平和外交研究所

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2021.12.10

日米開戦80年と日系人の奮闘

 日米開戦から80年になる。戦争中、約12万人の日系人が砂漠や荒れ地などの強制収容所に入れられた。一方、日系人部隊の第442連隊戦闘団(442nd Regimental Combat Team)がヨーロッパ戦線に投入され、米国を守るために多大の犠牲を払いながらよく戦い、米国史上もっとも多くの勲章を受けた連隊となった。

 当時、米国には、日系人は戦争の展開いかんでは米国にとって危険な存在になるという考えがあった。同じ米国の敵であったドイツとイタリア系のアメリカ人たちは、短い期間だけ拘留された人はいたが、集団として強制収容されることはなかった。日系人だけが恐れられたのは、人種的差別的な観念にとりつかれた米国政府が日本人集団は危険だと誤解したからであった。

 日系人同士でまとまろうとする傾向が多少あったかもしれない。しかし、大部分の日系人は歴史や伝統、政治状況、人種問題などが異なる米国ではあるが、溶け込むためにさまざまな努力を重ね、米国という社会に属していることを重視し、米国社会の一員であることに誇りを持っていた。要するに、日系人は米国という集団を大切にしていたのであるが、米国政府にはその点に対する理解が欠けており、日本人は敵国の日本に忠実であると誤解したのであった。米国では、個人主義的な考えから、そもそも「集団」について積極的意義を認めることが少なかったことが背景にあった。
 
 一般論として「集団」は積極的にみられることもあれば、あまり評価されないこともある。米国人は、米国社会を大切にしたいとする意味では「集団」を重視していたのであるが、民族や言葉の違いのほうが大きな問題だと考える傾向があったのだ。ようするに人種差別的傾向が強かったのである。ドイツ人やイタリア人には同じ仕打ちをしなかったことはその傾向を明らかに示していた。

 ただし、米国の政府・軍には日系人の義務遂行能力を高く評価する向きもあったらしい。これは強制収容とは真逆の考えであり、そのことも考え合わせれば、米国は人種差別一色で染まっていたわけではなさそうである。

 ともかく、戦争終了後一定の期間は必要であったが、米国政府は日系人の強制収容は誤りであったことに気づき、レーガン大統領は1988年、日系人に謝罪し、「市民の自由法(強制収容補償法)」に署名した。また、それから78年後の2020年2月20日、米カリフォルニア州議会下院本会議は、第二次大戦中の強制収容など不当な扱いにより日系人の公民権と自由を守れなかったことを謝罪する決議案を可決した。米国には今でも強制収容について反省しない人もいるが、それは少数であり、連邦政府やカリフォルニア州議会は、過去の過ちをはっきりと反省した。立派な態度であり、米国の強さでもある。

 米国のオースティン米国防長官は7日、日米開戦から80年の節目に当たり「かつての敵は今や親友になった」との声明を発表し、日米同盟の重要性を再確認した。

 米海軍は同日、故イノウエ元上院議員の名を冠したイージス駆逐艦「ダニエル・イノウエ」が就役すると発表し、翌日には真珠湾のヒッカム統合基地で式典を開催した。日系人にちなんで名付けられた海軍艦艇の就役は初めてである。

 米国は完璧な国でない。コロナ禍の影響で、ニューヨークなどではアジア人に対する攻撃が増えているという。

 しかし、日本として米国から学ぶべきことは多い。 

 一方、日本では戦争の指導者を何とか復権させようとする人たちがいる。しかし、日本の権益を強引に拡張しようとして各国に侵略し多数の住民を殺傷し、日本人も約3百万人犠牲にしたことなどは隠すべきでない。真正面から反省すべきことである。日本が行ったことは侵略でなかったという歴史観を公然と口にする政治家を日本の指導者とするようなことはあってはならないことである。

2021.09.23

AUKUSの下での潜水艦製造契約の破棄

 9月15日、インド太平洋地域における米英豪3カ国の新たな安全保障協力の枠組み「AUKUS」の設置が発表された。その直前、豪は、2016年に仏政府系軍事企業と結んだ、12隻のディーゼル潜水艦の建造契約(総額は約7・2兆円に上る見込み)を破棄する旨仏に一方的に通告した。

 仏は激怒し、米豪に駐在する自国大使を直ちに本国に召還した。ルドリアン仏外相は、大使召還はマクロン大統領からの指示だと強調し、米豪の対応は「同盟関係や、欧州にとってのインド太平洋地域の重要性という考え方そのものに関わってくる」と警告した。

 この経緯から、豪州による潜水艦契約の一方的、かつ突然の破棄は、米仏の同盟関係をも揺るがしかねない深刻な問題と見られたが、わずか1週間後、米仏首脳による30分の電話会談で事態の収拾に向けて原則合意が達成された。バイデン氏とマクロン氏の共同声明によれば、米仏両国は信頼回復のために、今後、突っ込んだ協議を行うことになっているが、ル・ドリアン仏外相が激怒した潜水艦契約の一方的破棄については何の言及も行われなかった。契約の破棄は取り消されないのである。

 バイデン氏は謝罪せず、ただ、「開かれた協議があればよかった(the situation would have benefited from open consultations among allies on matters of strategic interest to France and our European partners)」、つまり「仏を含めて潜水艦契約の取り扱いを決定したほうがよかった」と言っただけである。
 米仏両国の首脳は円熟した安全保障大国らしく振舞ったと言えるかもしれないが、両雄のだましあいのようなところがある。ともかく、今回の合意が容易に達成された背景には、二、三見逃せない事情があったと思われる。

 一つは、もし、契約破棄の相談を仏にしていたならば、容易に結論を得られないことを米豪英とも認識していたことである。豪側には、契約の履行状況について不満があったとも言われているが、それだけでは一方的破棄を正当化できない。米豪英は仏が議論にたけており、容易に説得できる相手でないことを共通に認識しており、迅速に契約を破棄するには一方的に通告するほかなかったと思っていたのであろう。

 もう一つの背景は、安全保障に関する米欧の同盟関係が欧州から中近東、とくにアフガニスタンへ、そしてアジア太平洋にまで拡大しつつあることを仏も重視していたことである。

 さらに、歴史的には、仏は1966年から1996年までの30年間に南太平洋のムルロワ環礁(仏領ポリネシア)で193回の実験を行っていた(最後は1996年1月)。今回の米仏首脳協議でこの歴史問題が提起されたとは思わないが、両者の話し合いに影響を及ぼさなかったとも思わない。直接触れることはなかったにしても、バイデン氏もマクロン氏も意識しつつ話し合いを行ったものと推測される。

 マクロン大統領は東京五輪の開会式出席後に仏領ポリネシアを訪問し、7月27日、タヒチ島での演説で「フランスは仏領ポリネシアに、核実験を繰り返してきたという借りがある」と述べている。マクロン氏は前回の大統領選で掲げた「歴史と向き合う外交」公約に従い、過去に複雑な経緯をたどった国や地域との関係改善を急ピッチで進めているのである。しかし、仏国内には核は必要との立場からマクロン氏の姿勢を弱腰だと批判する勢力も存在している。そんな事情からマクロン氏は謝罪はしないでおり、そのため南太平洋で批判されている。

 豪にとっても南太平洋における核実験はデリケートな問題である。国内では仏に対する批判的勢力が非常に強い。ただ、豪はウランを仏に提供しており、政府は核実験についての姿勢が明確でないと批判されてきたが、基本的には南太平洋諸国よりである。
 
 要するに、南太平洋における核実験は現在も続いている問題なのであり、バイデン氏がマクロン氏との会談で何も言わなくとも影のように付きまとっていたはずである。マクロン氏が今回の米仏首脳協議において意外にあっさりと矛を収めたのはそのような事情があるからだと思われる。
2021.09.01

タリバンによるアフガニスタン支配

アフガニスタンに関し、ザページに「「タリバン新政権」国際社会はどう対峙する? 中ロは融和的か」を寄稿しました。
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