平和外交研究所

中国

2022.09.19

中国・ロシア関係-上海協力機構など

 9月15~16日、ウズベキスタンの古都サマルカンドで上海協力機構(SCO)首脳会議が開催され、サマルカンド宣言が発表された。

 今次SCO首脳会議ではイランの加盟承認などもあったが、機構全体の協力について新しい方向性を打ち出すことはできなかった。それどころか、一部ではこれが協力機構かと疑いたくなる状況が起こっていた。14日以降続いている、タジキスタンとキルギス(両国とも加盟国)の国境地帯での衝突などである。
 また、上海協力機構の加盟国ではないが、ロシアの同盟国アルメニアと、トルコを後ろ盾にするアゼルバイジャンの国境地帯でも最近、大規模な軍事衝突が発生している。ロシアの影響力の低下が原因だとみられている。

 上海協力機構の加盟国は、米ロはもとより、中央アジアの諸国もこれまで反欧米の傾向が強かったが、今次サマルカンド宣言では米欧側への非難は盛り込まれなかった。ウクライナへの侵攻のためロシアのイメージが悪化し、そのため反欧米の傾向が弱くなったのであろう。

 中国の習近平国家主席とロシアのプーチン大統領の会談は15日に行われた。中ロの首脳会談は北京冬季五輪でプーチン氏が訪中した2月4日以来であり、今次会議においてはロシアがウクライナで軍事的劣勢に立たされている中、プーチン氏は習近平氏に軍事・経済支援を求めるのではないかと注目されていた
 
 プーチン氏の発言として伝えられたのは、「ウクライナ危機に関して、中国の友人がバランスのとれた立場をとっていることを高く評価する。ウクライナ情勢をめぐって中国が疑問と懸念を抱くのは理解できる」、「アメリカの一極世界を作ろうとする試みは失敗に終わる」などである(BBC9月16日報道)。

 ウクライナ問題に関する習近平氏の発言は比較的冷めたものであったようだ。中国はロシアによるウクライナ侵攻以来、対ロ制裁には反対しつつ、「ウクライナ問題への立場は『理非曲直(道理にかなうかどうか)』で決める」と冷静である。中国外務省が発表した今次SCO首脳会談の発表文は、「ウクライナ」に関して一言も触れなかった。中国側はウクライナ問題についてなんら熱意を示さなかったが、プーチン氏は習氏に対して融和的な、すり寄っているとも解し得る発言を行ったのであり、プーチン氏の立場は我々が外部から見るよりも薄弱であったのかと思われる。

 本質的問題でないかもしれないが、プーチン氏はかねてより各国との首脳会談に遅れてくる常習犯である。だが今次SCOではそのような振る舞いは見せず、逆に遅れてきたキルギスのジャパロフ大統領を笑顔で迎えたという。

 中国とロシアの関係は今次SCOの会議に至る前から問題が起こっていた。ウクライナ侵攻の際ロシアは中国に事前の説明をしたか不明だとされているが、中国人の避難は円滑に行われず、中国側では不満の声が上がっていた。

 去る8月の核兵器拡散禁止条約(NPT)の再検討会議ではロシアだけが「最終文書案」に最後まで反対し、コンセンサスの成立を妨げた。原案では、ロシアが占拠するウクライナのザポリージャ原発が「ロシアの管理」下にあるとしていたが、後に削除され、中国は反対しなくなっていた。各国は何とかロシアを説得したかったが、ロシアは頑として聞き入れなかった。

 今次SCOの会議では、プーチン氏の相も変わらない自信ありげな姿勢を信頼した首脳はいなかったようだ。インドのモディ首相からは「今は戦争するときでない」と諭された。

 しかし、ロシアが中国にとって役に立たないお荷物となったと見るべきでないだろう。ロシアによる台湾に関する中国支持も、国連でともに保守勢力として西側に対抗していくためにもロシアは中国にとって引き続き必要であり、中国はその程度にはロシアとの関係を積極的に維持していくものと思われる。
2022.08.22

日中国交正常化を振り返る

 今から50年前に日本と中国は国交を正常化した。両国それぞれにとって戦後最大の外交成果となったこの出来事を台湾との関係を中心に振り返ってみたい。

 第二次大戦が終結する1945年まで日本は中国を含む連合国と戦争状態にあり、国交は断絶していた。戦争が終われば国交を正常な状態に戻すのが普通の習わしであるが、中国は「中国国民党(以下「国民党」)と「中国共産党」が対立する内戦状態にあり、そのため1951年になって日本はようやく連合国と平和条約を結び、戦争状態を終結させることが可能になった。だが中国は二つに分かれたままの状態だったのでそれに参加できず、日本は翌52年、あらためて台湾の「中華民国(以下「台湾」)」と平和条約を結び戦争状態を終結した。

 米国は中国との関係で日本と同様の法的処理をする必要はなかった。大戦中から米国が「中華民国」と結んでいた外交関係は大戦終結後も変わらなかったからである。

その他の国も台湾との外交関係を維持した。ソ連など共産圏の国々だけが中国大陸を支配する共産党の「中華人民共和国(以下「中国」)」と外交関係を結んだ。この対立状況は東西冷戦の一部であった。

 しかし、時間が経つとともに台湾と外交関係を持つ諸国においても、台湾の50倍以上もの人口を持つ中国と国交がないのは不都合であるという考えが強くなり、1971年10月、国連において、中国を代表するのは台湾の「中華民国」でなく「中華人民共和国」であるとする決議が成立した。

 国際情勢が大きく変化する中で、米国は中国との関係改善に動き出し、国連で歴史的決議が成立する直前の1971年7月、キッシンジャー米大統領補佐官が極秘裏に北京に赴き周恩来首相と会談を行った。そして翌年2月、ニクソン大統領が中国を訪問した。国交を樹立したのは少し遅れて1979年1月であった。

 日本は、やはり国連などでの情勢変化を背景に1972年9月25日、田中首相一行が訪中し、29日に「日中共同声明」に合意・署名した。「日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出された日に終了」した。この時まで日本と「中華人民共和国」の間に正式の関係がなかったのは「不正常な状態」と認識されたのであった。

 台湾との関係を断ち、中国と国交を樹立することについては日本でも激しい反対論があった。中国課長として先頭に立って日中国交正常化交渉を指揮していた橋本恕は後に、自民党内の反対が激しく「乱闘寸前にまで行った」と回顧したという。今の政治の世界ではちょっと考えられないことである。

 日本や米国と台湾の関係はすべてなくなったのではない。経済、貿易、文化などの面では密接な関係があり、また、台湾の発展は目覚ましく、一定分野で台湾の企業は世界の一流に成長しており、日台間、米台間の実務関係は発展している。

 しかし、日本や米国と中国との外交関係が出来上がった後、中国と台湾の関係はどのようになるか大問題となった。

 まず日本の場合、中国は「台湾が中国の領土の不可分の一部である」と表明し、そのことを日本が認めるよう求めた。これに対して日本が述べたことは、「中国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」であり、それ以上は言えなかった。

 終戦直前に米国、英国および中国の3か国が行った同宣言では、「日本の領土は本州、北海道、九州、四国とこの3か国が決定する島嶼に限られる」とされ、日本はこの宣言を受け入れていた。平たく言えば、戦争に敗れた日本は領土を決定する権限を取り上げられたので、日本領であった台湾についても「中国の領土の一部」であると認めることはできなかったのである。俗語でいえば「どうぞご随に」という立場しか取れなかったのだ。しかし、ポツダム宣言に言及して法的な立場を示すだけでは、多大の損害を与えた中国に申し訳ないので、「日本は中国の立場を十分理解し、尊重する」という気持ちも表明したのであった。

 米国は日本と立場が異なった。台湾の領有権について日本のような制約(「何も言えない」という制約)はなかった。1979年に中国と国交を結んだ際、「台湾は中国とは異なる領域であり、米国は今後も中華民国との外交関係を維持する」と主張することもできたはずだが、それでは中国は承服しなかったのだろう。米国としても外交関係を中国と結ぶなら、台湾との外交関係は犠牲にせざるを得なかったのだ。

 ニクソン米大統領の訪中の結果、1972年2月28日に発表された米中共同声明(上海コミュニケ)では、米中間にあったほとんどすべての問題について合意が成立したが、台湾の地位だけは完全な合意が出来上がったか疑問であった。
中国は、「台湾問題は中国と米国との間の関係正常化を阻害しているかなめの問題であり、中華人民共和国政府は中国の唯一の合法政府であり、台湾は中国の一省であり、つとに祖国に返還されており、台湾解放は、他のいかなる国も干渉の権利を有しない中国の国内問題であり、米国の全ての軍隊及び軍事施設は台湾から撤退ないし撤去されなければならない」という立場であり、「一つの中国、一つの台湾」、「一つの中国、二つの政府」、「二つの中国」及び「台湾独立」を作り上げることを目的とし、あるいは「台湾の地位は未確定である」と唱えるいかなる活動にも断固として反対する」と表明した。

 これに対し米国は次のように表明した。「米国は、台湾海峡の両側のすべての中国人が、中国はただ一つであり、台湾は中国の一部分であると主張していることを認識している。米国政府は、この立場に異論をとなえない。米国政府は、中国人自らによる台湾問題の平和的解決についての米国政府の関心を再確認する」と表明した。

 さらに米中外交関係樹立に関する1979年1月1日共同声明では、「米国政府は,中国はただ一つであり,台湾は中国の一部であるとの中国の立場を認める」とした。「米国は一つの中国を認めた」と今でもよく言われるが、厳密には正しくないかもしれない。米中共同声明原文の英語版では「The Government of the United States of America acknowledges the Chinese position that there is but one China and Taiwan is part of China.」であった。
 中国語版では、「美利坚合众国政府承认中国的立场,即只有一个中国,台湾是中国的一部分。」であった。

 英語版と中国語版の意味は完全に一致しているか、議論となった。二つの疑問点があり、一つは英語の「acknowledge」と中国語の「承认(繁体字では「承認」)が完全に同じ意味かである。

 もう一つは英語版でも中国語版でも米国はその立場を直接表明しておらず、「acknowledge」あるいは「承认」したのは台湾の地位についての中国の主張についてであった。

 この言葉の意味及び関連の文章をどう解するか、本稿で論じる余裕はないが、米国がもしみずから「台湾は中国の一部」だという立場であれば、直接そう表明すればよかったはずである。

 これは用語の問題に見えるかもしれないが、米中国交樹立の成否を左右する大問題であり、しかも、現在でも問い続けられている。かりに「中国は一つであり、台湾は中国の一部」の原則が国際的にも確立すれば、中国の立場は現在より強くなり、台湾の立場は逆に弱くなる。これでは台湾の23百万人の台湾人の権利と利益は十分に守られなくなると懸念されている。

 米国は中国と国交を樹立する際、台湾との関係を犠牲にしたと前述したが、単純に無効化したのではなかった。中国と台湾が統一するか、それは中国人と台湾人が決めればよいが、台湾に対して中国が武力を使うことには反対し、中国もそのような米国の立場を認めた。上海コミュニケでは「米国政府は、中国人自らによる台湾問題の平和的解決についての米国政府の関心を再確認する」と表明した。これに対し、中国政府も米側の表明に異議を唱えなかった。積極的に賛成したのと異議を唱えなかったのは同じでないが、米国のこの立場を中国が認めなければ国交を樹立できなかっただろう。

 日本と中国も「すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認」しあった(日中共同声明第6項)。台湾だけを取り出した声明ではなく、「すべての紛争」であったが、日中両国が国交を正常化する際に確認しあったことの意義は大きい。

 台湾の地位は日中間でも米中間でも困難な問題であったが、なんとか合意が成立し、日中共同声明は9月29日に署名された。

 後でわかったことであるが、当時中国内では危険な状況があり、中国を未曽有の混乱に陥れた「文化大革命(文革)」は終わっていなかった。文革はもともと毛沢東による権力奪還の闘争であったが、労働者、学生(若い学生は「紅衛兵」と呼ばれた)が参加し、既存秩序を破壊する一大革命となっていた。中国共産党も破壊の対象になっていた。死者は数百万とも2千万以上とも、被害者は1億人程度ともいわれた。日中国交正常化の際、武装闘争はほぼ終息していたが、文革の中心であったいわゆる四人組はなお健在であり、革命運動を継続していた。

 しかし、中国政府はそんなことを日本側に全く感じさせず、日中国交正常化交渉は平穏無事に行われた。

 田中首相一行は共同声明を発表した後、同日中に周恩来首相とともに上海へ向かった。田中首相は疲労困憊気味で上海へは寄りたくなかったと言われていたが、説得を受け入れ上海に降り立った。同市のナンバーワンは張春橋上海市革命委員会主任であり、四人組の一人であったが、田中首相一行を盛大に出迎えた。上海市南京西路1333号の宴会場で行われた歓迎宴では、田中首相を始め全員が酔っ払い気味になったが、大事業を成功させた喜びがあふれていた。
2022.05.24

バイデン大統領の台湾に関する発言

 バイデン米大統領は5月23日、岸田文雄首相との共同記者会見で、中国が台湾に侵攻した際に米国が台湾防衛に軍事的に関与するかとの質問に対し、「イエス。それが我々の約束(コミットメント)だ」と答えた。
 
 歴代の米政権は中国が台湾に侵攻した際、米国が軍事介入するか明言せず、バイデン氏の今回の発言は「あいまい戦略を踏み越えた」とも、「失言」であったとも評された。これらの評論は必ずしも間違いでないが、適切であったか疑問の余地がある。

 「あいまいな戦略」については、これは米政権自身が命名したことでなく、研究者やメディアが使ってきた言葉である。

 実は中国が台湾に武力侵攻した場合、米国が軍事力を行使して阻止するかについては法的には「あいまい」な面があった。米国と中国の関係を規定している2つの基本文献を以下に引用しておく。

 1つは1972年のニクソン大統領訪中時の「上海コミュニケ」であり、「米国は,台湾海峡の両側のすべての中国人が,中国はただ一つであり,台湾は中国の一部分であると主張していることを認識している。米国政府は,この立場に異論をとなえない。米国政府は,中国人自らによる台湾問題の平和的解決についての米国政府の関心を再確認する」とした。

 上海コミュニケの後米国で制定された「台湾関係法」は、「台湾人民の安全または社会、経済の制度に危害を与えるいかなる武力行使または他の強制的な方式にも対抗しうる合衆国の能力を維持する」とし(台湾関係法2条B項6)、さらに「大統領は、台湾人民の安全や社会、経済制度に対するいかなる脅威ならびにこれによって米国の利益に対して引き起こされるいかな危険についても、直ちに議会に通告するよう指示される。大統領と議会は、憲法の定める手続きに従い、この種のいかなる危険にも対抗するため、とるべき適切な行動決定しなければならない。」と明記した(同法3条C項)。

 上海コミュニケと台湾関係法によれば、米国が「軍事力を行使することはありうる」が、「そうすることが義務である」とは述べられていない。法的には米国は武力行使するかもしれないが、しないかもしれないのであり、その意味では「あいまい」であった。米国の歴代政権は「あいまい戦略」を取ってきたといわれるが、米中の国交樹立の時点から「あいまい」だったのである。

 米国による武力行使については直接述べられていなかったが、「米国は台湾問題の平和的解決に関心を持つ」、「米国は、台湾人民の安全に危害を与えるいかなる武力行使にも対抗しうる能力を維持する」など間接的な言及はあり、中国が台湾に武力侵攻してきた場合、米国は武力で対抗するだろうというのが大方の解釈であった。

 では今回のバイデン大統領の発言は「あいまい戦略を踏み越えた」か。発言は武力を行使して対抗することを明言している点では踏み越えたように見えるが、バイデン大統領や政府は「武力行使の決定はしていない」という立場であろう。「政治的な意図の表明だ」と弁明するかもしれない。それも間違いとは言えない。実際に米国が武力行使に踏み切る場合、議会に報告し、了承を取り付ける必要がある。また、米国憲法では宣戦布告の権限は議会にあるので、その制約を超えるわけにいかない。つまり、バイデン大統領は「武力行使する」といったが、その前提になっている憲法などの制約に従うことは当然であり、バイデン氏が記者会見で「武力行使」の発言をしても直ちにとがめられることはないのだろう。

 米国政府は米国の対中政策は変わらないといち早く表明した。これもバイデン発言が問題になるのを抑えた。

 バイデン氏の発言は失言でなく、用意されたものであったと思われる。バイデン氏はロシアがウクライナに侵攻する前の2021年末に、「ロシアがウクライナに侵攻した場合に米軍をウクライナに派遣することは検討していない」と述べ、台湾をはじめアジアにおいても注目され、懸念された。今回の日米首脳会談では台湾が主要議題の一つとなるので当然関連の質問を想定し、準備もしていただろう。その結果が、今回の政治的発言になったと思われる。

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