オピニオン
2016.11.18
確認というか、おさらいを兼ねて基本的な問題から始めると、もともと自衛隊が海外へ派遣されること自体認めるべきでないという考えであった。いわゆる「海外派兵」として問題視されたことである。
しかし、湾岸戦争を契機に我が国の国際貢献、とくに人的貢献の面で強化が必要となり、PKO法を制定して国連のPKOに参加し始めた。
その場合も自衛隊員が武器を使用することは憲法に違反する恐れがあると考えられ、武器使用を「隊員自身の生命を守るためなど必要最小限の場合にのみ」認めてきた。いわゆる「PKO五原則」である。
しかしそれではどうしても不都合なことがある。第1は、かりに日本のNGOが同じ場所で活動していて攻撃されても自衛隊の部隊は助けに行けないことだった。同じ日本人であり、しかも自衛隊には救助する能力があるのに駆けつけて救助しないのはあまりに不当である。
第2に、これは国会などでは取り上げられることが少ないが、PKOに参加している部隊は国連事務総長(実質的には国連安保理)の指揮下にあり、日本のPKO部隊も国連の指揮に従わなければならない。したがって、国連ではPKO部隊に武器を使用することを求めることがあるが、日本は「日本の自衛」の場合しか武器の使用を認めないので、国連から与えられている任務を遂行することが困難になることがある。
実際には、日本はPKO部隊を派遣するに際して、PKO協力法に基づき日本としてできないことをあらかじめ示し、その条件の下で派遣してきた。それは可能だったが、日本の部隊も国連の指揮下にあることと日本の「自衛」のためということは本来調和しにくいことであった。
次に、安保法制の改正に伴い日本の自衛隊も邦人や他国のPKO部隊を助けること、いわゆる「駆けつけ警護」が可能となったが、その場合も「自衛のため」という考えは維持された。しかし、五原則ははっきりと武器の使用を隊員自身の生命を守るためなど必要最小限の場合に限定しているので、国会での答弁は苦しくなる。それが現在の時点の状況だ。
しかし、PKO部隊の派遣を「自衛のため」とみなす必要性はあるのか。自衛隊の成立経緯からすれば、いったん決めたことを変更するのは困難だろうが、出発点に立ち返って考えてみると、PKOは国際社会のために行うことであり、「自衛」でないのは明らかだ。
PKOは日本国憲法も国連憲章も想定していなかったことだが、「和平あるいは停戦」が成立した後に設置されるものであり、今や国連の主要機能の一つとなっている。あらためて憲法第9条に照らしてみれば、「国際紛争」はすでに終わっているので武器使用は禁止されていないと解釈できる。少なくとも自然に読めばそういう結論になるだろう。つまり、PKOの場合は「自衛」という理由によって武器使用を正当化する必要性はないのだ。
にもかかわらず、日本政府がPKOを「自衛」の範囲で考えてきたのは、武器使用が認められるのは「自衛」の場合のみだという考えがあまりに強かったためであり、またそれしか理論構成がなかったのだと思う。
しかし、経緯はともかく、PKOへの日本の関与が今後深まることが予想される中で、日本国憲法の下では「自衛」以外に「PKO」の場合も武器の使用ができるとすなおに再解釈することを提案したい。
こうすれば、PKO部隊は国連決議に従い、「任務として」、必要に応じ武器を使用することになる。もちろん武器使用を控えることも任務の内だ。
なお、憲法との関係では、「国際貢献」だからという理由で武器使用を認めるべきだと言うのではない。同じ「国際貢献」であっても国際平和支援法が想定する「国際平和共同対処事態」は「停戦」ないし「和平」を前提としておらず、「戦闘が継続中」の事態であり、そのなかで自衛隊員が武器を使用すれば憲法違反になる恐れがある。国際平和支援法はそうならない範囲での協力を定めたが、議論は収まっていない。いずれにしても、同じ「国際貢献」でもPKOの場合と「国際平和共同対処事態」の場合とでは憲法との関係がまったく異なっており、明確に区別しておかなければならない。
「駆けつけ警護」に関する理論構成を改めるべきだ
政府は11月15日、国連のPKO活動に参加している自衛隊にいわゆる「駆けつけ警護」の任務を付与することを決定した。これにより我が国の国際貢献は一歩前進したが、まだ大きな問題が残っている。確認というか、おさらいを兼ねて基本的な問題から始めると、もともと自衛隊が海外へ派遣されること自体認めるべきでないという考えであった。いわゆる「海外派兵」として問題視されたことである。
しかし、湾岸戦争を契機に我が国の国際貢献、とくに人的貢献の面で強化が必要となり、PKO法を制定して国連のPKOに参加し始めた。
その場合も自衛隊員が武器を使用することは憲法に違反する恐れがあると考えられ、武器使用を「隊員自身の生命を守るためなど必要最小限の場合にのみ」認めてきた。いわゆる「PKO五原則」である。
しかしそれではどうしても不都合なことがある。第1は、かりに日本のNGOが同じ場所で活動していて攻撃されても自衛隊の部隊は助けに行けないことだった。同じ日本人であり、しかも自衛隊には救助する能力があるのに駆けつけて救助しないのはあまりに不当である。
第2に、これは国会などでは取り上げられることが少ないが、PKOに参加している部隊は国連事務総長(実質的には国連安保理)の指揮下にあり、日本のPKO部隊も国連の指揮に従わなければならない。したがって、国連ではPKO部隊に武器を使用することを求めることがあるが、日本は「日本の自衛」の場合しか武器の使用を認めないので、国連から与えられている任務を遂行することが困難になることがある。
実際には、日本はPKO部隊を派遣するに際して、PKO協力法に基づき日本としてできないことをあらかじめ示し、その条件の下で派遣してきた。それは可能だったが、日本の部隊も国連の指揮下にあることと日本の「自衛」のためということは本来調和しにくいことであった。
次に、安保法制の改正に伴い日本の自衛隊も邦人や他国のPKO部隊を助けること、いわゆる「駆けつけ警護」が可能となったが、その場合も「自衛のため」という考えは維持された。しかし、五原則ははっきりと武器の使用を隊員自身の生命を守るためなど必要最小限の場合に限定しているので、国会での答弁は苦しくなる。それが現在の時点の状況だ。
しかし、PKO部隊の派遣を「自衛のため」とみなす必要性はあるのか。自衛隊の成立経緯からすれば、いったん決めたことを変更するのは困難だろうが、出発点に立ち返って考えてみると、PKOは国際社会のために行うことであり、「自衛」でないのは明らかだ。
PKOは日本国憲法も国連憲章も想定していなかったことだが、「和平あるいは停戦」が成立した後に設置されるものであり、今や国連の主要機能の一つとなっている。あらためて憲法第9条に照らしてみれば、「国際紛争」はすでに終わっているので武器使用は禁止されていないと解釈できる。少なくとも自然に読めばそういう結論になるだろう。つまり、PKOの場合は「自衛」という理由によって武器使用を正当化する必要性はないのだ。
にもかかわらず、日本政府がPKOを「自衛」の範囲で考えてきたのは、武器使用が認められるのは「自衛」の場合のみだという考えがあまりに強かったためであり、またそれしか理論構成がなかったのだと思う。
しかし、経緯はともかく、PKOへの日本の関与が今後深まることが予想される中で、日本国憲法の下では「自衛」以外に「PKO」の場合も武器の使用ができるとすなおに再解釈することを提案したい。
こうすれば、PKO部隊は国連決議に従い、「任務として」、必要に応じ武器を使用することになる。もちろん武器使用を控えることも任務の内だ。
なお、憲法との関係では、「国際貢献」だからという理由で武器使用を認めるべきだと言うのではない。同じ「国際貢献」であっても国際平和支援法が想定する「国際平和共同対処事態」は「停戦」ないし「和平」を前提としておらず、「戦闘が継続中」の事態であり、そのなかで自衛隊員が武器を使用すれば憲法違反になる恐れがある。国際平和支援法はそうならない範囲での協力を定めたが、議論は収まっていない。いずれにしても、同じ「国際貢献」でもPKOの場合と「国際平和共同対処事態」の場合とでは憲法との関係がまったく異なっており、明確に区別しておかなければならない。
2016.11.11
改正案第9条の2
我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。
自民党改正案第66条第2項が主たる規定。
「内閣総理大臣及び全ての国務大臣は、現役の軍人であってはならない。」
さらに第72条第3項
「内閣総理大臣は、最高指揮官として、国防軍を統括する。」
疑問と問題点
自衛隊の統制については、現憲法には2つの問題点がある。
第1は、「自衛隊は軍隊でない」という建前にこだわる結果、自衛隊を統制する必要性が明確に認識されていないことだ。つまり、軍隊は統制しなければならないが、自衛隊についてはそのような必要性がないと思われている。自衛隊はそれが必要になるような状況にはなりえないと想定されているからだ。
自民党改正案は国防軍を持つこととしているので、この「自衛隊」の中途半端な性格は問題にならなくなる。
第2は、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」(66条2項)といういわゆる文民統制だ。首相や防衛相が健全に判断するので軍の暴走を止めることができるという考えだが、実際にはとてもそれでは統制できないと思う。たとえば、作戦Aで成功しなかった軍が作戦Bを必要と主張するが、政治的あるいは外交的な理由から作戦Bは実行すべきでないと判断される場合、防衛相が作戦Bを不許可とするのは困難だ。理論的はもちろんできるとしても、実際には軍はよく検討し、理由を考え防衛相に上げてくるだろうから説得力がある。一方、政治的、外交的判断は妥協の結果として出てくるものであり、したがって理論的根拠は弱いことが多い。軍の考えと政治的・外交的判断を単純に比べてみるとおそらく軍の考えのほうが理屈にかなっているように見えるだろう。
しかし、そこで軍の主張を容れると軍の統制は成り立たない。つまり、軍のほうが合理的であっても政治的、外交的判断を優先させなければならないことがあるのだ。このことは一見不合理に見えても、軍は軍の世界で物事を組み立て、判断しているにすぎないので、全体的判断にはなりえないのであり、またそうしてはならない。
歴史的にいくらも例がある。満州(現東北地方)を防衛するのに長城を超えて華北に入り作戦をしなければならないという主張もあった。この時、日本政府は無力であり、軍の行動を後付けで承認するほかなかった。
陸軍の主張が認められないことを理由に陸軍大臣が閣議をボイコットしたので政府はやむなくその主張を認めたこともあった。
しかも、軍の主張は過去の作戦で多数の兵士が犠牲になったという歴史によって裏付けられ、強化されている。政府が軍の主張する理由に同調しないと、「兵士を無駄死にさせたことになる」などということになる。
このように困難な統制は首相や防衛相が軍人でないことだけで担保されるものでない。しかし、自民党の改正案も現憲法の単純な考えから脱却しておらず、トップに立つ首相や防衛相がいる限り、問題は起こらないという考えに立っている。
ではどうすればよいかだが、「軍はいかなる場合でも政府の判断に従う」という原則を明記すべきだ。この原則といわゆる文民統制(シビリアンコントロール)との違いは、このような原則を立てれば、それはすべての軍人がまもるべき規則となり、またそれを教育することになる。今のシビリアンコントロールだけでは首相や防衛相だけがその原則を守ることになっている。つまり、この原則は万人に対して当てはまるが、シビリアンコントロールはトップだけが責任を持っているに過ぎない。
防衛省の元次官であった守屋武昌氏は、先般成立した安保法制の改正において背広組の職権が削られ、制服組の権限が飛躍的に拡大したことを指摘し、「大戦の惨禍の上に築かれた文民統制の仕組みが取り払われてしまった」と述べている(朝日新聞2016年9月1日付)。その中で守屋氏は「軍事的合理性で押してくる制服組に要求はとてもシビア」と述べている。制服組の主張は説得力があるということだ。
守屋氏の言う文民統制の仕組みとはいわゆる内局(背広組)優位の原則であるが、私が防衛庁(当時)に出向していたとき、内局の幹部にあることを相談したところ「自衛隊が反対するから」という理由で断られたことがある。この短いやり取りだけで判断するのはやや問題であるが、その時は文民優位の仕組みは生きているのか疑問に思った。
自主防衛の範囲が拡大することは決して忌むべきことでない。自衛隊を防衛軍とすることには賛成だ。しかし、軍の統制を見直すことは絶対的に必要であり、「軍は政府の判断に従う」という原則を明確に掲げるべきだと思う。
憲法改正の論点④ 自衛隊/国防軍の統制
自民党憲法改正案は我が国が「国防軍」を保持すると規定している(同案第9条の2)。「自衛隊」は現憲法では言及されておらず、解釈として認められているに過ぎない。また、現憲法第9条第2項には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」とあるが、これに相当する規定は改正案にはない。改正案第9条の2
我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。
自民党改正案第66条第2項が主たる規定。
「内閣総理大臣及び全ての国務大臣は、現役の軍人であってはならない。」
さらに第72条第3項
「内閣総理大臣は、最高指揮官として、国防軍を統括する。」
疑問と問題点
自衛隊の統制については、現憲法には2つの問題点がある。
第1は、「自衛隊は軍隊でない」という建前にこだわる結果、自衛隊を統制する必要性が明確に認識されていないことだ。つまり、軍隊は統制しなければならないが、自衛隊についてはそのような必要性がないと思われている。自衛隊はそれが必要になるような状況にはなりえないと想定されているからだ。
自民党改正案は国防軍を持つこととしているので、この「自衛隊」の中途半端な性格は問題にならなくなる。
第2は、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」(66条2項)といういわゆる文民統制だ。首相や防衛相が健全に判断するので軍の暴走を止めることができるという考えだが、実際にはとてもそれでは統制できないと思う。たとえば、作戦Aで成功しなかった軍が作戦Bを必要と主張するが、政治的あるいは外交的な理由から作戦Bは実行すべきでないと判断される場合、防衛相が作戦Bを不許可とするのは困難だ。理論的はもちろんできるとしても、実際には軍はよく検討し、理由を考え防衛相に上げてくるだろうから説得力がある。一方、政治的、外交的判断は妥協の結果として出てくるものであり、したがって理論的根拠は弱いことが多い。軍の考えと政治的・外交的判断を単純に比べてみるとおそらく軍の考えのほうが理屈にかなっているように見えるだろう。
しかし、そこで軍の主張を容れると軍の統制は成り立たない。つまり、軍のほうが合理的であっても政治的、外交的判断を優先させなければならないことがあるのだ。このことは一見不合理に見えても、軍は軍の世界で物事を組み立て、判断しているにすぎないので、全体的判断にはなりえないのであり、またそうしてはならない。
歴史的にいくらも例がある。満州(現東北地方)を防衛するのに長城を超えて華北に入り作戦をしなければならないという主張もあった。この時、日本政府は無力であり、軍の行動を後付けで承認するほかなかった。
陸軍の主張が認められないことを理由に陸軍大臣が閣議をボイコットしたので政府はやむなくその主張を認めたこともあった。
しかも、軍の主張は過去の作戦で多数の兵士が犠牲になったという歴史によって裏付けられ、強化されている。政府が軍の主張する理由に同調しないと、「兵士を無駄死にさせたことになる」などということになる。
このように困難な統制は首相や防衛相が軍人でないことだけで担保されるものでない。しかし、自民党の改正案も現憲法の単純な考えから脱却しておらず、トップに立つ首相や防衛相がいる限り、問題は起こらないという考えに立っている。
ではどうすればよいかだが、「軍はいかなる場合でも政府の判断に従う」という原則を明記すべきだ。この原則といわゆる文民統制(シビリアンコントロール)との違いは、このような原則を立てれば、それはすべての軍人がまもるべき規則となり、またそれを教育することになる。今のシビリアンコントロールだけでは首相や防衛相だけがその原則を守ることになっている。つまり、この原則は万人に対して当てはまるが、シビリアンコントロールはトップだけが責任を持っているに過ぎない。
防衛省の元次官であった守屋武昌氏は、先般成立した安保法制の改正において背広組の職権が削られ、制服組の権限が飛躍的に拡大したことを指摘し、「大戦の惨禍の上に築かれた文民統制の仕組みが取り払われてしまった」と述べている(朝日新聞2016年9月1日付)。その中で守屋氏は「軍事的合理性で押してくる制服組に要求はとてもシビア」と述べている。制服組の主張は説得力があるということだ。
守屋氏の言う文民統制の仕組みとはいわゆる内局(背広組)優位の原則であるが、私が防衛庁(当時)に出向していたとき、内局の幹部にあることを相談したところ「自衛隊が反対するから」という理由で断られたことがある。この短いやり取りだけで判断するのはやや問題であるが、その時は文民優位の仕組みは生きているのか疑問に思った。
自主防衛の範囲が拡大することは決して忌むべきことでない。自衛隊を防衛軍とすることには賛成だ。しかし、軍の統制を見直すことは絶対的に必要であり、「軍は政府の判断に従う」という原則を明確に掲げるべきだと思う。
2016.11.09
破天荒で、攻撃的な発言で多くの人からひんしゅくを買い、選出母体の共和党の内部からも強く批判されてきた人物が大統領になる。
トランプ候補の基本的勝因は、首都ワシントンの既成政治に対する不満が強い中低層の支持を得ることができたからだ。米国には低所得者のほうが高所得者より税負担率が高いと言われる現実がある。トランプ候補は不満を抱えている人たちにわかりやすい言葉で語りかけ、「偉大な米国」を取り戻すと米国民の自尊心をくすぐった。
トランプ政権が実際に中低層のためにどのような政策を講じるか、また、それにたいする既成勢力側の反発がどのように起こってくるかが内政の焦点となる。今後、新政権の発足に向けさまざまな準備が進められるが、内政・外交ともに強い不安が付きまとうのはやむを得ない。トランプ氏が核の発射ボタンを持つことなど想像を絶するくらい恐ろしいと思っている人もいる。
トランプ氏が不法移民やイスラムについて繰り返してきた過激な発言は、大幅に修正する必要がある。不法移民問題の扱いを誤るとラテン系米国人(いわゆるラティノ)との関係が悪化することになりかねない。ラティノは全米で3500万人(2010年の人口調査、全米の人口の約16%)おり、これに不法移民を足すと5千万に近いとも言われている。
日米関係では、トランプ氏はいわゆる「安保タダ乗り論」を繰り返し述べ、米軍の撤退の可能性にも言及した。しかし、日本が米国に依存しなくてすむよう安全保障の原則を変更し、米国と対等の立場に立つことは日本の考えでないし、米国自身望まないだろう。
もっとも、日米の安全保障問題についてのトランプ氏の発言は二転三転している。安全保障について無知なためであり、新政権として考えが固まるのを見届けなければならない。
トランプ氏は中国を日本以上に批判してきた。中国の国営メディアは、「トランプ氏は大口たたきの人種差別主義者」などとやり返している。為替操作を含め経済面でも中国を一方的に批判しているが、米国は中国とも経済的に相互依存の関係にあり、米国の一方的な見方を押し付けることはできない。また、政治・外交面では鋭く対立する面もあるが、協力は必要だ。トランプ氏としても、選挙期間中のように一方的に発言するだけではトランプ政権はたちまち立ち往生するだろう。バランスの取れた発言はあまりセクシーでないかもしれないが、諸般の状況を勘案したうえでトランプ氏なりに現実的で、かつ、メリハリを付けた政策を打ち出す必要がある。
トランプ氏の大統領就任を喜ぶのはロシアのプーチン大統領だけだとも言われているが、この点についてもトランプ氏が複雑な米ロ関係を学習した上でなければ確たることは言えない。
(短評)トランプ候補の勝利
11月8日の米国大統領選挙でトランプ候補が次期大統領となることが決定した。来年1月末に就任する。破天荒で、攻撃的な発言で多くの人からひんしゅくを買い、選出母体の共和党の内部からも強く批判されてきた人物が大統領になる。
トランプ候補の基本的勝因は、首都ワシントンの既成政治に対する不満が強い中低層の支持を得ることができたからだ。米国には低所得者のほうが高所得者より税負担率が高いと言われる現実がある。トランプ候補は不満を抱えている人たちにわかりやすい言葉で語りかけ、「偉大な米国」を取り戻すと米国民の自尊心をくすぐった。
トランプ政権が実際に中低層のためにどのような政策を講じるか、また、それにたいする既成勢力側の反発がどのように起こってくるかが内政の焦点となる。今後、新政権の発足に向けさまざまな準備が進められるが、内政・外交ともに強い不安が付きまとうのはやむを得ない。トランプ氏が核の発射ボタンを持つことなど想像を絶するくらい恐ろしいと思っている人もいる。
トランプ氏が不法移民やイスラムについて繰り返してきた過激な発言は、大幅に修正する必要がある。不法移民問題の扱いを誤るとラテン系米国人(いわゆるラティノ)との関係が悪化することになりかねない。ラティノは全米で3500万人(2010年の人口調査、全米の人口の約16%)おり、これに不法移民を足すと5千万に近いとも言われている。
日米関係では、トランプ氏はいわゆる「安保タダ乗り論」を繰り返し述べ、米軍の撤退の可能性にも言及した。しかし、日本が米国に依存しなくてすむよう安全保障の原則を変更し、米国と対等の立場に立つことは日本の考えでないし、米国自身望まないだろう。
もっとも、日米の安全保障問題についてのトランプ氏の発言は二転三転している。安全保障について無知なためであり、新政権として考えが固まるのを見届けなければならない。
トランプ氏は中国を日本以上に批判してきた。中国の国営メディアは、「トランプ氏は大口たたきの人種差別主義者」などとやり返している。為替操作を含め経済面でも中国を一方的に批判しているが、米国は中国とも経済的に相互依存の関係にあり、米国の一方的な見方を押し付けることはできない。また、政治・外交面では鋭く対立する面もあるが、協力は必要だ。トランプ氏としても、選挙期間中のように一方的に発言するだけではトランプ政権はたちまち立ち往生するだろう。バランスの取れた発言はあまりセクシーでないかもしれないが、諸般の状況を勘案したうえでトランプ氏なりに現実的で、かつ、メリハリを付けた政策を打ち出す必要がある。
トランプ氏の大統領就任を喜ぶのはロシアのプーチン大統領だけだとも言われているが、この点についてもトランプ氏が複雑な米ロ関係を学習した上でなければ確たることは言えない。
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