと考える。もし、集団的自衛権の理論を持ちだすならば、一般的にいわゆる多国籍軍の場合も安保理決議は要らないということになるであろうが、はたしてそれは適切な解釈であろうか。
集団的自衛権を広く適用することは、国連のあり方についても問題がある。国連はたしかに不完全で、拒否権があるために期待に応じた働きができないのは事実であり、先日のオバマ大統領の国連総会での演説もそのことについての苦渋に満ちた考えが述べられていた。しかし米国といえども安保理を軽視したり無視しようとはしていない。やはり、国際紛争は安保理を中心に解決を図るべきであろう。集団的自衛権の考えを安易に持ち出すと安保理の機能を完全に無視することにつながるおそれがある。
今回の「イスラム国」に対する空爆に多数の国が直ちに賛同したのは、国際社会として一刻の猶予もならない人道問題が発生しているからであり、このことは集団的自衛権の行使の観点でも参考とすべきである。すなわち、国連憲章51条の集団的自衛権の行使は、はなはだしい人権・人道侵害を除去する場合に限るのがよいのではないか。人道侵害はどのような侵略の場合にも起こっているという反論があるかもしれないが、国連では人道法が徐々に整備され、非人道的とは、「無差別、過度の、市民に対する侵害」など概念的な整理が進んでおり、概念的混乱は心配しなくてよいだろう。「イスラム国」への空爆は、集団的自衛権と人道問題との関連を検討するよい機会になったのではないか。

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