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2017.03.31

朴槿恵前大統領の逮捕

 朴槿恵前大統領がついに逮捕された。裁判所が検察当局による逮捕請求を認めた結果だ。朴槿恵氏が実際どのような罪を犯したのか。韓国での裁判はこれからであり、事実関係はまだ確定していない。ましてや日本にいる我々が知っていることは限られているので、逮捕について安易に論評すべきでない。
 しかし、韓国は日本の重要な隣国であり、3週間前まで韓国の大統領であった人が逮捕され、収監されたことは日本にとっても重大な出来事であり、注目するのは当然だろう。
 
 日本から見ると、韓国は同じ民主主義の法治国家であるが、日本の常識で理解できる面とできない面が両方あるように思えてならない。
 韓国にも憲法以下の法律があり、それによって国民の権利が守られ、また義務が定められている。また、法の実現のために裁判制度が設けられている。朴槿恵氏についていえば、韓国国会における弾劾も、検察当局による取調べも、また憲法裁判所による弾劾の是非についての判断も、そして逮捕の是非についての裁判所の判断もすべて法の定める手続きにしたがって行われた。これは我々としても容易に理解できることである。
 しかし、これらの決定や判断の理由と根拠については理解困難な面がある。朴槿恵氏はチェ・スンシル被告に演説などについて相談したことは認めつつも、人事に関与させたことも、賄賂を受け取ったことも否認し続けてきた。このような姿勢は一貫しており、現在も変わっていない。だから、朴槿恵氏が重大な過ちを犯したとは思えず、収監するのは理解に苦しむ。
 裁判所や検察当局の説明には、朴槿恵氏が捜査に協力しないという指摘もあるが、それが3週間前まで大統領であった人を収監する理由になるとは思えない。
 さらに付言すると、検察当局などの説明には、チェ・スンシル氏やサムソン電子の実質上のトップの訴追と「バランスをとるために」ということが混じっている。これも理解に苦しむ。
 もっとも、以上は表面的なことに過ぎず、朴槿恵氏には本当に重大な犯罪事実があると言うなら話は違ってくる。我々としても理解可能となるだろう。
 細かいことにも触れてしまったが、要するに、韓国の裁判所や検察当局の判断は、報道されている限り、理由と根拠がとぼしく、世論に影響されているのではないかという疑念をぬぐえないのである。
 
 それは韓国の実情だと言われそうな気もする。そうかもしれないが、このような韓国論には一言付け加えたい。
 現在、日韓関係はとくに慰安婦少女像の問題などをめぐって非常に悪化している。そして、残念ながら、韓国人は日本に怒りを覚え、日本人はそれを不愉快に思うことが少なくないが、韓国人の怒りは日本にだけ向くのではなく、問題が違えば韓国人自身にも向くことがあるということだ。
 
2017.03.30

教科書検定は古臭い感覚でないか

 小学校の道徳教科書の検定結果が3月24日に公表された。直接検定結果を見たのではなく、二、三の新聞報道からの印象だが、検定は「上からの目線だ」「カビの生えたような古臭い感覚だ」「高齢者を特に重視している」「児童に興味を持たせる発想が希薄だ」と思った。

 小1の教科書では散歩中に友達の家の「パン屋」を見つけた話が教科書原案に書いてあったが、「パン屋」は「和菓子屋」に修正された。修正目的は、「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つ」点が足りないからだと説明されたそうだが、「和菓子屋」と言っても小学校の1年生にはまず分からないだろう。そのような言いかえは目的にかなうか、さっぱりわからない。
 もっとも、検定意見はすべて取り入れないと教科書として認められないということではなく、「教科書全体で項目全てを扱ってほしいとの意図で、どこを修正するかは教科書会社の判断」と説明されている(『日経新聞』25日付)が、「和菓子屋」への修正意見があったことに変わりはない。
 さらに、「おじさん」が「おじいさん」に、「アスレチックの遊具で遊ぶ公園」が「和楽器店」にそれぞれ修正されたが、「和菓子屋」と同様、そのような書き換えが「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つ」ことにつながるとは思えない。ちなみに、私は3人の孫を持つ「おじいさん」だが、「和楽器店」へ一度も行ったことがない。アスレチック遊具は何回も見かけたのでそれなりに知っている。

 教科書は児童に興味を覚えさせることを重視すべきだ。かりに「和楽器店」を例にとれば、そこには児童にとって何か面白いことがあることを紹介し、教えてあげるべきだ。そうなっておれば評価したいが、ただ「和楽器店」のイラストだけでは児童は興味を覚えないだろう。かえって面白くないところだと思うかもしれない。

 まさかと思うが、検定委員は「カタカナはだめで、和言葉ならよい」という考えでないことを希望する。日本語の中には外来語が無数にあり、日本人の生活の中に入り込んでいる。そのことも日本の文化だ。そういうと、反論が出るかもしれないが、「日本の文化」を古い頭で、狭く考えないでもらいたい。アニメにも日本文化として世界に誇れるものがある。そういう側面にも注意を払ってほしい。
2017.03.29

核禁止条約交渉に日本は参加しないでよいか

 3月27日、国連本部で「核兵器禁止条約」の制定を目指す会議が始まったが、日本は参加しなかった。昨年12月、国連総会でこの条約交渉の開始が決定された際、賛成した国は113カ国、反対は35カ国。核保有国の米英仏露は反対し、中国は棄権した。日本は反対票を投じた。
 今回始まった交渉への参加/不参加状況はほぼこの決定の時と同じであるが、中国も不参加となった。つまり、米英仏中ロなど全核保有国が欠席した。核の非保有国では、米国の同盟国の大半は不参加であったので日本だけが特異な姿勢ではなかったようだ。
 さらに、条約交渉開始と同時刻に、交渉場所の外側で、ヘイリー米国連大使が約20カ国の国連大使らと共に条約に反対する声明を読み上げたが、日本の高見澤軍縮大使は同席しなかった。

 日本は核禁止条約交渉に反対しているが、交渉の場には出向き、日本の考えを主張すべきであったと思う。今回、交渉を始めるに先立って国連総会議場で各国が意見を述べる機会があり、高見澤大使は日本の立場を説明した。その限りでは改めて日本として主張したが、交渉の中でも日本は我が国の考えを主張すべきであった。
 交渉は2段階になっており、31日まで行われる第1段階では各国が基本的な考えを述べることになっている。そして、交渉はいったん休会となったのち、6月から第2段階が始まり、条約案の審議が開始される予定だ。そういうことであれば、この第1段階は日本として反対の立場を説明・主張するのに適した場ではないか。
 要するに、日本は、核兵器の禁止に現時点でどうしても賛成できないとしても、それを条約にしてしまおうという試みには最後まで説得を続けるべきであったと思う。

 以上もさることながら、日本が交渉への不参加を決定したのは、米トランプ政権と異なる態度を取るべきでないと日本政府(その一部?)が考えた結果であると言われていることに深刻な懸念を覚える。
 日本は米国の核の傘の下にあるが、核政策について個性があってよいし、むしろ個性的であるのは当然だ。被爆国だからだ。核の禁止には反対しても核保有国と違う個性があって当然だ。しかるに、米国と異なる態度を取るべきでないとすると、この個性を放棄することにならないか。
 しかも、トランプ政権は軍事予算を法定限度額を超えて増額する方針であり、かつ、核兵器の近代化も重視している。このような方向性の米国と、核について同じ方針を取れるか、非常に疑問だ。

 さらに、この問題はトランプ政権とどのように協力していくかという一般的なこととも関連している。日本としてできること、できないことは米国とおのずと異なっている。それを無視すると、たとえば、朝鮮半島で米国が軍事行動を始めた場合、日本は米国から求められると「第三国による攻撃を排除するために必要な武力の行使、部隊の展開などを自衛隊にさせる」ことになる。その前提として「日本の存立が脅かされる明白な危険がある」などいわゆる新3要件を満たすことが必要であるが、トランプ政権と違う態度を取らないという方針に従えば、それは比較的容易に認定されるだろう。
 しかし、そのようなことは、無謀な戦争をしたことを反省し、再出発したときの考えである現憲法とあまりにも違ってくるのではないか。
 心配しすぎかもしれないが、トランプ政権と歩調を合わせるというのが日本政府の方針だとすると、国民が認識していない危険にまでつながっていくように思えてならない。



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