平和外交研究所

中国

2015.10.07

屠呦呦(Youyou Tu)のノーベル賞受賞

 屠呦呦(Youyou Tu)氏が大村博士などとともにノーベル医学生理学賞を受賞した。受賞の理由は、1972年にクソニンジン(黄花蒿 漢方薬)の葉からマラリアの治療薬であるアーテミニシン(artemisinin 中国語では青蒿素)を分離抽出したことである。
 屠呦呦は中国の著名な研究家だが、「三無科学者」と綽名されている。なぜならば、博士号も、留学経験も、中国科学院会員の肩書もないからだ。この人のノーベル賞受賞は、中国科学院の選考過程に問題があることを示していると揶揄する声がインターネットにあふれているそうだ。
 受賞の対象となった研究が始められたのは、1960年代にベトナム戦争に参加した兵士が多数マラリアにかかり、その治療薬が必要となったことがきっかけであった。1967年、毛沢東主席自らの指示の下で37の研究機関、88名の代表が集められ「523指導小組」が結成された。「523弁公室」である。
 屠呦呦は1969年に参加し、「漢方薬研究小組」の組長として研究を進めアーテミニシンの発見に成功した。
 屠呦呦の受賞について、中国では中国の科学が世界で認められたことを喜ぶ声と同時に、ノーベル賞は屠呦呦個人でなくチームとして受けるべきであったという議論もあるようだ。10月6日付『多維新聞』(海外に拠点がある中国語新聞)や香港の明報などの報道・論評からそのような状況がうかがわれる。
 斬新な研究にねたみやそしりが付きまとうのは残念ながら珍しいことでなく、大概は無視され、そのうちに消えてなくなる。しかし、屠呦呦の場合には、米国でラスカー賞を受賞した際も、中国では屠呦呦個人でなくチームとして授賞するべきだったとも言われたそうだ(中国学位与研究生教育信息網が掲載している「馬来平」の論評)。また、アーテミニシン研究の重要部分は中国でも実力が認められている別の研究者の功績だったとか、さらに屠呦呦の研究管理に問題があったとか指摘されている。
 しかし、ノーベル財団は当然そのようなことを承知の上で今回の受賞を決定したのであろう。屠呦呦自身もインタビューで、「受賞は大変うれしいが、中国の科学者が集団として得た栄誉である」と答えている。世界の人は中国内部の事情はよく分からないが、屠呦呦自身の言葉には耳を傾ける。屠呦呦は研究チームを代表して受賞したとみなせばよいではないか。
 中国人には余計なお世話だと言われるかもしれないが、中国(の一部)で起こっている雑音が早期に収束することを願いたい。そうしないと中国の科学研究にまでケチがつくことになりかねない。

2015.09.28

習近平主席の訪米ににじんでいた問題

 習近平主席の訪米(9月22日~25日)をどう見るか。成功したとか失敗だったなどと単純に割り切れないのはもちろんだ。
 中国はかねてから、中国と米国の関係は「新しい型の大国間関係」であることを米国に認めさせようとしてきたが、米国は、中国が重要な国であると認めても、米国と並ぶ大国であるという認識ではない。習近平主席は今回の訪米でもそのことを強調したが、オバマ大統領からその言葉は引き出せなかった。
 しかし、習近平主席はボーイング社の飛行機を300機購入することを訪問の最初に発表するなど経済大国ぶりを発揮した。内装や塗装などは中国内で新設される工場で行なわれるので、米国人が期待するほど雇用増になるのではないと指摘されているが、全体として中国の「爆買い」ぶりは米国人に強くアピールしたであろう。
 モノの売買に限らない。米国債の保有に関しても、株式市場の安定の関係でも、環境についても中国の影響力は大きく、米国と中国は相互に協力を必要としている。両国の間にはすでに強い相互依存関係が生まれているのである。

 この相互依存関係はとくに中国にとって重要な意味があり、米中関係を良好に維持する安全弁となっている。中国はよく「存異求同」と言う。その意味は、「両国間に相違はあってもそれは残しつつ、共通点を求めていく」ということだ。しかし、問題は「相違を残す」ことで、それを解消することは含まれていない。
 その例がサイバー攻撃や南シナ海での紛争だ。中国は、米国がこれらの問題について中国に批判的であることをもちろん承知している。サイバー攻撃については、ライス大統領補佐官が訪中し、また、中国からは孟建柱政法委員会書記(公安の要、政治局委員)が訪米して準備工作を行なったこともあり、米中両国はお互いに攻撃しないことに合意し、なんとか違いを目立たせないようにすませた。
 しかし、南シナ海については、オバマ大統領が記者団に対して「争いのある海域で埋め立てや軍事拠点化を進めることに深刻な懸念を習近平主席に伝えた」と率直に会談内容を公表したのに対し、「南シナ海は昔から中国の固有の領土であり、中国の主権だ」と明言した。南シナ海の問題について中国は態度を変えない、まさに「相違を残す」、妥協しないことを公言したのであった。
 中国は、習近平主席の訪中を成功させるため、前述の「爆買い」の例を引くまでもなく細心の注意を払ってきた。つまり原則的には、相違も残さないよう努めてきたのであり、もしそのような協調的精神に徹するのであれば、南シナ海問題については違いを目立たせないですませる方法はあったはずだ。
 それにもかかわらず、習近平が各国の報道陣や外交官が居並ぶホワイトハウス前の芝生の上で、中国独自の主張を臆面もなく発言したのは、一方では、南シナ海の問題については国内的に強い態度を取ることが必要であったのと、他方では、強い態度をとっても相互に依存し合っている両国の関係が壊れることはない、と判断したからであろう。

 習近平主席は両国関係をむしばんでいる問題のために米国では熱烈歓迎でなく、米議会での演説も認められなかった。同時期に訪米し、空港で大統領及び副大統領夫妻が出迎えるという異例の熱烈歓迎を受けた法王フランシスコには遠く及ばない扱いであったが、それだけで習近平主席の訪米を評価すべきでない。
 習近平主席が、南シナ海は中国の領域だと主張したのは今回が初めてではないが、前述したような場で中国の勝手な主張を繰り返した習近平主席は、ある種の奇妙な自信をつけた可能性がある。今後、南シナ海は何回も問題になるだろうが、「各国の首脳がいかに批判しようと、中国は、南シナ海は中国のものだという主張をすればすむ。そうしても各国との関係が壊れることはない」という自信だ。

 しかし、習近平としては両国間の相互依存関係を背景にそのような発言をできたとしても、中国の利益になるとは思えない。その発言を聞いて世界の人は中国が強欲だとあらためて思っただろう。米国の国務省は、オバマ大統領は公の場では言及しなかったが、南シナ海が中国の領域だという主張に根拠はないという見解だ。中国が誤った海洋戦略をめぐって国際的に厳しい逆風にさらされているのは明らかだ。
 さらに経済成長を続け、世界の大国であると各国に認めてもらいたい中国にとって、合理的に判断すれば決して有利でないにもかかわらず、中国が独自の主張にこだわり、独自の行動を貫徹しようとし、また、そのような姿勢を維持できるのは共産党の独裁政治だからである。民主政治のいかなる国でも国際社会をそれだけ無視した行動は取れない。
 習近平主席のホワイトハスでの発言は一つの達成であったかもしれないが、共産党による独裁体制の限界を示す意味があったのではないか。

2015.09.25

中国とイスラエルの関係

 中国とイスラエルが1992年に外交関係を樹立するまで、中国はイスラエルと戦っていたパレスチナ解放機構(PLO)とアラブ諸国を支持していた。
中国は非アラブ諸国の中で最初にPLOを承認し、北京の代表事務所に外交使節としての待遇を認めていた。また、PLOに対して資金と武器も提供していた。
 改革開放政策が本格的に進められる1980年代になって、中国は現実的な姿勢を取るようになったが、欧米の資本と技術が流入するのはまだ先のことであり、当時は日本の役割が大きかった。宝山製鉄所は代表的な協力の例である。
 そのような状況の中で、中国はイスラエルの軍事装備や技術などに関心を持ち、静かに関係を深めていた。

 冷戦の終結により中東においても新しい展開が生まれた。1991年、米ソ両国がマドリードにおいてスペインと共同で中東和平に関する会議を開催したのを嚆矢として、ノルウェーのホルスト外相の仲介などによって交渉が進められ、1993年9月、ワシントンにおいて「パレスチナ暫定自治政府に関する原則宣言(Declaration of Principles on Interim Self-Government Arrangements)」が署名・発表された。イスラエルのラビン首相とPLOのアラファト議長がクリントン大統領を挟んで歴史的な握手を交わした写真を覚えておられる読者も多いだろう。
 翌1994年にはイスラエルとヨルダンの和平協定が実現し、ヨルダンはエジプトに次いでイスラエルを承認するアラブの国となった。
 パレスチナとイスラエルの関係が緩和したことにより中国・イスラエル関係の進展を妨げていた主要な障害はなくなり、1992年、中国はイスラエルと外交関係を結んだが、それから間もなく、両国にとって試練となる事態が発生した。

 中国によるイスラエルからの早期警戒機、ファルコンの購入問題であり、この件をめぐって中国は複雑な国際関係に巻き込まれ、苦い経験をすることとなった。
 1996年3月、台湾の総統選挙で台湾人の李登輝が選出されることがほぼ確実になった。李登輝はかねてから、台湾は事実上独立の領域であると主張し、各国に対してその実態に見合った扱いをすべきであると訴えていた人物である。李登輝が総統になれば台湾における独立機運が一気に高まると危機感を覚えた中国は、演習と称して台湾近海にミサイルを撃ち込み、台湾の世論に中国との関係の重要性を再認識させようとした。李登輝へ票が流れるのを食い止めたかったのである。
 これに対し米国は空母を台湾近海に派遣して中国の動きをけん制するとともに、ミサイル攻撃への対処に必要な早期警戒機E-2Tを4機供与するなどして台湾の軍事対応能力の向上を図った。この機種は当時の最新鋭機と比べると旧型であったが、中国にとっては座視できない問題となった。
 一方、中国はロシアまたはイスラエルから早期警戒機を入手可能であったが、両者の製品を比較して、イスラエルのファルコンのほうが全体的にロシアのA-50より優れていると判断し、1996年6月、中国はイスラエルからファルコンを購入する契約を結んだ。
 当初、米国は表だって反対しなかった。イスラエル政府が米政府に事前に通報していたこともさることながら、米国は台湾に対する早期警戒機の提供について中国から強く抗議されており、イスラエルによる中国へのファルコン提供は中国をなだめるのに役立つと思ったからであった。
 しかし、米国は、イスラエルによるファルコンの供与は米国にとって脅威になることを恐れ、イスラエルに対して提供を思いとどまるよう圧力をかけはじめた。イスラエルはかなり抵抗したらしいが、結局米国の圧力を跳ね返すことはできず、2000年7月、早期警戒機提供契約の履行を暫時停止することとした。
 すると中国の朱鎔基首相は、おりしも訪中していたロシアのプーチン大統領に対し、ロシア製A-50の購入希望を申し出、プーチン大統領は即座に承諾した。イスラエルの発表から1週間もたっていない時点での出来事であった。中国内には、ロシアのA-50は性能上イスラエルのファルコンに及ばないという意見があることは前述したとおりである。また、独自に開発すべきであるという主張もあったが、中国軍としては一刻も早く早期警戒機を獲得したい考えであり、ロシア機の購入に踏み切ったのである。
 11月、カシヤノフ・ロシア首相が訪中し、朱鎔基首相との間で、ロシアはまずA-50を2機中国に貸与すること、そして、後に5機を売却することに合意した。
 一方、イスラエルは担当の局長を北京に派遣し、契約に違反したことについて中国政府に正式に謝罪した。その際、イスラエルとしては他の国からの圧力を受けてそうせざるをえなかったと弁明し、さらに、いずれファルコンの取引を完了させたい考えであると粘ったと言われている。
 イスラエルの謝罪と弁明に対し、中国は、第三国による干渉に抗議し、かつ、国家間の合意は守られるべきであるとする声明を発表した。
この一連の経緯を通じて、中国とイスラエルの関係進展は一時期スローダウンしたが、中国がイスラエルに対する方針を大きく変更することはなく、その後も両国は軍事面での協力を継続した。
 中国は最近イスラエルに対するハイテク投資を急増させており、その分野では近い将来米国を抜いて一番になるという見方もある。その実態は軍事関連の投資であろう。

 中国は1989年の天安門事件から立ち直って以降、軍事力を急速に増強させ、それに伴い米国と何回か角を突き合わせた。訪中した米国防次官補に対し、中国の副総参謀長が核兵器に関し、「米国は中国を再び脅かすことはできない。最終的には、米国にとっては台北よりロサンジェルスのほうが大事だろう」と、将来核兵器を使用する可能性をにおわせる発言をして米国をひどく刺激したこともあった。両者が衝突するきっかけとなったのが台湾の総統選挙であり、またイスラエルによる中国への早期警戒機供与であった。しかし、中国の軍事力はまだ米国に遠く及ばず、いずれの場合にも中国は米国の影響力の大きさをあらためて見せつけられた。

 今や中国にとって、中東は武器のみならず資源確保の面でも重要な地域になっており、政治的には、イスラム過激派勢力から敵視されているという特殊状況も生じているが、全体的に中国と中東地域との関係は急速に進展している。
 中国は中東和平にも積極的に取り組む姿勢を見せており、2014年に入ってからパレスチナとイスラエルに呉思科特使を3回派遣し、また、王毅外相は同年8月初め、エジプトを訪問した。
 同地で王毅外相が発表した中東和平5項目提案では、イスラエルとパレスチナによる即時停戦、イスラエルによるガザ地区の封鎖解除、拘留パレスチナ人の解放、イスラエルの安全への懸念重視、パレスチナ人の独立と建国への正当な要求と合法的権利の支持など、中国がイスラエルとパレスチナ双方の立場に配慮する姿勢がよく示されていた。
 このような中国の積極的な外交姿勢は、これまで中東和平を進める主役であった米国の立場にも影響を及ぼすのではないかと注目されている。

(『季刊アラブ』No 154 2015年秋号 に掲載された)

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