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2017.03.17

(短評)ティラーソン国務長官の北朝鮮政策

 ティラーソン国務長官は16日、岸田外相と会談後の記者会見で、「北朝鮮に対して非核化を求めた過去20年間の政策は失敗だった」と認めた。さらに「高まる脅威に対処する新たな方策が必要だ」と述べ、トランプ政権が北朝鮮政策の見直しをしていることを明らかにした。

 米新政権が北朝鮮について新たな政策が必要だと考え、検討を進めているのはよいことだが、問題は新政策の内容だ。
 「過去20年間は失敗だった」と言うからには、1990年代半ばからのことを問題にしているわけだが、そのころから失敗であったと簡単に片づけることはできない。
 90年代半ばは北朝鮮がNPTから脱退して核開発を進め始めたことが問題になったときであり、クリントン政権下の米国は日本や韓国などと朝鮮半島エネルギー開発機構 (KEDO)を設立して北朝鮮に核開発を放棄させようと試みた。また、2003年からは6者協議を行った。しかし、北朝鮮は開発を継続し、2006年に初の核実験を行った。2016年には水爆実験も行った。
 たしかに、90年代半ばからさまざまなことが試みられたが、北朝鮮の核開発を放棄させることは成功していない。
その意味ではティラーソン国務長官の発言はもっともだが、クリントン政権は北朝鮮の核開発問題に真正面から取り組んだ。しかし、6者協議から米国は韓国、中国、ロシアおよび日本と共同で取り組むようになり、なかでも中国の北朝鮮に対する影響力に頼るようになった。つまり、米国の姿勢は、自ら主体的に北朝鮮と交渉したクリントン時代と中国に頼ったブッシュ・オバマ時代とでは非常に違っているのである。

 トランプ政権が北朝鮮政策を再検討しているのは積極的に評価できるが、中国に頼ることが変わらなければ、新政策も二番煎じになるだろう。しかるに、「過去の20年間を失敗だった」と言っているのを聞くと、中国に頼ることへの反省は見えてこない。ティラーソン国務長官は上院でも中国が北朝鮮に対する働きかけを強くすることが重要であると述べており、また、岸田外相との会談後の記者会見でも「中国の役割が極めて重要だ」と発言している。
 反省すべきは、過去16年間の北朝鮮政策であり、中国に頼ることの限界である。今後も中国の協力を期待するのは結構だが、米国は自ら北朝鮮の非核化に取り組み、直接北朝鮮と交渉すべきである。

2017.03.14

(短評)自衛隊の南スーダンからの撤退

 3月10日、日本政府は南スーダンのPKOに派遣している自衛隊部隊を撤収すると発表した。その理由については、このPKOへの派遣期間が5年になること、日本の部隊が担当している施設整備が一定の区切りをつけられること、幹線道路の整備に貢献してきたことなどをあげているが、かねてから問題になっている現地の状況、とくにPKOの条件である和平・停戦が崩れているのではないかという問題、国会で議論されている言葉では、「戦闘」が行われているのではないかという問題については何も言及しなかった。

 「戦闘」があると判断すべきか否かについては、現地の部隊では「戦闘」が行われているという認識であり、それを記した日誌があるが、政府はごく最近に至るまでそのことを説明しなかった、つまり、事実と異なる説明をしていた。このいきさつに関し国会では激しい議論が行われているが、どのような形で収拾されるのか、よくわからない。
 ただ、一国民としても考えておくべきことがある。南スーダンの状況を「戦闘」と呼ぶか、呼ぶべきでないかはともかくとして、自衛隊の部隊が危険を覚える状況にあったことは明確になっている。しかし、国連は、だからと言ってPKO活動を止めるとはなかなか言わない、平和維持活動の要件が失われたことをなかなか認めようとしないのが現実である。それには国連としての立場も悩みもあるが、PKO活動を重視する日本として独自の判断があってよいと思う。つまり、国連の基準では停戦が崩れていない場合でも日本としては別の判断を主張してよいと思う。

 自衛隊を撤収するに際しても、勝手に引き上げるのではなく、PKOの最高司令官である国連事務総長の許可を得て引き上げるのだが、それは比較的技術的なことであり、日本が撤収を決めれば司令官たる国連事務総長が拒否することはない。

 問題は、現地の状況が南スーダンのように微妙な情勢にあって判断が分かれる場合だ。PKOは本来和平・停戦が成立している場合に行われる活動であり、だからこそ日本としてこれに参加しても憲法に触れることはない。憲法は国際紛争に日本が巻き込まれることを禁止しているからである。
 しかし、日本政府は、憲法の下で「自衛」の行動を認めることになったいきさつから、自衛隊は外国へ派遣できない(自衛でなくなるから)と考え、PKOについても非常に限定的に認めてきた(外国へ派遣するので)。このような解釈は政府として変更は難しいようだが、しかし、PKOについては憲法は禁止していないことを正面から認めるべきだと思う。

 そのような理論構成をすべきか否かを検討するのに、南スーダンでのPKOへの自衛隊派遣は重要な事例である。今後も日本はPKOへの参加を求められるだろうし、積極的に参加すべきだ。そのためにもこの際問題点を徹底的に洗い出すべきだ。
 そのような観点からみると、今回の政府の発表は物足りない。問題となりうること、国会で批判される恐れのあることはいっさい口をつぐんでいるのではないか。将来の日本の国際貢献のためにも、政府には工夫して論点を国民に分かりやすい形で説明してほしい。

2017.03.06

(短評)北朝鮮のミサイル発射実験-二つの傾向?


 3月6日、北朝鮮は4発のミサイルを日本海方向へ発射し、一部は日本の秋田沖の排他的経済水域内に落下した。今年に入ってから2月12日に続く第2回目のミサイル発射実験である。昨年は15回ミサイル実験を行ったはずだ。今年はもうこれでおしまいにしてほしいが、はたしてそうなるか、自信を持って言えることは何もないが、最近の北朝鮮の動向には硬軟両様の傾向があるように思われる。

 2回のミサイル実験はもちろん「強」である。
 金正男の殺害をどう扱うか。すこし問題がある。マレーシア政府は、殺害された人物は金正男だと発表している。旅券は別人の名前になっているし、親族とのDNA鑑定は行われていないが、金正男の指紋は入手できるだろうし、また、被害者の体にあった刺青も判定の根拠となった可能性がある。
 一方、北朝鮮は3月1日に朝鮮中央通信を通じて、「米国と韓国は、キム・チョル(金哲)という北朝鮮国民がマレーシアで死亡した事件を利用して北朝鮮を悪者に仕立て、体制を転覆しようと企んでいる」などと批判した。
 
 それから1週間もたたない2月18日、中国は北朝鮮からの石炭輸入を停止すると発表した。これに怒った北朝鮮は23日、やはり朝鮮中央通信を通じて、名指しはしなかったが、明確に中国とわかる形で、「卑しい方法で、対外貿易を完全に遮断するという非人道的な措置をためらいなく講じている」と批判した。

 以上は「硬」のほうだが、「軟」としては、金正恩党委員長の「新年の辞」があった。金正恩は、まず、「歴史に類を見ない幾多の試練を笑顔で乗り越えてきたすべての朝鮮人民に最も厳かな心を込めて熱い挨拶を送るとともに、希望に満ちた新年の栄光と祝福を送る」と述べ、頭を下げた。さらに最後の部分では「いつも気持ちばかりが先走って能力が及ばないもどかしさと自責の念の中で昨年1年を送ったが、今年はますます奮起して身も心も捧げて人民のためにより多くの仕事をするつもりだ」と述べた。「能力が及ばない」「もどかしさと自責」などという自己批判の言葉やテレビ映像の中で人民に頭を下げるのは前代未聞であった。この新年の辞は主として国内向けだが、外国にも報道されることは承知の上だったはずである
 また、北朝鮮は上記の中国批判後の3月1日に、外務省の李吉成次官を北京に派遣し、王毅中国外相と会談させた。この会談内容として報道されたことは、両者とも中朝関係の緊密さを述べたという模範発言だけであり、前記の朝鮮中央通信による中国批判とはまったくトーンが違っていた。李吉成次官が北京へ行ったのは中国に対し石炭輸入の停止を解除してもらうことが目的だと考えれば、王毅外相との間で友好的な雰囲気で会談したのは当然だが、では、わずか10日前になぜ激烈に中国批判をしたのか疑問がわいてくる。

 このように趣が非常に違う二つの傾向がみられるのはこちらに伝わっていないことがあるためかもしれないが、昨年まではそのようなことは見かけなかったように記憶している。いずれにしても今後さらに観察していく必要がある。

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