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2015.02.11
新方針は、A国の軍隊の行動が非軍事目的であるか否かについて、「その実質的意義に着目し、個別具体的に検討する」としている。厳格に判断するという趣旨なのであろう。しかし、軍隊にはいっさい援助しないこととしていた従来の方針と、一定の場合とはいえそれを可能にした新方針の違いは大きい。
政府が非軍事目的であることを確保するのだから大丈夫だ、と考えるのはあまりにも表面的である。たとえば、A国の軍隊は一方では戦争をしながら、他方で災害救助に従事することがあり、その場合に災害救助だけに援助するというのは形式的にはありうるとしても、実質的には意味をなさない。A国の軍隊の財布は一つであり、災害救助に援助することは結果的に戦争にも援助することになるからである。もう少し正確に言えば、災害救助の関係で援助してもらった分だけA国の軍隊は戦争にお金を使えるのである。
もし、「災害援助」に貢献したいならば他に方法がある。たとえば、避難民の支援であれば、国連の難民高等弁務官(UNHCR)に拠出すればよい。実際これまでそうしてきている。あるいは、A国の軍隊でなく政府に対し災害救助のために援助すればよい。これも実際してきている。つまり、災害救助に協力するのはよいが、軍隊に援助する必要はないのである。
また、国際的には、日本が行なった援助がODAとして認められない可能性が出てくる。各国の援助が開発目的にかなっているかを審査するのはDAC(開発援助委員会)という国際機関である。ここではODAとして認められるための基準が定められており、軍に供与した援助はODAとして認められない危険がある。つまり、日本政府が大丈夫と判断すれば問題ないとは言えないのである。
ODAのGNP(国民総生産)に対する比率は、各国の開発協力に対する熱意と努力の度合いを示す指標であり、日本を含め大多数の国はこの比率を高めるのに懸命に努めてきた。日本の協力がODAとして認められなくなれば、この比率は下がる。これは日本にとって深刻な問題となろう。
米国だけはこの比率が低くても意に介さないようである。米国としては対外政策の遂行上巨額の軍事援助を供与することが必要だからであり、比較にならない。
日本の新方針は軍事援助をするということではないので、もちろん米国とは違うが、他国の軍隊に援助する理由も必要性もなく、しかもDACでの審査の問題もあるのにそれに踏み切るのはなぜか。それは、これまでの軍隊にはいっさい援助しないという方針に穴をあけることに眼目があるのではないか。もうしそうだとすれば、形式的には非軍事目的とはいえ、実質的には日本が米国型の軍事援助国に近づく一歩を踏み出そうとしていると考えざるをえない。
これは深刻な問題であり、国民はさらに第2歩、第3歩が踏み出されないよう制止しなければならない。
新「開発協力大綱」には問題あり
政府は2月10日、ODA大綱に代えて新たに「開発協力大綱」を閣議決定した。従来は他国の軍へはいっさい援助を供与しなかったが、新しい方針では災害救助などの非軍事目的の場合には認める道を開いた。たとえば、A国の軍隊が災害救助に従事している場合は資金援助できることにしたのである。新方針は、A国の軍隊の行動が非軍事目的であるか否かについて、「その実質的意義に着目し、個別具体的に検討する」としている。厳格に判断するという趣旨なのであろう。しかし、軍隊にはいっさい援助しないこととしていた従来の方針と、一定の場合とはいえそれを可能にした新方針の違いは大きい。
政府が非軍事目的であることを確保するのだから大丈夫だ、と考えるのはあまりにも表面的である。たとえば、A国の軍隊は一方では戦争をしながら、他方で災害救助に従事することがあり、その場合に災害救助だけに援助するというのは形式的にはありうるとしても、実質的には意味をなさない。A国の軍隊の財布は一つであり、災害救助に援助することは結果的に戦争にも援助することになるからである。もう少し正確に言えば、災害救助の関係で援助してもらった分だけA国の軍隊は戦争にお金を使えるのである。
もし、「災害援助」に貢献したいならば他に方法がある。たとえば、避難民の支援であれば、国連の難民高等弁務官(UNHCR)に拠出すればよい。実際これまでそうしてきている。あるいは、A国の軍隊でなく政府に対し災害救助のために援助すればよい。これも実際してきている。つまり、災害救助に協力するのはよいが、軍隊に援助する必要はないのである。
また、国際的には、日本が行なった援助がODAとして認められない可能性が出てくる。各国の援助が開発目的にかなっているかを審査するのはDAC(開発援助委員会)という国際機関である。ここではODAとして認められるための基準が定められており、軍に供与した援助はODAとして認められない危険がある。つまり、日本政府が大丈夫と判断すれば問題ないとは言えないのである。
ODAのGNP(国民総生産)に対する比率は、各国の開発協力に対する熱意と努力の度合いを示す指標であり、日本を含め大多数の国はこの比率を高めるのに懸命に努めてきた。日本の協力がODAとして認められなくなれば、この比率は下がる。これは日本にとって深刻な問題となろう。
米国だけはこの比率が低くても意に介さないようである。米国としては対外政策の遂行上巨額の軍事援助を供与することが必要だからであり、比較にならない。
日本の新方針は軍事援助をするということではないので、もちろん米国とは違うが、他国の軍隊に援助する理由も必要性もなく、しかもDACでの審査の問題もあるのにそれに踏み切るのはなぜか。それは、これまでの軍隊にはいっさい援助しないという方針に穴をあけることに眼目があるのではないか。もうしそうだとすれば、形式的には非軍事目的とはいえ、実質的には日本が米国型の軍事援助国に近づく一歩を踏み出そうとしていると考えざるをえない。
これは深刻な問題であり、国民はさらに第2歩、第3歩が踏み出されないよう制止しなければならない。
2015.02.10
この発言について賛否両論が沸き起こった。袁貴仁の発言を批判する意見は、「硬直的に西側の価値観を排除することはあやまりである。共産主義ももともとは西側の価値観である」と指摘した。
これに対する批判、つまり袁貴仁を擁護する意見は「自由派の学者や評論家は共産党の指導に対する姿勢に問題がある。折あらば批判しようとしている。思想工作が徹底していないからである」などと論じており、党の代弁機関である新華社、人民日報、環球時報などはこの趣旨の論評を相次いで流している。
昨年には「普遍的価値」についての論争があった。ある人は「普遍的価値があるはず」と主張し、他の人は「それは西側の考えだ」と反論した。ほとんど同じ内容の論争である。
袁貴仁の発言をめぐって生じた賛否両論は、「左」と「右」の対立にもなっている。何が「左」で何が「右」か、まともに定義しようとすると面倒なことになるが、米国に本拠を置く中国語の新聞『多維新聞』(人民日報など党の代弁機関とは一線を画している)は、「現在、ブルジョワ自由化の傾向は弱体化しておらず、「右」の勢力は強くなりつつある」「「左」の力は弱まる傾向にあるが、最近復活の兆しも見えている。2012年の薄熙来が一つの契機であった(注 同人は、汚職の問題はさておいて、下級階層を重視した、いわゆる「赤い歌を歌った」ので人気があった。失脚した後も同人のそのような姿勢を支持する声はやまなかった)。また、「烏有之郷」は左派の拠点となって議論を展開した。新華社、人民日報さらに『求是』雑誌などは中央の宣伝のマウスピースになり、自由派に対する攻撃を強めている」と論じている。
社会科学院の朱継東は「左」の立場から、「教育部長を攻撃する教師や評論家を厳しく罰し、問題の釘を引き抜かなければならない。思想の領域に入り込み、平和的な革命(和平演変)を標榜する一切の言行に決然と攻撃を加えなければならない」と書いた。
多維新聞が言う、「右」の意見が盛んであることを示すものが、天安門事件の見なおし、再評価を求める声が強くなっていることである。同事件の際、天安門を占拠した学生らは政府の求めに応じなかったので、政府は人民日報を通じて、事件は「動乱」であるとの見解を発表した。軍事力によるデモ隊の排除の前提となり、それを正当化する評価であった。しかし、政府のこのような判断については、行き過ぎであるという考えが事件の収束後もくすぶり続けており、最近自由派の人たちは、表立って天安門事件の際の政府の行動を批判することはできないが、行き過ぎを是正させるためさまざまな議論と展開している。政府はこのことについて常時神経をとがらせていると言っても過言でないだろう。
西側の価値観に関する論争や、左右の対立は基本的には思想領域の問題であるが、議論はそこで終わることなく「平和的な革命」、つまり、共産党の支配体制を覆す政治的問題にまで及ぶことが少なくない。天安門事件の際、鄧小平が欧米諸国は「平和的な革命」を狙っていると述べて反発したが、それから25年もたち、中国は世界第2の経済大国になったのにそのような猜疑心は消えないのである。
「平和的革命」は、米欧諸国が認めたことはなく、中国側が一方的に思っているだけである。しかし、中国がそのように解釈したくなることは分からないでもない。
最近、米国で、’The Twilight of China’s Communist Party(中国共産党のたそがれ)’と題する論文が発表された。米国でもっと経験豊かな中国ウォッチャーが、“I can’t give you a date when it will fall, but China’s Communist Party has entered its endgame.”と著者のMichael Auslinに述べたというものである。この論文の内容にどれほどの信頼性があるか。米国のウォールストリート・ジャーナルやワシントン・ポストは報道したが、日本の新聞は報道していないようである。あるいは報道していても、目立つような記事ではなかったように思われる。
どちらの報道姿勢がよいかはともかくとして、中国共産党は、やはり欧米には「平和的革命」の考えが根強く存在すると思った可能性がある。
中国の体制維持に関する消えない懸念
日本にはないが中国にある、と言えばちょっと誇張になるかもしれないが、中国では現体制に関わる議論が盛んである。今年になってそのきっかけとなったのは、教育部長袁貴仁の、「教師は西側の価値観を教室に持ち込んではいけない」という発言であった。この発言について賛否両論が沸き起こった。袁貴仁の発言を批判する意見は、「硬直的に西側の価値観を排除することはあやまりである。共産主義ももともとは西側の価値観である」と指摘した。
これに対する批判、つまり袁貴仁を擁護する意見は「自由派の学者や評論家は共産党の指導に対する姿勢に問題がある。折あらば批判しようとしている。思想工作が徹底していないからである」などと論じており、党の代弁機関である新華社、人民日報、環球時報などはこの趣旨の論評を相次いで流している。
昨年には「普遍的価値」についての論争があった。ある人は「普遍的価値があるはず」と主張し、他の人は「それは西側の考えだ」と反論した。ほとんど同じ内容の論争である。
袁貴仁の発言をめぐって生じた賛否両論は、「左」と「右」の対立にもなっている。何が「左」で何が「右」か、まともに定義しようとすると面倒なことになるが、米国に本拠を置く中国語の新聞『多維新聞』(人民日報など党の代弁機関とは一線を画している)は、「現在、ブルジョワ自由化の傾向は弱体化しておらず、「右」の勢力は強くなりつつある」「「左」の力は弱まる傾向にあるが、最近復活の兆しも見えている。2012年の薄熙来が一つの契機であった(注 同人は、汚職の問題はさておいて、下級階層を重視した、いわゆる「赤い歌を歌った」ので人気があった。失脚した後も同人のそのような姿勢を支持する声はやまなかった)。また、「烏有之郷」は左派の拠点となって議論を展開した。新華社、人民日報さらに『求是』雑誌などは中央の宣伝のマウスピースになり、自由派に対する攻撃を強めている」と論じている。
社会科学院の朱継東は「左」の立場から、「教育部長を攻撃する教師や評論家を厳しく罰し、問題の釘を引き抜かなければならない。思想の領域に入り込み、平和的な革命(和平演変)を標榜する一切の言行に決然と攻撃を加えなければならない」と書いた。
多維新聞が言う、「右」の意見が盛んであることを示すものが、天安門事件の見なおし、再評価を求める声が強くなっていることである。同事件の際、天安門を占拠した学生らは政府の求めに応じなかったので、政府は人民日報を通じて、事件は「動乱」であるとの見解を発表した。軍事力によるデモ隊の排除の前提となり、それを正当化する評価であった。しかし、政府のこのような判断については、行き過ぎであるという考えが事件の収束後もくすぶり続けており、最近自由派の人たちは、表立って天安門事件の際の政府の行動を批判することはできないが、行き過ぎを是正させるためさまざまな議論と展開している。政府はこのことについて常時神経をとがらせていると言っても過言でないだろう。
西側の価値観に関する論争や、左右の対立は基本的には思想領域の問題であるが、議論はそこで終わることなく「平和的な革命」、つまり、共産党の支配体制を覆す政治的問題にまで及ぶことが少なくない。天安門事件の際、鄧小平が欧米諸国は「平和的な革命」を狙っていると述べて反発したが、それから25年もたち、中国は世界第2の経済大国になったのにそのような猜疑心は消えないのである。
「平和的革命」は、米欧諸国が認めたことはなく、中国側が一方的に思っているだけである。しかし、中国がそのように解釈したくなることは分からないでもない。
最近、米国で、’The Twilight of China’s Communist Party(中国共産党のたそがれ)’と題する論文が発表された。米国でもっと経験豊かな中国ウォッチャーが、“I can’t give you a date when it will fall, but China’s Communist Party has entered its endgame.”と著者のMichael Auslinに述べたというものである。この論文の内容にどれほどの信頼性があるか。米国のウォールストリート・ジャーナルやワシントン・ポストは報道したが、日本の新聞は報道していないようである。あるいは報道していても、目立つような記事ではなかったように思われる。
どちらの報道姿勢がよいかはともかくとして、中国共産党は、やはり欧米には「平和的革命」の考えが根強く存在すると思った可能性がある。
2015.02.08
日本は1910年に韓国(当時は「大韓帝国」)を併合し、統治を始めました。一方、日本は、米国、中華民国などいわゆる連合国と戦争し、1945年にこの戦争は終結しました。この時、日本の朝鮮統治も同時に終了しました。
日本と連合国の間の戦争状態の法的処理は1951年に締結されたサンフランシスコ平和条約(以下、単に「平和条約」)で行なわれました。朝鮮は日本と戦争状態にあったのではなく連合国でありませんでしたが、連合国の側では戦争中から朝鮮の問題についても関心を持ち、1943年、米英中3国の首脳がカイロで行なった戦後処理に関する宣言では、「前記三大国(注 米英中のこと)ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ(注 「ヤガテ」と読む。意味は「間もなく」)朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス」と謳いました。要するに、連合国は朝鮮を独立させると宣言したのです。そして、平和条約はカイロ宣言に基づき、「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済洲島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と定めました(第2条(a))。
カイロ宣言や平和条約が想定していた「朝鮮」とは朝鮮半島全体を統治する国家のことですが、日本が戦争に敗れると朝鮮半島の南部には連合国が、北部にはソ連が進駐して南北に分かれました。1948年、南部では「大韓民国」が、北部では「朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」)」が成立し、両政権は統一朝鮮の実現を目指しましたが、進展しませんでした。それどころか2年後には朝鮮戦争が勃発し、南北の対立は決定的になってしまいました。
日本が統一国家としての「朝鮮」を承認する見込みは遠のいてしまいましたが、ともに自由陣営に属する「大韓民国」とは関係を正常化することが必要だったので、1965年、日本と韓国は基本条約を締結して外交関係を樹立しました。
一方、北部の北朝鮮と日本の間では関係がないままの状態が、戦争が終わって70年になるのに続いています。韓国と北朝鮮が将来統一国家を樹立するか、それは両国の問題ですが、日本と北朝鮮は国交正常化を実現し、諸懸案を解決するための努力を一層強化していくことが必要です。
日韓関係正常化後、韓国は長足の経済成長を実現し、1996年には「先進国クラブ」と言われるOECD(経済協力開発機構)にも加盟しました。世界でも有数の、経済発展の勢いがある国として「タイガー」と呼ばれたこともありました。今や韓国はいくつかの分野で世界のトップクラスにあります。日本はこのような韓国経済の発展に協力してきました。現在、両国間の経済関係は緊密です。
文化面では、韓国は以前日本文化の流入を強く警戒し、制限していましたが、今は開放的になっています。また、日本側でも「韓流ブーム」がおきるなど、韓国に対する関心は高まっています。このような文化面での関係緊密化は経済関係とともに、両国関係を進展させる重要な要因となっています。
一方、歴史問題、とくに慰安婦問題などをめぐって日韓関係は非常に悪化しており、安倍首相と朴槿恵大統領の首脳会談は一度も行われていません。両国は植民地支配を終結させ正規の国家間関係を結びましたが、韓国人の国民感情には過去の歴史の影響を払しょくできない面があることを加害者であった日本として忘れたり、過小評価したりしてはなりません。慰安婦問題を解決するため日本はこれまでに努力を重ねてきましたし、韓国にはそのことを正しく理解してもらいたいのは当然です。それと同時に、日本は国際社会の状況にも注意しつつ、今後もこの問題の解決のため誠実に対応していかなければなりません。
日本と韓国は長い歴史を持つ隣国どうしであり、また、アジアの平和と安定に大きな責任を負っており、一刻も早く関係を改善することが必要です。韓国の朴槿恵大統領は、歴史問題について厳しい姿勢を維持しつつも、日本との関係改善を前向きに考える姿勢を示しています。安倍首相の側でも関係改善の糸口を探ろうとしており、両国の首脳が今後積極的に一歩を踏み出すことが期待されます。
今年は終戦70周年なので安倍首相は新しい談話を発表する考えです。20年前の50周年に村山首相は談話を発表し、戦争をしたのは誤りであった、日本は植民地支配と侵略によって多くの国に多大の損害と苦痛を与えた、反省しお詫びする、という極めて重要な表明を行ないました。これらのことは、今後日本が韓国を含め近隣諸国と善隣友好関係を増進していくのに不可欠の基本認識です。今年行なわれる安倍首相の談話においては、このような認識とともに、日本が戦後一貫して平和国家として歩んできたこと、また、今後アジア太平洋地域や世界に貢献していくことを示すことが期待されます。
(THEPAGEに2月7日掲載)
日韓国交正常化「50年」関係改善なるか 新談話の行方は?
今年は日本と韓国が1965年に正式の国家間関係(外交関係)を結んでからちょうど50年目に当たります。第2次世界大戦は1945年に終わりましたが、それから20年たってようやく日本と韓国の関係が正常化されたのは次のような事情からでした。日本は1910年に韓国(当時は「大韓帝国」)を併合し、統治を始めました。一方、日本は、米国、中華民国などいわゆる連合国と戦争し、1945年にこの戦争は終結しました。この時、日本の朝鮮統治も同時に終了しました。
日本と連合国の間の戦争状態の法的処理は1951年に締結されたサンフランシスコ平和条約(以下、単に「平和条約」)で行なわれました。朝鮮は日本と戦争状態にあったのではなく連合国でありませんでしたが、連合国の側では戦争中から朝鮮の問題についても関心を持ち、1943年、米英中3国の首脳がカイロで行なった戦後処理に関する宣言では、「前記三大国(注 米英中のこと)ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ(注 「ヤガテ」と読む。意味は「間もなく」)朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス」と謳いました。要するに、連合国は朝鮮を独立させると宣言したのです。そして、平和条約はカイロ宣言に基づき、「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済洲島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と定めました(第2条(a))。
カイロ宣言や平和条約が想定していた「朝鮮」とは朝鮮半島全体を統治する国家のことですが、日本が戦争に敗れると朝鮮半島の南部には連合国が、北部にはソ連が進駐して南北に分かれました。1948年、南部では「大韓民国」が、北部では「朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」)」が成立し、両政権は統一朝鮮の実現を目指しましたが、進展しませんでした。それどころか2年後には朝鮮戦争が勃発し、南北の対立は決定的になってしまいました。
日本が統一国家としての「朝鮮」を承認する見込みは遠のいてしまいましたが、ともに自由陣営に属する「大韓民国」とは関係を正常化することが必要だったので、1965年、日本と韓国は基本条約を締結して外交関係を樹立しました。
一方、北部の北朝鮮と日本の間では関係がないままの状態が、戦争が終わって70年になるのに続いています。韓国と北朝鮮が将来統一国家を樹立するか、それは両国の問題ですが、日本と北朝鮮は国交正常化を実現し、諸懸案を解決するための努力を一層強化していくことが必要です。
日韓関係正常化後、韓国は長足の経済成長を実現し、1996年には「先進国クラブ」と言われるOECD(経済協力開発機構)にも加盟しました。世界でも有数の、経済発展の勢いがある国として「タイガー」と呼ばれたこともありました。今や韓国はいくつかの分野で世界のトップクラスにあります。日本はこのような韓国経済の発展に協力してきました。現在、両国間の経済関係は緊密です。
文化面では、韓国は以前日本文化の流入を強く警戒し、制限していましたが、今は開放的になっています。また、日本側でも「韓流ブーム」がおきるなど、韓国に対する関心は高まっています。このような文化面での関係緊密化は経済関係とともに、両国関係を進展させる重要な要因となっています。
一方、歴史問題、とくに慰安婦問題などをめぐって日韓関係は非常に悪化しており、安倍首相と朴槿恵大統領の首脳会談は一度も行われていません。両国は植民地支配を終結させ正規の国家間関係を結びましたが、韓国人の国民感情には過去の歴史の影響を払しょくできない面があることを加害者であった日本として忘れたり、過小評価したりしてはなりません。慰安婦問題を解決するため日本はこれまでに努力を重ねてきましたし、韓国にはそのことを正しく理解してもらいたいのは当然です。それと同時に、日本は国際社会の状況にも注意しつつ、今後もこの問題の解決のため誠実に対応していかなければなりません。
日本と韓国は長い歴史を持つ隣国どうしであり、また、アジアの平和と安定に大きな責任を負っており、一刻も早く関係を改善することが必要です。韓国の朴槿恵大統領は、歴史問題について厳しい姿勢を維持しつつも、日本との関係改善を前向きに考える姿勢を示しています。安倍首相の側でも関係改善の糸口を探ろうとしており、両国の首脳が今後積極的に一歩を踏み出すことが期待されます。
今年は終戦70周年なので安倍首相は新しい談話を発表する考えです。20年前の50周年に村山首相は談話を発表し、戦争をしたのは誤りであった、日本は植民地支配と侵略によって多くの国に多大の損害と苦痛を与えた、反省しお詫びする、という極めて重要な表明を行ないました。これらのことは、今後日本が韓国を含め近隣諸国と善隣友好関係を増進していくのに不可欠の基本認識です。今年行なわれる安倍首相の談話においては、このような認識とともに、日本が戦後一貫して平和国家として歩んできたこと、また、今後アジア太平洋地域や世界に貢献していくことを示すことが期待されます。
(THEPAGEに2月7日掲載)
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