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2022.07.01

驚きの日本女子バレーボールチーム

 日本の女子バレーボールチームは6月19日、中国チームと対戦し、3対1、つまりとられたのは1セットだけで、3セットをとり勝利を収めた。中国チームはリオ五輪で金メダルを獲得。現在の世界ランキングはネーションズリーグ開始前で3位であり、常に世界のトップクラスである。日本は6位であった。平均身長は、日本チームは約175センチだが、中国チームは日本より10センチ以上高い。しかし、日本はそんな高さの差などモノともせず圧勝したのだ。

 日本の女子バレーが金メダルを獲得して「東洋の魔女」と名をはせたのは1964年の東京オリンピックのこと。最近十数年は芳しくない状況が続いていた。2012年のロンドンオリンピックで銅メダルを獲得した時はそれでもちょっとしたニュースになったが、その後はまたランクが下がり、2016年のリオ五輪では準々決勝で敗退。2021年開催の東京五輪では25年ぶりの1次予選敗退となってしまった。そうなると選手には申し訳ないが、テレビをみることもなくなってしまった。

 ところが、今回のネーションズリーグがはじまるや、日本チームは第1戦から勝ち続けた。私があれっと思い始めたのは4戦目で強豪米国に勝った後であり、第8戦目では中国を下して8戦全勝となった時には、「いったいどうなったのだ」と、うれしさのあまり唖然としてしまった。

 この日本チームを率いているのは真鍋政義監督である。その下でチームが世界の強豪チームを撃破しているのは誠に喜ばしい。また中田前監督のご尽力にも敬意を表したい。十数人もの選手から成るチームがある日突然強くなることはありえない。今日の全日本女子チームは中田監督の下ではぐくまれ、鍛えられたのだと思う。

 真鍋監督は手ごたえ以上の自信を感じているようである。当然である。それに、私は今回、真鍋氏がユーモアのセンスを持ちあわせていることに気づいた。試合後の会見の際などに全日本女子チームの元選手に冗談を飛ばして笑わせている。それも辛しのきいた冗談だ。これからもおおおいに楽しませていただきたいものである。

 真鍋氏はリオ五輪後に監督を辞任し、その後、出身地の姫路で「ヴィットリーナ姫路」という女子バレーチームを立ち上げ、取締役球団オーナーとして選手の育成に尽力してきた。全日本のセッターとして大活躍した竹下佳江氏もヴィクトリーナ姫路の監督を経て現在も役員を務める傍ら全日本のアドバイザーを兼ねている。私は真鍋監督と同じ姫路出身である。20歳年長であり、真鍋氏にも竹下氏にもお目にかかったことはないが、両氏を通じて東京と姫路の関係がさらに発展すればよいなと期待している。

 本稿は、実は、以上では終われない。選手の個人名を出すのは礼儀に反するかもしれないが、あえて名前を出して述べることとしたい。古賀紗理那選手であり、今でこそ「主将でエース」と尊敬されているが、今日に至る道は平たんでなかった。古賀は十代のころから嘱望されていたのだが、約1年前までは、そう言っては失礼千万だろうが、パッとしなかった。2016年真鍋監督が発表したリオデジャネイロ五輪の12人の代表メンバーの中に古賀紗理那の名前はなかった。代表落ちは大変なショックであり、目標としてきたものを逃したことは言葉では表せなかったという。当然であろう。昨年の東京五輪では初戦のケニア戦で右足を負傷し、抱かれて退場し、その後2試合を欠場。東京オリンピックでは、日本チームは25年ぶりの1次予選敗退となってしまった。これがわずか1年前のことである。

 ところが、2022年に入るや状況はがぜん違ってきた。前述したように日本チームは宿敵の米国や中国のチームを次々に撃破した。古賀選手はその中心であり、後方からのバックアタック、側方からのクロスを面白いように決めた。中国には2メートルを超す選手がいる。ちょうど20センチ高いのだが、古賀選手はその高さをものともせず、強烈なスパイクで打ち抜いた。

 日本チーム全体が一大変化を遂げたのだが、なかでも古賀選手は大化けして我々の(私の?)前に現れた。どうしてそんなことが可能であったのか。若いころから将来を嘱望されていただけに立ちはだかった茨はいたかったはずである。本当によくやったと思う。同氏は私の孫の世代だが、あらためて敬意を表したい。

 日本のメディアではバレーボールの試合がすべて報道されるわけではないが、You tubeが補っている。映像技術の発達により細かい動作までカメラは追ってくれる。相手が勢いよく日本側のコートに打ち込んできてもボールはなかなか下に落ちない。文字通り指一本で拾い上げ、そして何倍も強いボールを相手側に打ち込む。ノリのよい外国の報道は日本チームの超人的なプレーに大興奮である。

 今後日本チームは6月30日からカナダで4戦し、その後ファイナルラウンドへ進む。今の勢いを続けられれば優勝も夢でないという。楽しみである。カナダでの第一戦ではオランダチームに惜敗したが、力は互角であった。今後も勝ち進んでいくと信じている。
2022.06.24

核兵器禁止条約(TPNW)第1回締約国会議

 6月21~23日、ウィーンで核兵器禁止条約(TPNW)第1回締約国会議が開催され、最終日に「ウィーン行動計画」が採択された。

 今回の会議の結果について懸念されることが二つある。一つはウクライナに侵攻したロシアが「核の脅し」を続けることについて、会議は直接ロシアを非難することはおろか、間接的にもロシアを非難しなかったことである。

 ただし、この問題についてはいくつか注意が必要だ。
プーチン大統領は「核の脅しをしていない」と抗弁するかもしれない。たしかに、ウクライナへの侵攻にかんして「核を使う」とは言っておらず、「ロシアとロシア系住民の安全を守るためにあらゆる兵器を使うことを辞さない」との趣旨を発言している。「あらゆる兵器を使用する」とは言ったが、「核」とは言っていないというわけだ。

 もちろん、そんなことは受け入れられない。プーチン氏はウクライナと特定しない場合には「核兵器」を使用すると明言しており、「あらゆる兵器」というからには当然「核」が含まれる。全体として判断すれば、プーチン氏は今回のウクライナ侵攻に際して「核を使ってでも」ということを表明しているのと変わりはない、と世界は考えている。それは現在世界の常識だ。だが、ロシアは「そんなことは言っていない」、「核を騒いでいるのは西側のメディアだ、西側のメディアが核戦争の危険をあおっているのだ」と開き直る可能性があり、そうなった場合その誤りを国際ルールに従って断罪することは容易でない。もちろん、世界はそうなってもロシアを非難するだろう。日本もそうするだろう。しかし、プーチン氏が「核」を言っていない限り、最後の詰めが少々困難になるかもしれない。

 今回の締約国会議で採択された「ウィーン行動計画」にロシアを名指ししての「核の脅し」に関する文言は入らなかったことは残念だが、だからといって核禁止条約の価値が損なわれることはない。同条約の趣旨である核兵器の禁止は今後も追求される。

 第二の問題点は、日本の立場が悪くなったのではないかということである。日本がTPNWに正式参加しないことは世界中で理解されていると言えるだろうが、オブザーバー参加もしなかった。その理由は、米国など核保有国が同条約に反対しており、非保有国と立場がわかれているということだ。松野博一官房長官は6月21日の記者会見で、条約には核保有国が1カ国も参加していないとも指摘している。

 日本がオブザーバーとしても参加しなかったことに驚きはないだろうが、失望されたと思う。各国の代表はさすがに日本を非難しないだろうが、その目は冷たい。関係者の中には日本政府に批判的なことを述べる人もいる。私は長年核や軍縮問題に携わってきたので各国の見方は大体見当がつく。日本は国連やNPTの場では「核の犠牲となった唯一の国である」ことを述べつつ、日本の安全を確保するには核兵器の抑止力に頼らざるを得ないとの立場であり、そのことは表向き理解されているが、日本は本気か、政府は立ち回っているだけでないかと思われている。

 TPNWを軽視してはならない。日本は方針を改めないと、今後立場がますます悪化する危険がある。今回の会議には北大西洋条約機構(NATO)加盟国のドイツ、ベルギー、オランダ、ノルウェー、加盟申請中のフィンランドやスウェーデンのほか、オーストラリアなど、日本と同様米国の「核の傘」の下にいる国々もオブザーバーとして名を連ねた。これも日本の立場を悪くした。彼らはできるのに、唯一の被爆国の日本はできないという形になったからである。

 また、「ウィーン行動計画」は、「核兵器の使用や実験によって影響を受けた国々のための国際的な信託基金の設立について、実現可能性を話し合い、可能なガイドラインを提案する」とも、また「核保有国と、核の傘にある同盟国が、核への依存を減らすために真剣な対応を取っていないことにも深い懸念した」とも述べている。どちらも日本に直接関係があるが、日本はオブザーバーにならなかったことにより、蚊帳の外に置かれることになった。そんなことでよいのだろうか。日本は会議の場で日本の考えを説明すべきだったのではないか。

 岸田首相はNPTに参加すると自ら表明している。日本政府はその姿勢で何とか乗り切れるとみているのだろう。松野官房長官は「NPTの8月の再検討会議の場で『意義ある成果』を目指す」とした。日本政府は「橋渡し」をすると言ったこともあった。しかし、「核兵器国と非核兵器国を何らかの形で妥協させる」ことも「意義ある成果を目指す」ことも困難であることを各国ともよく承知している。こんな言い方をしては身もふたもないだろうが、「意義ある成果」という目標について賛同してくれる国など皆無であろう。「橋渡し」は日本ではよいこととして受け止められるが、各国は理解してくれない。首脳同士の会談では儀礼的によいことだと言ってくれるかもしれないが、各国には「橋渡し」にぴったり該当する言葉などないだろう。要するに、本音ベースでいえば、岸田首相は不可能なことを掲げているのである。

 今からでも遅くない。岸田首相には、NPTがTPNWと本質的に異なるのか、徹底的に考察した上でNPTに出ていただきたい。そして、悪化している日本のイメージを改善してほしい。
2022.06.23

沖縄1945年6月23日

 沖縄が本土に復帰してから今年で50年。沖縄を扱った記事は例年にも増して多かった。77年前の6月23日は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日であり、犠牲者の追悼が行われる。沖縄で起こったことを将来に伝えるためにさまざまな努力が行われているが、私はこの日を迎えるたびにいつも一種のもどかしさを感じている。過去のこととは言え、戦後日本の政治状況の中で、戦争を讃えていると誤解されることには触れないほうが安全だと考えられるためか、沖縄の人々が勇敢に戦ったことが十分フューチャーされていない感じがするからである。

 そのような考えから、毎年この日には、沖縄で戦い命を落とされた方々を悼む一文を本研究所のHPに掲載している。これは元々1995年、読売新聞に寄稿したものである。

 「戦後五十年、戦争に関する議論が盛んであるが、戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。あくまでも個人的見解であるが、一考察してみたい。

 個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は、少々考えるべき点があるのではないだろうか。

 歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
 では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。従って「犠牲者」のイメージで連想される弱者には似つかわしくない。勇者と呼ぶにふさわしいと思う。また、[殉国]のイメージとも違う。[殉国]型の評価は、個人が国家のために一身を捧げたとみなされており、自らを守ることについて特に評価は与えられていないのだ。
 個人と国家は区別され、その個人の評価は国家に対する献身なり、貢献という角度から下されている。しかし、ひめゆり学徒隊の大部分は、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。

 これは軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。もちろん罪でもなく、任務であり、当たり前のことである。

 他方、このことと戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
 さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。他方わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。

 したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。

 もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動を中心に評価が行われていない。
 顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。

 戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。個人の行動を中心に評価するとなれば、積極的に評価できない場合も当然出てくる。
一方、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。

 もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。

 個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。

 個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」

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