平和外交研究所

ブログ

オピニオン

2016.02.03

北朝鮮の「人工衛星」打ち上げ通知

 北朝鮮は、今月8日から25日の間に「光明星」と名付けた「地球観測衛星」を打ち上げると国際海事機関(IMO)など国際機関に通知した。
 これは本当に「人工衛星」なのか、それとも実は「ミサイル」と解すべきか、メディア報道なども扱いに困っているようだ。「人工衛星」ならばとがめられることでないが、「ミサイル」だと問題であり、その違いは大きい。

 実は、3年余り前にも北朝鮮は「人工衛星」と称するものを打ち上げたことがあり、その時も同じ問題があった。
 その打ち上げに関して書いた一文の関係部分を紹介しよう(キヤノングローバル戦略研究所のHPに2012年12月21日付で掲載された)。

<北朝鮮は12月12日、トンチャンリ(東倉里)の発射場から「人工衛星」を打ち上げ、軌道に乗せることに成功したと発表した。北米航空宇宙防衛司令部(NORAD)もこのことを確認した。NORADは冷戦時代ソ連の核攻撃から北米大陸を守るために設立された米国とカナダの共同防衛体制であり、危険なミサイルが飛んで来ないか常時見張っている。今回の発射に関するNORADの発表は慎重で、「人工衛星」とは言わず、「物体(object)」と表現していた。北朝鮮が打ち上げた「人工衛星」は、電波の発信などがまだ機能していないらしいが、これは比較的細かいこととして目をつぶれば、北朝鮮の「人工衛星」発射成功は世界で最も高度のシステムによって確認されたわけであり、今年の4月、発射実験に失敗して以来の短期間に北朝鮮がかなり進歩したことが窺われる。
 今回の発射実験に関する報道を見ると、最初は、北朝鮮が「ミサイルを発射した」という表現が多かったようであるが、少し時間がたつと「人工衛星」と鍵カッコつきで呼ぶのが多くなった。NORADは単に「物体(object)」と呼んだ。こうして今回の発射実験については、「ミサイル」「人工衛星」「物体」の三つの呼称が使用されているが、何と呼ぶのがもっとも適切か。>

 今回もNORADが発表するか。また、発表しても「物体」と表現するか分からないが、注意深く観測していることは間違いない。
 
 つぎに、NORADから離れて、国連での問題に移る。
<「ミサイル」と呼ぶのは、国連安保理の決議と関係がある。同決議は「弾道ミサイルのテクノロジーを使ういかなる発射」も禁止したので、北朝鮮が「人工衛星」と称してもミサイル発射と同様に扱われることになっていたからである。ただし、一般の報道では、ミサイルと言い切るだけの材料もないので、「ミサイル」とカッコ付きにしている。>

 国連の決議は。とくに、技術は進歩するということに対する考慮が十分でなかったのではないかと思う。

<このような呼び方は、北朝鮮のロケット技術が未熟で、「人工衛星」と言っても打ち上げに失敗している限り問題は生じなかったが、今回のようにNORADも認める打ち上げ成功となると、「ミサイル」では周回軌道を回っている物があることを表現できなくなる。そこでNORADは、「物体」と呼んだ。それは「死んだような(NORADの評価)」状態にあるそうであり、「物体」という呼称はちょうどよい。
 しかるに、北朝鮮は今後、国際社会の意思にそむいて、「人工衛星」を再びどころか、何回も発射するであろう。そうすると、北朝鮮が発射したものの精度が向上し、「生きた人工衛星」らしくメロディーや映像を地球に送ってくるようになる可能性があり、その場合でも「物体」と呼べるだろうか。国際社会の意思を無視するかぎり「人工衛星」でないといつまでも言い切れるか、どうも疑問である。>

 今回打ち上げに成功するという保証はないが、成功する可能性もある。そうすると「ミサイル」とはどうしても呼べなくなる。地球を周回するようなミサイルはないからだ。成功した場合、「人工衛星」から電波が送られてくるだろう。それもミサイルにはあり得ない。

 もちろん、このような混乱を招いたのは、国連決議もさることながら、そもそも北朝鮮に責任がある。

 <そもそも、人工衛星であろうとなかろうと、ミサイルと同じテクノロジー、つまり高性能のロケットを使うのを禁止するというのは乱暴な要求であるが、国連があえてそのような内容の決議を成立させたのは、北朝鮮がこれまで危険な行動を繰り返し、ミサイルについてもピョンヤン宣言などに反して発射実験をしてきたからであった。その意味では、国際社会が極端な要求をしたのは、むしろ北朝鮮に責任があったのである。>

 それにしても、我々の対応にも問題がある。「人工衛星」の発射についても、また核実験についても、我々は同じことを繰り返すだけですませていないだろうか。
 北朝鮮については、非難するだけで国際社会から賞賛を得られる傾向がある。「ケシカラン」「国連決議違反だ」「平和と安定を乱す」と言うだけで、そうだ、そうだと言ってもらえるが、実はそれは恐ろしいことではないか。
 事実を直視することも、これまでの対処方法を振り返ってみることも必要だ。

2016.01.30

(短評)北朝鮮の核実験とケリー国務長官の訪中

 ケリー国務長官は忙しい日程を割いて北京を訪問し、1月27日、王毅中国外相他と会談した。ダボス会議からラオスとカンボジア訪問、それから中国という強行日程であった。テーマは、北朝鮮が4回目の核実験したことに関する安保理決議(決議成立に手間取っている)と北朝鮮への圧力を強化するよう中国に要請することであった。

 ケリー長官は北朝鮮による今回の核実験後、「これまでの制裁は機能しなかった。同じやり方を続けるわけにはいかない」と発言した。そしてケリー長官が選択した新しい方法は、安保理で強い内容の決議を成立させることと中国に対し北朝鮮への圧力を強めることであった。具体的には中国から北朝鮮に対する石油の供給などを制限、ないし停止することだ。

 これが新しい方法か。とてもそうは思えない。北朝鮮への圧力を強めるよう中国に対してこれまで何回も要請してきた。しかし、これでは北朝鮮の核開発を止められない。
 米国の不満はよくわかる。安保理の決議を忠実に実行すれば中国はもっと徹底的に圧力を加えるべきだからだ。しかし、それでは限界があることが米国も承知のはずだ。了承しているという意味ではない。
 米中の最大の違いは、中国が北朝鮮を崩壊させるおそれがあることに中国として加担できないという立場であるのに対し、米国にはそのような考えはない点にある。北朝鮮が石油を中国から得られなくなって国内が混乱し、国家として成り立たなくなっても、米国は「そのようなことは米国が望んだわけでなく、北朝鮮自身が選んだことだ。危険な状況に陥るのが嫌なら、核開発や核実験をやればよい。米国は北朝鮮が核開発を止めれば経済面で協力するとも言っている」という考えだ。米国の方法はいわゆる「北風」なのだ。
 この米国の立場に日本を含め多くの国が賛同している。
 しかし、中国は、ある程度は米国の要請に応じるが、その通りにはしないだろう。中国は時々、北朝鮮が不安定なのは米国のせいだと言うことがある。朝鮮戦争以来の状況を指しているのだ。このことはあまり報道されないが、中国は北朝鮮が体制の維持を最大の目標としていることを知っている。

 ともかく、ケリー長官の努力は尊敬に値するが、その方法はこれまでと同じであると言わざるを得ない。今まで以上に中国に強く促すということ以外新しいことはないのではないか。
2016.01.26

(短文)15年前の1月26日、新大久保駅で

 15年前の今日、JRの新大久保駅で、ホームから転落した男性を助けようとして韓国人留学生の李秀賢(イスヒョン)さん(当時26)とカメラマンの関根史郎さん(当時47)が電車にはねられ亡くなった。
 翌02年から、国際交流基金は韓国の高校生を日本に招待して、日本人との交流を通じて日本に対する理解を深めてもらう事業を実施しており、今年は20名が来日した。今日、現場を訪れ献花するそうだ。
 
 韓国の高校生を招待するのは素晴らしいことだと思う。
 この事業の目的として、「李さんの遺志をついで日韓の懸け橋になってもらう」と説明されている。それもよいが、李さんの行動にはもっと普遍的な意義がある。李さんは、とっさに「助けなければならない」と思って危険を顧みずに線路に飛び降りたのではないか。難しく考えすぎかもしれないが、あえて言えば、「日韓のため」とみるのは、よくないとは言いたくないが、不十分な気がするのだ。

 2011年、『グローバル化・変革主体・NGO』という本を出版した。わたくしはその編者として、「序論」で次のように書いた。
 「NGO活動は伝統的に欧米で盛んであり、我が国のNGOは欧米にならって活動をはじめたのかもしれないが、日本で「他人のために」行動することが軽視されていたのではない。「他人のために集団で行動する」ことと、そもそも「他人のために行動する」ことは別問題であり、後者の問題に関しては、日本は、それに韓国や中国も欧米に決して引けを取らないのではないか。例はいくらもあろう。幕末に日本を訪れた西洋人も日本人は親切であると言っていた。具体的な表現は国民ごとに、あるいは民族ごとに違っている部分があるかもしれないが、「他人のために行動する」ことの大切さは人間として身につけてきた普遍的倫理である。JR大久保駅で韓国人留学生と日本人男性がプラットフォームから線路に落ちた人を助けようとして自らの命を犠牲にしたのはたんに「親切にする」という程度をはるかに超える高邁な人道的精神の発露であり、純粋な「他人のための行動」であった。」

 この本はNGOについての識者が市民社会を論じたものであり、「他人のために集団で行動する」とはNGOの特性として言及したことである。

アーカイブ

検索

このページのトップへ

Copyright©平和外交研究所 All Rights Reserved.