平和外交研究所

2016 - 平和外交研究所 - Page 43

2016.04.20

習近平政権の言論統制‐2016年(その1)

 習近平主席は統治手段として腐敗追及と言論統制の2本の鞭を駆使している(当研究所HP1月5日および9日「習近平主席の2本の鞭」)。以下はそのうちの1つ、言論統制に関するその後の動向(その1)である。

 2月19日、習近平主席は中央テレビ局(CCTV)、人民日報、新華社3大政府系メディアを訪問した。これらは中央宣伝部による言論統制のかなめであり、党や政府の「代弁者」と呼ばれているが、それでも実際には微妙な問題があり、習近平主席が訪問した場合にどのように対応するか、中国内では注目されていた。
 CCTVでは「CCTVは党が苗字で(党に属するという意味)、绝对忠诚です。どうぞ検閲してください」という字幕を大型テレビ画面で流した。これにはメディアの矜持などかなぐり捨てたあからさまな追従であると反発する声が起こり、論争となった。

 本来企業家だが、大胆な発言で有名な任志强はSNSで、「政府系のメディアは党に属するというが、なぜ人民に属すると言わないのか」と批判した。メディアは人民のためであることを忘れていると批判したのであり、これは当局として面白くない発言だ。任志强の批判を流した新浪や腾訊微博のアカウントを急きょ閉鎖してしまった。
 政府系メディアは、これまた当然だが、任志强の発言を激しく糾弾した。
 本来ならば任志强は処分されるところだが、今回の発言についてはとくにおとがめを受けなかった。中国国内の政治状況が複雑なためだ。任志强は昨年共青団を批判したことがあり、その時も処分される危険があったが、中国内の宣伝部系統、共青団派、習近平勢力および王岐山の規律検査委員会系統の4つのグループがけん制しあった(当研究所3月16日付「ある中国人実業家の率直な発言が暴露した中国の政治状況?」)ため、宣伝部だけが強い措置をとることはできなかった。この状況が今日まで続いているのである。

 2月初め、『南方都市報』は「メディアは党に属する」という4文字(媒体姓党)の真下に、1月末に逝去した元老、袁庚の遺骨が最後の居住地である深圳市蛇口の海に散骨される写真を載せ、「魂、大海へ帰る」とキャプションを付けた。袁庚は言論の自由を重視し、晩年当局から問題視されていた。
 同報はこれまで何回も宣伝部にたてつく報道を行っては、圧力を加えられ訂正記事を書かされていた。今回の記事も暗に「メディアは党に属する」を風刺したものであったと見られている。
 しかし、その後、『南方都市報』の総編集、任天陽は「メディアは党に属する」を擁護することを強要され、また、この記事に関係した者を厳しく処分した。中央からの圧力があったからだと見られている。
 『南方都市報』事件の影響は大きく、リベラルなメディア、外国のメディアはつぎつぎに閲覧制限がかけられたり、閉鎖されたりした。ロイター社の中国語サイトや、香港のサウスチャイナ・モーニング・ポストの中国内サイトなどもそのような目にあっている。

 新華社の周方(ペンネーム)は3月7日、宣伝部門を批判し、「違法な行為で世論に誤った知識を植え付けている。改革開放の深化を妨げ、党と政府を損ない、中華民族の長期的利益を損なっている」「ブログやミニサイトを司法手続きを経ずに閉鎖し、強制的に罪を自白させている」「多くの人はそのやり方に疑問を抱き、文化革命の再来を恐れている」などと書いた。この人物の本名はすでに知られており、海外メディアの取材も受けている。元新華社の編集員だったが、現在は事務をさせられている。周方の告発文は既に削除された(多維新聞3月14日付)。

 これとほぼ同時期に、海外でも信頼度の高い財経網は、英文版でやはり中央のメディア統制とニュース・チェックのあり方を批判し、同サイトが3月3日に掲載した文章などを勝手に違法と決めつけ、削除していると報道した。削除された記事は上海財経大学の蒋洪教授のインタビュー記事で、同教授は人民としての意見を発表する重要性を述べたものだった。
 蒋洪が超えたレッドラインの1つは、一度収まったかに見えた任志强事件に火をつけ論争を再燃させたこと、2つ目は、全人代はラバースタンプで、政治協商会議は花瓶だと批判したこと、3つ目は人民の発言の自由を強調しすぎたことだと言われている。

 人民日報傘下の『環球時報』の編集長胡錫進は、習近平主席の3大メディア訪問の際にもメディアのあり方について不満を漏らし、「中国のメディアとして報道する自由度を高めるべきであり、現在のメディアは力が足りない」「中国はもっと言論を自由にし、建設的な意見を受け入れるべきだ」などと発言した。また、任志强を擁護した。
 積極的に発信する胡錫進は以前から当局によって危険視されおり、すでに中央規律検査委員会から処罰されていた。主要政府系メディアの大物が処罰された最初のケースであった。問題にされたのはわずか6千元(日本円約12万円)の使途であり、今日の中国では大した金額でなかったのに追及されたのは政治的な意図があったからである。
 胡錫進は以前から、インターネット規制に使われているファイアーウォールにも批判的で、「それは一時的な規制にとどまるべきである」「長く使えば中国社会を脆弱にし、抵抗力をなくする」という意見も発表していた(この意見も当局によって削除された)。

(以下続く)
2016.04.18

(短文)中国における公金の不正支出

 中国の『新京報』4月15日付は、公金を不正支出した具体例を報道している(翌日の『多維新聞』によった)。

 腐敗行為の2割は公金で共産党の党費を支払うケースである。例えば、湖南省衡陽県の政治協商会議の元党書記は、党費はもとより、大きいものは家具、家電製品から、小さいものは孫娘のミルク代、紙おむつ、さらには靴下などに至るまで公金で払っていた。
 またよくある例の一つは、党費の横領であり、例えば、江西省撫州のある書記は5万元余を横領した。

 このような報道を当研究所で紹介することにはためらいもあるが、中国における腐敗はあまりにひどいので参考までに掲載しておくこととした。
2016.04.15

パナマ文書が示す中国における信頼の欠如

 パナマ文書による暴露で、中国の習近平主席、英国のキャメロン首相、ロシアのプーチン大統領など世界的指導者が脱税工作に直接的、あるいは間接的に関与したのではないかと議論を呼んでいる。
 中国政府は神経をとがらせ、関連の報道を遮断したり(英ガーディアン紙によれば一昨年ころから何回か起こっている)、記者会見などでは一切ノーコメントで、話題にしないという厳しい反応を示したりしている。
 習近平を擁護する意見も出ている。習近平の義理の兄が以前オフショア法人に関係していたがもう終わっていることだから習近平には問題ないとする擁護論で、ネットに流れている。
 世界的な指導者の問題だから関心が集まるのはごく自然なことだが、中国についてはそれだけで済まない。もっと全体的な、現在の体制にかかわってくる問題があるように思われる。

 パナマ文書を作成したMossack Fonseca法律事務所に対し、パナマに法人設立を依頼した(目的は脱税)全世界の企業・個人のなかで、中国人と香港人(個人と法人を含め。以下単に中国人)が最も多くて16300あり、これは、2015年末の時点で、この事務所に来た依頼全体の約3分の1を占めており、ほかのどの国より断然多い。つまり、中国人は世界のどの国の人よりも多くオフショア法人を利用しているのだ。
 日本はいまのところまだほとんど出ていない。一説によると約400の個人・法人がかかわっているとも言われているが、仮にこの数字だとしても中国の40分の1だ。相対的には、あまりに少ないので物足りない気持ちがしないではないが、世界を股にかけて活躍するのは良いことなら別だが、脱税のためであれば喜べない。

 ともかく、これほど多くの中国人がオフショア法人を作りたがるのはなぜか。
 第1は、脱税が目的だ。
 第2に、中国の法と司法に信頼がないからだ。
 第3に、中国内では資本、カネの保護、移動が制限されており、金持ちには何かと不便だ。だから、特権階級はため込んだカネをオフショアで運用したがる。
 さらに、人民元のレートが低下するに伴い、この傾向が激しくなっている。

 これら3つの理由は相互に関係がある。とくに、第2と第3は密接に関連しあっているが、第2の方が広い。

 このような現象は不正行為を働いている中国人の個人的問題と見るのは皮相的な観察だ。中国には権力とつながり、また、権力によって保護され、利益をむさぼっている人が多数いることが問題だ。党と政府の官僚だけでなく、その親族も特権階級の一部を構成している。一種の社会現象と言えるだろう。
 しかも、彼らは、そのような不正行為がまかり通る状況は長続きしないと思っている。つまり、彼ら自身もよくないことだという認識を多かれ少なかれ抱きつつ、今のうちにできるだけ儲けておこうと考えている。彼らは結局、自分自身たち、自分たちの体制に信頼を持っていないのではないか。
 これはいわゆる「裸官」、すなわち、家族を外国で住まわせ、自分ひとり国内で悪事、あるいはすれすれのことをして蓄財し、発覚しそうになると家族のいる海外へ逃亡しようとする人たちに共通の考えだが、それに限らない。法律に触れないで利益をむさぼる特権階級も同様の考えであり、親族を何とか外国で勉強させ、勤務させ、金儲けさせようとしている。
 大多数の特権を享受できない人たちはこのような特権階級を怨嗟の目で見ている。もちろん信頼していない。つまり、中国では特権階級もそうでない人も現在のあり方に信頼を置いていないのではないか。
 中国人をすべて悪人で片づけるべきでないのはもちろんだ。古来より立派な人もいたし、今でも清廉潔白な人に会う。しかし、それより何倍、何十倍もの比率で不心得な中国人が表れてくる。
 ここに述べたことは推測がかなり混じっているが、少なくとも仮説としてその妥当性を確認していくべきことと思われる。

アーカイブ

検索

このページのトップへ

Copyright©平和外交研究所 All Rights Reserved.