平和外交研究所

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2017.12.07

ポスト「火星15号」

 北朝鮮は9月15日のミサイル発射実験から2か月半、核もミサイルも実験しなかった。世界中の人々はそのような状態が続くことを望んでいたが、北朝鮮はまたもや国際社会の意思を無視して11月29日、「火星15号」の実験を行った。これまでで最も性能が高いものでICBMであったという。その後の各国の反応を見ておこう。

 米国のヘイリー国連大使は、29日の安保理緊急会合で、「ミサイル発射は世界を戦争から遠ざけるのではなく近づけた。戦争になれば、昨日我々が目撃した侵害行為(ミサイル発射)が理由だ」などと北朝鮮を非難する一方、すべての国々に、北朝鮮との国交を断ち、北朝鮮を「国際社会ののけ者」として扱うべきだと求めた。
 また、同大使は、トランプ大統領が習近平主席に電話連絡し、「中国は北朝鮮への石油供給を断たねばならない」と伝えたことを明らかにした。
 このヘイリー大使の発言は米国の不快感をよく表しているが、どの程度の効果が期待できるか。9月11日の制裁決議で最大限強力な措置を決定した後なので、いまひとつ明確でない。

 米韓両空軍は12月4日、韓国各地で合同軍事演習を始めた。8日まで実施される予定だ。演習には米軍のF22、F35両ステルス戦闘機などに加え、話題性の高いB-1爆撃機も参加し、地上の爆撃や空中戦などの演習を行う。今回の演習は過去最大規模で、北朝鮮が演習に強く反発しているのはいつものことだが、この演習が必要なのか、どのような利点があるのかが問われる。
 韓国は12月1日、斬首部隊を成立させた。韓国軍にそのような任務の部隊があることは以前から話題に上っていたが、今回は1000人の兵員からなる部隊の正式立ち上げの発表であった。

 北朝鮮によるミサイルの実験後、ティラーソン米国務長官は国連軍派遣国会合を、日本を含めて開催することを提案した。この提案に対し、日本政府は全面拒絶ではなかったが、近日中(12月中?)の開催には消極的で、この会合は開催するにしても来年になるとみられている。日本政府は安保理の緊急会合を優先的に考えており、国連軍派遣国会合はかえって国際社会の足並みを乱しかねないと危惧し、開催に積極的な米加両国に不快感を伝えたとも報道されている(『産経新聞』12月5日)。
 日本政府がこの会合に消極的なのは、これらの理由に加え、この会合を開催すると、北朝鮮が核とミサイルの開発にこだわるのは朝鮮戦争との関係、つまり北朝鮮の安全のためであるという基本問題に焦点が当たるようになるとみているためではないか。

 国連事務局のフェルトマン事務次長が12月5日~8日、北朝鮮を訪問している。この訪問は北朝鮮側の要望に応えたものであるという。北朝鮮は、一方で、実験を繰り返しつつ、国際社会とは意思疎通を続けたいという考えのようだ。柔軟に考える余地があるなら、他にも方策があるのではないか。
 フェルトマン次長は米国の元外交官である。今は国連の職員として中立の立場にあるが、米国政府とも連絡を取ったうえでの訪朝とみるのが自然であろう。
 なお、2010年、潘基文国連事務総長時代にパスコー次長が訪朝した例があったが、その時と現在は客観状況が違っており、あまり参考にならない。

 安倍首相は11月29日の記者会見で、「国連安保理に対して緊急会合を要請します。国際社会は団結して制裁措置を完全に履行していく必要があります。我が国はいかなる挑発行為にも屈することなく、圧力を最大限まで高めていきます」と述べた。やはり圧力一本やりであった。

2017.12.05

中国軍内の権力闘争

 中国軍内の権力闘争は、さる8月の現役総参謀長、房峰輝の拘束により大勢が決し、習近平総書記は10月の中国共産党第19回大会で、軍の最高権威である中央軍事委員会の改編、全国における軍の編成替え、大幅な人事異動など改革の成果を誇り、同時に軍における共産党による指導の強化を強調した。
 また、同大会では習近平総書記の権威が高められ、改正された党規約の総則に「習近平強軍思想」が記載された。習氏の権威を高めることは今次党大会全体を通じる特徴であるが、軍においても習近平総書記の指導体制が顕著に強化されたのであった。

 習氏が示した国防の基本方針は「十六文字方針」と呼ばれている。その内容は、党の指導性の強化、軍事力の強化、科学技術力の向上および法に基づく統治、と全面的なものであるが、このような形で示された国防方針から見えてくることは多くない。

 しかし、中国軍が抱える弱点はすでに明らかになっている。まず、去る8月の、現役の総参謀長の拘束である。中国の総参謀長は、日本では統合幕僚長、米国では統合参謀本部議長であり、軍のトップである。このような人物が拘束されたことは中国が近代的な軍事建設を目指すようになって以来なかったことであり、国際的に比較するまでもなく中国軍の権威を著しく失墜させる醜聞であった。
 習近平主席は、それ以前に中央軍事委員会の副主席であった郭伯雄・徐才厚の両氏を失脚させていた。これら両人は反腐敗運動の標的としては大物(虎)とみなされていたが、胡錦涛主席時代の副主席であり、習近平政権では現役でなかった。これらの者が訴追されたからといってただちに中国軍の規律全体が問われることはなかった。

 房峰輝の失脚には、また、権力闘争の面があった。房峰輝は、胡錦濤主席が任期を終える直前の2012年10月に、次の主席となる習近平に断りなく総参謀長に任命したのであり、郭伯雄・徐才厚の両副主席が引退した後の胡錦濤系の代表と見られていた。
 しかるに、習氏はこの人物を排除するのに5年近くかかったのである。房峰輝は胡錦濤の代表であることもさることながら、軍人の代表でもあった。習近平といえども、簡単に排除できなかったのは理解に難くない。

 房峰輝はすでに拘束されており、中国の常識では同人が失脚することは間違いない。そして第19回党大会となったのだが、房峰輝の系列の人物は軍内にまだかなり(多数?)残っているようだ。そのことを示唆するのが、房峰輝の腹心の部下である中央軍事委員会政治工作部元主任の張陽が11月23日、自殺したことであった。つまり、軍内には房峰輝の拘束に関係する緊張が残っているのである。

 軍内で反腐敗運動を進める機関である「中央軍事委員会規律検査委員会」は第19回党大会で中央軍事委員会の直属機関として格上げされた。旧制度では、規律検査委員会は政治工作の一部としての位置づけしか与えられていなかったので、大幅な格上げであった。
 その理由は、今後も軍内で反腐敗運動を、また、表には出ないが権力闘争を強力に進めていかなければならないからであろう。今次党大会までに習近平主席が行った人事異動は近年まれにみる大規模なものであったが、習氏が問題と考える軍人を排除し去るにはまだ遠い道のりが残っているのである。中国軍の兵員数は、削減計画が2017年末に完了すると約200万人となる。これだけの規模の軍内に房峰輝が築いてきた人脈が多数残っているのは何ら不思議でない。

 軍の改革は2020年までに完了するというのが当初からの目標である。その達成に向けて今後も努力が続けられるであろうが、権力や利権と結びついた中国軍を浄化できるか、常識的には考えられないような事態が今後も発生するのではないかと思われる。

2017.11.30

横綱日馬富士の引退だけが問題でない

 横綱日馬富士が、約1か月前の貴ノ岩に対する暴行が原因で11月29日、引退届を日本相撲協会へ提出した。暴行事件の真相は、日馬富士自身暴行したことは認めているが、詳細は明確になっておらず、警察が捜査を進めている。そんな中での引退届の提出、それに引き続く記者会見であり、まだ納得できないという印象を抱いている人は少なくないようだが、一つ明確になってきたことがある。

 日馬富士は、「先輩横綱として『弟弟子』が礼儀と礼節がなっていない時に、それを正し、直し、教えてあげるのは先輩としての義務だと思っています。『弟弟子』の未来を思ってしかったことが、彼を傷つけ、そして大変世間を騒がし、相撲ファン、相撲協会、後援会のみなさまに大変迷惑をかけることになってしまいました」と述べた。
 日馬富士が貴ノ岩に対する謝罪を表明しなかったことは問題だと指摘されており、それには同感だが、貴ノ岩を「弟弟子」、自分自身を「兄」とみていることがより本質的な問題である。
 日馬富士の説明によれば、貴ノ岩を教育する中で傷つけたということであるが、これは認められない。傷つけることはもちろん、日馬富士が他の部屋の力士を自分の弟弟子とみなしていたことも問題だからである。相撲界では部屋が違うと兄弟子、弟弟子の関係にならず、実際にもそのように呼ばない。
 
 横綱白鵬も問題を起こしている。きわどい勝負に審判員から待ったがかかったのに対し、悪態をついたこともあった。行事が「待った」を認めなかったとして、衆目の前で抗議の姿勢を示し、土俵に戻ってからも不満の面持ちでたち続けたことがあった。さらに、相撲協会が危機に瀕していた九州場所の千秋楽で、めでたいときに行う万歳三唱の音頭を取り、さらに日馬富士と貴ノ岩が土俵に戻れるよう希望すると発言した。刑事事件で起訴される恐れがある人物に対し穏便な措置を求めていると解されても仕方のない発言であった。

 日馬富士と白鵬のこれら言動は日本の大相撲には異質で、問題であった。暴力は日馬富士が初めてではなく、以前にもあったが、他の部屋の力士を弟弟子とみなすのは、初めてであった。
日馬富士がそのような考えであったのは、貴ノ岩が同じモンゴル人だからだろう。モンゴル人同士が親しく付き合い、また家族同然の関係にあっても不思議ではないし、日本人としても理解が困難なことでない。日本にも同様の浪花節的関係はいくらもある。
 しかし、つねに真剣勝負が求められている相撲界では、他の部屋の力士を自分の兄弟とみなしてはならない。日馬富士はこのことについて理解が足りなかった。
 
 白鵬が問題の言動を行っているのはモンゴル人力士であるためか、表面的には明確でないが、日本人としてはあり得ないことであり、やはりモンゴル人であることが影響していると思われる。日馬富士にしても白鵬にしても、傷害は別として、許容範囲内と思っているのだろうが、日本の相撲界では許されないことに気が付いていないのだ。
 彼らが、日本の社会でも特に特殊な相撲界で文字通り血の出る努力をし、日本社会をよく理解し、日本語を学んできたことに疑義をさしはさむ余地はなく、日馬富士の記者会見での発言にもそのような努力の跡がにじみ出ていた。それは明らかだが、彼らには相撲界の倫理が不足していると見るべきだろう。
 彼らに倫理がないというのではなく、普通の倫理はあり、土俵で審判に異議を唱えても、それは許されないことだとは考えない。他の競技では、たとえば、テニスなどではしばしば生じていることであるが、異議を唱えることが悪だと思われていないのと同じ理屈である。
 ただ、相撲界ではそれは認められない。両力士とも抜群の力量と技能を身に着けている。また、精神力も備えている。しかし、日本の相撲界の倫理をまだ十分に体得していないのだ。それは何も驚くべきことでない。日本人でも、倫理性が十分でない人間は、残念ながら、少なくない。
 
 一方、日本の相撲とその伝統的倫理を絶対視し続けることには疑問を覚える。外国人力士を相撲界は必要としている。数が少ないうちは、外国人力士の影響を斟酌する必要はないだろうが、多くなれば、その影響力が出てくるのは自然であり、相撲界としてどのように受け止めるかという角度から見ることも必要になる。
 
 相撲協会は実際どのように対処しているか。白鵬が行事や審判に不服を示したとき、審判員はその場で厳しくたしなめず、後で注意したそうだ。それは慎重な対応であったが、相撲界の倫理を維持する上で適切であったか疑問である。その場は穏便に済ますというような事なかれ主義でなかったか。
 「モンゴル化」を誇張してはならないが、それが進行すると大相撲は成り立たなくなる。白鵬の言動にはその危険があると見るべきではないか。
 将来、大相撲の伝統とモンゴル人力士によってもたらされる変化のあいだで折り合いをつけることが必要となるかもしれないが、当面は、相撲界の倫理の維持に努力を集中し、そのうえで可能な限り修正していくことが肝要だ。倫理の学習は教室で教えてもなかなか身につかない。今回の事件だけでなく白鵬の問題についても、小手先で済ますのでなく、その根底にある大きな問題に正面から取り組むべきではないか。

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