オピニオン
2018.06.08
そもそも、「両首脳は北朝鮮の完全な非核化について合意した」というような文書に署名することはあり得ない。それだけであれば具体性に欠けるからだ。
2005年9月の6者協議共同声明は、北朝鮮の非核化に関しこれまで関係諸国が到達した最も内容のある合意だが、「朝鮮民主主義人民共和国は、すべての核兵器及び既存の核計画を放棄すること」と述べていた。今から思えば、具体性のない合意であった。
トランプ・金会談(以下TKS)でこのような文言が繰り返されるのであれば、会談は成功したことにならない。「大山鳴動、鼠ゼロ匹」と批判されるだろう。
TKSが成功とみなされるには、非核化の内容、検証の在り方および休戦協定の平和条約への転換について、具体的で明確な合意に達することが必要である。
米国や日本はCVIDを求めるべきだというが、CVIDだけではやはり具体性に欠けるのである。
以下、TKSが成功するのに必要な具体的内容を列挙する。
非核化については、まず、北朝鮮が保有する「すべての核兵器」の廃棄・処分でなければならない。「すべての」という形容詞がなく、単に「北朝鮮が保有する核兵器を廃棄する」であれば不十分だ。
北朝鮮は、段階的な廃棄を主張する可能性があるが、北朝鮮が一歩踏み出せば、米国も一歩進むというような形の合意であってはならない。それは、今までの経験からしてうまくいかないことが明らかだからであり、かりにそのような合意しか達成できないのであれば、TKSは失敗となろう。
廃棄には一定の時間が必要だということは別の問題であり、この点は認められるべきだ。しかし、時間が長くなりすぎると期限がないのと同じことになる危険が大きい。
今回のTKSでは、段階的廃棄ではなく、合理的な範囲内で廃棄の期限を明確に設定する必要がある。これができるかに会談の成功がかかっている。
今回、具体的な期限が決定できなければ、会談を再開して決定することはありうる。トランプ氏はそのことを想定して発言しているようだ。
廃棄以外の方法で非核化することもありうる。たとえば、核兵器の国外への持ち出しである。さらにほかの方法があるかもしれない。それらをすべて含めて「処分」と呼んでいるが、廃棄と同様の期限設定が必要である。
「関連施設」は、冷却塔、ウラン濃縮施設、実験場などかなりの数にのぼる。これらを一つずつ明記して廃棄することは、TKSには細かすぎる。しかし、「核関連施設」とか「核計画」などと包括的な名称で対象を示しつつその廃棄、ないし放棄することを明記すべきだろう。
非核化の対象地域は「北朝鮮」に絞るべきだ。これまでよく使われてきたのは「朝鮮半島の非核化」だが、そうする必要はないし、また、そうすれば、交渉が複雑化し合意が妨げられる危険がある。
原発など原子力の平和利用は普遍的な権利であり、国際法でも認められている。北朝鮮による原子力の平和利用問題をTKSが取り上げなくても失敗とみなすべきでない。
なお、1994年の米朝間のいわゆる枠組み合意では北朝鮮の原子力平和利用を認めていた。
北朝鮮側は廃棄・処分に要する費用の支払いを米側に求めてくる可能性がある。この問題もTKSが取り上げるかわからない。いずれにしても会談成功/失敗には関係ないだろう。
生物・化学兵器の廃棄を求めるべきだとの意見があるが、TKSでそれらについて合意を試みることは、北朝鮮が応じてくれば別だが、そうでない限り、深入りすべきでない。これらをも対象にすると、交渉が複雑化し、TKSの成功がより困難になるからだ。
核計画に関与した科学者を北朝鮮から国外へ移すとの意見もあるが、これも同じ理由で深入りすべきでない。しかも、科学者は将来育ってくることもありうるので、科学者を国外に移すことは北朝鮮の核開発の再開を不可能にする方法でなく、遅らせるだけの効果しかない。そのようなことによって交渉を遅らせたり、失敗させたりしてはならない。
以上は、北朝鮮が実行すべきことであるが、米国が北朝鮮に与えるべきことは後述する。
徹底した検証についての合意はTKSの成功に不可欠であるが、具体的な内容を盛り込もうとすれば、きわめて技術的、専門的な問題が出てくるので非常に扱いにくい。原則としては、「いつでも、どこでも」査察ができることと、正常な査察が北朝鮮側の原因でできなくなった場合、すべての合意は破棄されることが明確にされる必要がある。このような検証メカニズムが合意されれば、かつてのように、北朝鮮が軍事施設を理由に査察を拒否できなくなる。拒否すれば、すべての合意は崩れる。
北朝鮮の核不拡散条約(NPT)への復帰も必要だ。これが実現すると、北朝鮮に対する査察について法的な根拠が明確になる。
一方で、原子力の平和利用は北朝鮮の権利であることが明確になる。
米国が北朝鮮に与えるのは「国家承認」である。朝鮮戦争の休戦協定を「平和条約」に転換することとか、「不可侵協定」、「攻撃しないとの保証」などで表現されることもある。
メディアの一部には、「体制保証」を使う傾向がみられるが、「保証」は与える側が責任を持つことであり、「北朝鮮の体制」については、金体制であれ、共産主義体制であれ、あるいはその他の体制であれ、米国が「保証」することはあり得ない。米国はこの問題について「体制保証」に相当する言葉を使っていない。1994年の枠組み合意や前述の2005年共同声明が用いているのは、「米国が北朝鮮を攻撃しない」ということである。これであれば、「保証」と違って、米国が決めればできることである。また、トランプ大統領は「安全protection」と表現している。
米国が北朝鮮を承認するのは核兵器の廃棄が完了した時点とすべきだ。米国による北朝鮮の承認と北朝鮮による核兵器の廃棄は最終的目標である。
この目標を達成するためには、トランプ氏と金氏が複数回会談を重ねることもありうる。問題の困難性にかんがみると、むしろそのほうが自然である。
さらに、仮に将来、合意されたことが順守されない場合には、承認の条件が失われたことになるので、取り消されるべきである。このこともTKSで明確に合意すべきである。
6月12日に、非核化交渉が開始し、最終目標が達成されるまでの間、北朝鮮は制裁の解除を求めてくる可能性がある。米朝交渉の初めと終わりが明確になっているのであれば、制裁の解除は交渉次第であり、交渉成立に寄与するのであれば、米国が応じることはありうる。
ただこの問題についても、2005年の共同声明のように、「約束対約束、行動対行動」の原則を謳うことは避けなければならない。この原則は役に立たなかったからである。
米朝首脳会談が成功する条件
米朝首脳会談に向けて詰めの協議が進んでいる。トランプ大統領の最近の発言は準備が順調でないことを示唆しているとの観測が流れているが、「会談は1回で終わらない」とか「文書に署名するつもりはない」などの発言は、合意内容の詰めが進んでいることの表れである。そもそも、「両首脳は北朝鮮の完全な非核化について合意した」というような文書に署名することはあり得ない。それだけであれば具体性に欠けるからだ。
2005年9月の6者協議共同声明は、北朝鮮の非核化に関しこれまで関係諸国が到達した最も内容のある合意だが、「朝鮮民主主義人民共和国は、すべての核兵器及び既存の核計画を放棄すること」と述べていた。今から思えば、具体性のない合意であった。
トランプ・金会談(以下TKS)でこのような文言が繰り返されるのであれば、会談は成功したことにならない。「大山鳴動、鼠ゼロ匹」と批判されるだろう。
TKSが成功とみなされるには、非核化の内容、検証の在り方および休戦協定の平和条約への転換について、具体的で明確な合意に達することが必要である。
米国や日本はCVIDを求めるべきだというが、CVIDだけではやはり具体性に欠けるのである。
以下、TKSが成功するのに必要な具体的内容を列挙する。
非核化については、まず、北朝鮮が保有する「すべての核兵器」の廃棄・処分でなければならない。「すべての」という形容詞がなく、単に「北朝鮮が保有する核兵器を廃棄する」であれば不十分だ。
北朝鮮は、段階的な廃棄を主張する可能性があるが、北朝鮮が一歩踏み出せば、米国も一歩進むというような形の合意であってはならない。それは、今までの経験からしてうまくいかないことが明らかだからであり、かりにそのような合意しか達成できないのであれば、TKSは失敗となろう。
廃棄には一定の時間が必要だということは別の問題であり、この点は認められるべきだ。しかし、時間が長くなりすぎると期限がないのと同じことになる危険が大きい。
今回のTKSでは、段階的廃棄ではなく、合理的な範囲内で廃棄の期限を明確に設定する必要がある。これができるかに会談の成功がかかっている。
今回、具体的な期限が決定できなければ、会談を再開して決定することはありうる。トランプ氏はそのことを想定して発言しているようだ。
廃棄以外の方法で非核化することもありうる。たとえば、核兵器の国外への持ち出しである。さらにほかの方法があるかもしれない。それらをすべて含めて「処分」と呼んでいるが、廃棄と同様の期限設定が必要である。
「関連施設」は、冷却塔、ウラン濃縮施設、実験場などかなりの数にのぼる。これらを一つずつ明記して廃棄することは、TKSには細かすぎる。しかし、「核関連施設」とか「核計画」などと包括的な名称で対象を示しつつその廃棄、ないし放棄することを明記すべきだろう。
非核化の対象地域は「北朝鮮」に絞るべきだ。これまでよく使われてきたのは「朝鮮半島の非核化」だが、そうする必要はないし、また、そうすれば、交渉が複雑化し合意が妨げられる危険がある。
原発など原子力の平和利用は普遍的な権利であり、国際法でも認められている。北朝鮮による原子力の平和利用問題をTKSが取り上げなくても失敗とみなすべきでない。
なお、1994年の米朝間のいわゆる枠組み合意では北朝鮮の原子力平和利用を認めていた。
北朝鮮側は廃棄・処分に要する費用の支払いを米側に求めてくる可能性がある。この問題もTKSが取り上げるかわからない。いずれにしても会談成功/失敗には関係ないだろう。
生物・化学兵器の廃棄を求めるべきだとの意見があるが、TKSでそれらについて合意を試みることは、北朝鮮が応じてくれば別だが、そうでない限り、深入りすべきでない。これらをも対象にすると、交渉が複雑化し、TKSの成功がより困難になるからだ。
核計画に関与した科学者を北朝鮮から国外へ移すとの意見もあるが、これも同じ理由で深入りすべきでない。しかも、科学者は将来育ってくることもありうるので、科学者を国外に移すことは北朝鮮の核開発の再開を不可能にする方法でなく、遅らせるだけの効果しかない。そのようなことによって交渉を遅らせたり、失敗させたりしてはならない。
以上は、北朝鮮が実行すべきことであるが、米国が北朝鮮に与えるべきことは後述する。
徹底した検証についての合意はTKSの成功に不可欠であるが、具体的な内容を盛り込もうとすれば、きわめて技術的、専門的な問題が出てくるので非常に扱いにくい。原則としては、「いつでも、どこでも」査察ができることと、正常な査察が北朝鮮側の原因でできなくなった場合、すべての合意は破棄されることが明確にされる必要がある。このような検証メカニズムが合意されれば、かつてのように、北朝鮮が軍事施設を理由に査察を拒否できなくなる。拒否すれば、すべての合意は崩れる。
北朝鮮の核不拡散条約(NPT)への復帰も必要だ。これが実現すると、北朝鮮に対する査察について法的な根拠が明確になる。
一方で、原子力の平和利用は北朝鮮の権利であることが明確になる。
米国が北朝鮮に与えるのは「国家承認」である。朝鮮戦争の休戦協定を「平和条約」に転換することとか、「不可侵協定」、「攻撃しないとの保証」などで表現されることもある。
メディアの一部には、「体制保証」を使う傾向がみられるが、「保証」は与える側が責任を持つことであり、「北朝鮮の体制」については、金体制であれ、共産主義体制であれ、あるいはその他の体制であれ、米国が「保証」することはあり得ない。米国はこの問題について「体制保証」に相当する言葉を使っていない。1994年の枠組み合意や前述の2005年共同声明が用いているのは、「米国が北朝鮮を攻撃しない」ということである。これであれば、「保証」と違って、米国が決めればできることである。また、トランプ大統領は「安全protection」と表現している。
米国が北朝鮮を承認するのは核兵器の廃棄が完了した時点とすべきだ。米国による北朝鮮の承認と北朝鮮による核兵器の廃棄は最終的目標である。
この目標を達成するためには、トランプ氏と金氏が複数回会談を重ねることもありうる。問題の困難性にかんがみると、むしろそのほうが自然である。
さらに、仮に将来、合意されたことが順守されない場合には、承認の条件が失われたことになるので、取り消されるべきである。このこともTKSで明確に合意すべきである。
6月12日に、非核化交渉が開始し、最終目標が達成されるまでの間、北朝鮮は制裁の解除を求めてくる可能性がある。米朝交渉の初めと終わりが明確になっているのであれば、制裁の解除は交渉次第であり、交渉成立に寄与するのであれば、米国が応じることはありうる。
ただこの問題についても、2005年の共同声明のように、「約束対約束、行動対行動」の原則を謳うことは避けなければならない。この原則は役に立たなかったからである。
2018.06.01
2018年5月の選挙で、野党連合PHは与党連合BNに大勝した。1957年の独立以来初めての政変であった。
野党連合が結成されたのは1990年代の末であり、その指導者は、当時の首相マハティールに辞任を求める運動を展開して逆に副首相兼財務相の職を解任されたアンワル(Anwar Ibrahim)であった。この時以来、アンワルは野党勢力のリーダーとなり、与党UMNO(統一マレー国民組織)やマハティールと対立することになった。
アンワルは1999年、汚職の罪で6年の刑、翌年には同性愛の罪で9年の刑を受けた。
同性愛の容疑については、これから後すさまじい法廷闘争が始まり、国際的な関心も集まった。西側の人権団体、アムネスティ・インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウォッチは、いずれの容疑についてもアンワルの訴追は不当であると強く批判した。当時の米副大統領、アル・ゴアは、同性愛罪に対する裁判は嘲笑に値するとアンワルを擁護した。
アンワルの逮捕後、同人の支持者は、アンワルの妻ワン・アジサを押し立て、People’s Justice Party (Parti Keadilan Rakyat in Malay、略してPKR、2003年からこの名称)を結成した。PKRは政府批判の中核となり、PAS( Pan-Malaysian Islamic Party )およびDAP( Democratic Action Party、中国系、社会民主主義)とともに野党連合(Pakatan Harapan 略してPH)を形成した。
アンワルの支持者は裁判の再審を求めて運動を展開した。そして2004年、マレーシアの最高裁判所は同性愛の罪状を覆す判決を下し、アンワルは9月2日に釈放された。しかし、マレーシアの法律では、刑期が終わった後も5年間は政治活動を禁止されており、アンワルは、2008年4月まで、つまり次回の選挙が終わるまで政治活動をできなかった。
アンワルは同年8月、ペナンのプルマタン・パウ選挙区で行われた補選で当選し、政界に復帰し、2013年5月の選挙に向けて政治活動が可能となった。与党連合BNはすでに退潮傾向にあり、アンワルは選挙で勝つ自信があると公言していたという。実際、PHは50・9%の得票率を獲得し、47・4%のBNを打ち破った。しかし、獲得議席は過半数に届かなかったので、この時は、政権交代は起こらなかった。
この間、アンワルはすでに容疑が晴れたはずの同性愛の罪で再び訴追されており、2012年1月、マレーシアの裁判所は無罪を言い渡した。しかし、2014年3月、上訴裁判所は一審の無罪判決を覆し、禁錮5年の有罪判決を下した。そして、2015年2月、マレーシアの連邦裁判所は上告を退け、有罪判決が確定し、アンワルは収監された。
裁判が確定後に同じ容疑で国が再審を求めるのはあり得ないことであり、しかも政治的な圧力が働いている疑いが濃厚であった。再審の決定を欧米諸国は強く批判した。米国政府は直ちに、”The United States is deeply disappointed and concerned by the rejection of Anwar Ibrahim’s final appeal and his conviction … The decision to prosecute Mr Anwar, and his trial, have raised serious concerns regarding the rule of law and the independence of the courts”というメッセージを発した。
マレーシア政府はこれに対して聞く耳を持たないという態度であったが、ナジブ首相はこの件で強い圧力を受けたであろう。また、この裁判と並行して大騒ぎになっていた1MDB問題でもナジブ氏は困難な立場に立たされていたが、ナジブ時代は何も変わらなかった。
結局、この問題が解決されたのは選挙後であり、マハティール新首相の推薦を受けてマレーシア国王は恩赦を決定し、アンワルは2018年5月16日に釈放された。
アンワルが置かれていた過酷な境遇は極めて複雑であったが、要するに、アンワルは1998年の解任以来20年の間に3回裁判を受け、半分近くは収監されていたのだ。また釈放されても政治活動は制限されていた。マハティールが2003年に首相を辞任して以来、2004、08、13、18年と4回選挙が行われたが、アンワルは13年以外選挙に出られなかったのである。そのときも、裁判を戦いながらの選挙であった。
アンワルとマハティールの関係はドラマチックだ。アンワルはもともとマハティール首相の下で認められ、第一の後継者候補となった。しかし、後にマハティールと袂を分かち、野に下り、同性愛の罪で投獄された。
しかし、アンワルの恩赦を勧めたのもマハティールであった。アンワルは釈放後、マハティール首相と副首相に就く妻、ワン・アジサ人民正義党総裁を「全面的に支援する」と表明した。
マハティールとアンワルは和解したのだ。マハティールは再度首相に就任したが、すでに92歳、長く続ける意図はなく、1~2年でアンワルに譲るとも言われている。
アンワルが実際に政治の前面に出てくるのはいつか、必ずしも明確でないが、新政権において事実上強い影響力を持つであろう。
PH新政権の政策
マハティールは選挙キャンペーン中、消費税の廃止、石油に対する補助金の復活、低所得層に対する医療保険の導入などを掲げていたが、これらを実施すると財政負担が増加する。
かといって、公約に違反すれば世論の反発を招くことになる。新政権に課せられている課題は複雑かつ重い。
経済状況は回復するか。現在、原油安、中国経済の減速、米国の利上げ、財政赤字、1MDB問題など環境はよくない。17年の成長率は前年比+5・9%であり、停滞状態が続いている。
中長期的にも、賃金の上昇などによりマレーシアは生産拠点としての優位を失いつつある。東南アジアの中でいち早く工業化を達成したが、それだけに「中進国の罠」に陥いるのも早かったと指摘されている。マレーシアは2020年までに先進国入りを果たすことを目標としているが、道筋は描けていない。
政治面では、従来のブミプトラ中心の政治がもはや維持できなくなりつつあるという見方もある。
サバ、サラワク両州はこれまで旧与党連合BNが強い地方であったが、新政府と離れたくないので、BNから離脱していく可能性がある。
ジョホール州もBNの強い地方であるが、今次選挙では票が激減しており、同様の状況にある。
中国系のMCAやインド系のMICも今次選挙で支持母体からの票が減少した。MCAの指導者、Liow Tiong Laiは落選した。
一方、UMNOは同じイスラム系のPASに接近する可能性がある。しかし、PASとすれば、権力を失ったBNやUMNOに魅力はなかろう。
政治構造の変化はBNだけの問題でない。ペナン州のGeorge Townで選挙日の2日前に起こった大規模なPH支持のデモ行進には、この地に多い中国系だけでなく、マレー人やインド系も参加した。つまり、「マレーシア人」であることを強調する傾向が出てきているのである。この傾向はインド系に顕著で、中国系はいつまでも中国人であり、「マレーシア人」のアイデンティティが全体的にどの程度高まっているか、疑問の声もあるようだ。
一方、今次選挙については短期的な側面に注目する向きもある。PHが勝利を収めたのはマハティール効果が大きかったという指摘である。前回選挙まで中国系やインド系の票はほぼ野党に流れており、マレー人はそのため野党連合を嫌う傾向があったが、マハティールが首相になればマレー人を中心とする国の枠組みが大きく変わることはないとの安心感が生まれたという。
しかし、マハティールが政治を指導するのは長くないとすれば、マハティール効果はどうなるか、マレー人はまたPHから離れていくか、という問題もある。
このほか、マレーシアとしては汚職体質を改革していかなければならず、そのためには強力で独立した汚職取締機関が必要であると指摘されている。これも新政権にとって大きな課題である。
また、政治の影響を受けることが多く、汚職対策について十分な力を発揮できなかったメディアの体質を改善し、独立で自由な言論空間を確保することはマレーシアがさらに発展するのに絶対的に必要である。
マレーシアの政治② 変化
鉄人アンワルと野党連合2018年5月の選挙で、野党連合PHは与党連合BNに大勝した。1957年の独立以来初めての政変であった。
野党連合が結成されたのは1990年代の末であり、その指導者は、当時の首相マハティールに辞任を求める運動を展開して逆に副首相兼財務相の職を解任されたアンワル(Anwar Ibrahim)であった。この時以来、アンワルは野党勢力のリーダーとなり、与党UMNO(統一マレー国民組織)やマハティールと対立することになった。
アンワルは1999年、汚職の罪で6年の刑、翌年には同性愛の罪で9年の刑を受けた。
同性愛の容疑については、これから後すさまじい法廷闘争が始まり、国際的な関心も集まった。西側の人権団体、アムネスティ・インターナショナルやヒューマン・ライツ・ウォッチは、いずれの容疑についてもアンワルの訴追は不当であると強く批判した。当時の米副大統領、アル・ゴアは、同性愛罪に対する裁判は嘲笑に値するとアンワルを擁護した。
アンワルの逮捕後、同人の支持者は、アンワルの妻ワン・アジサを押し立て、People’s Justice Party (Parti Keadilan Rakyat in Malay、略してPKR、2003年からこの名称)を結成した。PKRは政府批判の中核となり、PAS( Pan-Malaysian Islamic Party )およびDAP( Democratic Action Party、中国系、社会民主主義)とともに野党連合(Pakatan Harapan 略してPH)を形成した。
アンワルの支持者は裁判の再審を求めて運動を展開した。そして2004年、マレーシアの最高裁判所は同性愛の罪状を覆す判決を下し、アンワルは9月2日に釈放された。しかし、マレーシアの法律では、刑期が終わった後も5年間は政治活動を禁止されており、アンワルは、2008年4月まで、つまり次回の選挙が終わるまで政治活動をできなかった。
アンワルは同年8月、ペナンのプルマタン・パウ選挙区で行われた補選で当選し、政界に復帰し、2013年5月の選挙に向けて政治活動が可能となった。与党連合BNはすでに退潮傾向にあり、アンワルは選挙で勝つ自信があると公言していたという。実際、PHは50・9%の得票率を獲得し、47・4%のBNを打ち破った。しかし、獲得議席は過半数に届かなかったので、この時は、政権交代は起こらなかった。
この間、アンワルはすでに容疑が晴れたはずの同性愛の罪で再び訴追されており、2012年1月、マレーシアの裁判所は無罪を言い渡した。しかし、2014年3月、上訴裁判所は一審の無罪判決を覆し、禁錮5年の有罪判決を下した。そして、2015年2月、マレーシアの連邦裁判所は上告を退け、有罪判決が確定し、アンワルは収監された。
裁判が確定後に同じ容疑で国が再審を求めるのはあり得ないことであり、しかも政治的な圧力が働いている疑いが濃厚であった。再審の決定を欧米諸国は強く批判した。米国政府は直ちに、”The United States is deeply disappointed and concerned by the rejection of Anwar Ibrahim’s final appeal and his conviction … The decision to prosecute Mr Anwar, and his trial, have raised serious concerns regarding the rule of law and the independence of the courts”というメッセージを発した。
マレーシア政府はこれに対して聞く耳を持たないという態度であったが、ナジブ首相はこの件で強い圧力を受けたであろう。また、この裁判と並行して大騒ぎになっていた1MDB問題でもナジブ氏は困難な立場に立たされていたが、ナジブ時代は何も変わらなかった。
結局、この問題が解決されたのは選挙後であり、マハティール新首相の推薦を受けてマレーシア国王は恩赦を決定し、アンワルは2018年5月16日に釈放された。
アンワルが置かれていた過酷な境遇は極めて複雑であったが、要するに、アンワルは1998年の解任以来20年の間に3回裁判を受け、半分近くは収監されていたのだ。また釈放されても政治活動は制限されていた。マハティールが2003年に首相を辞任して以来、2004、08、13、18年と4回選挙が行われたが、アンワルは13年以外選挙に出られなかったのである。そのときも、裁判を戦いながらの選挙であった。
アンワルとマハティールの関係はドラマチックだ。アンワルはもともとマハティール首相の下で認められ、第一の後継者候補となった。しかし、後にマハティールと袂を分かち、野に下り、同性愛の罪で投獄された。
しかし、アンワルの恩赦を勧めたのもマハティールであった。アンワルは釈放後、マハティール首相と副首相に就く妻、ワン・アジサ人民正義党総裁を「全面的に支援する」と表明した。
マハティールとアンワルは和解したのだ。マハティールは再度首相に就任したが、すでに92歳、長く続ける意図はなく、1~2年でアンワルに譲るとも言われている。
アンワルが実際に政治の前面に出てくるのはいつか、必ずしも明確でないが、新政権において事実上強い影響力を持つであろう。
PH新政権の政策
マハティールは選挙キャンペーン中、消費税の廃止、石油に対する補助金の復活、低所得層に対する医療保険の導入などを掲げていたが、これらを実施すると財政負担が増加する。
かといって、公約に違反すれば世論の反発を招くことになる。新政権に課せられている課題は複雑かつ重い。
経済状況は回復するか。現在、原油安、中国経済の減速、米国の利上げ、財政赤字、1MDB問題など環境はよくない。17年の成長率は前年比+5・9%であり、停滞状態が続いている。
中長期的にも、賃金の上昇などによりマレーシアは生産拠点としての優位を失いつつある。東南アジアの中でいち早く工業化を達成したが、それだけに「中進国の罠」に陥いるのも早かったと指摘されている。マレーシアは2020年までに先進国入りを果たすことを目標としているが、道筋は描けていない。
政治面では、従来のブミプトラ中心の政治がもはや維持できなくなりつつあるという見方もある。
サバ、サラワク両州はこれまで旧与党連合BNが強い地方であったが、新政府と離れたくないので、BNから離脱していく可能性がある。
ジョホール州もBNの強い地方であるが、今次選挙では票が激減しており、同様の状況にある。
中国系のMCAやインド系のMICも今次選挙で支持母体からの票が減少した。MCAの指導者、Liow Tiong Laiは落選した。
一方、UMNOは同じイスラム系のPASに接近する可能性がある。しかし、PASとすれば、権力を失ったBNやUMNOに魅力はなかろう。
政治構造の変化はBNだけの問題でない。ペナン州のGeorge Townで選挙日の2日前に起こった大規模なPH支持のデモ行進には、この地に多い中国系だけでなく、マレー人やインド系も参加した。つまり、「マレーシア人」であることを強調する傾向が出てきているのである。この傾向はインド系に顕著で、中国系はいつまでも中国人であり、「マレーシア人」のアイデンティティが全体的にどの程度高まっているか、疑問の声もあるようだ。
一方、今次選挙については短期的な側面に注目する向きもある。PHが勝利を収めたのはマハティール効果が大きかったという指摘である。前回選挙まで中国系やインド系の票はほぼ野党に流れており、マレー人はそのため野党連合を嫌う傾向があったが、マハティールが首相になればマレー人を中心とする国の枠組みが大きく変わることはないとの安心感が生まれたという。
しかし、マハティールが政治を指導するのは長くないとすれば、マハティール効果はどうなるか、マレー人はまたPHから離れていくか、という問題もある。
このほか、マレーシアとしては汚職体質を改革していかなければならず、そのためには強力で独立した汚職取締機関が必要であると指摘されている。これも新政権にとって大きな課題である。
また、政治の影響を受けることが多く、汚職対策について十分な力を発揮できなかったメディアの体質を改善し、独立で自由な言論空間を確保することはマレーシアがさらに発展するのに絶対的に必要である。
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