オピニオン
2016.08.11
この戦争を指導したのは米英などであり、日本もこれら諸国からの要請を受けて自衛隊をイラクに派遣した。
米英などでは、この戦争に関しすでに部分的あるいは全面的に反省が行われているが、日本ではイラクの大量破壊兵器に関する外務省の情報が十分でなかったことへの反省だけが行われており、戦争自体の是非、自衛隊のかかわりの是非については何も行われていない。
しかし、イラク戦争のような事態は今後も起こりうる。その場合にイラク戦争についてできるだけ客観的な立場からの反省や見直しが行われていたか否かは決定的に重要な問題となろう。このような観点から、次の一文をTHE PAGEに寄稿した。
「2003年のイラク戦争への参加に関する英国の独立調査委員会(チルコット委員会)の報告書が7月6日に公表されました。非常に興味深い内容です。
日本もイラク戦争の際自衛隊を派遣しました。そのことについて賛否両論がありましたが、その検証はまだ行われていません。英国の調査報告が発表されたのを機会に、我が国における検証の在り方について振り返って考えてみたいと思います。
イラク戦争について反省の言葉が最初に出てきたのは、戦争遂行の中心であった米国からでした。ブッシュ大統領は2005年12月、ワシントン市内で演説し、「イラクの大量破壊兵器に関する情報機関の分析は、多くが誤りであることが判明した。大統領として、イラク攻撃を決断した責任がある」と述べました(時事通信12月14日)。
米議会上院の情報特別委員会はブッシュ大統領の発言より先の2004年7月、イラクの大量破壊兵器について、「米中央情報局(CIA)が多くの過ちを犯し、誇張して伝えた。米大統領や議会が開戦にあたって判断材料とした情報には欠陥があった」と厳しく指摘していました。
英国でも米国と並行して、英国が参戦したのは誤りだったのではないかという議論が起こっていました。かなり時間が経過してからのことですが、ブレア元英国首相は2015年10月、米国のCNNとのインタビューで、「我々が入手した情報が間違っていたという事実については謝罪する」と述べました。
今回発表された独立調査委員会の報告は、「イラクに対しては査察も外交的努力もまだ継続されていた。英国は安保理の承認なしに戦争に踏み切った。最後の手段として戦争に訴えざるを得ない状況には立ち至っていなかった」との趣旨を述べ、情報に欠陥があったことだけでなく、戦争をしたことをも明確に批判しました。
日本では2012年12月に、「対イラク武力行使に関する我が国の対応(検証結果)」が発表されました。しかし、この中で反省しているのは、イラクの大量破壊兵器に関する外務省の情報についてであり、趣旨を要約すると、外務省は「情報が十分でなかったことは我が国としても厳粛に受け止める必要があり、今後情報収集能力を強化する必要がある」と指摘しました(読みやすい表現にしました)。
米英の反省と比較すると、正しい情報がなかったという点でブッシュ大統領やブレア首相の反省と似ている印象がありますが、米国において正しい情報が伝えられなかったことは戦争の開始に直接影響しうる問題でした。しかし、日本の情報が十分でなかったことは、幸か不幸か、米英による戦争の開始を決定づけることでありませんでした。したがって、日本外務省の情報検証は戦争開始の是非を検証したものではありません。
しかも、外務省の検証は、「日本政府が米英等の武力行使を支持したことの是非自体について検証するものではなく」と前置きしています。つまり、イラク戦争の際、日本の自衛隊が「非戦闘地域」において後方支援や復興支援などに従事したことの是非は検証しないと言っているのです。
実は、日本は単にイラク戦争の検証をしていないのではありません。日本はイラク特措法を恒久法にして「国際平和支援法」を制定しましたが、これにも問題がありました。それより先にイラク戦争への関与が適切であったか検討すべきだったのです。その理由は、英国の調査報告のようにイラク戦争の開始についてはそれを承認する国連の決議が十分でなかったこと、また、査察についてまだ継続中であったことなどの重大な問題がありえたからです。問題のある可能性がある案件であれば、その実現のために立法をするべきではありません。しかし、「国際平和支援法」はその問題は素通りして、あたかも何事もなかったかのように制定されました。「国際平和支援法」を制定した人たちは、日本のイラク戦争への関与は間違いでなかったという前提に立っていたのではないでしょうか。
イラク戦争は我が国にとってはもちろん、国際社会にとっても賛否が大きく分かれる重大な問題であり、それをどのように受け止め、また日本としてどのような行動をとるべきかの検討は日本が自衛隊を派遣する決定の前に必要でした。政治にはその時々の状況があり、いつでも正しい決定ができるとは限りません。
大事なことは、後日、様々な理由ですでに下した決定が疑問になれば、勇気をもって再検討することです。それができることは健全な国家として絶対的に必要なことですし、それができなければ将来同じ過ちを繰り返す危険があります。そのことを示す例は歴史にいくらもあります。先の大戦の処理においてもそのことが問われました。
米英はイラク戦争を始めるに際して日本の支持を強く求めてきました。その米英は今やイラク戦争に疑問を覚え始めています。日本の国民感情としては複雑なものがありますが、日本としては一刻も早く日本としてのあるべき姿を虚心坦懐に再検討することが必要です。
イラク戦争の総括
2003年に起こったイラク戦争は、紛争が絶えず不安定な政治状況にあるためテロの温床ともなるなど病的症状を抱える国や地域に対し、国際社会としての姿勢を問われ、また責任を果たすことを求められる重要問題であったが、国連での決議の有無が不明確な場合に行動するという危険を伴うことであった。この戦争を指導したのは米英などであり、日本もこれら諸国からの要請を受けて自衛隊をイラクに派遣した。
米英などでは、この戦争に関しすでに部分的あるいは全面的に反省が行われているが、日本ではイラクの大量破壊兵器に関する外務省の情報が十分でなかったことへの反省だけが行われており、戦争自体の是非、自衛隊のかかわりの是非については何も行われていない。
しかし、イラク戦争のような事態は今後も起こりうる。その場合にイラク戦争についてできるだけ客観的な立場からの反省や見直しが行われていたか否かは決定的に重要な問題となろう。このような観点から、次の一文をTHE PAGEに寄稿した。
「2003年のイラク戦争への参加に関する英国の独立調査委員会(チルコット委員会)の報告書が7月6日に公表されました。非常に興味深い内容です。
日本もイラク戦争の際自衛隊を派遣しました。そのことについて賛否両論がありましたが、その検証はまだ行われていません。英国の調査報告が発表されたのを機会に、我が国における検証の在り方について振り返って考えてみたいと思います。
イラク戦争について反省の言葉が最初に出てきたのは、戦争遂行の中心であった米国からでした。ブッシュ大統領は2005年12月、ワシントン市内で演説し、「イラクの大量破壊兵器に関する情報機関の分析は、多くが誤りであることが判明した。大統領として、イラク攻撃を決断した責任がある」と述べました(時事通信12月14日)。
米議会上院の情報特別委員会はブッシュ大統領の発言より先の2004年7月、イラクの大量破壊兵器について、「米中央情報局(CIA)が多くの過ちを犯し、誇張して伝えた。米大統領や議会が開戦にあたって判断材料とした情報には欠陥があった」と厳しく指摘していました。
英国でも米国と並行して、英国が参戦したのは誤りだったのではないかという議論が起こっていました。かなり時間が経過してからのことですが、ブレア元英国首相は2015年10月、米国のCNNとのインタビューで、「我々が入手した情報が間違っていたという事実については謝罪する」と述べました。
今回発表された独立調査委員会の報告は、「イラクに対しては査察も外交的努力もまだ継続されていた。英国は安保理の承認なしに戦争に踏み切った。最後の手段として戦争に訴えざるを得ない状況には立ち至っていなかった」との趣旨を述べ、情報に欠陥があったことだけでなく、戦争をしたことをも明確に批判しました。
日本では2012年12月に、「対イラク武力行使に関する我が国の対応(検証結果)」が発表されました。しかし、この中で反省しているのは、イラクの大量破壊兵器に関する外務省の情報についてであり、趣旨を要約すると、外務省は「情報が十分でなかったことは我が国としても厳粛に受け止める必要があり、今後情報収集能力を強化する必要がある」と指摘しました(読みやすい表現にしました)。
米英の反省と比較すると、正しい情報がなかったという点でブッシュ大統領やブレア首相の反省と似ている印象がありますが、米国において正しい情報が伝えられなかったことは戦争の開始に直接影響しうる問題でした。しかし、日本の情報が十分でなかったことは、幸か不幸か、米英による戦争の開始を決定づけることでありませんでした。したがって、日本外務省の情報検証は戦争開始の是非を検証したものではありません。
しかも、外務省の検証は、「日本政府が米英等の武力行使を支持したことの是非自体について検証するものではなく」と前置きしています。つまり、イラク戦争の際、日本の自衛隊が「非戦闘地域」において後方支援や復興支援などに従事したことの是非は検証しないと言っているのです。
実は、日本は単にイラク戦争の検証をしていないのではありません。日本はイラク特措法を恒久法にして「国際平和支援法」を制定しましたが、これにも問題がありました。それより先にイラク戦争への関与が適切であったか検討すべきだったのです。その理由は、英国の調査報告のようにイラク戦争の開始についてはそれを承認する国連の決議が十分でなかったこと、また、査察についてまだ継続中であったことなどの重大な問題がありえたからです。問題のある可能性がある案件であれば、その実現のために立法をするべきではありません。しかし、「国際平和支援法」はその問題は素通りして、あたかも何事もなかったかのように制定されました。「国際平和支援法」を制定した人たちは、日本のイラク戦争への関与は間違いでなかったという前提に立っていたのではないでしょうか。
イラク戦争は我が国にとってはもちろん、国際社会にとっても賛否が大きく分かれる重大な問題であり、それをどのように受け止め、また日本としてどのような行動をとるべきかの検討は日本が自衛隊を派遣する決定の前に必要でした。政治にはその時々の状況があり、いつでも正しい決定ができるとは限りません。
大事なことは、後日、様々な理由ですでに下した決定が疑問になれば、勇気をもって再検討することです。それができることは健全な国家として絶対的に必要なことですし、それができなければ将来同じ過ちを繰り返す危険があります。そのことを示す例は歴史にいくらもあります。先の大戦の処理においてもそのことが問われました。
米英はイラク戦争を始めるに際して日本の支持を強く求めてきました。その米英は今やイラク戦争に疑問を覚え始めています。日本の国民感情としては複雑なものがありますが、日本としては一刻も早く日本としてのあるべき姿を虚心坦懐に再検討することが必要です。
2016.08.05
○決定案は王岐山が提出し、中共組織部長の趙楽際と副首相の劉延東が副署した。
○去る6月下旬の中共政治局会議で決定された。習近平も賛成した。
○25名の政治局員中23名が賛成し、2名は棄権した。
○毛沢東記念堂を天安門広場から移す提案は以前にもあった。今年の全人代(国会に相当)の際にも提案があった。
○河南省にあった強大な毛沢東像が撤去された際(2015年末?2016年初?)、非毛沢東化の始まりだという議論が起こったが、4年前の中共第17期(胡錦濤時代)七中全会の際にも、「毛沢東」とは言及されなかったが非毛沢東化の議論が起こっていた。
この多維新聞の報道は、毛沢東記念堂の移転は「個人崇拝」を廃止することが目的だと感想を加えているが、「非毛沢東化」であれ、「非個人崇拝化」であれ、毛沢東の位置づけが変わるのは不可避だろう。毛沢東は歴史上大きな貢献をしたが、もはや共産主義中国の最高の指導者ではなくなり、政治の中心には不要であり、生地とはいえ、一地方に祭っておけばよいということになるのではないか。
そのようなことをあえてしたのは現在の一党独裁制下の官僚的支配体制にとって毛沢東思想は邪魔であり、また、同思想の順守を重視する人たちからの批判を事前に封殺するためだと思われる。具体的には、毛沢東が重視した大衆路線、農民、イデオロギーなどはますます退けられ、経済発展、共産党の指導などが重視されることになるのだろう。
習近平主席は中国の大国化や経済発展を重視する一方、折に触れ「左派」的だといわれてきた。王岐山を派遣して腐敗の摘発につとめていることなどにもその傾向が表れており、毛沢東とその思想を掲げておくことは習近平にとって今後も有用ではないかと思われるが、今回の記念堂移転はそれとは逆の意味がある。うがちすぎた見方かもしれないが、現在の中国では毛沢東的な主張の復活を恐れざるを得ない緊張した政治状況が生じているのかもしれない。
多維新聞が「習近平も賛成した」というのは、単に事実を述べたのか、それとも「左派」的なところがある習近平は反対する可能性があったと思われていたためか、気になるところだ。
ともかく即断は禁物であり、中国の政治状況についてはより長い時間をかけ、またそのほかの事情との整合性などを見ていく必要がある。
なお、王岐山が毛沢東記念堂の撤去を提案したのはなぜか。同人は腐敗摘発の実務責任者であり、今回の提案をするどんな理由があるのか、今のところ不明だ。
毛沢東記念堂の移転
毛沢東の遺体が安置されている毛沢東記念堂を天安門広場から毛沢東の生地である湖南省湘潭県韶山村に移転することについて、8月2日付の『多維新聞』(米国に本拠がある中国語新聞)が香港紙の情報をもとに報道している。○決定案は王岐山が提出し、中共組織部長の趙楽際と副首相の劉延東が副署した。
○去る6月下旬の中共政治局会議で決定された。習近平も賛成した。
○25名の政治局員中23名が賛成し、2名は棄権した。
○毛沢東記念堂を天安門広場から移す提案は以前にもあった。今年の全人代(国会に相当)の際にも提案があった。
○河南省にあった強大な毛沢東像が撤去された際(2015年末?2016年初?)、非毛沢東化の始まりだという議論が起こったが、4年前の中共第17期(胡錦濤時代)七中全会の際にも、「毛沢東」とは言及されなかったが非毛沢東化の議論が起こっていた。
この多維新聞の報道は、毛沢東記念堂の移転は「個人崇拝」を廃止することが目的だと感想を加えているが、「非毛沢東化」であれ、「非個人崇拝化」であれ、毛沢東の位置づけが変わるのは不可避だろう。毛沢東は歴史上大きな貢献をしたが、もはや共産主義中国の最高の指導者ではなくなり、政治の中心には不要であり、生地とはいえ、一地方に祭っておけばよいということになるのではないか。
そのようなことをあえてしたのは現在の一党独裁制下の官僚的支配体制にとって毛沢東思想は邪魔であり、また、同思想の順守を重視する人たちからの批判を事前に封殺するためだと思われる。具体的には、毛沢東が重視した大衆路線、農民、イデオロギーなどはますます退けられ、経済発展、共産党の指導などが重視されることになるのだろう。
習近平主席は中国の大国化や経済発展を重視する一方、折に触れ「左派」的だといわれてきた。王岐山を派遣して腐敗の摘発につとめていることなどにもその傾向が表れており、毛沢東とその思想を掲げておくことは習近平にとって今後も有用ではないかと思われるが、今回の記念堂移転はそれとは逆の意味がある。うがちすぎた見方かもしれないが、現在の中国では毛沢東的な主張の復活を恐れざるを得ない緊張した政治状況が生じているのかもしれない。
多維新聞が「習近平も賛成した」というのは、単に事実を述べたのか、それとも「左派」的なところがある習近平は反対する可能性があったと思われていたためか、気になるところだ。
ともかく即断は禁物であり、中国の政治状況についてはより長い時間をかけ、またそのほかの事情との整合性などを見ていく必要がある。
なお、王岐山が毛沢東記念堂の撤去を提案したのはなぜか。同人は腐敗摘発の実務責任者であり、今回の提案をするどんな理由があるのか、今のところ不明だ。
2016.08.03
モンゴルで開催されていたアジア欧州会議(ASEM)の閉幕(16日)に際して発表された議長声明では、「海洋の安全保障について国際法に基づいた紛争解決が重要」とする文言が盛り込まれた。この会議の裏ではさまざまな駆け引きが行われ、多くの国は仲裁裁判の判決には拘束力があるという趣旨を主張したのに対し、中国はそれに反対したと見られている。議長声明は、中国を名指しこそしなかったが、国際法の原則は明確に記載している。
ラオスで開催されたASEAN外相会議の際には日米や中国との会合も行われる。今回の会議では中国は東南アジア諸国に中国を支持するよう強く働きかけ、カンボジアとラオスは中国寄りの態度を取った。一方、仲裁裁判の当事国であったフィリピンやベトナムなどは、判決は拘束力があり、受け入れるべきだとする趣旨を記載するよう主張し、最後まで意見が分かれたが、結局、7月25日に採択された共同声明では中国を名指しすることは避けたが、「国際法の順守の重要性を確認した」と明記したので日米などの主張は最低限確保された。
フィリピンは判決が出る以前から中国による強い圧力を受けており、また、ドゥテルテ新大統領の基本的な姿勢が明確でなかったため、仲裁裁判の判決に対してどのような態度を取るか注目されていたが、フィリピンのヤサイ外相は19日、判決を無視して二国間協議に応じるよう求めた中国の提案を拒否した。
さらに、ドゥテルテ大統領は、ASEANの共同声明と同じ25日、就任後初めての施政方針演説で、「我々は仲裁裁判の判決を強く支持し尊重する。(判決は)紛争の平和的解決に向けた努力に大きく貢献する」と述べた。同大統領の発言は明確であり、今後の南シナ海問題の扱いにおいてフィリピンの重要な指針となるだろう。
オバマ米大統領は、8月1日付のシンガポールのストレーツ・タイムズ紙の書面インタビューで、仲裁裁判所の判決について「明白に法的に拘束される」として「判決は尊重されるべきだ」と述べた。ケリー国務長官は種々の機会に同趣旨のことを述べていたが、オバマ大統領の発言は初めてであった。
安倍首相はASEMの際(15日)、フィリピンのヤサイ外相、ベトナムのグエン・スアン・フック首相と個別に会談し、仲裁裁判所判決を中国は受け入れるべきだとの認識で一致した。安倍首相はメルケル独首相との会談では、「仲裁裁判の判断は法的拘束力を有するものであり、当事国が仲裁裁判所の判断に従う必要がある」と述べていた。
一方、中国はますますかたくなな対応を見せている。王毅外相はASEMやASEANの会議の際に各国と個別の会談を行い、懸命に中国への支持を求めた。
7月16日、北京で開催された「世界平和フォーラム」で孫建国副参謀長は「高額の訴訟費用は背後で裁判を操る者が出している。これが茶番でないと言うなら一体何なのか」と非難し、そのうえで、「軍は能力を高め、やむをえない状況になれば、国の主権と権益を守るために最後の決定的な働きを果たす」と中国軍は行動に出る可能性があることをほのめかした。
さらに、7月末には、南シナ海で9月にロシアと合同軍事演習を行うと発表した。仲裁裁判の判決が出る前にも演習を行ったが、中国軍は力を誇示しているのだ。
このような強気一点張りの対応について、比較的国際感覚がある中国人は、内向きの姿勢であるとコメントしている。中国人の威勢の良い発言は国内向きであることはたしかだが、それだけで話は終わらない。仲裁裁判は中国の期待するように過去の終わったことにはならず、今後も各国にとって指針となり、引用され続けるだろう。仲裁裁判の結果が中国の内政にどのような影響を及ぼすか、じっくりと観察していく必要がある。
仲裁裁判後の南シナ海問題と中国
7月12日に南シナ海の国際仲裁裁判の判決が公表されて以降の動きである。モンゴルで開催されていたアジア欧州会議(ASEM)の閉幕(16日)に際して発表された議長声明では、「海洋の安全保障について国際法に基づいた紛争解決が重要」とする文言が盛り込まれた。この会議の裏ではさまざまな駆け引きが行われ、多くの国は仲裁裁判の判決には拘束力があるという趣旨を主張したのに対し、中国はそれに反対したと見られている。議長声明は、中国を名指しこそしなかったが、国際法の原則は明確に記載している。
ラオスで開催されたASEAN外相会議の際には日米や中国との会合も行われる。今回の会議では中国は東南アジア諸国に中国を支持するよう強く働きかけ、カンボジアとラオスは中国寄りの態度を取った。一方、仲裁裁判の当事国であったフィリピンやベトナムなどは、判決は拘束力があり、受け入れるべきだとする趣旨を記載するよう主張し、最後まで意見が分かれたが、結局、7月25日に採択された共同声明では中国を名指しすることは避けたが、「国際法の順守の重要性を確認した」と明記したので日米などの主張は最低限確保された。
フィリピンは判決が出る以前から中国による強い圧力を受けており、また、ドゥテルテ新大統領の基本的な姿勢が明確でなかったため、仲裁裁判の判決に対してどのような態度を取るか注目されていたが、フィリピンのヤサイ外相は19日、判決を無視して二国間協議に応じるよう求めた中国の提案を拒否した。
さらに、ドゥテルテ大統領は、ASEANの共同声明と同じ25日、就任後初めての施政方針演説で、「我々は仲裁裁判の判決を強く支持し尊重する。(判決は)紛争の平和的解決に向けた努力に大きく貢献する」と述べた。同大統領の発言は明確であり、今後の南シナ海問題の扱いにおいてフィリピンの重要な指針となるだろう。
オバマ米大統領は、8月1日付のシンガポールのストレーツ・タイムズ紙の書面インタビューで、仲裁裁判所の判決について「明白に法的に拘束される」として「判決は尊重されるべきだ」と述べた。ケリー国務長官は種々の機会に同趣旨のことを述べていたが、オバマ大統領の発言は初めてであった。
安倍首相はASEMの際(15日)、フィリピンのヤサイ外相、ベトナムのグエン・スアン・フック首相と個別に会談し、仲裁裁判所判決を中国は受け入れるべきだとの認識で一致した。安倍首相はメルケル独首相との会談では、「仲裁裁判の判断は法的拘束力を有するものであり、当事国が仲裁裁判所の判断に従う必要がある」と述べていた。
一方、中国はますますかたくなな対応を見せている。王毅外相はASEMやASEANの会議の際に各国と個別の会談を行い、懸命に中国への支持を求めた。
7月16日、北京で開催された「世界平和フォーラム」で孫建国副参謀長は「高額の訴訟費用は背後で裁判を操る者が出している。これが茶番でないと言うなら一体何なのか」と非難し、そのうえで、「軍は能力を高め、やむをえない状況になれば、国の主権と権益を守るために最後の決定的な働きを果たす」と中国軍は行動に出る可能性があることをほのめかした。
さらに、7月末には、南シナ海で9月にロシアと合同軍事演習を行うと発表した。仲裁裁判の判決が出る前にも演習を行ったが、中国軍は力を誇示しているのだ。
このような強気一点張りの対応について、比較的国際感覚がある中国人は、内向きの姿勢であるとコメントしている。中国人の威勢の良い発言は国内向きであることはたしかだが、それだけで話は終わらない。仲裁裁判は中国の期待するように過去の終わったことにはならず、今後も各国にとって指針となり、引用され続けるだろう。仲裁裁判の結果が中国の内政にどのような影響を及ぼすか、じっくりと観察していく必要がある。
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