平和外交研究所

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2014.02.22

安保法制懇の集団的自衛権についての考え

集団的自衛権について検討している首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」の北岡伸一座長代理が2月21日、日本記者クラブで記者会見し、4月に提出する予定の同懇談会の報告書に盛り込む考えを説明した。集団的自衛権の行使が認められる条件として、5つの条件が満たされることが必要としていうようであるが、そのなかでは、「密接な関係にある国が攻撃されること」「放置すれば日本の安全に大きな影響があること」の2条件が問題になりうる。

「密接な関係がある国」とは米国を想定しているのであろうが、この表現では米国に限られない。今は考えられないかもしれないが、状況が変われば韓国と日本が「密接な関係がある国」になりうる。歴史、価値観、米国との同盟関係などを考慮すればそのような状況になりうるはずである。では、集団的自衛権はそのような状況の下では韓国との関係でも行使することを想定しているのか。想定という言葉が強すぎれば、行使することがありうると考えているのか。つまり、「密接な関係」が不明確なのではないかということである。

「放置すれば日本の安全に大きな影響があること」については、自衛権行使の要件として安易に過ぎるのではないか。日本が安全を脅かされた場合に自衛権を行使することが認められる条件として、急迫性、すなわち時間的に他の方法を取る余裕がないことが必要である。しかるに、「放置すれば日本の安全に大きな影響があること」だけではそのような条件を満たしていない。そのように考えると、集団的自衛権行使の場合は個別的自衛権行使の場合よりも要件を緩和してよいと懇談会は考えているのか。

また、他国を守るために日本が軍事力を行使することについては、あいまいな条件で行使できたり、できなかったりしてはならない。どのような場合、どの程度まで、などを明確に定める条約が必要である。具体的な例として、尖閣諸島に第三国が攻撃を加えてきた場合、日本として頼りにすべきは日米安保条約であり、米国が日本の防衛のために行使する集団的自衛権ではない。そのようなことを考えている人は皆無に近いのではないか。日本は米国が集団的自衛権を行使してくれるから安心なのではなく、条約できっちりと決まっているから安心できるのである。

2014.02.21

中台関係①

中国と台湾の関係が最近一歩前進したことについて、何回かに分けて考察してみる。

「初めての閣僚級合意の内容」

2014年2月11日、南京で、中国政府で対台湾政策を担当する張志軍・国務院台湾事務弁公室主任と、台湾で対中政策を担当する王郁琦・行政院大陸委員会主任委員が会談した。1949年に中国が分断後初めての閣僚級会談である。これまでは、台湾側は「海峡交流基金会(海基会)」、中国側は「海峡両岸関係協会(海協会)」という民間の窓口を設けて接触・意見交換してきた。
今回の会談では両国の当局間に直接対話の枠組みを作ることに合意したので、今後は民間レベルの対話から政府レベルの対話に格上げされることになる。以前の海基会と海協会との接触もそれぞれの政府の意向を受けて行なわれていたであろうが、直接の政府間接触が実現したことは、中台関係前進の象徴であるのみならず、実質的な意味も大きい。
18日には、台湾の連戦・国民党名誉主席と習近平主席との会談が北京で実現した。「中国メディアによると、習氏は(中略)「両岸関係の全面的な発展に積極的な意義あった」と評価。「(今後も)政治的な問題について平等に協議し、情理に合った取り決めをしていきたい」と述べた」と『朝日新聞』が報道した(2月19日)。『産経新聞』は同日、「習氏は「一つの中国枠組みの中で、台湾と対等な立場で交渉したい」と述べ」たと報道している。その他の邦字紙は簡単な報道だけで、習氏の発言内容はよく分からない。
一方、新華社(2月19日)によると、「その際、習近平総書記は次ぎのように強調した。両岸双方は「両岸は家族のように親しい」の理念をもって、時勢に順応し心を一つにして両岸関係の平和な発展を推進し、両岸の人々に幸せをもたらし、中華民族の偉大な復興の中国の夢を共に実現することを期待している。習総書記はまた次のように指摘した。歴史と現実の原因で両岸関係には簡単に解決できない問題が存在する。しかし、両岸同胞は一つの家族であり、共通の血筋、共通の文化、共通の願いを持っている。これこそが互いに理解しあい、心を一つにして協力し、共に前進する重要な力だ。」と報道している。
この記事は黒地に白ぬきで書かれており、コピーを取れない。将来、内容が変更することがありうるので、ここに書き写した。
新華社電には、習近平氏が「平等に協議」も「対等な立場で交渉」も発言した記載がない。この点は大きな違いである。産経新聞は「「台湾と対等な立場で交渉する」とは、かつての最高実力者、鄧小平が1970年代末に台湾に呼びかけた言葉である。しかし、近年の中国の国力増強に伴い、中国の最高指導者からはあまり聞かれなくなった」と解説している。
このような言葉があるかないかは重要な違いである。

2014.02.17

核兵器の非人道性に関するメキシコ会議

核兵器の非人道性について議論する会議が2月13~14日、メキシコ西部のヌエボバジャルタで開催された。メキシコの議長が核廃絶についてかなり踏み込んだ発言をしたこと、次回会議を2014年中に開催するオーストリアからの参加者も非常に積極的に取り組む姿勢を見せていることなどが報道されている。日本から出席した外務省の軍縮課長はかなり困難な立場に置かれたそうで、次回参加するかどうかあらためて検討するという趣旨のことを述べたので、被爆者やNGOから不満の声が出たらしい。
今回のメキシコ会議についてはいくつか思うことがある。
第1に、メキシコ会議のテーマは「核兵器の非人道性」でなかったか。このテーマに関して2012年から何回か国際会議が開かれ、昨年の国連総会第1委員会(軍縮担当)では、日本も同意できる内容となり、声明に参加した。日本政府の関係者の努力に私もささやかながら賛意を表明した経緯がある。
第2に、今回のメキシコ会議ではその声明を単に繰り返すだけではすまず、さらに一歩進めようとしたのであろう。どの方向に進めようとしたのかが問題であり、大きく言って3つの方向が考えられる。1つは、議長が強調したように、核廃絶の方向に進むことである。「核兵器の非人道性」から「核廃絶」に関心が拡大するのはある意味で自然なことであるが、日本政府としてはこのような方向に議論が拡大することに困惑したのだろうか。しかし、日本は毎年の国連総会で核軍縮決議を成立させる推進役となっている。他にも類似の核軍縮決議はあるが、日本が進めているのは賛成国がもっとも多い。そうであれば、議論が核軍縮に拡大しても、待ってましたと歓迎するというとやや悪のりの感じになるが、少なくとも困らないのではないか。
第3に、核兵器の人道性について、当初は「核兵器の違法性」をテーマとしており、後に「非人道性」に手直しされてきたが、両者は密接に関連し合っている。1996年に国際司法裁判所はその勧告のなかで、「一般的には核兵器は非人道的」であり、「原則違法(これは私の表現で、実際にはもっと複雑な文章である)」と明記した。非人道性会議も声明のなかでこのことを明言すべきである。
第4に、非人道性については、被爆者の体験をどのようにこの一般的な命題につなげていくか。これは簡単でない。世界には、被爆者に対して面と向かっては言わないが、被爆者だけが非人道的な攻撃を受けたのではないと考えている人がいる。私は軍縮大使時代、そのような考えの某国大使と大激論をしたことがある。
第5に、今や米国の駐日大使が広島と長崎を訪問する時代になっており、オバマ大統領の訪問も実現するかもしれない。その場合、米国として核兵器の非人道性の問題をどのように認識するのであろうか。ちなみに、米国には原爆投下を命令したトルーマン大統領の時代から核兵器の非人道性を認識し、指摘していた政治家がいたことは周知の事実である。

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