オピニオン
2017.02.10
当時、南スーダンに派遣されていた国連PKOを維持できるか、国際的にも、日本でも問題となっており、日本の国会では、首都ジュバでの政府軍と反政府勢力との間の大規模な衝突は「戦闘」であり、日本の部隊は撤収すべきではないかということが審議されていた。日本政府はその紛争の存在を認めつつも、PKOの派遣・維持の前提である停戦は維持されていたという認識であり、強い反対論があったがその立場を貫いた。自衛隊の部隊は今も南スーダンに派遣されている。
しかるに、2016年9月、ジャーナリストの布施祐仁氏が当時の日記の開示を防衛省に請求したのに対して、防衛省は12月2日、その日記はすでに廃棄していると回答することにし、稲田防衛相にもその旨を報告した。
しかし、そのような処理は問題だと考える者がいたのだろう。元文書管理担当相の河野太郎議員に情報提供があった。その内容の詳細は不明だが、同議員は日記の電子データさえ残っていないのは不可解だとして防衛省に調査を求めた。その結果、数日後に電子データが残っていることが判明した。
河野議員は2月6日に防衛省から開示を受け、ただちにツイッターやフェイスブックでそのことを公表した。
一方、防衛省内部では、稲田防衛相への報告は調査結果の判明後迅速に行われず、河野議員への開示のわずか10日前、つまり1月末になってようやく行われた。事務方は防衛相に数週間報告しないでいたらしい。
(以上は諸報道を要約したもので、未確認だが、本件の背景として記しておく)
1月末に開会した国会では、昨年7月当時の政府説明には問題があった、衝突の状況を記した日記がないというのは事実でなかったなどの指摘、批判が行われ、稲田防衛相が矢面に立たされた。
とくに焦点となったのは、当時の衝突が「戦闘」であったか否かであり、日記は「戦闘」であると描写していた。そうであれば、自衛隊はやはり撤収すべきであったということになり、ひいては当時の政府答弁には瑕疵があったことになる恐れがある。そうなることは何としてでも避けなければならないと考えたのであろう。稲田氏は「戦闘」という言葉は今でも使わず、「戦闘とは国際的に言われる「戦闘行為」ではない」という意味不明のことを繰り返すだけである。
このような答弁が日本国民に受け入れられるか疑問だ。今後、国会でどのような結論になるか関心を持って見守りたい。個人的には、防衛省内部でも十分に補佐されず、大事なことを、一時的とはいえ、隠され、また国会では官僚の作った無理な答弁を繰り返している稲田防衛相に同情を禁じ得ないが、稲田防衛相には大きな責任がある。憲法論でよく言われる文民統制の責任は首相、次いで防衛相にある。今国会で起こっているような状況では、有効な文民統制が働くとは到底思えない。
稲田防衛相を含め、今回の一連の不祥事に心を痛めている人には、PKOへの日本の参加のあるべき姿、体制についてよく考えてもらいたい。
PKOは、国連も日本国憲法も全く想定していなかったことであるが、戦後の国際政治において新しく生まれてきたものであり、それがいかに必要か、その歴史と予算額の大きさ(国連の通常予算よりはるかに多い)を見れば明らかである。
PKOは、停戦・和平の成立を前提としており、したがって、日本がそれに参加することは日本国憲法の「国際紛争に巻き込まれてはならない」という重要原則に反しない。日本はそのことを明確にしたうえで具体的な参加の態様を決めるべきであった。たとえば、警察を拡充してPKO部隊を派遣できるようにするのも一つの方法だった。警察というと、すでに文民警察が派遣されているが、それができる行動の範囲はPKO活動の小さな一部分にすぎない。
しかし、日本はPKO部隊として自衛隊を派遣することとした。政治的な理由でそうせざるを得なかったのだが、自衛隊は本来日本の防衛のための組織であり、PKOという国際活動には向いていない。日本の自衛隊は憲法の認めるごくわずかな例外的行為しか行えず、それではPKOとして十分な活動を行うのが困難だからだ。そのような制約を無視してPKO活動を拡大し、またそのため自衛隊の海外活動が拡大すると憲法違反の問題が出てくる。
したがって、「駆けつけ警護」に代表されるように日本のPKO活動を拡大するという決断を下すにあたっては、憲法との関係、自衛隊の性格などを改めて整理しなおすべきであった。
私は今でも「PKOは日本国憲法上認められる」という大きな判断をすべきであり、その上でPKOへの参加のあり方についての理論構成をし直すべきだと思っている。そして、自衛隊を今後もPKOに派遣するのであれば、「自衛」とともに「国際協力」をその主要業務として位置付けるべきである。この二つの異なることを自衛隊の業務とすると自衛隊の性格が不明確になるのであれば、「国際協力」のための別の組織を新設すべきである。そのような検討は日本の憲法体制にとっても自衛隊にとっても必要なことである。
しかるに、現在国会で起こっていることは、政府答弁の一貫性、整合性のための議論だ。それらを揺るがせば、政府の姿勢が問われ政治問題になるのでそうせざるを得ないのだろうが、しょせんそれは技術的な問題だ。
今回の問題について防衛省の対応の拙劣さを指摘するのは容易だが、その背景には自衛隊のあり方が、憲法との関係を含め、明確になっていないという現実がある。それは日本全体の問題であり、早急に是正すべきである。
(平和外交研究所HP 2014年4月26日「PKOと武器使用」、東洋経済オンライン2016年10月22日「稲田防衛相も視察した南スーダンPKOの苦渋 自衛隊員の「武器使用」をどう解釈すべきか」も参照願いたい。)
PKOへの参加体制は見直すべきだ
2016年7月、南スーダンの首都ジュバで起きた大規模な衝突が「戦闘」であったことを示す/示唆する自衛隊の日記をめぐって国会が紛糾している。当時、南スーダンに派遣されていた国連PKOを維持できるか、国際的にも、日本でも問題となっており、日本の国会では、首都ジュバでの政府軍と反政府勢力との間の大規模な衝突は「戦闘」であり、日本の部隊は撤収すべきではないかということが審議されていた。日本政府はその紛争の存在を認めつつも、PKOの派遣・維持の前提である停戦は維持されていたという認識であり、強い反対論があったがその立場を貫いた。自衛隊の部隊は今も南スーダンに派遣されている。
しかるに、2016年9月、ジャーナリストの布施祐仁氏が当時の日記の開示を防衛省に請求したのに対して、防衛省は12月2日、その日記はすでに廃棄していると回答することにし、稲田防衛相にもその旨を報告した。
しかし、そのような処理は問題だと考える者がいたのだろう。元文書管理担当相の河野太郎議員に情報提供があった。その内容の詳細は不明だが、同議員は日記の電子データさえ残っていないのは不可解だとして防衛省に調査を求めた。その結果、数日後に電子データが残っていることが判明した。
河野議員は2月6日に防衛省から開示を受け、ただちにツイッターやフェイスブックでそのことを公表した。
一方、防衛省内部では、稲田防衛相への報告は調査結果の判明後迅速に行われず、河野議員への開示のわずか10日前、つまり1月末になってようやく行われた。事務方は防衛相に数週間報告しないでいたらしい。
(以上は諸報道を要約したもので、未確認だが、本件の背景として記しておく)
1月末に開会した国会では、昨年7月当時の政府説明には問題があった、衝突の状況を記した日記がないというのは事実でなかったなどの指摘、批判が行われ、稲田防衛相が矢面に立たされた。
とくに焦点となったのは、当時の衝突が「戦闘」であったか否かであり、日記は「戦闘」であると描写していた。そうであれば、自衛隊はやはり撤収すべきであったということになり、ひいては当時の政府答弁には瑕疵があったことになる恐れがある。そうなることは何としてでも避けなければならないと考えたのであろう。稲田氏は「戦闘」という言葉は今でも使わず、「戦闘とは国際的に言われる「戦闘行為」ではない」という意味不明のことを繰り返すだけである。
このような答弁が日本国民に受け入れられるか疑問だ。今後、国会でどのような結論になるか関心を持って見守りたい。個人的には、防衛省内部でも十分に補佐されず、大事なことを、一時的とはいえ、隠され、また国会では官僚の作った無理な答弁を繰り返している稲田防衛相に同情を禁じ得ないが、稲田防衛相には大きな責任がある。憲法論でよく言われる文民統制の責任は首相、次いで防衛相にある。今国会で起こっているような状況では、有効な文民統制が働くとは到底思えない。
稲田防衛相を含め、今回の一連の不祥事に心を痛めている人には、PKOへの日本の参加のあるべき姿、体制についてよく考えてもらいたい。
PKOは、国連も日本国憲法も全く想定していなかったことであるが、戦後の国際政治において新しく生まれてきたものであり、それがいかに必要か、その歴史と予算額の大きさ(国連の通常予算よりはるかに多い)を見れば明らかである。
PKOは、停戦・和平の成立を前提としており、したがって、日本がそれに参加することは日本国憲法の「国際紛争に巻き込まれてはならない」という重要原則に反しない。日本はそのことを明確にしたうえで具体的な参加の態様を決めるべきであった。たとえば、警察を拡充してPKO部隊を派遣できるようにするのも一つの方法だった。警察というと、すでに文民警察が派遣されているが、それができる行動の範囲はPKO活動の小さな一部分にすぎない。
しかし、日本はPKO部隊として自衛隊を派遣することとした。政治的な理由でそうせざるを得なかったのだが、自衛隊は本来日本の防衛のための組織であり、PKOという国際活動には向いていない。日本の自衛隊は憲法の認めるごくわずかな例外的行為しか行えず、それではPKOとして十分な活動を行うのが困難だからだ。そのような制約を無視してPKO活動を拡大し、またそのため自衛隊の海外活動が拡大すると憲法違反の問題が出てくる。
したがって、「駆けつけ警護」に代表されるように日本のPKO活動を拡大するという決断を下すにあたっては、憲法との関係、自衛隊の性格などを改めて整理しなおすべきであった。
私は今でも「PKOは日本国憲法上認められる」という大きな判断をすべきであり、その上でPKOへの参加のあり方についての理論構成をし直すべきだと思っている。そして、自衛隊を今後もPKOに派遣するのであれば、「自衛」とともに「国際協力」をその主要業務として位置付けるべきである。この二つの異なることを自衛隊の業務とすると自衛隊の性格が不明確になるのであれば、「国際協力」のための別の組織を新設すべきである。そのような検討は日本の憲法体制にとっても自衛隊にとっても必要なことである。
しかるに、現在国会で起こっていることは、政府答弁の一貫性、整合性のための議論だ。それらを揺るがせば、政府の姿勢が問われ政治問題になるのでそうせざるを得ないのだろうが、しょせんそれは技術的な問題だ。
今回の問題について防衛省の対応の拙劣さを指摘するのは容易だが、その背景には自衛隊のあり方が、憲法との関係を含め、明確になっていないという現実がある。それは日本全体の問題であり、早急に是正すべきである。
(平和外交研究所HP 2014年4月26日「PKOと武器使用」、東洋経済オンライン2016年10月22日「稲田防衛相も視察した南スーダンPKOの苦渋 自衛隊員の「武器使用」をどう解釈すべきか」も参照願いたい。)
2017.02.08
メリットとしては次のようなことが考えられる。
○トランプ大統領には、日本の安全保障について日本自身が行っている努力、あるいは日米両国間の貿易などに関するはなはだしい誤解がある。それを解く努力が必要だ。
○トランプ大統領は経済交渉には自信があるようだが、国際政治や安全保障の面では不安がある。日米の同盟関係は日米両国にとってはもちろん、アジアや世界の平和と安定にとっても重要な役割を果たしており、このことについてもトランプ大統領に理解してもらうことが必要だ。
○米国の新政権に安倍首相が親近感を持っていることを、理屈抜きに行動で示すことが重要である。トランプ大統領と安倍首相が個人的に親しい関係を築き上げれば今後の日米間の意思疎通、相互理解が容易になる。
反面、次のようなデメリットも考慮すべきだ。
○トランプ氏は非常に個性的で、特異な大統領であり、今後日本として呑めない要求が出てくる危険がある。日米関係を最初から緊密だとしてしまうと、ノーということもできなくなる恐れがある。新政権内部で今後意見の対立が生じる危険もある。
○日本で安保法制改正が行われた結果、日本が米国の軍事行動に貢献・協力する余地は大きくなっている。かりに南シナ海で米国が第3国と衝突すれば、日本は当然貢献・協力を求められるだろう。日本国民としてはそのような覚悟を持っていなければならない。
○日本から対米投資の予定額などを含む経済貢献パッケージを持参するというのが本当であれば、トランプ氏としては「やはり日本にもまず強く出たのは正解であった」と思わせることとなるのではないか。そうであれば、将来はさらに一方的な要求が出てくる恐れがある。
それから、これはメリット、デメリットと言えるほど割り切れないことだが、今後、日米のみならず、中国、ロシア、欧州などの間の相互関係が大きく変化する可能性がある。英国のメイ首相は新政権の米国と伝統的な友好関係を確認したが、トランプ氏に同調しすぎた、西側として重視してきた価値を軽視したとして英国内外で批判を浴びた。
一方、メイ首相は中国との関係を重視しており、訪中予定も早々と発表している。経済的な理由から英国はメイ首相の前の政権から中国との関係を積極的に進めている。
今後、日米関係も広い国際的視野で推進していくことが必要だ。
(短評)安倍首相のトランプ大統領との会談
安倍首相は2月10日にトランプ大統領と会談する。注目度が非常に高い会談だ。メリットもデメリットもあると思う。メリットとしては次のようなことが考えられる。
○トランプ大統領には、日本の安全保障について日本自身が行っている努力、あるいは日米両国間の貿易などに関するはなはだしい誤解がある。それを解く努力が必要だ。
○トランプ大統領は経済交渉には自信があるようだが、国際政治や安全保障の面では不安がある。日米の同盟関係は日米両国にとってはもちろん、アジアや世界の平和と安定にとっても重要な役割を果たしており、このことについてもトランプ大統領に理解してもらうことが必要だ。
○米国の新政権に安倍首相が親近感を持っていることを、理屈抜きに行動で示すことが重要である。トランプ大統領と安倍首相が個人的に親しい関係を築き上げれば今後の日米間の意思疎通、相互理解が容易になる。
反面、次のようなデメリットも考慮すべきだ。
○トランプ氏は非常に個性的で、特異な大統領であり、今後日本として呑めない要求が出てくる危険がある。日米関係を最初から緊密だとしてしまうと、ノーということもできなくなる恐れがある。新政権内部で今後意見の対立が生じる危険もある。
○日本で安保法制改正が行われた結果、日本が米国の軍事行動に貢献・協力する余地は大きくなっている。かりに南シナ海で米国が第3国と衝突すれば、日本は当然貢献・協力を求められるだろう。日本国民としてはそのような覚悟を持っていなければならない。
○日本から対米投資の予定額などを含む経済貢献パッケージを持参するというのが本当であれば、トランプ氏としては「やはり日本にもまず強く出たのは正解であった」と思わせることとなるのではないか。そうであれば、将来はさらに一方的な要求が出てくる恐れがある。
それから、これはメリット、デメリットと言えるほど割り切れないことだが、今後、日米のみならず、中国、ロシア、欧州などの間の相互関係が大きく変化する可能性がある。英国のメイ首相は新政権の米国と伝統的な友好関係を確認したが、トランプ氏に同調しすぎた、西側として重視してきた価値を軽視したとして英国内外で批判を浴びた。
一方、メイ首相は中国との関係を重視しており、訪中予定も早々と発表している。経済的な理由から英国はメイ首相の前の政権から中国との関係を積極的に進めている。
今後、日米関係も広い国際的視野で推進していくことが必要だ。
2017.02.03
自衛隊の元将官が英文の論文「日米同盟と自衛隊の役割 過去、現在、未来」を発表したと報道されている。「トランプ大統領が安全保障で同盟国との分担が不公平だと訴える中、日本の防衛に携わった幹部OBから自衛隊の役割拡大や米軍との連携を米国に向けてアピールする異例の提言だ」そうだ。
元自衛官が日本の将来の姿を考え、意見を発表するのは有意義なことである。しかし、今の憲法では、政府と自衛隊との関係についての規定が不十分だと思う。
2016年11月11日に当研究所HPに掲載した「憲法改正の論点④ 自衛隊/国防軍の統制」を再掲する。
「自民党憲法改正案は我が国が「国防軍」を保持すると規定している(同案第9条の2)。「自衛隊」は現憲法では言及されておらず、解釈として認められているに過ぎない。また、現憲法第9条第2項には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」とあるが、これに相当する規定は改正案にはない。
改正案第9条の2
我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。
自民党改正案第66条第2項が主たる規定。
「内閣総理大臣及び全ての国務大臣は、現役の軍人であってはならない。」
さらに第72条第3項
「内閣総理大臣は、最高指揮官として、国防軍を統括する。」
疑問と問題点
自衛隊の統制については、現憲法には2つの問題点がある。
第1は、「自衛隊は軍隊でない」という建前にこだわる結果、自衛隊を統制する必要性が明確に認識されていないことだ。つまり、軍隊は統制しなければならないが、自衛隊についてはそのような必要性がないと思われている。自衛隊はそれが必要になるような状況にはなりえないと想定されているからだ。
自民党改正案は国防軍を持つこととしているので、この「自衛隊」の中途半端な性格は問題にならなくなる。
第2は、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」(66条2項)といういわゆる文民統制だ。首相や防衛相が健全に判断するので軍の暴走を止めることができるという考えだが、実際にはとてもそれでは統制できないと思う。たとえば、作戦Aで成功しなかった軍が作戦Bを必要と主張するが、政治的あるいは外交的な理由から作戦Bは実行すべきでないと判断される場合、防衛相が作戦Bを不許可とするのは困難だ。理論的はもちろんできるとしても、実際には軍はよく検討し、理由を考え防衛相に上げてくるだろうから説得力がある。一方、政治的、外交的判断は妥協の結果として出てくるものであり、したがって理論的根拠は弱いことが多い。軍の考えと政治的・外交的判断を単純に比べてみるとおそらく軍の考えのほうが理屈にかなっているように見えるだろう。
しかし、そこで軍の主張を容れると軍の統制は成り立たない。つまり、軍のほうが合理的であっても政治的、外交的判断を優先させなければならないことがあるのだ。このことは一見不合理に見えても、軍は軍の世界で物事を組み立て、判断しているにすぎないので、全体的判断にはなりえないのであり、またそうしてはならない。
歴史的にいくらも例がある。満州(現東北地方)を防衛するのに長城を超えて華北に入り作戦をしなければならないという主張もあった。この時、日本政府は無力であり、軍の行動を後付けで承認するほかなかった。
陸軍の主張が認められないことを理由に陸軍大臣が閣議をボイコットしたので政府はやむなくその主張を認めたこともあった。
しかも、軍の主張は過去の作戦で多数の兵士が犠牲になったという歴史によって裏付けられ、強化されている。政府が軍の主張する理由に同調しないと、「兵士を無駄死にさせたことになる」などということになる。
このように困難な統制は首相や防衛相が軍人でないことだけで担保されるものでない。しかし、自民党の改正案も現憲法の単純な考えから脱却しておらず、トップに立つ首相や防衛相がいる限り、問題は起こらないという考えに立っている。
ではどうすればよいかだが、「軍はいかなる場合でも政府の判断に従う」という原則を明記すべきだ。この原則といわゆる文民統制(シビリアンコントロール)との違いは、このような原則を立てれば、それはすべての軍人がまもるべき規則となり、またそれを教育することになる。今のシビリアンコントロールだけでは首相や防衛相だけがその原則を守ることになっている。つまり、この原則は万人に対して当てはまるが、シビリアンコントロールはトップだけが責任を持っているに過ぎない。
防衛省の元次官であった守屋武昌氏は、先般成立した安保法制の改正において背広組の職権が削られ、制服組の権限が飛躍的に拡大したことを指摘し、「大戦の惨禍の上に築かれた文民統制の仕組みが取り払われてしまった」と述べている(朝日新聞2016年9月1日付)。その中で守屋氏は「軍事的合理性で押してくる制服組に要求はとてもシビア」と述べている。制服組の主張は説得力があるということだ。
守屋氏の言う文民統制の仕組みとはいわゆる内局(背広組)優位の原則であるが、私が防衛庁(当時)に出向していたとき、内局の幹部にあることを相談したところ「自衛隊が反対するから」という理由で断られたことがある。この短いやり取りだけで判断するのはやや問題であるが、その時は文民優位の仕組みは生きているのか疑問に思った。
自主防衛の範囲が拡大することは決して忌むべきことでない。自衛隊を防衛軍とすることには賛成だ。しかし、軍の統制を見直すことは絶対的に必要であり、「軍は政府の判断に従う」という原則を明確に掲げるべきだと思う。」
元自衛官による「日米同盟と自衛隊の役割 過去、現在、未来」論文
自衛隊の元将官が英文の論文「日米同盟と自衛隊の役割 過去、現在、未来」を発表したと報道されている。「トランプ大統領が安全保障で同盟国との分担が不公平だと訴える中、日本の防衛に携わった幹部OBから自衛隊の役割拡大や米軍との連携を米国に向けてアピールする異例の提言だ」そうだ。
元自衛官が日本の将来の姿を考え、意見を発表するのは有意義なことである。しかし、今の憲法では、政府と自衛隊との関係についての規定が不十分だと思う。
2016年11月11日に当研究所HPに掲載した「憲法改正の論点④ 自衛隊/国防軍の統制」を再掲する。
「自民党憲法改正案は我が国が「国防軍」を保持すると規定している(同案第9条の2)。「自衛隊」は現憲法では言及されておらず、解釈として認められているに過ぎない。また、現憲法第9条第2項には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」とあるが、これに相当する規定は改正案にはない。
改正案第9条の2
我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。
自民党改正案第66条第2項が主たる規定。
「内閣総理大臣及び全ての国務大臣は、現役の軍人であってはならない。」
さらに第72条第3項
「内閣総理大臣は、最高指揮官として、国防軍を統括する。」
疑問と問題点
自衛隊の統制については、現憲法には2つの問題点がある。
第1は、「自衛隊は軍隊でない」という建前にこだわる結果、自衛隊を統制する必要性が明確に認識されていないことだ。つまり、軍隊は統制しなければならないが、自衛隊についてはそのような必要性がないと思われている。自衛隊はそれが必要になるような状況にはなりえないと想定されているからだ。
自民党改正案は国防軍を持つこととしているので、この「自衛隊」の中途半端な性格は問題にならなくなる。
第2は、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」(66条2項)といういわゆる文民統制だ。首相や防衛相が健全に判断するので軍の暴走を止めることができるという考えだが、実際にはとてもそれでは統制できないと思う。たとえば、作戦Aで成功しなかった軍が作戦Bを必要と主張するが、政治的あるいは外交的な理由から作戦Bは実行すべきでないと判断される場合、防衛相が作戦Bを不許可とするのは困難だ。理論的はもちろんできるとしても、実際には軍はよく検討し、理由を考え防衛相に上げてくるだろうから説得力がある。一方、政治的、外交的判断は妥協の結果として出てくるものであり、したがって理論的根拠は弱いことが多い。軍の考えと政治的・外交的判断を単純に比べてみるとおそらく軍の考えのほうが理屈にかなっているように見えるだろう。
しかし、そこで軍の主張を容れると軍の統制は成り立たない。つまり、軍のほうが合理的であっても政治的、外交的判断を優先させなければならないことがあるのだ。このことは一見不合理に見えても、軍は軍の世界で物事を組み立て、判断しているにすぎないので、全体的判断にはなりえないのであり、またそうしてはならない。
歴史的にいくらも例がある。満州(現東北地方)を防衛するのに長城を超えて華北に入り作戦をしなければならないという主張もあった。この時、日本政府は無力であり、軍の行動を後付けで承認するほかなかった。
陸軍の主張が認められないことを理由に陸軍大臣が閣議をボイコットしたので政府はやむなくその主張を認めたこともあった。
しかも、軍の主張は過去の作戦で多数の兵士が犠牲になったという歴史によって裏付けられ、強化されている。政府が軍の主張する理由に同調しないと、「兵士を無駄死にさせたことになる」などということになる。
このように困難な統制は首相や防衛相が軍人でないことだけで担保されるものでない。しかし、自民党の改正案も現憲法の単純な考えから脱却しておらず、トップに立つ首相や防衛相がいる限り、問題は起こらないという考えに立っている。
ではどうすればよいかだが、「軍はいかなる場合でも政府の判断に従う」という原則を明記すべきだ。この原則といわゆる文民統制(シビリアンコントロール)との違いは、このような原則を立てれば、それはすべての軍人がまもるべき規則となり、またそれを教育することになる。今のシビリアンコントロールだけでは首相や防衛相だけがその原則を守ることになっている。つまり、この原則は万人に対して当てはまるが、シビリアンコントロールはトップだけが責任を持っているに過ぎない。
防衛省の元次官であった守屋武昌氏は、先般成立した安保法制の改正において背広組の職権が削られ、制服組の権限が飛躍的に拡大したことを指摘し、「大戦の惨禍の上に築かれた文民統制の仕組みが取り払われてしまった」と述べている(朝日新聞2016年9月1日付)。その中で守屋氏は「軍事的合理性で押してくる制服組に要求はとてもシビア」と述べている。制服組の主張は説得力があるということだ。
守屋氏の言う文民統制の仕組みとはいわゆる内局(背広組)優位の原則であるが、私が防衛庁(当時)に出向していたとき、内局の幹部にあることを相談したところ「自衛隊が反対するから」という理由で断られたことがある。この短いやり取りだけで判断するのはやや問題であるが、その時は文民優位の仕組みは生きているのか疑問に思った。
自主防衛の範囲が拡大することは決して忌むべきことでない。自衛隊を防衛軍とすることには賛成だ。しかし、軍の統制を見直すことは絶対的に必要であり、「軍は政府の判断に従う」という原則を明確に掲げるべきだと思う。」
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