オピニオン
2015.08.08
そのことを物語っていたのが歴史的な国連総会決議第1号であり、同決議によって原爆など大量破壊兵器の廃絶のための方策を検討する国連原子力委員会の設置が決められました。過去70年間を振り返ってみて、各国が核兵器廃絶にもっとも力を入れて取り組もうとしていたのはこの時だったのではないかと思われます。
しかし、核についての危険の意識と廃絶の熱意だけでは核軍縮は進まないことがすぐに露呈されてきました。米国以外の国は、一方では、核の廃絶に賛成しつつ、他方では、みずから核兵器の開発を急ぎました。そして、米国に4年遅れてソ連が核兵器の開発に成功し、さらに英国、フランス、中国と続きました。国連で各国が決意した廃絶が実現する前に核兵器が5カ国に広がってしまったのです。
しかも、原爆の数千倍の破壊力を持つ水爆が開発され、また、核兵器の絶対数も増加し続けました。その結果、米ソ両国だけで7万発以上の核兵器が生産され、もし何らかのきっかけで核戦争が起これば地球はほぼ確実に壊滅するという恐ろしい状態に陥りました。
さすがに米ソ両国としても、このような状況は放置できず、核兵器の削減を始めました。
核兵器の保有数は、現在、5カ国の合計で2万発以下になっていると推定されています。全体として見れば、核軍縮ははたして進展していると言えるか、疑問の声があるのも事実です。核問題に関係する人々の間でよく知られているたとえ話が、「コップの中に水が半分入っている場合、半分も減ったと見るか、半分しか減っていないと見るか」の違いがあります。つまり、現在、世界に存在している核兵器の数量は、観点によって、まだ多過ぎるとも、かなり少なくなったとも言えるのですが、米ロ両国の保有量が絶対的に減少しているのは事実です。
核兵器の削減が期待通りに進まない主要な原因は、「核の抑止力」のためです。核の廃絶の努力が続けられる一方、世界が東西に分かれて鋭く対立する過程で、核兵器は相手の攻撃を抑止する力であり、必要であるということが認識されるようになったのです。
現実の国際政治の中で一種のジレンマが生まれたのです。核兵器は危険だから廃絶しなければならない。しかし、核兵器を持たないと安全を確保できなくなるというジレンマです。理想は、世界の核兵器を一度にすべてなくしてしまうことですが、世界政府が存在しない今日、それを実現する手段はないからです。このジレンマは、残念ながら、今日も解消されていません。
非核保有国は、米ロ両国の核削減交渉に参加できませんが、核不拡散条約(NPT)の場などで核兵器の廃絶を主張してきました。
日本は唯一の被爆国であり、核兵器の恐ろしさ、非人道性をどの国よりもよく知っており、それを国際社会に訴え、核軍縮を進める必要性を強調しています。具体的には、NPTの場で、包括的な核軍縮を訴える決議案を提出し多数の賛同国を得ています。これは核軍縮について具体的な結論を出すものではなく、国際世論の形成ですが、核の一層の削減を迫る圧力となります。
日本はまた、核軍縮を実現するには若い世代の人たちが核の恐ろしさを理解することが必要であるとの考えから国連での軍縮教育に力を入れ、その一環として広島・長崎への訪問を組み込んでいます。さらに、核実験の禁止についても、地震に関する知識を応用して核実験を探知する施設の建設や技術の向上などに貢献を行なっています。
今後日本は、これまで進めてきたこれらの方策をさらに強化しつつ、各国と協力して「核兵器の非人道性」の確立に努めていくべきです。核の廃絶が進まない理由の一つは核の抑止力だと前述しましたが、核の非人道性に対する理解が弱いことがもう一つの理由だからです。
世界の人々、指導者は必ずしも「核の非人道性」を理解していません。核兵器も通常兵器も人を殺傷するので質的な違いはない、違うと言っても程度問題だ、と思っている人がいるのが現実です。しかし、核は、ひとたび使用されれば、膨大な数の市民を殺傷します。また、被爆した人たちに長期間、多くの場合一生、耐え難い苦痛を与え続けます。これは深刻な人道問題です。私は軍縮大使時代、そのようなことを理解していない欧州某国の大使と大論争をしたことがあります。
今年春に開催されたNPTの重要会議(再検討会議)で日本政府は世界の指導者が広島・長崎を訪問することを提案しました。これは決定にはなりませんでしたが、「核の非人道性」について理解を深めてもらうためによい提案だったと思います。
来年のG7の関係で、日本政府は外相会合を広島で開催することに決定したと報道されています。首脳会合は伊勢志摩で行なわれますが、その前後にエキストラで、たとえば自由参加として被爆地訪問を提案することもできるのではないでしょうか。オバマ大統領はかねてから諸条件が整えば、広島を訪問したいとの希望を表明しています。何らかの形でこれが実現することは画期的な意義があります。
(the PAGEに8月6日掲載)
70年目の広島・長崎 核廃絶に日本ができること
70年前、広島・長崎に投下された原爆のものすごい破壊力は瞬く間に各国に伝わり、数カ月後の1946年1月に国連が活動を開始した時には、各国とも、このままではいけない、世界を核兵器の惨禍から守らなければならないという考えを強くしていました。そのことを物語っていたのが歴史的な国連総会決議第1号であり、同決議によって原爆など大量破壊兵器の廃絶のための方策を検討する国連原子力委員会の設置が決められました。過去70年間を振り返ってみて、各国が核兵器廃絶にもっとも力を入れて取り組もうとしていたのはこの時だったのではないかと思われます。
しかし、核についての危険の意識と廃絶の熱意だけでは核軍縮は進まないことがすぐに露呈されてきました。米国以外の国は、一方では、核の廃絶に賛成しつつ、他方では、みずから核兵器の開発を急ぎました。そして、米国に4年遅れてソ連が核兵器の開発に成功し、さらに英国、フランス、中国と続きました。国連で各国が決意した廃絶が実現する前に核兵器が5カ国に広がってしまったのです。
しかも、原爆の数千倍の破壊力を持つ水爆が開発され、また、核兵器の絶対数も増加し続けました。その結果、米ソ両国だけで7万発以上の核兵器が生産され、もし何らかのきっかけで核戦争が起これば地球はほぼ確実に壊滅するという恐ろしい状態に陥りました。
さすがに米ソ両国としても、このような状況は放置できず、核兵器の削減を始めました。
核兵器の保有数は、現在、5カ国の合計で2万発以下になっていると推定されています。全体として見れば、核軍縮ははたして進展していると言えるか、疑問の声があるのも事実です。核問題に関係する人々の間でよく知られているたとえ話が、「コップの中に水が半分入っている場合、半分も減ったと見るか、半分しか減っていないと見るか」の違いがあります。つまり、現在、世界に存在している核兵器の数量は、観点によって、まだ多過ぎるとも、かなり少なくなったとも言えるのですが、米ロ両国の保有量が絶対的に減少しているのは事実です。
核兵器の削減が期待通りに進まない主要な原因は、「核の抑止力」のためです。核の廃絶の努力が続けられる一方、世界が東西に分かれて鋭く対立する過程で、核兵器は相手の攻撃を抑止する力であり、必要であるということが認識されるようになったのです。
現実の国際政治の中で一種のジレンマが生まれたのです。核兵器は危険だから廃絶しなければならない。しかし、核兵器を持たないと安全を確保できなくなるというジレンマです。理想は、世界の核兵器を一度にすべてなくしてしまうことですが、世界政府が存在しない今日、それを実現する手段はないからです。このジレンマは、残念ながら、今日も解消されていません。
非核保有国は、米ロ両国の核削減交渉に参加できませんが、核不拡散条約(NPT)の場などで核兵器の廃絶を主張してきました。
日本は唯一の被爆国であり、核兵器の恐ろしさ、非人道性をどの国よりもよく知っており、それを国際社会に訴え、核軍縮を進める必要性を強調しています。具体的には、NPTの場で、包括的な核軍縮を訴える決議案を提出し多数の賛同国を得ています。これは核軍縮について具体的な結論を出すものではなく、国際世論の形成ですが、核の一層の削減を迫る圧力となります。
日本はまた、核軍縮を実現するには若い世代の人たちが核の恐ろしさを理解することが必要であるとの考えから国連での軍縮教育に力を入れ、その一環として広島・長崎への訪問を組み込んでいます。さらに、核実験の禁止についても、地震に関する知識を応用して核実験を探知する施設の建設や技術の向上などに貢献を行なっています。
今後日本は、これまで進めてきたこれらの方策をさらに強化しつつ、各国と協力して「核兵器の非人道性」の確立に努めていくべきです。核の廃絶が進まない理由の一つは核の抑止力だと前述しましたが、核の非人道性に対する理解が弱いことがもう一つの理由だからです。
世界の人々、指導者は必ずしも「核の非人道性」を理解していません。核兵器も通常兵器も人を殺傷するので質的な違いはない、違うと言っても程度問題だ、と思っている人がいるのが現実です。しかし、核は、ひとたび使用されれば、膨大な数の市民を殺傷します。また、被爆した人たちに長期間、多くの場合一生、耐え難い苦痛を与え続けます。これは深刻な人道問題です。私は軍縮大使時代、そのようなことを理解していない欧州某国の大使と大論争をしたことがあります。
今年春に開催されたNPTの重要会議(再検討会議)で日本政府は世界の指導者が広島・長崎を訪問することを提案しました。これは決定にはなりませんでしたが、「核の非人道性」について理解を深めてもらうためによい提案だったと思います。
来年のG7の関係で、日本政府は外相会合を広島で開催することに決定したと報道されています。首脳会合は伊勢志摩で行なわれますが、その前後にエキストラで、たとえば自由参加として被爆地訪問を提案することもできるのではないでしょうか。オバマ大統領はかねてから諸条件が整えば、広島を訪問したいとの希望を表明しています。何らかの形でこれが実現することは画期的な意義があります。
(the PAGEに8月6日掲載)
2015.07.30
この決定に至る前、韓国はこの中に朝鮮人(朝鮮半島出身者)労働者が強制徴用された施設が含まれているとして世界遺産への登録に反対したので、日韓間で協議が行われました。そして6月21日、久しぶりに開催された日韓外相会談で妥協が成立し、日本側の」「明治日本の産業革命遺産」と韓国側の「百済歴史地区」という両国の推薦案件が共に登録されるよう協力していくことになりました。
ところが、正式の決定が行なわれる世界文化遺産委員会で日韓双方が行なう声明の内容に食い違いのあることが判明しました。これでは決定ができなくなります。
日本側は、公表されていませんが、朝鮮人が労働に従事していた施設について歴史的事実を説明する表示を行なう考えでした。
一方、韓国側は声明の中で、朝鮮人に関する「forced labor(強制労働)」という文言に言及することにして、委員会の開催前に声明案を日本側に伝えてきました。しかし、この文言を使うことは外相協議までの努力を無にすることになるので日本側としては受け入れられず、韓国側に強力に是正を求めました。
結局、日韓双方、それに世界文化遺産委員会の議長などの努力であらためて妥協が成立しました。日本側代表は、「日本は,1940年代にいくつかのサイトにおいて,その意思に反して連れて来られ,厳しい環境の下で働かされた(forced to work under harsh conditions)多くの朝鮮半島出身者等がいたこと,また,第二次世界大戦中に日本政府としても徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる所存である」と表明しました。
韓国側代表は日本側の発言を引用し、日本が表明した措置を「誠意を持って実行する」ことを信じて全会一致に加わったと述べました。
こうして「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産への登録が決定したのですが、その後、日韓間で「強制労働」という文言に関してまたひと悶着起こりました。このきっかけとなったのは、菅官房長官や岸田外相の「我が国代表団の発言は強制労働を意味するものではない」との説明であり、これに対し韓国で、日本は態度を変えたという趣旨の批判が相次いだのです(たとえば、7月7日付東亜日報社説)。せっかく芽生えていた両国間の協力的雰囲気に水が差された形になりました。
何が問題だったのでしょうか。最初からの経緯を大きく見ていくと、「強制労働」であったことを理由に世界遺産登録に反対したのは韓国側です。これに対し日本側は、「強制労働」であったとは言えないが、妥協案を模索し、韓国側といったん合意しました。
登録決定後、今度は日本側から「強制労働でなかった」と言い、韓国側が反発しました。つまり、決定前は「強制労働であったか否か」が、決定後は「強制労働でなかったか否か」が争いになったのです。
以上の議論は「強制労働」の有無に焦点が当たっていましたが、単なる言葉だけの問題でなく日韓双方ともに「強制労働に関する条約」を意識していました。この条約は1930年に国際労働機関(ILO)で採択された労働問題に関する基本条約の一つです。韓国側としては、日本はこの条約に違反しており、日本での労働は違法であったと主張するためであり、「強制労働」を認めさせることは日本の行為の違法性を確立する第一歩だったのでしょう。韓国内には、朝鮮人の労働は違法であり、日本に補償を求めるべきであるという意見が根強く存在しています。
また、韓国側では、朝鮮人の労働の根拠とされている「徴用令」は、日本側は有効とみなしているが、そもそも日韓併合やそれ以降の植民地支配が違法であり、したがって「徴用令」を朝鮮人に適用したことも違法であったという考えも見られます。
一方、日本側の法的立場は、朝鮮人の徴用問題は「1965年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決済みである」ということです。「強制労働でなかったから解決済み」と言っているのではありません。「徴用令」は、経緯を説明する中で言及していますが、「強制労働ではなかった」という見解は法的主張ではありません。日韓請求権協定に基づく日本の法的立場は明快であり揺らぐ危険はありません。韓国側から訴訟を起こされても、日本側が敗訴することは考えられません。
このように考えると、登録直後に日本側から「強制労働を意味しない」とコメントし、さらに岸田外相が7月10日、「強制労働には当たらないと考えます」と発言したのは、そもそも韓国側から「強制労働」を言い出し、両国の間で論争になっていたという経緯はあるにせよ、不必要なひと言であり、力士が勝負のついた後にもう一突き相手を突いた形になったと思います。
国際的な感覚でこの問題を見ておくことも必要です。日本側が声明の中で“forced to work under harsh conditions”であったことを認めたことを各国は評価しますが、それに加えて、“forced labour(強制労働)”であったことを認めたのではないと言うことは、残念ながら国際的な理解はなかなか得られないと思います。この説明を支持している外国人がいるという報道もありますが、それを国際社会全体の反応とみなせるか、非常に疑問です。
各国は、多くの朝鮮人が意思に反して連れて来られ,厳しい環境の下で働かされたことについて同情を抱いています。日本人の多くも同じ気持ちでしょう。日本政府の法的立場は明確かつ堅固であり、「強制労働」の文言で左右されることはありません。したがって「強制労働」の有無にかかわる議論を戦わすことは無益であるのみならず、国際社会における日本のイメージを損なう恐れがあると思います。
(THE PAGEに7月30日掲載)
明治遺産の世界遺産登録-forced to workについての政府の考え
ユネスコ世界遺産委員会は7月5日、「明治日本の産業革命遺産」を世界文化遺産に登録することを決定しました。対象となるのは九州の5県と山口、岩手、静岡の計8県にまたがる製鉄・製鋼、造船、石炭産業関係の23遺産です。この決定に至る前、韓国はこの中に朝鮮人(朝鮮半島出身者)労働者が強制徴用された施設が含まれているとして世界遺産への登録に反対したので、日韓間で協議が行われました。そして6月21日、久しぶりに開催された日韓外相会談で妥協が成立し、日本側の」「明治日本の産業革命遺産」と韓国側の「百済歴史地区」という両国の推薦案件が共に登録されるよう協力していくことになりました。
ところが、正式の決定が行なわれる世界文化遺産委員会で日韓双方が行なう声明の内容に食い違いのあることが判明しました。これでは決定ができなくなります。
日本側は、公表されていませんが、朝鮮人が労働に従事していた施設について歴史的事実を説明する表示を行なう考えでした。
一方、韓国側は声明の中で、朝鮮人に関する「forced labor(強制労働)」という文言に言及することにして、委員会の開催前に声明案を日本側に伝えてきました。しかし、この文言を使うことは外相協議までの努力を無にすることになるので日本側としては受け入れられず、韓国側に強力に是正を求めました。
結局、日韓双方、それに世界文化遺産委員会の議長などの努力であらためて妥協が成立しました。日本側代表は、「日本は,1940年代にいくつかのサイトにおいて,その意思に反して連れて来られ,厳しい環境の下で働かされた(forced to work under harsh conditions)多くの朝鮮半島出身者等がいたこと,また,第二次世界大戦中に日本政府としても徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる所存である」と表明しました。
韓国側代表は日本側の発言を引用し、日本が表明した措置を「誠意を持って実行する」ことを信じて全会一致に加わったと述べました。
こうして「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産への登録が決定したのですが、その後、日韓間で「強制労働」という文言に関してまたひと悶着起こりました。このきっかけとなったのは、菅官房長官や岸田外相の「我が国代表団の発言は強制労働を意味するものではない」との説明であり、これに対し韓国で、日本は態度を変えたという趣旨の批判が相次いだのです(たとえば、7月7日付東亜日報社説)。せっかく芽生えていた両国間の協力的雰囲気に水が差された形になりました。
何が問題だったのでしょうか。最初からの経緯を大きく見ていくと、「強制労働」であったことを理由に世界遺産登録に反対したのは韓国側です。これに対し日本側は、「強制労働」であったとは言えないが、妥協案を模索し、韓国側といったん合意しました。
登録決定後、今度は日本側から「強制労働でなかった」と言い、韓国側が反発しました。つまり、決定前は「強制労働であったか否か」が、決定後は「強制労働でなかったか否か」が争いになったのです。
以上の議論は「強制労働」の有無に焦点が当たっていましたが、単なる言葉だけの問題でなく日韓双方ともに「強制労働に関する条約」を意識していました。この条約は1930年に国際労働機関(ILO)で採択された労働問題に関する基本条約の一つです。韓国側としては、日本はこの条約に違反しており、日本での労働は違法であったと主張するためであり、「強制労働」を認めさせることは日本の行為の違法性を確立する第一歩だったのでしょう。韓国内には、朝鮮人の労働は違法であり、日本に補償を求めるべきであるという意見が根強く存在しています。
また、韓国側では、朝鮮人の労働の根拠とされている「徴用令」は、日本側は有効とみなしているが、そもそも日韓併合やそれ以降の植民地支配が違法であり、したがって「徴用令」を朝鮮人に適用したことも違法であったという考えも見られます。
一方、日本側の法的立場は、朝鮮人の徴用問題は「1965年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決済みである」ということです。「強制労働でなかったから解決済み」と言っているのではありません。「徴用令」は、経緯を説明する中で言及していますが、「強制労働ではなかった」という見解は法的主張ではありません。日韓請求権協定に基づく日本の法的立場は明快であり揺らぐ危険はありません。韓国側から訴訟を起こされても、日本側が敗訴することは考えられません。
このように考えると、登録直後に日本側から「強制労働を意味しない」とコメントし、さらに岸田外相が7月10日、「強制労働には当たらないと考えます」と発言したのは、そもそも韓国側から「強制労働」を言い出し、両国の間で論争になっていたという経緯はあるにせよ、不必要なひと言であり、力士が勝負のついた後にもう一突き相手を突いた形になったと思います。
国際的な感覚でこの問題を見ておくことも必要です。日本側が声明の中で“forced to work under harsh conditions”であったことを認めたことを各国は評価しますが、それに加えて、“forced labour(強制労働)”であったことを認めたのではないと言うことは、残念ながら国際的な理解はなかなか得られないと思います。この説明を支持している外国人がいるという報道もありますが、それを国際社会全体の反応とみなせるか、非常に疑問です。
各国は、多くの朝鮮人が意思に反して連れて来られ,厳しい環境の下で働かされたことについて同情を抱いています。日本人の多くも同じ気持ちでしょう。日本政府の法的立場は明確かつ堅固であり、「強制労働」の文言で左右されることはありません。したがって「強制労働」の有無にかかわる議論を戦わすことは無益であるのみならず、国際社会における日本のイメージを損なう恐れがあると思います。
(THE PAGEに7月30日掲載)
2015.07.28
ベトナムにとって最大の対外問題は中国との関係であり、軍事的には劣勢にあるが、中国に対して弱みは見せない。かつて米国と戦っても負けることなく、ついには南ベトナムと米軍をインドシナ半島から追い払った敢闘精神は中国との関係でも衰えていない。
しかし、ベトナムは中国の隣国。歴史的に関係が深く、経済面でも中国と密接な関係にあり、ベトナムとしては中国と対立・衝突しても関係を破壊してはならないことをよく承知しているようである。
最近、ベトナム共産党のグエン・フー・チョン書記長の活発な外交活動が注目された。
2015年4月、同書記長は中国を訪問し、大歓迎を受けた。
それから3カ月後の7月には米国を訪問した。政府の肩書はなく、共産党の書記長として米国に受け入れられたのであり、オバマ大統領はホワイトハウスの執務室、オーバル・ルームで同書記長と会見するなど厚遇した。
ベトナムは近年経済改革(ドイモイ)を進め、日本などの投資先として注目されているが、現在でも共産党しか合法政党はなく、完全な一党独裁国である。しかし、グエン・フー・チョン書記長が米国から大歓迎を受けたことは、体制の違いは両国間でもはや決定的な障害でなくなったことを象徴している。
米国は40年来継続してきたベトナムに対する武器禁輸を2014年に解除し、軍事援助を大幅に増加させている。グエン・フー・チョン書記長の訪米に先立つ6月には、カーター国防長官がハノイを訪問し、米越両国は防衛協力を強化すると宣言した。南シナ海における中国の行動は、米国とベトナムを接近させ、軍事協力も行なわせているのである。
一方、ベトナムはしたたかである。ベトナムは「三つのノー」を外交の基本政策としている。「軍事関係を結ばないこと」「外国の軍事基地を認めないこと」「いかなる国とも同盟しないこと」である。この大きな枠組みの中で、中国とは対立しながらも良好な関係を維持し、米国からはかなりの軍事協力を引き出している。
東南アジアでのプレゼンスを強化したいロシアとの間では、武器の購入を増加させ、資源開発について協力することを約している。それは中国が快く思わないことであるにもかかわらずである。しかし、戦略的拠点であるカムラン湾については、ロシアは利用したいが、すでに米軍に利用させているベトナムは首を縦に振らないらしい(5月7日の本HP「南シナ海でのロシアと中国の不一致」を参照願いたい)。
(短評)ベトナムの対外姿勢
ベトナムはフィリピンと並んで、中国による南シナ海での拡張的行動の影響を直接受けている。2014年の5月から7月にかけ、中国は西沙(パラセル)諸島沖で大型石油掘削装置を投入し、抗議するベトナム船と中国船が衝突を繰り返した。また、ベトナム国内でも中国に抗議するデモが一部暴徒化して死者が出るなど、両国は鋭く対立した。ベトナムにとって最大の対外問題は中国との関係であり、軍事的には劣勢にあるが、中国に対して弱みは見せない。かつて米国と戦っても負けることなく、ついには南ベトナムと米軍をインドシナ半島から追い払った敢闘精神は中国との関係でも衰えていない。
しかし、ベトナムは中国の隣国。歴史的に関係が深く、経済面でも中国と密接な関係にあり、ベトナムとしては中国と対立・衝突しても関係を破壊してはならないことをよく承知しているようである。
最近、ベトナム共産党のグエン・フー・チョン書記長の活発な外交活動が注目された。
2015年4月、同書記長は中国を訪問し、大歓迎を受けた。
それから3カ月後の7月には米国を訪問した。政府の肩書はなく、共産党の書記長として米国に受け入れられたのであり、オバマ大統領はホワイトハウスの執務室、オーバル・ルームで同書記長と会見するなど厚遇した。
ベトナムは近年経済改革(ドイモイ)を進め、日本などの投資先として注目されているが、現在でも共産党しか合法政党はなく、完全な一党独裁国である。しかし、グエン・フー・チョン書記長が米国から大歓迎を受けたことは、体制の違いは両国間でもはや決定的な障害でなくなったことを象徴している。
米国は40年来継続してきたベトナムに対する武器禁輸を2014年に解除し、軍事援助を大幅に増加させている。グエン・フー・チョン書記長の訪米に先立つ6月には、カーター国防長官がハノイを訪問し、米越両国は防衛協力を強化すると宣言した。南シナ海における中国の行動は、米国とベトナムを接近させ、軍事協力も行なわせているのである。
一方、ベトナムはしたたかである。ベトナムは「三つのノー」を外交の基本政策としている。「軍事関係を結ばないこと」「外国の軍事基地を認めないこと」「いかなる国とも同盟しないこと」である。この大きな枠組みの中で、中国とは対立しながらも良好な関係を維持し、米国からはかなりの軍事協力を引き出している。
東南アジアでのプレゼンスを強化したいロシアとの間では、武器の購入を増加させ、資源開発について協力することを約している。それは中国が快く思わないことであるにもかかわらずである。しかし、戦略的拠点であるカムラン湾については、ロシアは利用したいが、すでに米軍に利用させているベトナムは首を縦に振らないらしい(5月7日の本HP「南シナ海でのロシアと中国の不一致」を参照願いたい)。
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