平和外交研究所

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2016.07.29

(短評)英国の核兵器更新

 英国議会は、7月18日、英国の保有する核兵器を更新することを承認した。
 英国の核戦力は、核弾頭を搭載した潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)トライデントⅡ(D-5)と運搬用のヴァンガード級原子力潜水艦 4 隻で構成されており、スコットランド・エジンバラ西北のファスレーン海軍基地に置かれている。
 英国の核兵器は冷戦の終了後段階的に削減され、残っているのはこの1システムだけである。他の国では、大陸間弾道ミサイルや長距離爆撃機で運搬するものなど複数のシステムがあるのと比べると、英国が保持している1システムが戦力としてどれほどの意義があるか疑問視する声があり、英国はいっそこれも破棄して核軍縮の先頭に立つのがよいという意見もある。
 また、地元のスコットランドからは、英国からの分離を求める政治情勢とも絡んでファスレーン基地に核兵器を配備していることに強い反対が起こっていた。

 このような事情にかかわらず、英下院で賛成472、反対117という圧倒的多数で更新が承認されたのだが、コスト高は今後も英国政府を苦しめることになりそうだ。更新に要する経費は310億ポンド(約4兆3千億円)であり、さらにコスト上昇に備えるため予備費として100億ポンド(約1兆3,900億円)が計上されているが、これは承認を得るために国防省が作った数字なのであまり信用できないという見方もある。
 また、新型原潜を設計・開発して配備するまでには20年かかり、その間に原潜を無力化しようという能力は格段に進歩するだろう。人工知能と高度のロボット技術を備えた小型無人潜水艇が多数投入されると原潜は機能を発揮できなくなるとも指摘されている。
 さらに、「英国にとって北朝鮮などは脅威ではなく、テロ・サイバー攻撃・疫病こそがその真の脅威だ。下院が更新を支持した核戦力は何の役にも立たず、その管理は何をするか分からないトランプ大統領に委ねられるかもしれない。英国が保有し続ける核兵器こそが人類の脅威だ」という批判もある(”The National”, Kevin McKenna ‘Trident is a threat to the whole of humanity’)。
 これは興味深い指摘だが、そういうことであれば、米国でトランプ氏が大統領になったら世界はいったいどうなるのか心配だ。

 ともかく、今回の決定はメイ新首相にとって一種のテストと見られていたが、メイ首相はなんのよどみもなく、必要なら核のボタンを押すと言明した。
May responded: “Yes. And I have to say to the honourable gentleman the whole point of a deterrent is that our enemies need to know that we would be prepared to use it, unlike some suggestions that we could have a deterrent but not actually be willing to use it, which seem to come from the Labour party frontbench.”
 
2016.07.25

憲法改正の論点③-安全保障

自民党改正案第9条、第9条の2、第9条の3

疑問と問題点
 現在の憲法第9条は変更しないのがよい。それは日本国の歴史上最も重大な行為であった戦争の結果だからだ。戦争の結果とは敗戦だけでない。戦いに敗れたために現在の憲法が制定されたことも忘れてはならない結果である。その両方の結果を丸ごと尊重すべきであり、また将来にそのまま伝えるべきだからだ。
 いわゆる「平和主義」の立場から、あるいは「普通の国」であることを求める立場から、さらには右または左の思想からさまざまな議論が行われてきたが、9条の持つ歴史的意義に勝る意見はなかったと思う。

 以下は比較的細かいことだが、付言しておく。
 外国に言われて制定した憲法だから日本語らしく書き換えるべきだという議論もある。確かに、9条の第2項は、当時の占領軍が勝手に書いた「バタ臭い」文章であることは明らかだ。しかし、それは9条の意義に照らすと大した問題でない。また、その部分だけ書き換えるにしても9条全体を丸ごと尊重することに穴をあけることになる。9条2項だけを改正することによって得られる利益より、日本にとって最も重要な歴史事実を書き換えることにより失うものが多いと思う。
 文章として稚拙か否か、日本語らしいか否かなどは言い出せばいくらも出てくることであり、たとえば、自民党案第9条の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない」の「、、、の行使は、、、、用いない」は論理的におかしな文章だ。
 現憲法の「、、、行使は、、、放棄する」もよい文章か疑問だが、少なくても論理的には成り立つ表現だ。
 また、自民党案には「法律の定めるところにより」という表現が9条関係だけでも複数回出てくるが、しょせん細かいことだ。憲法に規定されていることについてはほとんどすべて法律で細則が定められる。皇室典範のような特殊なことは憲法に特記してもよいが、いちいち「法律で定める」と官僚的に言わないほうがよい。
 
一方、自民党案は「自衛権の発動を妨げるものではない」とのみ規定し、集団的自衛権の行使を認めるかは書いていない。自民党改正案第9条関係は重要なことは規定せず、官僚的、実務的なことを記載する結果に陥っているのではないか。
 なお、日本を自衛するために戦うこと、武器を使用することは9条の下で認められている。それは妥当な解釈だと思う。

2016.07.22

南シナ海の判決を中国が受け入れないもう一つの理由―台湾・尖閣諸島への影響

 中国は、南シナ海に関する仲裁裁判結果は台湾や尖閣諸島に関する中国の主張にも影響が出ると考えている可能性がある。
 中国は、南シナ海のみならず台湾、尖閣諸島についても「昔から中国の領土であった」と主張している。いわゆる歴史的権利の主張だ。しかし、今回の仲裁裁判で南シナ海について中国の主張に根拠はないと判断されたことにかんがみれば、もし台湾や尖閣諸島について裁判が起こされるとやはり「根拠がない」と判断される可能性がある。
 中国が根拠を示せれば話は違ってきて、中国の主張が認められるかもしれないが、中国は尖閣諸島については根拠を示せないでいる。
 南シナ海について中国は中国人の旅行記に記載があることをいわゆる「南シナ海白書」で指摘したが、裁判は旅行記の記載で領有を主張することはできないとの判断を下した。領有の主張に必要な「実効支配」がないことが主たる理由である。
 尖閣諸島についても基本的には同じことで、中国がその主張の根拠として挙げている、中国(明時代)の使節が沖縄に来た際の旅行記だけでは領有の根拠とならない。
領有の主張には「実効支配」が必要なことは国際法の普通の解釈だが、もし、その解釈に異論があるならば、裁判で主張すればよい。それをしないで、裁判批判をするのは公平でない。

 台湾については、事情は一部違っているが、歴史的権利に主張があるとは言えないだろう。将来、仮に何らかの形で台湾の法的地位について裁判が行われると、裁判所は、南シナ海や尖閣諸島と全く同じでなく、一定程度の実効支配があったことは認めるだろうが、それは長い歴史の一部であり、また地理的にも一部の支配であった。
 このことは基本に立ち返ってみていく必要がある。第二次世界大戦で日本が敗れるまで、台湾、尖閣諸島および南シナ海の島嶼はすべて日本の領土であった。今回の仲裁裁判で問題となったスプラトリー諸島(中国名「南沙諸島」)も日本領時代は「新南群島」と呼ばれ日本の領土だったのだ。
 日本のこれら島嶼の領有については、帝国主義的な侵略によるもので無効だったという考えもある。歴史的にはそういう面はあったとしても法的にはどの国からも異論を唱えられていなかったので、日本の領土だったということに問題ないだろう。
 サンフランシスコ平和条約も日本が領有していたことを前提として、戦争の結果日本は「台湾」、「新南群島」、「西沙群島」を「放棄する」と規定した。
 その結果これらの島嶼は無主地となった。通常、戦争状態を終結させる平和条約において領土問題が処理される場合は、新しい帰属先が示される。しかし、第二次大戦の場合は、日本との戦争は終了したが、中国の内戦が継続し、また新しく冷戦が起こったため、日本が「放棄」した島嶼の帰属は示されなかったのだ。
 そこで、中華民国政府も中華人民共和国政府も、またフィリピンやベトナムの政府も日本が「放棄」した南シナ海の島嶼に対して領有権、あるいは「管轄権」を主張し始めた。中華民国政府と中華人民共和国政府の主張はそれぞれ「十一段線」、「九段線」として知られている。
 台湾については、第二次大戦中に行われたカイロ宣言で、米英中の3国は、台湾を「中華民国」に返還することが謳われた。この宣言はこの3国が行ったものであり日本は拘束されないが、後にポツダム宣言の中でカイロ宣言も受諾したので日本も拘束される。
 したがって日本は台湾を「中華民国」に返還することになったのだが、世界大戦が終了しても中国では国民党軍と共産党軍の戦いが続き、また世界的な冷戦の影響を受けて、台湾を返還する「中華民国」とは国民党政府か、共産党政府か分からなくなってしまった。形式的には「中華民国」政府は台湾へのがれ現在もそのままであるが、カイロ宣言の当時、「中華人民共和国」はまだ存在していなかった。その後の政治状況を勘案するとカイロ宣言が言った「中華民国」とは台湾へのがれた国民党の「中華民国」のことか、それとも中国大陸を支配するに至った「中華人民共和国」のことか判断が困難になったのだ。この辺の法的解釈は複雑で、ここに述べたのは大筋に過ぎないが、台湾の地位をはっきりさせるには考慮に入れておく必要がある。
 おそらく現在の中国政府は、ここに述べたような法的議論をしたくないのだろう。それより、中国としては、台湾は「中国の一部」だという主張を中心に考えているのだろう。
 以上は、法的な解釈であるが、いったんそれを離れて、台湾に対する中国の歴史的権利を見ていくと、台湾が中国によって支配されるようになったのは、1683年以降である。当時の中国は清朝であり、その年より以前は鄭成功が統治していた。この人物は明時代の人物だが明の朝廷の命を受けて台湾をしたのではなく、個人としての行動であり、また、その期間は22年という短期間であった。さらにそれ以前、台湾はオランダの支配下にあったが、これも一部支配だった。
 清朝の統治に戻ると、支配していたのは台湾の西半分であり、東半分は最北端の一地方だけを統治していた。そして清朝政府は統治外の地域、すなわち東半分の大部分を「番」と呼ぶ住民の居住地とみなして漢人がその地域へ入ることを厳禁するなど、統治下と統治外の地域を厳格に区別していた。
 このような歴史的経緯は台湾の教科書が明記していることである(当研究所HP5月31日「台湾の歴史と新政権-教科書問題」)が、中国はそれに反論して昔から中国領であったことを証明できるか。おそらくそれは困難だろう。そうすると、中国の台湾に対する歴史的権利も、一時期、かつ一部(約半分といってもよいが)に限られていたわけである。かりに国際裁判が起こるとこのような判断が下される可能性があるのだ。

 今回の仲裁裁判は南シナ海に関するものだが、すぐその隣には中国にとって危険な問題が存在しているのだ。

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