2015 - 平和外交研究所 - Page 56
2015.03.02
2月20日の『多維新聞』はこの問題についてかなり踏み込んだ分析を行なっており、参考になる。この新聞は、本HPでも何回か紹介したが、米国に本拠を置く中国語の新聞で、中国の内政にはよく通じている。
「紅色中国」とは「赤い中国」、すなわち共産党による支配下の中国のことであり、「紅色権貴」とはこのような中国における「権力と地位」を兼ね備えた者、いわゆる幹部を言い、「紅二代」「紅色子女」とは革命の功労者の子を指す。「紅色身分」とは革命の功労者の親族という身分のことである。
なお、2月3日に当HPで「反腐敗運動と「紅色家族」」について掲載した一文も参照願いたい。
○2015年になって「安邦保険」が突如世間を騒がせるようになったが、鄧小平と陳毅の親族を巻き込んでいたからである。同社の副社長姚大锋は北京のメディアに対し、メディアは伝聞や事実と異なる噂を流し安邦保険の吴小晖社長を個人攻撃していると批判し、裁判に訴える権利を留保すると述べたが、この弁解はあまり効き目がなかった。
財新網はこのインタビューに先立って、安邦保険の吴小晖社長と鄧小平の孫娘鄧卓苒はすでに夫婦でなくなっていると報道し、また、陳毅(元老の一人、元外相)の息子の陳小魯が公開の場で「自分は安邦保険をコントロールしていない。顧問に過ぎない。そこにいるだけで、株も持っていない。会社の経営に介入していない」などと言明したことを報道していた。
しかしこのような報道は、疑惑を晴らすことはできなかった。安邦保険は鄧小平の親族を身内に入れていたために他の会社を次々に併呑できたことは周知のことである。現在安邦保険には「紅色権貴」はなくなっているとしても、飛躍の基礎はすでに出来上がっていたのであり、それは「紅色権貴」の原罪であった。
○以前「紅色子女」は政治や軍など親の職業を継ぐことが多かったが、最近の優秀な若者は商業に身を投じ、ものすごく頑張って伸している。これには二つの種類がある。一つは大国有企業に入り、掌握してしまうタイプである。元老王震の次男である王軍が中信(中国中信集団公司 中国で最大級の政府系産業・金融企業集団)を掌握したことがよく知られているが、長男の王兵は天下り的に南海石油公司の社長になり、三男の王之は長城コンピュータ公司の総経理になるなど一家の三人が経済のかなめで活躍した。
中信は、鄧小平が改革開放政策の一環で外資を導入するため、1979年に栄毅仁(赤い資本家と呼ばれた。後に、国家副主席)に設立させた会社であり、海外の有力企業による中国への直接投資を助け合弁事業を立ち上げるなど中国の産業発展に重要な役割を果たした。その後を継いだのが王軍であり、さらに秦晓(元中国科学院副書記秦力の子)や孔丹(共産党の情報機関である中央調査部部长孔原の子)などが社長になった。いずれも「紅二代」である。また、中信の傘下子会社にも「紅二代」が大勢入っている。彭真の子である傅亮、栄毅仁の子の栄智健、張震の子の張連陽、曾培炎の子曾之杰などである。
李鵬の子李小鵬が華能集団の総経理になったこと、娘の李小琳は現在でも中国電力国際発展集団を支配していることも有名である。
○国有企業に入らず独立で起業する紅二代がもう一つのタイプである。このタイプはとくに改革開放後に出てきた子女に多い。強い背景を持ちながら、現代企業経営と金融を学んだ権貴階級であり、金融界などで水を得た魚のように活躍している。
2012年の第18回党大会前後に暴露された温家宝の家族による横領案件についてはまだ解明されていないことが多く、彼らの「原罪」を証明する確たる証拠はない。しかし、「宝石の女王」と呼ばれる温家宝の妻、張蓓莉と彼らの子で「新天域資本」創設者の温云松および娘でモルガン・スタンレーを助けた温如春、それに温家宝の弟でタフな温家宏らの勢力はあなどれない。
モルガン・スタンレーが2年前から何回も調査を受けたのは高官の子女を受け入れているためであり、温如春が業務外の方面との間を仲立ちしたほか、中国銀行業監督管理委員会前副主席兼中国光大集団の会長である唐双寧の子お唐暁寧や鉄道部元総技術士張曙光の娘張曦曦を使っていた。今年(2015年)2月には商務部部長の高虎城の子高珏との関係のために再び調査の対象となった。
「紅色子女」がすでに巨大な勢力を形成していることは明らかである。彼らは主要な国有企業から、あるいは自前の企業を作って巨大な利益を手に入れている。多くの場合、権力とカネをブレンドして巧妙に利用している。彼らには政治に人脈があり、また、彼らだけが得られる情報があり、市場では両方が役に立つ。
○毛沢東の孫である毛新宇は、かつて、「毛沢東は、毛家は絶対に商売をしない、いかなる経営活動もしないという家訓を残した」と言ったことがあった。毛沢東に限らず、中国共産党の元老の多くはこれに似た戒めを説いていた。たとえば鄧小平時代の中共八元老の一人である李先念も子女や親族に対して大変厳しく、「商売をして金儲けしてはならない」と明確に禁止していた。
1985年5月、国務院は、指導者の子女、配偶者の商売を禁止する決定を行ない、「彼らは特殊な身分と社会的地位を利用し、国家が欠乏している物資をかすめ取り、非合法の売買をして、大衆の不満を惹起し、党の威信を著しく損ない、党政の指導者のイメージを損なった。県・団級以上のいかなる幹部の子女、配偶者も国営企業、集団的企業、合弁企業および子女の就職のための「労働サービス性業種に従事している者(劳动服务性行业工作者)」を除き、商業に従事してはならない。いずれの幹部の子女、とくに経済関係の職に就いている幹部の子女は家族関係を利用し、参加と派遣の区別、正価と割引値の区別などを利用し、関係を強要し、違法な売買を行ない、暴利をむさぼってはならない」と定めた。
しかし、改革開放の激流は止めようがなかった。1989年に天安門事件が惹起された誘因の一つは幹部による不正な金儲け(官倒)への反発であった。
2013年の『新財富』誌は「毛沢東の孫娘孔東梅とその夫であり泰康人寿(これも保険会社)の会長である陳東昇が50億元をため込んでいる。これはその年度の中国の富豪番付で第242位である。孔東梅は毛沢東の遺訓に背かないか質問されたのに対し、「時代は変わった」と述べた」と報道している。
確かに時代は変わっている。中国の「紅色権貴」は祖先の遺訓をいつまでもそのまま受け継ぐことはできないだろう。しかし、かれらが商業を行なうと、生来の「紅色身分」があるために簡単に利益を得られる。周永康の子周浜が石油、鉱業さらには電力まで影響力を拡大することができたのも一つの例である。
○習近平の「家訓」
習近平は政権に就く前後、家族に商業を禁止した。その母である齐心は2008年と2011年3月の2回にわたって家族会議を開き、家族が習近平の旗印をバックに商売を行なうことを厳禁した。さらに2012年の家族会議では、すべての家族に対し商業利益につながるいかなる活動も禁止し、習近平の弟習遠平は上海における一切の仕事を禁止された。習家の高飛車な姉御(大姐)斉橋橋とその夫の鄧家貴はすべての商売を放棄させられた。習近平が身内のことを心配せずに反腐敗運動を行なえるのはこのようなことをしていたからである。
家人が商売をせず、蓄財をしないことこそ李下に冠を正さないもっとも有効な方法であり、中共はそれをできるのである。
中国革命功労者の親族と反腐敗運動 習近平自身の身体検査
反腐敗運動は習近平政権が成立して以来最も力を入れてきたことであり、検挙者の数などで見れば過去2年間、かなりの実績があったと言える。しかし、革命の元老の親族による国有企業を利用した私腹肥やしは、必ずしも違法でないため、退治は困難である。2月20日の『多維新聞』はこの問題についてかなり踏み込んだ分析を行なっており、参考になる。この新聞は、本HPでも何回か紹介したが、米国に本拠を置く中国語の新聞で、中国の内政にはよく通じている。
「紅色中国」とは「赤い中国」、すなわち共産党による支配下の中国のことであり、「紅色権貴」とはこのような中国における「権力と地位」を兼ね備えた者、いわゆる幹部を言い、「紅二代」「紅色子女」とは革命の功労者の子を指す。「紅色身分」とは革命の功労者の親族という身分のことである。
なお、2月3日に当HPで「反腐敗運動と「紅色家族」」について掲載した一文も参照願いたい。
○2015年になって「安邦保険」が突如世間を騒がせるようになったが、鄧小平と陳毅の親族を巻き込んでいたからである。同社の副社長姚大锋は北京のメディアに対し、メディアは伝聞や事実と異なる噂を流し安邦保険の吴小晖社長を個人攻撃していると批判し、裁判に訴える権利を留保すると述べたが、この弁解はあまり効き目がなかった。
財新網はこのインタビューに先立って、安邦保険の吴小晖社長と鄧小平の孫娘鄧卓苒はすでに夫婦でなくなっていると報道し、また、陳毅(元老の一人、元外相)の息子の陳小魯が公開の場で「自分は安邦保険をコントロールしていない。顧問に過ぎない。そこにいるだけで、株も持っていない。会社の経営に介入していない」などと言明したことを報道していた。
しかしこのような報道は、疑惑を晴らすことはできなかった。安邦保険は鄧小平の親族を身内に入れていたために他の会社を次々に併呑できたことは周知のことである。現在安邦保険には「紅色権貴」はなくなっているとしても、飛躍の基礎はすでに出来上がっていたのであり、それは「紅色権貴」の原罪であった。
○以前「紅色子女」は政治や軍など親の職業を継ぐことが多かったが、最近の優秀な若者は商業に身を投じ、ものすごく頑張って伸している。これには二つの種類がある。一つは大国有企業に入り、掌握してしまうタイプである。元老王震の次男である王軍が中信(中国中信集団公司 中国で最大級の政府系産業・金融企業集団)を掌握したことがよく知られているが、長男の王兵は天下り的に南海石油公司の社長になり、三男の王之は長城コンピュータ公司の総経理になるなど一家の三人が経済のかなめで活躍した。
中信は、鄧小平が改革開放政策の一環で外資を導入するため、1979年に栄毅仁(赤い資本家と呼ばれた。後に、国家副主席)に設立させた会社であり、海外の有力企業による中国への直接投資を助け合弁事業を立ち上げるなど中国の産業発展に重要な役割を果たした。その後を継いだのが王軍であり、さらに秦晓(元中国科学院副書記秦力の子)や孔丹(共産党の情報機関である中央調査部部长孔原の子)などが社長になった。いずれも「紅二代」である。また、中信の傘下子会社にも「紅二代」が大勢入っている。彭真の子である傅亮、栄毅仁の子の栄智健、張震の子の張連陽、曾培炎の子曾之杰などである。
李鵬の子李小鵬が華能集団の総経理になったこと、娘の李小琳は現在でも中国電力国際発展集団を支配していることも有名である。
○国有企業に入らず独立で起業する紅二代がもう一つのタイプである。このタイプはとくに改革開放後に出てきた子女に多い。強い背景を持ちながら、現代企業経営と金融を学んだ権貴階級であり、金融界などで水を得た魚のように活躍している。
2012年の第18回党大会前後に暴露された温家宝の家族による横領案件についてはまだ解明されていないことが多く、彼らの「原罪」を証明する確たる証拠はない。しかし、「宝石の女王」と呼ばれる温家宝の妻、張蓓莉と彼らの子で「新天域資本」創設者の温云松および娘でモルガン・スタンレーを助けた温如春、それに温家宝の弟でタフな温家宏らの勢力はあなどれない。
モルガン・スタンレーが2年前から何回も調査を受けたのは高官の子女を受け入れているためであり、温如春が業務外の方面との間を仲立ちしたほか、中国銀行業監督管理委員会前副主席兼中国光大集団の会長である唐双寧の子お唐暁寧や鉄道部元総技術士張曙光の娘張曦曦を使っていた。今年(2015年)2月には商務部部長の高虎城の子高珏との関係のために再び調査の対象となった。
「紅色子女」がすでに巨大な勢力を形成していることは明らかである。彼らは主要な国有企業から、あるいは自前の企業を作って巨大な利益を手に入れている。多くの場合、権力とカネをブレンドして巧妙に利用している。彼らには政治に人脈があり、また、彼らだけが得られる情報があり、市場では両方が役に立つ。
○毛沢東の孫である毛新宇は、かつて、「毛沢東は、毛家は絶対に商売をしない、いかなる経営活動もしないという家訓を残した」と言ったことがあった。毛沢東に限らず、中国共産党の元老の多くはこれに似た戒めを説いていた。たとえば鄧小平時代の中共八元老の一人である李先念も子女や親族に対して大変厳しく、「商売をして金儲けしてはならない」と明確に禁止していた。
1985年5月、国務院は、指導者の子女、配偶者の商売を禁止する決定を行ない、「彼らは特殊な身分と社会的地位を利用し、国家が欠乏している物資をかすめ取り、非合法の売買をして、大衆の不満を惹起し、党の威信を著しく損ない、党政の指導者のイメージを損なった。県・団級以上のいかなる幹部の子女、配偶者も国営企業、集団的企業、合弁企業および子女の就職のための「労働サービス性業種に従事している者(劳动服务性行业工作者)」を除き、商業に従事してはならない。いずれの幹部の子女、とくに経済関係の職に就いている幹部の子女は家族関係を利用し、参加と派遣の区別、正価と割引値の区別などを利用し、関係を強要し、違法な売買を行ない、暴利をむさぼってはならない」と定めた。
しかし、改革開放の激流は止めようがなかった。1989年に天安門事件が惹起された誘因の一つは幹部による不正な金儲け(官倒)への反発であった。
2013年の『新財富』誌は「毛沢東の孫娘孔東梅とその夫であり泰康人寿(これも保険会社)の会長である陳東昇が50億元をため込んでいる。これはその年度の中国の富豪番付で第242位である。孔東梅は毛沢東の遺訓に背かないか質問されたのに対し、「時代は変わった」と述べた」と報道している。
確かに時代は変わっている。中国の「紅色権貴」は祖先の遺訓をいつまでもそのまま受け継ぐことはできないだろう。しかし、かれらが商業を行なうと、生来の「紅色身分」があるために簡単に利益を得られる。周永康の子周浜が石油、鉱業さらには電力まで影響力を拡大することができたのも一つの例である。
○習近平の「家訓」
習近平は政権に就く前後、家族に商業を禁止した。その母である齐心は2008年と2011年3月の2回にわたって家族会議を開き、家族が習近平の旗印をバックに商売を行なうことを厳禁した。さらに2012年の家族会議では、すべての家族に対し商業利益につながるいかなる活動も禁止し、習近平の弟習遠平は上海における一切の仕事を禁止された。習家の高飛車な姉御(大姐)斉橋橋とその夫の鄧家貴はすべての商売を放棄させられた。習近平が身内のことを心配せずに反腐敗運動を行なえるのはこのようなことをしていたからである。
家人が商売をせず、蓄財をしないことこそ李下に冠を正さないもっとも有効な方法であり、中共はそれをできるのである。
2015.02.28
NHKも一部カットして報道したと指摘されている。これはインターネットで流れていることである。少々さかのぼるが、天皇陛下の「新年のご感想」についてもNHKは報道しなかったとインターネットで騒がれていた。ただし、紙面と違って、NHKの場合は何回も放送されるので、「まったく報道しなかった」というのは困難である。天皇の「新年のご感想」については、実は夜明け前の5時38分に報道していた。
その時の放送内容は、「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています」であり、正確な報道であった。
皇太子さまの誕生日会見に戻ると、重要なポイントは、歴史の教訓と憲法への言及の2点であり、これらについて各新聞の報道ぶりがまちまちだと池上氏は指摘しているのである。
NHKは各紙と同じ2月23日に、やはり午前5時7分という夜明け前の時間帯に、「戦後70年にあたって皇太子さまは、「戦争の記憶が薄れようとしている今日(こんにち)、謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています」と話されました」と報道した。しかしこれは重要な2点のうち1点だけであり、憲法に皇太子さまが言及されたことはこのNHKの早朝の放送でもカットされていた。つまり池上氏の指摘はNHKにもあてはまっていたのである。
すべての報道に問題があったわけではない。池上氏が指摘しているように毎日新聞と、それに東京新聞だけは皇太子さまの憲法への言及を正しく報道していた。
はたしてこのような状況でよいのだろうか。二つの大きな懸念がある。一つは、天皇陛下や皇太子さまのお言葉は、全文をそのまま報道すべきであったと思う。お言葉に対し、各紙、放送局は意見があるかもしれない。中には、政治の領域に立ち入るべきでないという考えがあるかもしれない。しかし、かりにそうであっても黙って無視するのは天皇や皇太子さまの実像とは違ったことを国民に伝えることにならないか。
もう一つの懸念は、歴史の教訓と憲法という重要な問題について日本がどのように考え、行動するか各国とも注目しており、彼らにとって日本のメディアの報道は重要なニュースソースであり、また考えるよすがである。こんなことはここで指摘するまでもなく十分認識されているだろうが、あらためて世界に目を向けてほしい。
ともかく、今後は天皇陛下や皇太子さまの重要発言がどのように報道されるか今まで以上に注意を払っていく必要がありそうだ。
皇太子さま誕生日のお言葉をメディアはどう伝えたか
2月23日は皇太子さまの誕生日。その日の新聞各紙は事前の記者会見で皇太子さまが語られたことを報道したが、重要な点についての報道ぶりはまちまちであった。このことを池上彰氏は「新聞のななめ読み」で指摘している。NHKも一部カットして報道したと指摘されている。これはインターネットで流れていることである。少々さかのぼるが、天皇陛下の「新年のご感想」についてもNHKは報道しなかったとインターネットで騒がれていた。ただし、紙面と違って、NHKの場合は何回も放送されるので、「まったく報道しなかった」というのは困難である。天皇の「新年のご感想」については、実は夜明け前の5時38分に報道していた。
その時の放送内容は、「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています」であり、正確な報道であった。
皇太子さまの誕生日会見に戻ると、重要なポイントは、歴史の教訓と憲法への言及の2点であり、これらについて各新聞の報道ぶりがまちまちだと池上氏は指摘しているのである。
NHKは各紙と同じ2月23日に、やはり午前5時7分という夜明け前の時間帯に、「戦後70年にあたって皇太子さまは、「戦争の記憶が薄れようとしている今日(こんにち)、謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています」と話されました」と報道した。しかしこれは重要な2点のうち1点だけであり、憲法に皇太子さまが言及されたことはこのNHKの早朝の放送でもカットされていた。つまり池上氏の指摘はNHKにもあてはまっていたのである。
すべての報道に問題があったわけではない。池上氏が指摘しているように毎日新聞と、それに東京新聞だけは皇太子さまの憲法への言及を正しく報道していた。
はたしてこのような状況でよいのだろうか。二つの大きな懸念がある。一つは、天皇陛下や皇太子さまのお言葉は、全文をそのまま報道すべきであったと思う。お言葉に対し、各紙、放送局は意見があるかもしれない。中には、政治の領域に立ち入るべきでないという考えがあるかもしれない。しかし、かりにそうであっても黙って無視するのは天皇や皇太子さまの実像とは違ったことを国民に伝えることにならないか。
もう一つの懸念は、歴史の教訓と憲法という重要な問題について日本がどのように考え、行動するか各国とも注目しており、彼らにとって日本のメディアの報道は重要なニュースソースであり、また考えるよすがである。こんなことはここで指摘するまでもなく十分認識されているだろうが、あらためて世界に目を向けてほしい。
ともかく、今後は天皇陛下や皇太子さまの重要発言がどのように報道されるか今まで以上に注意を払っていく必要がありそうだ。
2015.02.26
「「背広組」と「制服組」を対等に――。政府は、防衛省設置法を改正し、文官である内部部局の防衛官僚が武官である自衛官より上位にあると解釈される規定を改める方針を固めました。27日にも閣議決定され、国会提出されると報じられています。この改正をめぐっては、「文民統制」(シビリアンコントロール)の観点から懸念する見方もあります。文民統制とは一体どういうものなのでしょうか。
「背広組」が防衛相を補佐する規定
防衛省は我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つことが任務です。そのために置かれている陸海空自衛隊の最高指揮権は総理大臣にあり、その下で防衛大臣が自衛隊を指揮・運用しますが、その際、防衛大臣は官房長や局長から補佐を受けることになっています(防衛省設置法12条)。
この官房長や局長が置かれているところが「内部部局」、略して「内局」であり、そこで勤務している人たちは制服の自衛隊員(制服組) でなく、ビジネススーツの事務官(背広組) です 。
防衛大臣は内局の補佐を受けて自衛隊を指揮するという、いわば三者構成の仕組みは防衛省だけのユニークなものです。これを導入したのはいわゆるシビリアンコントロールのためですが、現在、自衛隊員の地位を高める目的で、内局のあり方を変更しようという計画が防衛省で進められていると報道されています。
「軍は政府の決定に従う」というルール
シビリアンコントロールはもともと欧米で確立された概念ですが、我が国にとっても極めて重要な問題です。その意味については、さまざまな説明がありますが、要点は、「軍は政府の判断・決定に従わなければならない」ということです。
軍と政府の主張・判断が異なる場合、軍は武力を持っているのでその判断を政府に強制することも可能ですが、それを許しては軍の暴走を止められなくなる、戦争の惨禍をもたらすという歴史的経験に基づき、国民の利益を擁護し、その希望を実現するには民主的な政府の判断・決定を優先させなければならないというルールが確立されています。民主的な政治であれば誤りはないということではなく、国民が受け入れた方法で出された決定であれば、それでよしとしようという考えであると思います。
「文民統制」と「文官統制」の違い
日本では新憲法にこのルールが盛り込まれました。日本国憲法第66条2項の「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という規定です。また、前述した防衛省設置法の内局規定です。
日本におけるシビリアンコントロールは「文民統制」と呼ばれています。「文民」は、新憲法制定の際、日本には「civilian」に該当する言葉がなかったので、新たに使われた訳語です。
しかし、軍を統制する主体は、総理大臣や国務大臣、また内局の背広組と、すべて公務員であり、いずれも民間人ではありません。そのため、「文民」より「文官」のほうが用語として適切であるとして、「文官統制」という言葉が使われるようになりました。そして、日本では「文民統制(政府による統制)」と「文官統制(背広組らが政府を支える統制)」を区別する傾向もありますが、それは本質的な区別ではありません。趣旨はどちらも「軍人でない公務員による統制」と解すべきであり、英語ではシビリアンコントロール(civilian control)しか使いません。
シビリアンコントロールはどうなる?
内容的には、理想論を言えば、憲法66条だけでは十分でなく、「軍は政府の判断・決定に従わなければならない」というルールを直接的に規定したほうがよいという考えもあり得ます。もっともその場合は、憲法で日本には「軍」がないことになっているのでそのまま記載することはできず、「軍」を「自衛隊」に書き換えるなど一定の調整を加えることが必要でしょう。
また、防衛省の内局についても現在の防衛省設置法の規定が最適か、検討の余地はあります。しかし、一部に報道されているような「作戦のことが分からない文官に防衛大臣を補佐させるのは問題だ」というのは狭量な考えであるのみならず、本来のシビリアンコントロールに背馳(はいち)している恐れがあります。旧憲法下で、満州から華北地方へ侵攻した例など、作戦上の理由から戦闘範囲が拡大したことは何回もありました。
今後、自衛隊の海外における活動が拡大する可能性が大きくなっています。そのようなことも視野に入れて、内局の在り方を含め防衛省設置法の改正を検討していくのは理由のあることでしょうが、この重要なシビリアンコントロールを弱体化させず、より強固にしていくことが肝要です。
防衛省は文民統制を手直しする?
THEPAGEに本日(26日)掲載された一文です。「「背広組」と「制服組」を対等に――。政府は、防衛省設置法を改正し、文官である内部部局の防衛官僚が武官である自衛官より上位にあると解釈される規定を改める方針を固めました。27日にも閣議決定され、国会提出されると報じられています。この改正をめぐっては、「文民統制」(シビリアンコントロール)の観点から懸念する見方もあります。文民統制とは一体どういうものなのでしょうか。
「背広組」が防衛相を補佐する規定
防衛省は我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つことが任務です。そのために置かれている陸海空自衛隊の最高指揮権は総理大臣にあり、その下で防衛大臣が自衛隊を指揮・運用しますが、その際、防衛大臣は官房長や局長から補佐を受けることになっています(防衛省設置法12条)。
この官房長や局長が置かれているところが「内部部局」、略して「内局」であり、そこで勤務している人たちは制服の自衛隊員(制服組) でなく、ビジネススーツの事務官(背広組) です 。
防衛大臣は内局の補佐を受けて自衛隊を指揮するという、いわば三者構成の仕組みは防衛省だけのユニークなものです。これを導入したのはいわゆるシビリアンコントロールのためですが、現在、自衛隊員の地位を高める目的で、内局のあり方を変更しようという計画が防衛省で進められていると報道されています。
「軍は政府の決定に従う」というルール
シビリアンコントロールはもともと欧米で確立された概念ですが、我が国にとっても極めて重要な問題です。その意味については、さまざまな説明がありますが、要点は、「軍は政府の判断・決定に従わなければならない」ということです。
軍と政府の主張・判断が異なる場合、軍は武力を持っているのでその判断を政府に強制することも可能ですが、それを許しては軍の暴走を止められなくなる、戦争の惨禍をもたらすという歴史的経験に基づき、国民の利益を擁護し、その希望を実現するには民主的な政府の判断・決定を優先させなければならないというルールが確立されています。民主的な政治であれば誤りはないということではなく、国民が受け入れた方法で出された決定であれば、それでよしとしようという考えであると思います。
「文民統制」と「文官統制」の違い
日本では新憲法にこのルールが盛り込まれました。日本国憲法第66条2項の「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という規定です。また、前述した防衛省設置法の内局規定です。
日本におけるシビリアンコントロールは「文民統制」と呼ばれています。「文民」は、新憲法制定の際、日本には「civilian」に該当する言葉がなかったので、新たに使われた訳語です。
しかし、軍を統制する主体は、総理大臣や国務大臣、また内局の背広組と、すべて公務員であり、いずれも民間人ではありません。そのため、「文民」より「文官」のほうが用語として適切であるとして、「文官統制」という言葉が使われるようになりました。そして、日本では「文民統制(政府による統制)」と「文官統制(背広組らが政府を支える統制)」を区別する傾向もありますが、それは本質的な区別ではありません。趣旨はどちらも「軍人でない公務員による統制」と解すべきであり、英語ではシビリアンコントロール(civilian control)しか使いません。
シビリアンコントロールはどうなる?
内容的には、理想論を言えば、憲法66条だけでは十分でなく、「軍は政府の判断・決定に従わなければならない」というルールを直接的に規定したほうがよいという考えもあり得ます。もっともその場合は、憲法で日本には「軍」がないことになっているのでそのまま記載することはできず、「軍」を「自衛隊」に書き換えるなど一定の調整を加えることが必要でしょう。
また、防衛省の内局についても現在の防衛省設置法の規定が最適か、検討の余地はあります。しかし、一部に報道されているような「作戦のことが分からない文官に防衛大臣を補佐させるのは問題だ」というのは狭量な考えであるのみならず、本来のシビリアンコントロールに背馳(はいち)している恐れがあります。旧憲法下で、満州から華北地方へ侵攻した例など、作戦上の理由から戦闘範囲が拡大したことは何回もありました。
今後、自衛隊の海外における活動が拡大する可能性が大きくなっています。そのようなことも視野に入れて、内局の在り方を含め防衛省設置法の改正を検討していくのは理由のあることでしょうが、この重要なシビリアンコントロールを弱体化させず、より強固にしていくことが肝要です。
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