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2022.02.13

北方領土の法的地位と米国の関与

 岸田首相は北方領土問題についてエマニュエル駐日米大使と突っ込んだ話し合いをすべきだ。同大使は2月7日、「北方領土の日」に合わせてツイッターに動画を投稿し、「(米国は)北方四島に対する日本の主権を1950年代から認めている」と説明し、北方領土問題の解決に向け日本を支持すると強調した。日本としてあらためて米国に対し北方領土問題を訴えるよい機会だ。

 安倍元首相は、プーチン大統領による1956年日ソ共同宣言を基礎として交渉を進展させるという突然の提案を、日本との平和条約交渉にプーチン氏が前向きになったサインだと誤解し、交渉を始めたが、結局プーチン氏にはそのような姿勢がないことが判明した。プーチン氏は北方領土交渉を日露間の問題にとどまらず、米国との関係でとらえている。また「第2次世界大戦の結果、千島列島全島に対する主権を得た」という主張は、日本のみならず、旧連合国のどの国も認めていない。

 第二次大戦の結果、日本の領土は大幅に削減された。1945年8月の「ポツダム宣言」で本州、北海道、九州および四国は日本の領土であることがあらためて確認されたが、「その他の島嶼」については、「どれが日本の領土として残るか、米英中ソの4か国が決定する」ことを日本は受け入れた。

 1951年の「サンフランシスコ平和条約」はその決定が行われる機会であったが、実際には、自由主義陣営と社会主義陣営による東西対立の影響を受け、「千島列島」は「台湾」などと同様帰属を決定することはできず、日本は帰属先の決まらないそれらの島嶼を「放棄」するにとどまった。

結局、ポツダム宣言を発出した4か国は「千島列島」や「台湾」などの帰属を決定できず、そのままの状態が今日まで続いているのである。

 日本は、今日でもポツダム宣言とサンフランシスコ平和条約を忠実に守っており、「千島列島」は放棄したままの状態だ。ロシアは、現在の交渉において、「千島列島」は第2次大戦の結果としてロシアが獲得したことを認めよと主張しているが、「千島列島」を「放棄」した日本が、ロシアの主権を認めるのは同条約に違反することとなり、それはできない。法的に不可能なのだ。また、このロシアの主張を裏付ける根拠は皆無であり、日本もその他の国もロシアが「千島列島」の領有権を得たと認めたことは一度もない。

 ではなぜ日露間で平和条約交渉を始めたのか。それは、国際政治が原因で日露間の戦争状態が処理されないと、外交関係も結べず、国際社会は不安定化する。国連などの運営も円滑に運ばなくなる。また、両国民の往来に支障が生じる。こういうことでは困るので、可能な範囲で関係を正常化することになったのであった。

 その結果が1956年の「日ソ共同宣言」であり、日露間の外交関係は回復されたが、北方領土問題は合意に至らなかった。かりに合意されていてもそれは日本とソ連(当時)の合意に過ぎず、ポツダム宣言を行った4か国の合意でないという法的問題が残るが、日露両国が合意できるのであれば、追認しようという考えだったものと推測される。千島列島の領有権を主張するのは日本とロシアだけだからである。

 つまり、北方領土の問題は、ポツダム宣言の4か国が日本の領土の範囲を決めなかったから起こってきたことなのだ。もちろん、日本には歴史に基づいた国民感情があり、戦争終結から80年近くになる現在、それを無視することはできず、軽々に4か国が決めればよいとは言えないが、国際法の筋道としては、4か国が決めておれば今日の問題はなかったのである。なお、日本政府は、台湾についてポツダム宣言を受け入れた立場は変わっていないことを1972年に明言している。日本のポツダム宣言に関する立場は今日も変わっていないはずである。

 以上を踏まえると今後はどうなるか。もちろん日露間で合意に達することができればよい。だが、これまで日露間でさんざん試みてもうまくいかないのが現実である。どうしてもできなければ、国際法の原則に立ち返ることになるが、4か国で決定する方法も国際政治の現実に照らすとそのままでは無理がある。

 そのような状況のなかで大きな役割を果たすのはやはり米国である。第二次大戦において、戦争の遂行、戦後処理を主導してきたのは米国であった。ロシアに対して「千島列島」の「占領」を認めたのも、また、日本に対して、「千島列島」の「放棄」を求めつつ、ロシアへの帰属を認めなかったのも実質的には米国であった。

 米国には「第三国間の領土問題に関与しない」という原則があり、それは第二次大戦など歴史的経緯から米国として必要な対外関係上の原則であることはよく分かる。それは日本としても尊重しなければならないが、北方領土の帰属問題は特殊である。日本はポツダム宣言により当事者でなくなり、米国をはじめとするポツダム宣言の4か国が当事者となった。米国のこの法的立場は変わっていないのではないか。総じて米国は北方領土問題の解決にどの国よりも責任があるのではないか。

 これまでの日露間の交渉で出てきたことがもう一つある。ロシアは、北方領土問題が解決したとしても米軍の基地がその中に置かれるのは認められないとしていることだが、このような主張を日本は認めることはできない。日本に米軍の基地を置くか、置くとしてもどこか、日米間で合意すれば可能だが、第三国であるロシアとの間でそんなことはできない。それはロシアの身勝手な要求である。このことも北方領土問題の解決に米国の関与が必要になっている理由である。

 さはさりながら、北方領土問題を解決してほしいと米国に求めても、長年の時間が経過したことであり、簡単には応じてくれないだろう。しかし、もし日露間の交渉に参加してくれれば日米関係はさらに強固になる。岸田首相にはまずエマニュエル大使と外務大臣や官僚は入れずに、二人だけで、注意深く問題提起し、日本の立場を説明してもらいたい。そして来るバイデン大統領との会談では米国の関与が不可欠であることについて理解を求め、何らかの形でそのための道筋を取り付けてもらいたい。

2022.01.28

ウクライナ・米国・ロシア


 ウクライナをめぐって欧米諸国とロシアの対立が先鋭化している。米国防総省はロシア軍がウクライナ国境で昨年10月末以来軍事圧力を強め、10万人に及ぶ部隊を結集させていることを問題視し、約8500人の米軍部隊に派遣に備えた警戒態勢を取るよう命じたと1月24日に発表した。
 米国のバイデン大統領はロシアのプーチン大統領をけん制するとともに、ウクライナのゼレンスキー大統領に対しては、ロシアがウクライナに侵攻した場合、米国と同盟・友好国は「断固として対応する」方針を表明するなどウクライナの安全を確保していく姿勢を示している。
 ウクライナが恐れているのは、東部の国境を越えてロシア軍が侵攻してくることである。この問題については2014年3月のロシアによるクリミア併合の影響が尾を引いており、またウクライナの内政が絡んでいるため複雑な状況になっている。主な経緯をまとめてみた。

 ウクライナ東部のドンバス地方(ドネツィク州とルハーンシク(ルガンスクとも表記される)州)は、その約3割が親ロシア派勢力の占拠下にあり、クリミアの併合に至る過程と並行して、親ロシア派はロシアへの併合を求め、そのため「国民投票」を呼びかけてきた。この要求は実現しなかったが、東部ではウクライナ政府支持派と親ロシア派の暴力的な衝突が起こり、西欧諸国による仲介で休戦が成立してもまた戦闘状態に陥るという悪循環を繰り返してきた。この間、累計で約1万4000人にのぼる死者が出たという。

 そもそもウクライナはソ連の崩壊後、NATOへの加盟を目指したこともあったが、地政学的にロシアと欧州に挟まれており、ロシアを過度に刺激しないよう「非同盟」の方針を取ってきた。しかし、ロシアがクリミアを併合するなど侵略的な姿勢を強めるなかでウクライナの新大統領に就任したペトロ・ポロシェンコは実業家で政治経験も豊かな人物であり、西側に接近し、ロシアとは対決する姿勢を鮮明にした。同大統領のもとでウクライナ議会は「非同盟」を捨て、NATO への加盟を追求していくこと、そしてそれが可能になるための状況を作り出していくことを確認する法案を圧倒的多数で可決し、2015年 5 月、「ウクライナ国家安全保障戦略」が採択された。ロシアはこれに強硬に反対した。

 2019年2月、次期大統領選の直前であったが、ポロシェンコ大統領は憲法を改正し、将来的なNATO(北大西洋条約機構)加盟を目指す方針を明記した。

 しかし、3~4月の大統領選でポロシェンコは新人のタレント候補ウォロディミル・ゼレンスキーに惨敗した。ポロシェンコ氏は就任後、「オリガルヒ」と呼ばれる新興財閥の領袖が政治・経済を牛耳るなど蔓延する腐敗を解消すると声明していたが一向に実現せず、自らが保有する製菓大手のロシェン社を手放すという公約も実行しなかった。また、ポロシェンコ側近による軍備関連の汚職事件も露見した。一方、家庭向けのガス料金が2018年11月に引き上げられるなど、国民生活は悪化し不満が蓄積し、ポロシェンコは国民の支持を失った。ウクライナ国民は、古株の政治家たちに強い不信感を抱き、政治経験のない者に期待するようになっており、NATOとの加盟交渉を始めるよりも、エリートの特権や腐敗を根絶することを望んでいるという。

 このようなウクライナの政治状況を見越してか、東部における親ロシア勢力による停戦違反が相次ぎ、政府軍との対立が激化している。ゼレンスキー大統領にとって頼みの綱はやはり米国であり、2021年に入ると2~3か月に1回くらいの頻度でバイデン大統領と電話会談を行い、ウクライナへの「揺るぎない支持」を取り付けてきた。

 さらにゼレンスキー大統領は訪米し、8月30日にバイデン大統領と対面で会談。ドンバス地方における親ロ派勢力との7年にわたる武力紛争の終結に向け、和平交渉への米国のさらなる関与を要望した。これに対し、バイデン氏は、米国は「ロシアの侵略に直面するウクライナの主権と領土保全にしっかりと関与し続ける」と表明したという。

 2022年1月19日、バイデン大統領は就任1年を迎えての記者会見で、「私の推測では、ロシアはウクライナに侵攻するだろう。プーチン大統領は何かしなければならないはずだ」と述べ、また、プーチン氏が西側諸国を「試す」行為をすれば、「深刻で高い代償」を払うことになるだろうと警告した。だがこれらの発言に加えて「小規模な侵攻」であれば、代償も小規模にとどまる可能性を示唆した。

 この発言はウクライナにおいてさざ波を作り出した。ゼレンスキー大統領は20日、「小規模な侵攻などない」と反発した。

 バイデン大統領は釈明したかったのであろう。1月27日、ゼレンスキー大統領に電話し、ロシアがウクライナに侵攻した場合、米国は断固とした対応を取る用意があるとあらためて表明した。また、ロシアの軍備増強による圧力が高まる中、ウクライナ経済を支えるため米国は追加のマクロ経済支援を検討していると伝えた。

 「小規模侵攻」発言はこれで一応収まったかに見えるが、NATO加盟問題が落着したのではない。ロシアがウクライナとの国境付近に大軍を配置させているのは、ロシアの安全保障上必要だという理由からである。ロシアは昨年12月、米欧との協議において、ウクライナなど旧ソ連諸国にNATOを拡大させない確約を求め、国境周辺での攻撃型兵器の配備や軍事演習の停止などを盛り込んだ「安全の保証」に関する条約案を提示し、米国とNATOに書面での回答を求めた。

 1月26日、米国とNATOは、NATOの不拡大は拒否し、軍事演習の制限などでは交渉の余地を残す内容の回答を行ったと発表した。

 ゼレンスキー大統領は困難な立場にある。個人的には米国やEU諸国のみならず、ロシアとも友好関係を回復し、東部の親ロシア勢力と何らかの形で妥協し、国内問題に専念したいだろうが、NATOへの加盟問題が決着しない限り、米国やEUとロシアの対立に巻き込まれるのは不可避である。そうすると東部問題は今後も厄介な火種となって残る。そしてウクライナ国内は米欧とロシアの対立と無関係ではありえない。総じて、米ロの激しいつばぜり合いが続く中、ウクライナが安定を取り戻すのは容易でなさそうである。
2021.12.10

日米開戦80年と日系人の奮闘

 日米開戦から80年になる。戦争中、約12万人の日系人が砂漠や荒れ地などの強制収容所に入れられた。一方、日系人部隊の第442連隊戦闘団(442nd Regimental Combat Team)がヨーロッパ戦線に投入され、米国を守るために多大の犠牲を払いながらよく戦い、米国史上もっとも多くの勲章を受けた連隊となった。

 当時、米国には、日系人は戦争の展開いかんでは米国にとって危険な存在になるという考えがあった。同じ米国の敵であったドイツとイタリア系のアメリカ人たちは、短い期間だけ拘留された人はいたが、集団として強制収容されることはなかった。日系人だけが恐れられたのは、人種的差別的な観念にとりつかれた米国政府が日本人集団は危険だと誤解したからであった。

 日系人同士でまとまろうとする傾向が多少あったかもしれない。しかし、大部分の日系人は歴史や伝統、政治状況、人種問題などが異なる米国ではあるが、溶け込むためにさまざまな努力を重ね、米国という社会に属していることを重視し、米国社会の一員であることに誇りを持っていた。要するに、日系人は米国という集団を大切にしていたのであるが、米国政府にはその点に対する理解が欠けており、日本人は敵国の日本に忠実であると誤解したのであった。米国では、個人主義的な考えから、そもそも「集団」について積極的意義を認めることが少なかったことが背景にあった。
 
 一般論として「集団」は積極的にみられることもあれば、あまり評価されないこともある。米国人は、米国社会を大切にしたいとする意味では「集団」を重視していたのであるが、民族や言葉の違いのほうが大きな問題だと考える傾向があったのだ。ようするに人種差別的傾向が強かったのである。ドイツ人やイタリア人には同じ仕打ちをしなかったことはその傾向を明らかに示していた。

 ただし、米国の政府・軍には日系人の義務遂行能力を高く評価する向きもあったらしい。これは強制収容とは真逆の考えであり、そのことも考え合わせれば、米国は人種差別一色で染まっていたわけではなさそうである。

 ともかく、戦争終了後一定の期間は必要であったが、米国政府は日系人の強制収容は誤りであったことに気づき、レーガン大統領は1988年、日系人に謝罪し、「市民の自由法(強制収容補償法)」に署名した。また、それから78年後の2020年2月20日、米カリフォルニア州議会下院本会議は、第二次大戦中の強制収容など不当な扱いにより日系人の公民権と自由を守れなかったことを謝罪する決議案を可決した。米国には今でも強制収容について反省しない人もいるが、それは少数であり、連邦政府やカリフォルニア州議会は、過去の過ちをはっきりと反省した。立派な態度であり、米国の強さでもある。

 米国のオースティン米国防長官は7日、日米開戦から80年の節目に当たり「かつての敵は今や親友になった」との声明を発表し、日米同盟の重要性を再確認した。

 米海軍は同日、故イノウエ元上院議員の名を冠したイージス駆逐艦「ダニエル・イノウエ」が就役すると発表し、翌日には真珠湾のヒッカム統合基地で式典を開催した。日系人にちなんで名付けられた海軍艦艇の就役は初めてである。

 米国は完璧な国でない。コロナ禍の影響で、ニューヨークなどではアジア人に対する攻撃が増えているという。

 しかし、日本として米国から学ぶべきことは多い。 

 一方、日本では戦争の指導者を何とか復権させようとする人たちがいる。しかし、日本の権益を強引に拡張しようとして各国に侵略し多数の住民を殺傷し、日本人も約3百万人犠牲にしたことなどは隠すべきでない。真正面から反省すべきことである。日本が行ったことは侵略でなかったという歴史観を公然と口にする政治家を日本の指導者とするようなことはあってはならないことである。

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