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2016.10.14

東アジアの協力は進むか

 東アジアにおける各国間の協力は甚だ弱い。東アジアに地域協力の構想がないのではなく、東アジア共同体を実現させようという考えはこれまで何回も議論されてきたが一向に進まない。構想に問題があるのかもしれない。
 しかし、100年の期間で見れば変化はありうる。150年となると変化は確実に起こると見るべきだ。
 では東アジアではどんな変化が起こりそうか、国際アジア共同体学会発行「グローバルアジアレヴュー』第2号(2016年10月1発行)へ寄稿した以下の一文で考えを整理してみた。

 「東アジアにおける各国間の協力は甚だ弱い。ヨーロッパでは戦後の和解・協力が進み、さらに統合に向かっている。英国のEUからの離脱決定により一とん挫したが、それでも東アジアとは比較にならないくらい進んでいる。
 また、同じアジアでも東南アジアにおいては、各国はASEANを形成し、各種協議を定期的に開催し、政策の調整も行っている。
 東アジアに地域協力の構想がないのではない。東アジア共同体を実現させようという考えはこれまで何回も議論されてきた。日本海を取り巻く各国の協力という考えもあった。こちらは現在も続いているが、最初に打ち出された時のインパクトはすでに失われているのではないか。また、東アジアを核兵器のない地域、いわゆる「東アジア非核地帯」とする構想もあるが、一向に実現しない。
 そんななか、日中韓の3国が対話をするかしないかということが注目の的になる。その理由は大きく言って2つある。
 その1つは、3国間の協議を定期的に開催しようと言われるが、実際には2013年と14年のように関係が悪化すると開かれなくなるからだ。去る8月末に東京で日中韓の外相会談が開催されたときもやはり「開かれてよかったね」という感じがあった。
 もう1つの理由は、3カ国で協力することよりも、それぞれの国の対外姿勢が注目されるからである。
たとえば、2012年末から13年にかけ日中韓3国とも首脳が交代し、中国と韓国はいわゆる歴史問題をめぐって安倍政権の日本に強い姿勢で臨むようになった。また、尖閣諸島の国有化(習近平政権成立の直前である2012年9月)に中国が強く反発したことなどが重なり、日本と中韓両国の関係は落ち込んだ。
 しかしその後、3国の状況は再び大きく変化した。中国は南シナ海、とくにスプラトリー諸島(南沙諸島)などで埋め立てや飛行場などの建設を進め、各国の懸念表明や反対に耳を貸さず、公海における航行の自由を重視する米国などと鋭く対立するに至った。
 一方、韓国の朴槿恵大統領は北朝鮮の度重なる挑発的行動に刺激されたこともあり、また米国から強い説得を受け、それまでの中国傾斜の姿勢を改め、日本や米国との協力を重視するようになった。そのような新しい外交姿勢を象徴的に表していたのが日本との慰安婦問題に関する合意であった。
 要するに東アジアでは、地域の協力を論じる前に3国それぞれの対外姿勢が重要な問題となるのだ。

 地域的な協力が進むのはまだかなり先のようにも思えるが、視点を変えればそれほど遠い先のことでないかもしれない。
 100年先のことを考えるのは、言葉では大事だと言われるが、実際には難しい。しかし、100前のことを振り返るのは比較的簡単であり、ある程度参考になる。
 今から100年前というと1916年、当時世界は第一次世界大戦のさなかにあった。ライト兄弟が飛行機による初の飛行に成功してからわずか13年後であり、その時戦争に使われた飛行機は翼が二重の、稚拙なものであった。100年というとそれほど物事が変わりうる。
 東アジアで現在の政治秩序が成立したのは第二次大戦の終了後であった。それ以来すでに70年以上経過したが、状況は変わっていない。世界的に見れば、東西の冷戦が終了するという大変化が起こったが、アジアではそのような根本的変化は起こらなかった。日本が起こした戦争の影響もまだ残っている。
 しかし、100年間も変化しないことはありえないという考えに立てば、今後30年間に大きな変化が起こるかもしれない。
 その第1の候補が、北朝鮮が安定し日中韓とともに協力関係になるかという問題だろう。現在は皮肉なことに、これら3国は北朝鮮非難で一致協力しているが、今後30年を考えるのであれば、北朝鮮がどのように変化し、日中韓3国とどのような関係になるか、協力関係に立つか、などの問題が浮上してくる。4カ国が協力する関係になることはないと決めつけることはできない。歴史の教訓からもそんな勝手な思い込みはできないと思う。
 北朝鮮との協力関係を作り上げていくためには、日中韓3国が米国に対して、北朝鮮の非核化と平和条約を目的に直接交渉するよう勧めるべきだ。もちろん米国には米国の事情があり、グローバル・パワーとしての負担は大きい。中東問題、IS問題、テロ問題などで多大の負担と犠牲を強いられており、北朝鮮問題は日中韓ロなどと共同で解決したいという気持ちは十分理解する必要があるが、北朝鮮との平和条約は米国しか解決しえない。
 北朝鮮が日中韓の3国と協力関係になるかということだけでなく、南北が統一しているかという問題もある。これも今の時点で考えれば極めて非現実的だが、いつまでも分かれていると考えることもできないのではないか。

 第2の問題は、中国が将来どのような国になるかである。かつて中国は東アジアの中心であったが、欧米やさらには日本などの侵略や圧力を受け国力は疲弊し、旧体制は崩壊した。しかし、第二次大戦以後中国は立ち直り、1970年代の末から始まった改革開放政策により飛躍的に発展し、今や世界で注目され、必要とされ、恐れられる存在にまで回復している。
 しかし、今後の中国については大きな不安定要因がある。どの国でも将来のことは分からないが、中国の場合は共産主義体制が今後どうなるかとくに問題となる。その帰趨は中国国内はもちろん、地域的にも重大な影響を及ぼす。
 中国の政治体制は中国人が決定することであり、日本がどうこう言うことでないが、中国人自身、この独裁体制が永遠に続くとは思っていない、中国の指導者もかつてそう言っていたと理解している。
 現在の中国の強みは、人的、物的資源を共産党の判断に従い特定の事業に集中できることであり、中国経済の急速な発展はそのような指導によって支えられてきた。つまり、経済合理性に基づく発展ではなく、戦略的に人的物的資源を集中的に投入して実現した発展だ。共産党の一党独裁でなくなり民主主義国家となった場合はこれまでのような集中的な国家運営はできなくなり、中国の力はそがれるかもしれない。
 しかし、積極的な影響も計り知れない。今の中国は、力は強いが国民の間では不信感が満ち満ちている。民主主義国家になれば、軍事力は低下するかもしれないが国民は本当の才能を発揮する可能性がある。
 
 今後30年間に生じる変化によって東アジアの秩序も各国間の協力関係も大きく左右されそうだ。30年は短すぎるかもしれないが、戦後から150年、現在から80年後を考えると変化はまず確実に起こるだろう。今から150年前、日本は明治維新直前であり、韓国は李氏朝鮮で開国前であり、中国は清朝末期、内外で苦しんでいた。今はその時からすれば想像を絶する世界になっている。戦後から150年後、現在から80年後には、東アジアにも建設的で、かつ安定的な協力関係が生まれている可能性がある。我々としてもそのような展望を持ちつつ現在の問題に対処していくことが必要だ。


2016.09.28

(短評)韓国の大胆な接待制限法

 本日(9月28日)、韓国で公務員らに対する金品の授受や会食接待に厳しい制限を科す法律(正式名は「不正請託および金品授受の禁止関係法」)が施行される。会食は1回につき3万ウォン、日本円では3千円弱が上限となるので、これではビジネスランチくらいにしか招待できなくなる。それはとても「接待」と呼べるようなものではない。
 このような法律が制定されたのは社会に不正腐敗の弊が満ちているからだと言われている。いろいろ事情があるのだろう。
 それにしても、この法律制定はずいぶん思い切ったものだと思う。日本ではできないことであり、このように思い切った措置をとれるのは韓国の特徴の一つだ。
 かつて、IT化のために大規模投資をすることとした決定もやはり大胆なものだったが、これは成功し、韓国でのIT化は日本より数歩先に行っている。しかし、今回の措置がITのように積極的な効果を生み出すか、法律は定着するか、これからの推移を見ていく必要がありそうだ。
2016.09.16

韓国の核の傘

 韓国は米国に対し、去る5月には核兵器の共同管理を要望し、8月には第三国の核の脅威に「核の傘」を必ず提供するという確実な保障を求めたが、米国はいずれの要望も断った。
 核兵器の共同管理は米国と一部のNATO諸国(ドイツ、イタリア、オランダおよびベルギー)との間で行われているが、核攻撃のボタンをどちらでも押せるようになっているのではなく、最終的な決定権は米国だけが持っている。それでも共同管理国内に核兵器があるので一定の抑止力になると考えられている。
 韓国がどのようなことを期待しているのか、詳細は不明だが、国連決議を無視して核・ミサイルの実験を繰り返す北朝鮮に対する憤りと、韓国も米国もそれに有効に対処できていないという不満が高じていることが背景にあるのだろう。弾道ミサイルの迎撃システム、THAADの韓国内配備を容認したことについても核に対する要望と同じ背景がある。

 共同管理はあまりにも非現実的だが、「核の傘」は韓国として確認が必要か。韓国はその防衛に米国の協力を得ることになっている(米韓相互防衛条約)。その意味では日本と同様だが、韓国の場合は、脅威が発生した場合はまず米国と協議することと、米韓両国は武力攻撃を抑止するための力を維持・発展させることが決められている(第2条)。
 また、韓国に対する脅威は米国への脅威とみなし、共同で対処することになっている(第3条)。
 日米安保条約とはより強い部分もあれば、弱い部分もある。たとえば、第2条の「協議」については、韓国としてはもっと強いコミットメントにする、つまり協議という条件なしに防衛を義務とするのが望ましいだろう。
 一方、第2条の後段は、北朝鮮の核の脅威に対して米国が抑止力を維持することになっていると読めそうだ。そうであれば、韓国が米国に「核の傘」の確認を求めことは必要ないとも考えられるが、
それでも政治的には必要なのだろう。日本の場合、法的には米国が日本を防衛する義務があるのは明白だが、尖閣諸島などに関して時折その再確認を求めるのと同じ理屈である。

 どこの国でも法的な安心は確保しつつ、そのうえで政治的に必要な措置も講じていかなければならないが、両者があまりかい離すると混乱が生じる。安全保障については国民が刺激されやすいだけに、政府は逆に冷静に対処することも必要だ。つまり、政府は世論を考慮して行動しなければならないが、場合によっては世論と逆にふるまうことも必要だ。
 韓国が米国に核の共同管理や「核の傘」の保障を求めるのは韓国が決めることであり、とやかく言うわけではないが、核の必要性をあまり強調すると米国の考えと合わなくなる。
 もっとも、北朝鮮の核実験について韓国は何もしないのがよいというのではない。北朝鮮の核の問題は米国しか解決できないので米国が北朝鮮と直接交渉すべきであり、日本政府も韓国政府も米国に交渉するよう説得するのが望ましい。朝鮮半島の非核化は20数年前南北朝鮮が合意したことであり、各国もその実現を希求している。その目的のために努力を傾注することが肝要だ。

 おりしもオバマ大統領は核の先制不使用や核実験の制限を国連総会で提案しようとしたが、前者は日本や韓国の反対で取りやめになったと報道された。もっとも、安倍首相はこのような報道は不正確だという考えのようだ。
 核実験の制限は、包括的核実験禁止条約が発効しない中、国連決議で条約の目的を、部分的にでも達成しようとすることであり、有意義なことだ。しかし、これには中国やロシア、それに米国内でもマケイン上院議員のような核保守主義者の反対が強く、日の目を見ないだろうと言われている。オバマ大統領の核を使用しないようにしようという方向の試みが核の積極的使用論に押されているわけだ。
 北朝鮮の核実験を認めることは決してできないが、かといって核で反撃するとか、核を使うことを強調することははたして賢明か。危険な道に入り込む危険はないか。そういう角度からも冷静に見ていくことが必要だ。

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