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2017.02.21

駐韓大使の一時帰国

THE PAGEに寄稿した一文

「慰安婦少女像をめぐって日本政府が長嶺駐韓大使と森本在釜山総領事を一時帰国させて1か月がたちます。ソウルの日本大使館前に像が設置されたのが5年前の2011年、日韓両政府が慰安婦問題の最終的解決に合意し、韓国政府が慰安婦少女像について「適切に解決されるよう努力する」と明言したのが2015年、そして釜山の日本総領事館前に新しい像が設置されたのが昨年。5年以上もこの問題は未解決となっており、しかも状況はさらに悪化しています。
長嶺大使らを一時帰国させたことについては賛否両論がありましたが、日本政府は長く我慢を強いられてきたことであり、韓国政府に強く抗議し、また迅速な対応を促すためにやむを得ないことだったと思います。

大使の一時帰国について国際的なルールはありません。日本は2010年にロシア・メドベージェフ大統領(当時)が北方領土を訪問した際や、2012年に韓国・李明博大統領(同)が竹島を訪問した際に大使を一時帰国させたことがありましたが、1週間前後で帰任させました。
なお、大使を「召喚」することもあります。これは一時的な措置という意味合いはなく、外交関係断絶に発展してもやむを得ないという覚悟で呼び戻す場合に使われることが多いです。これに比べれば、「一時帰国」は単に事務的な理由からも行われることなので深刻な事態とは限りません。

 しかしながら、長嶺大使らをこれ以上日本にとどめておくのがよいか、疑問です。
 大使は少女像問題の解決だけが任務なのではありません。長嶺大使らは日本国を代表し、韓国において日本に対する理解の増進を図り、また、日本が韓国を正しく理解するよう努めることが任務です。さらに、日本と韓国の間の経済・文化交流の状況をしっかりとフォローし、必要に応じて対応しなければなりません。たとえば、日本側が不利になることがあれば韓国政府と協議して正さなければなりません。そのため、大使や総領事は大統領以下の韓国政府要人と常に意思疎通をよくしておくことが必要です。
長嶺大使が一時帰国している間、ソウルの日本大使館では公使が大使の代理となっていますが、それはあくまで臨時の措置であり、どんなに頑張っても大使のようなわけにはいきません。大使は一言でいえば日本を代表していますが、公使は大使を補佐するのが役割であり、その違いは非常に大きいです。北朝鮮によるミサイル発射のような挑発的行動への対処の面で日韓両政府は常に連携、協力し合っていますが、大使が不在であると韓国政府のハイレベル要人との協議などにも困難が生じるでしょう。会える人も格下になる恐れがあります。要するに、困難な問題であるほど大使が外相など韓国政府の責任者と直接交渉して解決策を探る必要があるのです。
また、長嶺大使らが長期間任地を離れていることに韓国民の間でも不満の声が上がっています。少女像の問題を別にすれば、韓国民がそのように思うのはもっともな面があります。
一方、韓国においては、昨年秋以来の朴槿恵大統領の側近をめぐるスキャンダルから発して朴大統領が議会において弾劾され、その職務が停止されました。黄教安首相が大統領代行を務めていますが、大きな政策を打ち出すことはできません。代行が大統領の職務を代わって行えないのは大使の臨時代理以上でしょう。
韓国がこのような状況に立ち至っているときに日韓両国間で厄介な問題が生じたことは不幸なことですが、慰安婦少女像問題も野党の主張などから再燃した面があり、韓国の政情と絡み合っているようです。
しかしながら、慰安婦像問題はあくまで他の問題と区別し、切り離して早期の解決を図るべきです。日本と韓国の間には、慰安婦少女像以外に、金融・通貨に関するスワップ(交換)、盗難文化財の返還など解決を要する問題があります。
政情困難の中ではありますが、長嶺大使らには早期に帰任して諸問題の解決に取り組んでもらいたいと思います。」

2017.02.13

米新政権として初の日米首脳会談

 安倍首相とトランプ大統領の会談に関する評価をザ・ページに寄稿しました。以下の通りです。
なお、その中では触れていませんが、北朝鮮によるミサイル発射について両首脳は特別の記者会見でそろって抗議・非難しました。その時にも思ったのですが、トランプ大統領は安倍首相のいうことは何でも聞くという方針ではないかと思われます。そうであれば、米国として北朝鮮政策を見直すよう日本からアドバイスする絶好の機会です。

「2月10日、安倍首相はトランプ大統領と初めての首脳会談を行いました。トランプ大統領は今回の首脳会談でどのような出方を見せるか、懸念を持って見守っていた人は少なくなかったでしょう。
 
しかし、安倍首相と会談したトランプ大統領は、一言で言えば、我々日本人が心に描く理想的な大統領であり、今回は日本に対する無理な要求はしませんでした。

両首脳の会談は約40分間でした。その後に約1時間のワーキングランチがありましたが、重要な話し合いは40分の間に行われたはずです。かりに両首脳が同じ長さの発言をしたならば、各20分、しかも通訳がつきますから一人の発言時間はそれぞれ10分強でした。この持ち時間で話せることは最重要問題だけで、しかも原則的なことしか説明できないでしょう。外務省は会談の概要(以下単に「概要」)を発表していますが、おそらく会談のほとんどすべてがそれに含まれていると思います。

今次会談終了後両首脳は共同記者会見を行いました。さらに日米両国の共同声明も発表されました。共同会見はどの首脳会談でも行われますが、共同声明が発表されるのは時と場合によりまちまちです。傾向としては重要な会談では共同声明が発表されることが多いでしょう。

今回の共同声明の内容はこれから述べるように申し分のないものですが、いちじるしく官僚的であり、細かいことも含んでいます。両首脳はもちろんその内容を承知し、了承しているでしょうが、彼ら自身の議論を反映しているか疑問です。それより「概要」の方が実際の会談内容と雰囲気をよく表していると思います。

会談の内容については、まず経済面では、安倍首相は日本企業の米国における投資や雇用の創出について実情をよく説明しました。このことは「概要」にも共同声明にも明確に反映されています。一方、トランプ大統領は日本企業が米国の雇用を奪っていることなどの持論を封印しました。

また、安倍首相が米国へ向け出発する前、日本企業による米国での投資と雇用創出に関するパッケージ案を持参するとのうわさが流れたことがあり、米国でも期待感が生まれていましたが、パッケージ案の提示はなかったようです。両首脳が合意した「麻生副総理とペンス副大統領の下での経済対話」で今後協議が行われていくものと思われます。

政治・安全保障面では、両首脳は東シナ海・南シナ海での拡張的行動や北朝鮮による核・ミサイルの開発を取り上げて議論し、「懸念を共有」しました。また、両首脳は日米安保条約と在日米軍の役割を再確認しました。

尖閣諸島については安保条約が適用されることをとくに確認し、また「同諸島に対する 日本の施政を損なおうとするいかなる一方的行動にも反対する(共同声明)」ことが合意されました。

今回の首脳会談は日本側の主張をほぼ全面的に受け入れたと見てよいでしょうが、米国、特にトランプ大統領が日本と関係をどう見ているか、どのような期待を抱いているかにも注意が必要です。

トランプ大統領がかねてからの持論を封印したことは繰り返しませんが、同大統領にとって重要なことは、国内外から批判を受けて孤立気味になっている中で、「馬が合う」安倍首相をひきつけ日本を米国の最良の味方にすることだったと思います。首脳会談が終わってからなお2日間、ゴルフや会食で共に過ごすことは前代未聞ですが、トランプ大統領はかねてからゴルフ場で親しくなることを重視しており、今回の接待はまさにトランプ氏らしいものです。

これに対し、安倍首相が積極的に応えることは当然とも考えられますが、トランプ大統領はあまりにも予測困難です。移民制限の大統領令など米国内でトランプ氏の政策に強く批判、反対する人が多いことも問題ですが、対外面の問題もあります。トランプ大統領は、日本に異例の好意的姿勢をみせつつ、中国の習近平主席に書簡を送り、また電話でも会談し、中国が問題視していた「一つの中国」に縛られないという発言も封印しました。トランプ大統領は全般的に中国に非常に批判的ですが、日本と中国とのバランスにも気配りをしています。

経済面では、今後の成り行きいかんではトランプ氏の持論が表面に出てきて貿易などで譲歩を迫ってくる可能性があります。麻生副首相とペンス副大統領の話し合いを建設的に進めることが必要です。

安倍首相とトランプ大統領は初めて会ってから短い時間ですが、ハグを繰り返し、また長い握手をするなどどの国の首脳も真似できない親密な関係を築いたようです。しかし、最初がよすぎるとそれを維持していくのは大変だということもあります。安倍首相が強烈な個性のトランプ大統領との間で、今後も積極的かつ慎重に日米関係を発展させていくことが期待されます。
2017.02.10

PKOへの参加体制は見直すべきだ

 2016年7月、南スーダンの首都ジュバで起きた大規模な衝突が「戦闘」であったことを示す/示唆する自衛隊の日記をめぐって国会が紛糾している。

 当時、南スーダンに派遣されていた国連PKOを維持できるか、国際的にも、日本でも問題となっており、日本の国会では、首都ジュバでの政府軍と反政府勢力との間の大規模な衝突は「戦闘」であり、日本の部隊は撤収すべきではないかということが審議されていた。日本政府はその紛争の存在を認めつつも、PKOの派遣・維持の前提である停戦は維持されていたという認識であり、強い反対論があったがその立場を貫いた。自衛隊の部隊は今も南スーダンに派遣されている。
 しかるに、2016年9月、ジャーナリストの布施祐仁氏が当時の日記の開示を防衛省に請求したのに対して、防衛省は12月2日、その日記はすでに廃棄していると回答することにし、稲田防衛相にもその旨を報告した。
 しかし、そのような処理は問題だと考える者がいたのだろう。元文書管理担当相の河野太郎議員に情報提供があった。その内容の詳細は不明だが、同議員は日記の電子データさえ残っていないのは不可解だとして防衛省に調査を求めた。その結果、数日後に電子データが残っていることが判明した。
 河野議員は2月6日に防衛省から開示を受け、ただちにツイッターやフェイスブックでそのことを公表した。
 一方、防衛省内部では、稲田防衛相への報告は調査結果の判明後迅速に行われず、河野議員への開示のわずか10日前、つまり1月末になってようやく行われた。事務方は防衛相に数週間報告しないでいたらしい。
(以上は諸報道を要約したもので、未確認だが、本件の背景として記しておく)

 1月末に開会した国会では、昨年7月当時の政府説明には問題があった、衝突の状況を記した日記がないというのは事実でなかったなどの指摘、批判が行われ、稲田防衛相が矢面に立たされた。
 とくに焦点となったのは、当時の衝突が「戦闘」であったか否かであり、日記は「戦闘」であると描写していた。そうであれば、自衛隊はやはり撤収すべきであったということになり、ひいては当時の政府答弁には瑕疵があったことになる恐れがある。そうなることは何としてでも避けなければならないと考えたのであろう。稲田氏は「戦闘」という言葉は今でも使わず、「戦闘とは国際的に言われる「戦闘行為」ではない」という意味不明のことを繰り返すだけである。
 このような答弁が日本国民に受け入れられるか疑問だ。今後、国会でどのような結論になるか関心を持って見守りたい。個人的には、防衛省内部でも十分に補佐されず、大事なことを、一時的とはいえ、隠され、また国会では官僚の作った無理な答弁を繰り返している稲田防衛相に同情を禁じ得ないが、稲田防衛相には大きな責任がある。憲法論でよく言われる文民統制の責任は首相、次いで防衛相にある。今国会で起こっているような状況では、有効な文民統制が働くとは到底思えない。

 稲田防衛相を含め、今回の一連の不祥事に心を痛めている人には、PKOへの日本の参加のあるべき姿、体制についてよく考えてもらいたい。

 PKOは、国連も日本国憲法も全く想定していなかったことであるが、戦後の国際政治において新しく生まれてきたものであり、それがいかに必要か、その歴史と予算額の大きさ(国連の通常予算よりはるかに多い)を見れば明らかである。
 PKOは、停戦・和平の成立を前提としており、したがって、日本がそれに参加することは日本国憲法の「国際紛争に巻き込まれてはならない」という重要原則に反しない。日本はそのことを明確にしたうえで具体的な参加の態様を決めるべきであった。たとえば、警察を拡充してPKO部隊を派遣できるようにするのも一つの方法だった。警察というと、すでに文民警察が派遣されているが、それができる行動の範囲はPKO活動の小さな一部分にすぎない。
 しかし、日本はPKO部隊として自衛隊を派遣することとした。政治的な理由でそうせざるを得なかったのだが、自衛隊は本来日本の防衛のための組織であり、PKOという国際活動には向いていない。日本の自衛隊は憲法の認めるごくわずかな例外的行為しか行えず、それではPKOとして十分な活動を行うのが困難だからだ。そのような制約を無視してPKO活動を拡大し、またそのため自衛隊の海外活動が拡大すると憲法違反の問題が出てくる。
 したがって、「駆けつけ警護」に代表されるように日本のPKO活動を拡大するという決断を下すにあたっては、憲法との関係、自衛隊の性格などを改めて整理しなおすべきであった。

 私は今でも「PKOは日本国憲法上認められる」という大きな判断をすべきであり、その上でPKOへの参加のあり方についての理論構成をし直すべきだと思っている。そして、自衛隊を今後もPKOに派遣するのであれば、「自衛」とともに「国際協力」をその主要業務として位置付けるべきである。この二つの異なることを自衛隊の業務とすると自衛隊の性格が不明確になるのであれば、「国際協力」のための別の組織を新設すべきである。そのような検討は日本の憲法体制にとっても自衛隊にとっても必要なことである。
 しかるに、現在国会で起こっていることは、政府答弁の一貫性、整合性のための議論だ。それらを揺るがせば、政府の姿勢が問われ政治問題になるのでそうせざるを得ないのだろうが、しょせんそれは技術的な問題だ。
 今回の問題について防衛省の対応の拙劣さを指摘するのは容易だが、その背景には自衛隊のあり方が、憲法との関係を含め、明確になっていないという現実がある。それは日本全体の問題であり、早急に是正すべきである。

(平和外交研究所HP 2014年4月26日「PKOと武器使用」、東洋経済オンライン2016年10月22日「稲田防衛相も視察した南スーダンPKOの苦渋 自衛隊員の「武器使用」をどう解釈すべきか」も参照願いたい。)

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