オピニオン
2018.02.26
厳密にいえば、現憲法で禁止されているのは連続の3選であり、ロシアのプーチン大統領のように、国家主席を2期務めた後、いったん他人に譲れば、その後、再び国家主席に選出されること、つまり3選は可能であったが、今般、「連続3選の禁止」も撤廃することとしたのである。これにより、習近平体主席としては、姑息な方法は使わずに、10年を超して、つまり第2期目以降も最高指導者であり続けることが可能となる。
経緯的には、昨年秋の第19回中国共産党大会で党の指導体制が決定された際、習近平主席の後継者を選ばなかったときから習近平体制の長期化の動きが始まっていたのだが、なぜ、このような改正をするのか。
中国は急速に発展しているが、一言でいえば、まだ「小康状態にある」というのが中国の基本認識であり、習近平総書記は、2020年に「小康社会の全面的実現」を掲げている。「小康状態」とはまだ先進国になりきっていない状態と考えてよい。
習近平主席が第1期目に直面した問題は内外ともにあまりにも多かった。習氏は従来の官僚主義的な党政の在り方に不満で、横断的に問題を扱う「小組」を多数作って強い権限を与え、また、言論統制と腐敗取り締まりの2本の鞭を駆使しながら、諸改革を進めてきた。この結果、国務院の地位は低下した。共産党も習氏から見れば官僚主義的であり、とくに中央宣伝部や地方の党委員会のあり方には強く不満であったようだ。
習近平政権は第1期目の5年間、改革の成果を上げた。失脚に追い込んだ「虎」、つまり、大物も少なくなかった。しかし、問題の根は深く、習近平主席のもとで権力をふるっていた、現職の房峰輝総参謀長や、言論取り締まりのかなめである「インターネット安全情報化小組」を牛耳り、「インターネットの皇帝」と呼ばれてきた魯煒宣伝部副部長も失脚した。
全体的に、中国の諸改革は今後も強力に進めていかなければならないという認識であろう。また、その背景には、鄧小平亡き後中国は発展したが、党と政の機構が官僚主義化したことへの批判があった。たとえば、かつては共産党幹部の養成機関であった共産主義青年団(共青団)に対して習氏は厳しく批判的であり、予算を削減している。また、習氏は、共青団出身であった胡錦濤前主席の統治に対しても批判的である。
このような状況において、習近平氏自身と支持者たちは、過去30年近い間に形成されてきた統治機構を改革するとともに、最高指導者の在り方にも手を加え、強い指導者である習氏を既定の10年より長く国家主席とするのがよいとの判断に立ち至ったものと思われる。
しかし、習近平氏は毛沢東や鄧小平のような特別の人物でない。経験も比較にならない。習氏が言えばだれもが賛成するわけではない。実際、3選禁止の撤廃には習近平体制の絶対化を許すとして批判的な意見もあったという。当然である。
習近平主席が3選可能になると、次のような問題が発生する危険がある。
第1に、毛沢東に対する批判であった「個人崇拝」に陥ることである。最近中国のテレビで、習氏を「人民の領袖(りょうしゅう)」と形容する論評が流れたという。毛沢東は「偉大な領袖」であり、習近平はそこまでいわれているのではないが、近づきつつあると見られているのだ。
第2に、習氏自身、口やかましく「法治」の重要性を説いてきたが、主席の3選を認めるために憲法改正をするのであれば、結局法の支配は軽視していることになる。中国では環境問題はじめ生活の全分野で多数の法律が作られており、日本などの企業でもそれを順守するのに苦労しているのは事実であれが、共産党が支配する中国では肝心のところでは「法治」はあり得ない。今回の憲法改正問題はそのような中国をあらためて象徴していると思われる。
大きく見れば、中国は今後もさらに強大な国家となるよう邁進していく。そのために、共産党独裁の甲冑に身を固めた官僚支配を継続する。民主化や言論の自由は引き続き厳しく規制する。そして腐敗にまみれた支配層の既得権益を召し上げ、その浄化を図る。全国を通じ、中央と地方の指導者の入れ替えを大胆に断行する。
これらの方策には、一定の長所もあるが、今後経済成長はスローダウンし、政治問題の隠れ蓑にはなりえない。中国は憲法改正の意図に反して、今後かえって不安定化するのではないか。
習近平中国主席の3選
中国は憲法を改正して国家主席の3選を可能にした。3月5日から始まる全国人民代表大会(全人代 日本の国会に近い)を準備している共産党の二中全会(第2回中央委員会全体会議)においてその趣旨の憲法改正案が承認された。厳密にいえば、現憲法で禁止されているのは連続の3選であり、ロシアのプーチン大統領のように、国家主席を2期務めた後、いったん他人に譲れば、その後、再び国家主席に選出されること、つまり3選は可能であったが、今般、「連続3選の禁止」も撤廃することとしたのである。これにより、習近平体主席としては、姑息な方法は使わずに、10年を超して、つまり第2期目以降も最高指導者であり続けることが可能となる。
経緯的には、昨年秋の第19回中国共産党大会で党の指導体制が決定された際、習近平主席の後継者を選ばなかったときから習近平体制の長期化の動きが始まっていたのだが、なぜ、このような改正をするのか。
中国は急速に発展しているが、一言でいえば、まだ「小康状態にある」というのが中国の基本認識であり、習近平総書記は、2020年に「小康社会の全面的実現」を掲げている。「小康状態」とはまだ先進国になりきっていない状態と考えてよい。
習近平主席が第1期目に直面した問題は内外ともにあまりにも多かった。習氏は従来の官僚主義的な党政の在り方に不満で、横断的に問題を扱う「小組」を多数作って強い権限を与え、また、言論統制と腐敗取り締まりの2本の鞭を駆使しながら、諸改革を進めてきた。この結果、国務院の地位は低下した。共産党も習氏から見れば官僚主義的であり、とくに中央宣伝部や地方の党委員会のあり方には強く不満であったようだ。
習近平政権は第1期目の5年間、改革の成果を上げた。失脚に追い込んだ「虎」、つまり、大物も少なくなかった。しかし、問題の根は深く、習近平主席のもとで権力をふるっていた、現職の房峰輝総参謀長や、言論取り締まりのかなめである「インターネット安全情報化小組」を牛耳り、「インターネットの皇帝」と呼ばれてきた魯煒宣伝部副部長も失脚した。
全体的に、中国の諸改革は今後も強力に進めていかなければならないという認識であろう。また、その背景には、鄧小平亡き後中国は発展したが、党と政の機構が官僚主義化したことへの批判があった。たとえば、かつては共産党幹部の養成機関であった共産主義青年団(共青団)に対して習氏は厳しく批判的であり、予算を削減している。また、習氏は、共青団出身であった胡錦濤前主席の統治に対しても批判的である。
このような状況において、習近平氏自身と支持者たちは、過去30年近い間に形成されてきた統治機構を改革するとともに、最高指導者の在り方にも手を加え、強い指導者である習氏を既定の10年より長く国家主席とするのがよいとの判断に立ち至ったものと思われる。
しかし、習近平氏は毛沢東や鄧小平のような特別の人物でない。経験も比較にならない。習氏が言えばだれもが賛成するわけではない。実際、3選禁止の撤廃には習近平体制の絶対化を許すとして批判的な意見もあったという。当然である。
習近平主席が3選可能になると、次のような問題が発生する危険がある。
第1に、毛沢東に対する批判であった「個人崇拝」に陥ることである。最近中国のテレビで、習氏を「人民の領袖(りょうしゅう)」と形容する論評が流れたという。毛沢東は「偉大な領袖」であり、習近平はそこまでいわれているのではないが、近づきつつあると見られているのだ。
第2に、習氏自身、口やかましく「法治」の重要性を説いてきたが、主席の3選を認めるために憲法改正をするのであれば、結局法の支配は軽視していることになる。中国では環境問題はじめ生活の全分野で多数の法律が作られており、日本などの企業でもそれを順守するのに苦労しているのは事実であれが、共産党が支配する中国では肝心のところでは「法治」はあり得ない。今回の憲法改正問題はそのような中国をあらためて象徴していると思われる。
大きく見れば、中国は今後もさらに強大な国家となるよう邁進していく。そのために、共産党独裁の甲冑に身を固めた官僚支配を継続する。民主化や言論の自由は引き続き厳しく規制する。そして腐敗にまみれた支配層の既得権益を召し上げ、その浄化を図る。全国を通じ、中央と地方の指導者の入れ替えを大胆に断行する。
これらの方策には、一定の長所もあるが、今後経済成長はスローダウンし、政治問題の隠れ蓑にはなりえない。中国は憲法改正の意図に反して、今後かえって不安定化するのではないか。
2018.02.12
それを象徴的に表していたのが、金正恩委員長の、「ついに国家核戦力完成の歴史的大業、ロケット強国偉業が実現された」との宣言であった。核・ロケット戦力は完成したと過去形で述べていたのである。
この発言は、11月末、新型の大陸間弾道ロケット「火星15」型の発射実験を「成功」させた際に行われた。当然注目すべきであったが、その後どの国もこの発言を重視しなかった。各国はこの実験が完全な成功でなかったと分析し、とくに米国は、北朝鮮が「今後短期間に米本土を攻撃可能なICBMを開発する恐れが大である」として核・ミサイル開発の完成は将来のことだという認識を示していたからである。
金委員長の発言が正しいか、米国の認識が正しいかを論じる必要も気持ちもないが、北朝鮮と各国との間でまたもや認識のずれが生じたことだけは指摘しておきたい。
金委員長は、当然だが、自己の発言に沿って核・ミサイル戦力完成後の外交方針を立てていた。平昌オリンピックは新方針を実行するために格好の舞台となり、新年の辞で参加の意向を示したのであった。
北朝鮮の新方針は、その後韓国とオリンピック参加のための協議をする段階でもにじみ出ていた。韓国に対して強く出るときと我慢するときを使い分けていたことである。これには微妙なかじ取りが必要だ。推測に過ぎないが、金正恩委員長には強力な側近がおり、その一人が妹の金与正なのかもしれない。同氏は、以前から、金正恩委員長が演説を行うときなどに柱の陰で見え隠れしていたが、それは実妹としての自由な行動というより、側近中の側近として見守っていたとも考えられる。訪韓後、金永南最高人民会議常任委員長の金与正に対する気の使い方は尋常でなく、何度勧められても先に着席しようとしなかった。テレビで報道されたので見ていた人は多かったはずである。
ともかく、オリンピックへの参加問題は北朝鮮の描いたシナリオ通りに展開した。もちろん、文在寅韓国大統領による全面的な協力があったから順調に準備が進められたのであったが、北朝鮮としてはそれも予想通りであったのだろう。韓国としては、制裁の関係でできることは限られていたはずだが、北朝鮮のオリンピック参加という名目のために例外的措置として北朝鮮側の要求を次々に認めた。
金正恩委員長が打った手はオリンピックへの参加だけではなかった。文大統領との首脳会談の提案は、南北間の関係改善を一時的なものとせず継続するための仕掛けでもあった。金委員長はオリンピック後になすべきことをも文大統領に投げかけたのだ。
このような北朝鮮の新方針は、米日両国はもちろん、中国も北朝鮮への圧力強化に積極的になろうとしている状況が背景となっているものと思われる。国連の制裁決議が効いているというのは自然な観察と分析だろうが、正しいかどうかは別問題である。北朝鮮は韓国に抱きつき、突破口を開こうとしたのであるが、これは以前にも採用した手法であった。圧力をかけ続ければ北朝鮮は非核化のための話し合いをしたいと言い出すということは実現しないのではないか。
文大統領としてもさすがに首脳会談の提案はすぐにもろ手で賛成することはできなかった。提案実現には明らかに困難が待ち受けている。米国がそのような行為を認めるか疑問であり、また、そもそも現在の厳しい制裁下であえて平壌を訪問しても韓国としてオファーできることは非常に限られている。開城工業団地の再開も無理である。したがって、文大統領としては、金委員長からのせっかくの提案ではあるが、「今後、条件を整えて実現させよう」と答えるほかなかった。
今後、金委員長は新方針にしたがってソフトムードで攻勢をかけ続けるだろう。そして、文大統領は逆に困難な立場に立つだろう。
当面の最大問題は米韓合同軍事演習である。これは毎年2月末から3月初めにかけて行われるが、今年は北朝鮮のオリンピック参加のためにとくに延期されている。これが再開されるか、またそれはいつかである。
文大統領はこれを再開したくない。再開せざるを得ないとしてもできるだけ遅らせたいのが本音だろう。米韓演習を再開すれば、北朝鮮が文大統領を非難するのは必至だ。また、核・ミサイルの実験を再開するだろう。北朝鮮は、これらの実験を停止すると発表したことはないが、米韓演習が行われない間は実験もしない形になっている。両者は実質的に関連しているのである。
一方、米韓演習をめぐって奇妙な状況が現れた。安倍首相はオリンピック会場の近くで文大統領と会談し、その内容は、日韓双方が発表ぶりを合わせることなく、各自の判断で発表することとなった。重要な会談内容がこのように扱われること自体異例であるが、さらにおかしなことに、米韓演習について安倍首相と文大統領が会談したことが説明にまったく含まれていなかった。日本の主要メディアの報道にもこの問題は触れられなかった。
しかし、韓国のメディア、それに中国のメディアも安倍首相が米韓演習に言及し、「延期する段階ではない。予定通り実施することが重要だ」との考えを示し、それに対し文大統領は「この問題はわれわれの主権問題であり、内政の問題」と反発したと伝えはじめた。そして、日本のメディアも1日遅れで報道を始めた。小さな記事で。
推測するに、安倍首相と文大統領との会談では、合同演習問題は発表しないように打ち合わせたのだろう。それで済むと思ったとしか考えられないが、お粗末きわまる外交感覚である。日本政府は韓国政府がメディアにリークしたと思っているだろうが、リークされないと思うほうがおかしい。
米国、というよりペンス米副大統領は北朝鮮に対する圧力をさらに強化するということしか言わなかったことも注目された。ペンス氏は文大統領主催の歓迎レセプション(と言っても着席するもので席が決まっている)に欠席した。北朝鮮の金永南氏と言葉を交わしたくなかったのだろう。ペンス氏は韓国入りする前から北朝鮮側とは会わないと明言しており、その通りに振舞ったのだ。
トランプ大統領は文大統領と会談する際、もっと幅のある物言いをする。自分は金正恩委員長と話し合いしてもよいと言わんばかりの発言もする。それに比べ、ペンス副大統領が圧力しか念頭にないという姿勢を示したのはなぜか。トランプ政権のなかでの自分の立ち位置をそのように決めているからではないか。平たく言えば、ペンス氏はトランプ大統領の忠実なしもべに徹しているのだ。ペンス氏はトランプ氏から安倍首相とよく相談するようにとアドバイスされていた(くぎを刺されていた?)可能性もある。平昌でもペンス氏はしきりに安倍首相と対応をすり合わせようとしていたことが目撃されていた。
このようなペンス大統領の姿勢は安倍首相にとって都合のよいものだっただろうが、今後も米国はそのような姿勢を続けるか。安倍首相をはじめ日本政府の関係者は「日米は同じ立場にある」とさかんに主張するが、はたしてそうなのか。現在のような人為的にゆがめられた北朝鮮に対する政策はほころびが生じるのではないか。
平昌オリンピックに見る北朝鮮外交
平昌オリンピックは南北朝鮮それに日米の外交舞台となった。きっかけとなったのは金正恩委員長が新年の辞で北朝鮮は参加する用意があると発言したことだったが、北朝鮮は昨年秋から外交姿勢の転換を図っていた。それを象徴的に表していたのが、金正恩委員長の、「ついに国家核戦力完成の歴史的大業、ロケット強国偉業が実現された」との宣言であった。核・ロケット戦力は完成したと過去形で述べていたのである。
この発言は、11月末、新型の大陸間弾道ロケット「火星15」型の発射実験を「成功」させた際に行われた。当然注目すべきであったが、その後どの国もこの発言を重視しなかった。各国はこの実験が完全な成功でなかったと分析し、とくに米国は、北朝鮮が「今後短期間に米本土を攻撃可能なICBMを開発する恐れが大である」として核・ミサイル開発の完成は将来のことだという認識を示していたからである。
金委員長の発言が正しいか、米国の認識が正しいかを論じる必要も気持ちもないが、北朝鮮と各国との間でまたもや認識のずれが生じたことだけは指摘しておきたい。
金委員長は、当然だが、自己の発言に沿って核・ミサイル戦力完成後の外交方針を立てていた。平昌オリンピックは新方針を実行するために格好の舞台となり、新年の辞で参加の意向を示したのであった。
北朝鮮の新方針は、その後韓国とオリンピック参加のための協議をする段階でもにじみ出ていた。韓国に対して強く出るときと我慢するときを使い分けていたことである。これには微妙なかじ取りが必要だ。推測に過ぎないが、金正恩委員長には強力な側近がおり、その一人が妹の金与正なのかもしれない。同氏は、以前から、金正恩委員長が演説を行うときなどに柱の陰で見え隠れしていたが、それは実妹としての自由な行動というより、側近中の側近として見守っていたとも考えられる。訪韓後、金永南最高人民会議常任委員長の金与正に対する気の使い方は尋常でなく、何度勧められても先に着席しようとしなかった。テレビで報道されたので見ていた人は多かったはずである。
ともかく、オリンピックへの参加問題は北朝鮮の描いたシナリオ通りに展開した。もちろん、文在寅韓国大統領による全面的な協力があったから順調に準備が進められたのであったが、北朝鮮としてはそれも予想通りであったのだろう。韓国としては、制裁の関係でできることは限られていたはずだが、北朝鮮のオリンピック参加という名目のために例外的措置として北朝鮮側の要求を次々に認めた。
金正恩委員長が打った手はオリンピックへの参加だけではなかった。文大統領との首脳会談の提案は、南北間の関係改善を一時的なものとせず継続するための仕掛けでもあった。金委員長はオリンピック後になすべきことをも文大統領に投げかけたのだ。
このような北朝鮮の新方針は、米日両国はもちろん、中国も北朝鮮への圧力強化に積極的になろうとしている状況が背景となっているものと思われる。国連の制裁決議が効いているというのは自然な観察と分析だろうが、正しいかどうかは別問題である。北朝鮮は韓国に抱きつき、突破口を開こうとしたのであるが、これは以前にも採用した手法であった。圧力をかけ続ければ北朝鮮は非核化のための話し合いをしたいと言い出すということは実現しないのではないか。
文大統領としてもさすがに首脳会談の提案はすぐにもろ手で賛成することはできなかった。提案実現には明らかに困難が待ち受けている。米国がそのような行為を認めるか疑問であり、また、そもそも現在の厳しい制裁下であえて平壌を訪問しても韓国としてオファーできることは非常に限られている。開城工業団地の再開も無理である。したがって、文大統領としては、金委員長からのせっかくの提案ではあるが、「今後、条件を整えて実現させよう」と答えるほかなかった。
今後、金委員長は新方針にしたがってソフトムードで攻勢をかけ続けるだろう。そして、文大統領は逆に困難な立場に立つだろう。
当面の最大問題は米韓合同軍事演習である。これは毎年2月末から3月初めにかけて行われるが、今年は北朝鮮のオリンピック参加のためにとくに延期されている。これが再開されるか、またそれはいつかである。
文大統領はこれを再開したくない。再開せざるを得ないとしてもできるだけ遅らせたいのが本音だろう。米韓演習を再開すれば、北朝鮮が文大統領を非難するのは必至だ。また、核・ミサイルの実験を再開するだろう。北朝鮮は、これらの実験を停止すると発表したことはないが、米韓演習が行われない間は実験もしない形になっている。両者は実質的に関連しているのである。
一方、米韓演習をめぐって奇妙な状況が現れた。安倍首相はオリンピック会場の近くで文大統領と会談し、その内容は、日韓双方が発表ぶりを合わせることなく、各自の判断で発表することとなった。重要な会談内容がこのように扱われること自体異例であるが、さらにおかしなことに、米韓演習について安倍首相と文大統領が会談したことが説明にまったく含まれていなかった。日本の主要メディアの報道にもこの問題は触れられなかった。
しかし、韓国のメディア、それに中国のメディアも安倍首相が米韓演習に言及し、「延期する段階ではない。予定通り実施することが重要だ」との考えを示し、それに対し文大統領は「この問題はわれわれの主権問題であり、内政の問題」と反発したと伝えはじめた。そして、日本のメディアも1日遅れで報道を始めた。小さな記事で。
推測するに、安倍首相と文大統領との会談では、合同演習問題は発表しないように打ち合わせたのだろう。それで済むと思ったとしか考えられないが、お粗末きわまる外交感覚である。日本政府は韓国政府がメディアにリークしたと思っているだろうが、リークされないと思うほうがおかしい。
米国、というよりペンス米副大統領は北朝鮮に対する圧力をさらに強化するということしか言わなかったことも注目された。ペンス氏は文大統領主催の歓迎レセプション(と言っても着席するもので席が決まっている)に欠席した。北朝鮮の金永南氏と言葉を交わしたくなかったのだろう。ペンス氏は韓国入りする前から北朝鮮側とは会わないと明言しており、その通りに振舞ったのだ。
トランプ大統領は文大統領と会談する際、もっと幅のある物言いをする。自分は金正恩委員長と話し合いしてもよいと言わんばかりの発言もする。それに比べ、ペンス副大統領が圧力しか念頭にないという姿勢を示したのはなぜか。トランプ政権のなかでの自分の立ち位置をそのように決めているからではないか。平たく言えば、ペンス氏はトランプ大統領の忠実なしもべに徹しているのだ。ペンス氏はトランプ氏から安倍首相とよく相談するようにとアドバイスされていた(くぎを刺されていた?)可能性もある。平昌でもペンス氏はしきりに安倍首相と対応をすり合わせようとしていたことが目撃されていた。
このようなペンス大統領の姿勢は安倍首相にとって都合のよいものだっただろうが、今後も米国はそのような姿勢を続けるか。安倍首相をはじめ日本政府の関係者は「日米は同じ立場にある」とさかんに主張するが、はたしてそうなのか。現在のような人為的にゆがめられた北朝鮮に対する政策はほころびが生じるのではないか。
2018.02.04
トランプ政権による核の見直しには大問題がある。
なぜ小型の核を開発するかというと、それは使いやすいからである。通常の核兵器はひとたび使用されると全面核戦争になり、米国やロシア、中国などは間違いなくお互いに破壊しあい、また、強い放射能の影響で核戦争の当事国のみならず世界中が汚染され、死滅する。小型の核であれば、その影響は限られるので全面戦争に発展するのを回避できるという考えである。
第二次大戦後、米ソ両国は限定的な破壊力の核兵器を開発し始めた。いわゆる「戦術核」であり、その意味は「戦場で使用可能な程度の爆発力の核兵器」である。米ロ両国はすでに一定数の「戦術核」を配備、あるいは即配備可能な状態で保有しており、2000年ころの時点では、米国は約500発、ロシアはその数倍を保有していると推定されていた。現在もさほど変わっていないだろう。
しかし、この定義には致命的な欠陥がある。なぜならば、戦術核を一度使用することによって破壊を限定された範囲内にとどめることは可能かもしれないが、一度使用すると全面戦争に発展する危険が大きい。こちら側で使ったのが小型であっても、相手の国が通常の核兵器で反撃してこない保証はない。つまり、「使いやすい」というのは思い込みに過ぎず、「戦術核」として実際に使用可能だ、とみなすのはご都合主義の議論である。
国際政治的に言えば、核兵器は破壊力が大きすぎて使えない、つまり、「敷居」が高すぎるので、それを低くするため小型化することであろうが、核がいったん使用されれば、戦争を小型にとどめることはできないと考えるべきである。
爆発力が限定された兵器をどうしても必要だというなら、通常兵器によるべきである。核であれば、どんなに小さくても全面戦争になる危険が大きいが、通常兵器であればその危険は低い。
今回の見直しで、「核兵器を使わない攻撃への反撃にも核を使用する可能性」を明記したが、相手が核を使っていないのに、こちらから核を使うことの問題点は前述したとおりである。ただ、この一文が意味しているのは、相手が核兵器を「持っていない場合」のことであろうが、核を持っていない相手方を核兵器国が核攻撃できるか、道義的にも問題があるのではないか。
この問題は、長年議論されてきたことで結論は出ていないが、今後の方針としてそのようなことを公言するのは、「核の敷居」をさらに低める効果があるだろう。
核の抑止力に頼らざるを得ない現状でもっとも大事なことは、敵対する相手が核を使うなら、こちら側は必ず核を使うという方針を堅持することである。いわば、「オール オア ナッシング」的に核を使うという方針を堅持し、その方針を天下に示すことである。
今回の見直しが、「極限的な状況で核の使用を検討する」と、オバマ前政権と同じ表現をもちいたことは注目すべきであるが、他方では「核の敷居」を低くしようとしている。「核の敷居」を低くすれば、使いやすくなるように見えるかもしれないが、相手も「攻撃は限定的に抑制しているので、相手方、すなわち、こちら側も限定攻撃として受け止めてくれる」と考える余地が出てくる。それはこちら側の抑止力が低下することに他ならない。
今回の見直しは、米国が核兵器を削減する一方、ロシアや中国は逆の方向に向かっていること、北朝鮮の核開発などを並べ立てているが、これらの国がどれほど核能力を向上させようと、大事なことは、米国が決定すればこれらの国を破壊できることであり、米国のこの能力には疑いの余地はない。核能力は核兵器の量と質で決定される。その意味でも米国の優位性に疑問をさしはさむ余地はないが、かりにロシアや中国が米国以上の核兵器を保有しようと、そのために米国の核の破壊力が減殺することはない。米国の核は今後も究極的な破壊力を保持し続けるだろう。
今回の見直しのように、核の抑止力を徹底的に見極めることなく「核の敷居」を下げることは災いのもととなる。
トランプ政権の核戦略見直し
米国政府は2月2日、今後5~10年の核政策の指針となる核戦略見直し(NPR)を発表した。トランプ政権は、「核なき世界」の実現を目標として掲げ、核の開発や使用に抑制的な姿勢を取ったオバマ前政権の方針から大きく転換し、新たな小型核や核巡航ミサイルを開発すること、核兵器を使わない攻撃への反撃にも核を使用する可能性があることを明らかにした。トランプ政権による核の見直しには大問題がある。
なぜ小型の核を開発するかというと、それは使いやすいからである。通常の核兵器はひとたび使用されると全面核戦争になり、米国やロシア、中国などは間違いなくお互いに破壊しあい、また、強い放射能の影響で核戦争の当事国のみならず世界中が汚染され、死滅する。小型の核であれば、その影響は限られるので全面戦争に発展するのを回避できるという考えである。
第二次大戦後、米ソ両国は限定的な破壊力の核兵器を開発し始めた。いわゆる「戦術核」であり、その意味は「戦場で使用可能な程度の爆発力の核兵器」である。米ロ両国はすでに一定数の「戦術核」を配備、あるいは即配備可能な状態で保有しており、2000年ころの時点では、米国は約500発、ロシアはその数倍を保有していると推定されていた。現在もさほど変わっていないだろう。
しかし、この定義には致命的な欠陥がある。なぜならば、戦術核を一度使用することによって破壊を限定された範囲内にとどめることは可能かもしれないが、一度使用すると全面戦争に発展する危険が大きい。こちら側で使ったのが小型であっても、相手の国が通常の核兵器で反撃してこない保証はない。つまり、「使いやすい」というのは思い込みに過ぎず、「戦術核」として実際に使用可能だ、とみなすのはご都合主義の議論である。
国際政治的に言えば、核兵器は破壊力が大きすぎて使えない、つまり、「敷居」が高すぎるので、それを低くするため小型化することであろうが、核がいったん使用されれば、戦争を小型にとどめることはできないと考えるべきである。
爆発力が限定された兵器をどうしても必要だというなら、通常兵器によるべきである。核であれば、どんなに小さくても全面戦争になる危険が大きいが、通常兵器であればその危険は低い。
今回の見直しで、「核兵器を使わない攻撃への反撃にも核を使用する可能性」を明記したが、相手が核を使っていないのに、こちらから核を使うことの問題点は前述したとおりである。ただ、この一文が意味しているのは、相手が核兵器を「持っていない場合」のことであろうが、核を持っていない相手方を核兵器国が核攻撃できるか、道義的にも問題があるのではないか。
この問題は、長年議論されてきたことで結論は出ていないが、今後の方針としてそのようなことを公言するのは、「核の敷居」をさらに低める効果があるだろう。
核の抑止力に頼らざるを得ない現状でもっとも大事なことは、敵対する相手が核を使うなら、こちら側は必ず核を使うという方針を堅持することである。いわば、「オール オア ナッシング」的に核を使うという方針を堅持し、その方針を天下に示すことである。
今回の見直しが、「極限的な状況で核の使用を検討する」と、オバマ前政権と同じ表現をもちいたことは注目すべきであるが、他方では「核の敷居」を低くしようとしている。「核の敷居」を低くすれば、使いやすくなるように見えるかもしれないが、相手も「攻撃は限定的に抑制しているので、相手方、すなわち、こちら側も限定攻撃として受け止めてくれる」と考える余地が出てくる。それはこちら側の抑止力が低下することに他ならない。
今回の見直しは、米国が核兵器を削減する一方、ロシアや中国は逆の方向に向かっていること、北朝鮮の核開発などを並べ立てているが、これらの国がどれほど核能力を向上させようと、大事なことは、米国が決定すればこれらの国を破壊できることであり、米国のこの能力には疑いの余地はない。核能力は核兵器の量と質で決定される。その意味でも米国の優位性に疑問をさしはさむ余地はないが、かりにロシアや中国が米国以上の核兵器を保有しようと、そのために米国の核の破壊力が減殺することはない。米国の核は今後も究極的な破壊力を保持し続けるだろう。
今回の見直しのように、核の抑止力を徹底的に見極めることなく「核の敷居」を下げることは災いのもととなる。
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