オピニオン
2016.02.16
今年のMSC(第52回 2月13~14日)で特に注目されたのは次の3つの議論だ。
第1は、南シナ海での中国の行動に関し、日本から出席した黄川田外務大臣政務官と傅瑩元外務次官との応酬である。報道では、黄川田政務官が「中国は口では平和を重視すると言いながら、南シナ海では軍事施設を違法に建設するなど、一方的に現状を変更している」との趣旨を述べ、これに対し、傅瑩元外務次官が「日本こそ尖閣諸島を国有化するなど一方的に現状を変更した。尖閣諸島は中国の領土であり、中国が苦境にあるときに盗み取られた」などと黄川田政務官に反撃し、黄川田政務官は「尖閣諸島は日本の固有の領土だ。解決すべき領有権の問題は存在しない。中国側が歴史の修正を試みていると考える」などと反論したと伝えられている。
第2に、ロシアのメドベージェフ首相がロシアと西側は冷戦時代さながらの対立状況になっていると、シリア問題についての米欧の対応を批判し、これに対しケリー米国務長官が反論した。この議論はMSCとして伝統的な東西対立の議論であった。
第3に、北朝鮮に対する中国の働きかけについて、コーカー米上院外交委員長は「中国は何の役割も果たしていない」などと中国を厳しく非難したのに対し、傅瑩元外務次官はそれは事実でないと反論した。
以上3つの議論は、言葉の激しさはともかく、内容的には特に目新しいものではないが、今後のMSCについては注意すべきことがある。
第1に、中国は今後も大きな話題となるだろう。日本からどのような議論を展開するか予めよく検討しておかなければならない。
今年の黄川田政務官の発言は事前の準備をうかがわせる面もあったが、今後は、国際司法裁判所での解決を中国は拒否しているが、日本は受けて立つ用意があることを主張すべきだ。これは各国に理解されやすい議論だ。中国が今後も繰り返し主張するであろう「尖閣諸島は日清戦争中に日本が盗取した」との議論は誤りだが、各国からすれば分かりやすい。
第2に、北朝鮮問題についての傅瑩元外務次官の、「米国は自国の対北朝鮮政策を中国に押し付けている。われわれは米国の役割を演じることはできない。北朝鮮の要求は明らかだ。なぜ米国は北朝鮮に対し、彼らを侵略することはないと言えないのか。米国と北朝鮮が朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に転換する必要がある。中国は喜んで交渉を手助けする」という趣旨の説明は、分かりやすく、明快に問題の本質を論じている。今後の対北朝鮮政策において米国が考慮すべきことだ。
(短評)ミュンヘン安全保障会議での尖閣諸島および北朝鮮・中国・米国関係についての議論
毎年この季節にドイツのミュンヘンで「安全保障会議」(MSC)という民間主催の国際シンポジウムが開かれる。各国の閣僚級が出席することが多いが首相の場合もある。経済問題が主のスイス・ダボス会議のほうがより有名だが、MSCは安全保障に関する最高の意見交換の場である。かつては欧米とロシアの関係に関心が集まっていたが、最近は中国が注目されており、今年は「中国と国際秩序」について特別セッションが設けられた。中国からは全国人民代表大会(国会に相当する)外事委員会の傅瑩主任委員(元外務次官)が出席した。今年のMSC(第52回 2月13~14日)で特に注目されたのは次の3つの議論だ。
第1は、南シナ海での中国の行動に関し、日本から出席した黄川田外務大臣政務官と傅瑩元外務次官との応酬である。報道では、黄川田政務官が「中国は口では平和を重視すると言いながら、南シナ海では軍事施設を違法に建設するなど、一方的に現状を変更している」との趣旨を述べ、これに対し、傅瑩元外務次官が「日本こそ尖閣諸島を国有化するなど一方的に現状を変更した。尖閣諸島は中国の領土であり、中国が苦境にあるときに盗み取られた」などと黄川田政務官に反撃し、黄川田政務官は「尖閣諸島は日本の固有の領土だ。解決すべき領有権の問題は存在しない。中国側が歴史の修正を試みていると考える」などと反論したと伝えられている。
第2に、ロシアのメドベージェフ首相がロシアと西側は冷戦時代さながらの対立状況になっていると、シリア問題についての米欧の対応を批判し、これに対しケリー米国務長官が反論した。この議論はMSCとして伝統的な東西対立の議論であった。
第3に、北朝鮮に対する中国の働きかけについて、コーカー米上院外交委員長は「中国は何の役割も果たしていない」などと中国を厳しく非難したのに対し、傅瑩元外務次官はそれは事実でないと反論した。
以上3つの議論は、言葉の激しさはともかく、内容的には特に目新しいものではないが、今後のMSCについては注意すべきことがある。
第1に、中国は今後も大きな話題となるだろう。日本からどのような議論を展開するか予めよく検討しておかなければならない。
今年の黄川田政務官の発言は事前の準備をうかがわせる面もあったが、今後は、国際司法裁判所での解決を中国は拒否しているが、日本は受けて立つ用意があることを主張すべきだ。これは各国に理解されやすい議論だ。中国が今後も繰り返し主張するであろう「尖閣諸島は日清戦争中に日本が盗取した」との議論は誤りだが、各国からすれば分かりやすい。
第2に、北朝鮮問題についての傅瑩元外務次官の、「米国は自国の対北朝鮮政策を中国に押し付けている。われわれは米国の役割を演じることはできない。北朝鮮の要求は明らかだ。なぜ米国は北朝鮮に対し、彼らを侵略することはないと言えないのか。米国と北朝鮮が朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に転換する必要がある。中国は喜んで交渉を手助けする」という趣旨の説明は、分かりやすく、明快に問題の本質を論じている。今後の対北朝鮮政策において米国が考慮すべきことだ。
2016.02.15
朴槿恵大統領は核実験の直後、「相応の代償を北に払わせる」と稀にみる強い言葉で北朝鮮を非難したのが皮きりだ。
2日後、韓国は中断していた北に対する軍事宣伝放送を再開した。この放送は11年間の中断の後、2015年の8月に非武装地帯で起きた地雷爆発事件をきっかけに再開されたが、南北間で事態収拾の協議が行われ、「非正常な事態が発生しない限り、放送を中断する」という条件付きで停止状態に戻っていた。
北が非常に嫌がるこの宣伝放送を再開したこと自体韓国の強い姿勢の表れだが、韓国はその中で、金正恩は「指導者として能力不足」などと痛烈な言葉を浴びせ、また、「100人超の幹部を処刑した」と放送するなど金正恩第1書記個人に的を絞った攻撃を行なった。
「人工衛星」の打ち上げからわずか3日後の2月10日、韓国は開城工業団地の停止を発表した。南北間ではこれまで対立しながらも協力を進めてきており、最近は協力が縮小する傾向になっていたが、この団地は最後まで残っていた協力の象徴だ。簡単に決定できることではないはずだが、けれんみなく停止してしまった。
こうなると北朝鮮からの反撃は不可避となる。北朝鮮は11日に、この工業団地を「軍事管制区」に指定し、韓国側の人員をすべて国外へ「追放」した。軍の管理下に置くことでなんでも思い通りにできるのだろう。
韓国側も負けておらず、韓国側の人員が全員「退避」した後、夜中であったが工業団地への電力供給を数分間停止し、さらに水も止めてしまった。南北の激しいぶつかりはこれが初めてではないが、素手で殴りあうような印象がある。
尹炳世外相は2月9~10日国連を訪れ、核実験以来難航している北朝鮮に対する非難と制裁強化のための安保理決議作成に関して、国連の潘基文事務総長や安保理理事国の国連大使と会談して、今回が「最後の決議」になるよう厳しい対応が必要だと働きかけた。これもあまり見られない厳しさだった。
尹炳世外相はその後安全保障会議出席のためニューヨークからミュンヘンに回り、同地で中国の王毅外相に対し、開城工業団地の操業中断を説明するとともに、「中国が安保理常任理事国として責任ある役割を果たしてほしい」と要請した。韓国が中国に対して率直に注文を付けるのも珍しい。
さらに韓国は、かねてから米国より勧められていたが、中国との関係に配慮して始めていなかった高高度迎撃ミサイルシステム「THAAD」の韓国配備について、7日、米国との公式協議に入ると発表した。
同日、韓国の韓民求国防相は、自衛隊と韓国軍の間でかねてから懸案であったが中断されていた、軍事情報包括保護協定(GSOMIA)締結の検討を再開するとの考えを表明した。これは日韓間の防衛協力を強化するのに不可欠のステップであり、米国の要望にも応じる意味がある。
あらためて注目すべき点を挙げると、第1に、韓国は北朝鮮に対してこれまでの穏便な対応とは打って変わって、強い態度を取るようになっている。以前、半島の西海岸で砲撃を受けた時、あるいは韓国艇が北朝鮮によって撃沈された時、あるいは韓国からの女性観光客が立ち入り禁止区域内に誤って入って射殺された時などに見せた忍耐強い対応とはあきらかに違っている。
第2に、中国との関係で摩擦が起こるのを恐れなくなってきたことを示唆する事実が出始めている。強い内容の安保理決議を求めれば中国が嫌がることは当然分かっていたはずだが、あえてそうした。
「THAAD」の韓国配備を中国が強く警戒していたのも周知の事実である。そもそも、ソウルはピョンヤンからさほど遠くなく、ミサイル攻撃から韓国を守るのに「THAAD」が必要か疑問だ。王毅外相は尹炳世外相との会談で、案の定このミサイル防衛システムについて強く反発した。
第3に、日本との関係でも慰安婦問題についての合意が示すように韓国は協力的な姿勢になってきた。この問題については、韓国政府は合意前までは日本政府を批判する側に立っていたが、合意後は、日本政府とともに解決を目指して努力しており、一大転換だ。
第4に、韓国のこれらの変化は米国からの働きかけがあったからではないか。朴槿恵大統領は10月16日、ホワイトハウスでオバマ大統領と会談した。米国が南シナ海での中国の拡張的行動に神経をとがらせていたさなかであり、オバマは朴槿恵に対し、国際法を順守する連帯に加わるよう求めた。この時、朴槿恵は応じなかったと言われているが、セロ回答ではなかった可能性がある。
朴槿恵大統領が日本との関係で協力的になったのは11月の安倍首相との会談からだろうが、その前にオバマ大統領から日本との関係改善を強く説得されていたことが重要な背景となっていたと思われる。
以上のような政治的関係とともに、中国経済の成長鈍化が韓国に及ぼしている影響も見逃せない。韓国経済の回復は前政権時代からの課題であったが、朴槿恵大統領の下でも芳しくない状況が続いている。
韓国にとっては輸出・輸入ともに中国が第1位の相手国であり、中国経済が高成長を続けている間は韓国経済を下支えしていたが、中国経済の成長は鈍化傾向に入っており、今後は韓国として中国に頼れる度合いは低下している。そもそも、韓国と中国の経済は競合する面が大きく、今後はこれまで以上に目立ってくるという問題もある。
経済政策は、もうからなくなったからと言って相手を乗り換えるような簡単なことでないだろうが、韓国経済の立て直しにとっては日米両国との関係が重要であるのは明らかであり、韓国の対外政策を見るうえでこのような経済的側面は看過できない。
韓国のリバランシング?
北朝鮮による核実験(1月6日)と「人工衛星」打ち上げ(2月7日)に韓国は異例とも思われるくらい強く反応して、積極的な行動に出た。朴槿恵大統領は核実験の直後、「相応の代償を北に払わせる」と稀にみる強い言葉で北朝鮮を非難したのが皮きりだ。
2日後、韓国は中断していた北に対する軍事宣伝放送を再開した。この放送は11年間の中断の後、2015年の8月に非武装地帯で起きた地雷爆発事件をきっかけに再開されたが、南北間で事態収拾の協議が行われ、「非正常な事態が発生しない限り、放送を中断する」という条件付きで停止状態に戻っていた。
北が非常に嫌がるこの宣伝放送を再開したこと自体韓国の強い姿勢の表れだが、韓国はその中で、金正恩は「指導者として能力不足」などと痛烈な言葉を浴びせ、また、「100人超の幹部を処刑した」と放送するなど金正恩第1書記個人に的を絞った攻撃を行なった。
「人工衛星」の打ち上げからわずか3日後の2月10日、韓国は開城工業団地の停止を発表した。南北間ではこれまで対立しながらも協力を進めてきており、最近は協力が縮小する傾向になっていたが、この団地は最後まで残っていた協力の象徴だ。簡単に決定できることではないはずだが、けれんみなく停止してしまった。
こうなると北朝鮮からの反撃は不可避となる。北朝鮮は11日に、この工業団地を「軍事管制区」に指定し、韓国側の人員をすべて国外へ「追放」した。軍の管理下に置くことでなんでも思い通りにできるのだろう。
韓国側も負けておらず、韓国側の人員が全員「退避」した後、夜中であったが工業団地への電力供給を数分間停止し、さらに水も止めてしまった。南北の激しいぶつかりはこれが初めてではないが、素手で殴りあうような印象がある。
尹炳世外相は2月9~10日国連を訪れ、核実験以来難航している北朝鮮に対する非難と制裁強化のための安保理決議作成に関して、国連の潘基文事務総長や安保理理事国の国連大使と会談して、今回が「最後の決議」になるよう厳しい対応が必要だと働きかけた。これもあまり見られない厳しさだった。
尹炳世外相はその後安全保障会議出席のためニューヨークからミュンヘンに回り、同地で中国の王毅外相に対し、開城工業団地の操業中断を説明するとともに、「中国が安保理常任理事国として責任ある役割を果たしてほしい」と要請した。韓国が中国に対して率直に注文を付けるのも珍しい。
さらに韓国は、かねてから米国より勧められていたが、中国との関係に配慮して始めていなかった高高度迎撃ミサイルシステム「THAAD」の韓国配備について、7日、米国との公式協議に入ると発表した。
同日、韓国の韓民求国防相は、自衛隊と韓国軍の間でかねてから懸案であったが中断されていた、軍事情報包括保護協定(GSOMIA)締結の検討を再開するとの考えを表明した。これは日韓間の防衛協力を強化するのに不可欠のステップであり、米国の要望にも応じる意味がある。
あらためて注目すべき点を挙げると、第1に、韓国は北朝鮮に対してこれまでの穏便な対応とは打って変わって、強い態度を取るようになっている。以前、半島の西海岸で砲撃を受けた時、あるいは韓国艇が北朝鮮によって撃沈された時、あるいは韓国からの女性観光客が立ち入り禁止区域内に誤って入って射殺された時などに見せた忍耐強い対応とはあきらかに違っている。
第2に、中国との関係で摩擦が起こるのを恐れなくなってきたことを示唆する事実が出始めている。強い内容の安保理決議を求めれば中国が嫌がることは当然分かっていたはずだが、あえてそうした。
「THAAD」の韓国配備を中国が強く警戒していたのも周知の事実である。そもそも、ソウルはピョンヤンからさほど遠くなく、ミサイル攻撃から韓国を守るのに「THAAD」が必要か疑問だ。王毅外相は尹炳世外相との会談で、案の定このミサイル防衛システムについて強く反発した。
第3に、日本との関係でも慰安婦問題についての合意が示すように韓国は協力的な姿勢になってきた。この問題については、韓国政府は合意前までは日本政府を批判する側に立っていたが、合意後は、日本政府とともに解決を目指して努力しており、一大転換だ。
第4に、韓国のこれらの変化は米国からの働きかけがあったからではないか。朴槿恵大統領は10月16日、ホワイトハウスでオバマ大統領と会談した。米国が南シナ海での中国の拡張的行動に神経をとがらせていたさなかであり、オバマは朴槿恵に対し、国際法を順守する連帯に加わるよう求めた。この時、朴槿恵は応じなかったと言われているが、セロ回答ではなかった可能性がある。
朴槿恵大統領が日本との関係で協力的になったのは11月の安倍首相との会談からだろうが、その前にオバマ大統領から日本との関係改善を強く説得されていたことが重要な背景となっていたと思われる。
以上のような政治的関係とともに、中国経済の成長鈍化が韓国に及ぼしている影響も見逃せない。韓国経済の回復は前政権時代からの課題であったが、朴槿恵大統領の下でも芳しくない状況が続いている。
韓国にとっては輸出・輸入ともに中国が第1位の相手国であり、中国経済が高成長を続けている間は韓国経済を下支えしていたが、中国経済の成長は鈍化傾向に入っており、今後は韓国として中国に頼れる度合いは低下している。そもそも、韓国と中国の経済は競合する面が大きく、今後はこれまで以上に目立ってくるという問題もある。
経済政策は、もうからなくなったからと言って相手を乗り換えるような簡単なことでないだろうが、韓国経済の立て直しにとっては日米両国との関係が重要であるのは明らかであり、韓国の対外政策を見るうえでこのような経済的側面は看過できない。
2016.02.12
「人工衛星」打ち上げとほぼ並行して、李永吉総参謀長が処刑されたと伝えられた。金正恩第1書記は就任以来、軍も含め指導層の人事を激しく動かしてきた。金正日総書記時代の指導者で追放されたものも少なくない。金正日の葬列で霊柩車に付き添った5人の軍人は、死亡した者を除き、すべて追放された。処刑された者もいる。
軍のナンバー・ツー(Noワンは金正恩)である総参謀長は、金正日時代に任命されていた李英浩を玄永哲に,次いで金格植に、さらに李永吉に代え、今回はさらに李永吉も代えた(処刑した?)ので、金正恩は4年あまりの間に4回総参謀長を変えたことになる。極めて異常な人事であり、その理由は、詳細な事情は知る由もないが、金正恩の指示について疑問を呈したり、反対意見を言ったりしたためではないかと推測されている。北朝鮮の発表にはそれを示唆するところがある。
人民武力相(防衛相)については総参謀長よりさらに頻繁に代えている。
金正恩としては新指導者として、経験豊かな軍人でも指示に従ってもらわなければならないという気持ちが強いのだろう。最近北朝鮮では、党の指導性を強調する言説が増えている。
金正恩の猛烈な人事異動を示す象徴的な例が崔竜海だ。同人は建国初期の人民武力相(防衛相)の子だが、党歴が長かった。金正日の葬儀時の序列は第18位であったが、その後金正恩の下で急上昇し、国防委員会副委員長兼人民軍総政治局局長となり、側近ナンバー2にまで上り詰めた。政治局常務委員にもなった。
しかし、2014年ころから雲行きが怪しくなり、5月には序列が下がり、次帥から大将に格下げになった。崔竜海に代わって総政治局長・次帥になったのは黄炳瑞だ。
崔竜海は政治局常務委員でもなくなり、党では「書記」として、また、「国家体育指導委員会委員長」として報道された。体育振興は北朝鮮で重要なことだが、権力の中枢からは離れる。
しかし、同年10月、崔竜海は黄炳瑞、金養建とともに北朝鮮のビッグスリーとして訪韓し、韓国側と会談した。再び重用されるようになった証であった。同月、金正恩がサッカー試合を観戦した際、付き従った者として崔龍海、黄炳瑞、崔泰福、玄永哲、朴道春、姜錫柱等の名が報道された。崔竜海はいったん追い抜かれた黄炳瑞の上位にカムバックしたのだ。
ところが、2015年2月末の報道では、崔龍海はまた黄炳瑞の下位に下がってしまった。同年3月の「国際女性の日」記念イベントでは、平の「政治局員兼党中央委員会書記」に下がっていることが判明した。
9月には、北京で開催された抗日戦争勝利記念に出席したが、中朝関係が悪化している中で金正恩に代わっての出席であり、あまり晴れがましいことでなかったはずだ。中国は朴槿恵韓国大統領を優遇しただけであり、崔竜海はその他大勢の一人に過ぎなかった。
11月、軍の元老の李乙雪が死去した。崔竜海の名前は葬儀委員会に含まれていなかったので、ついに失脚したかと噂されたり、地方で労働教育を受けているとも言われたりした。
しかし、12月、金養建の葬儀委員名簿では、崔竜海は、金正恩、金永南、黄炳瑞、朴奉珠(首相)、金己男(金永南の弟、宣伝担当か、金正日の葬儀で霊柩車を囲んで歩いた5人の軍人の1人)に続く第6位という序列になっていた。ライバルの黄炳瑞よりは下位だが、中枢の一員である。
以上のように激しく浮沈を繰り返す例は他にない。共産主義体制下では失脚が始まると止まらないのが常識であり、カムバックすること自体珍しいが、崔竜海の場合は上がったり、下がったりを繰り返すという特異なケースだ。
あえて仮説としてその特色を上げれば、金正恩の人事は激しい(これは仮説というより事実だ)。中には処刑という極端な処分もあるが、上げたり下げたりすることもある。上述の金己男も、2015年4月には主席壇でなく一般席にいたが、後にしかるべき地位に戻された。
若年であるにもかかわらず、これほどまでに人事を動かせる金正恩は強い指導者としての権威を急速に確立しつつあると見られるが、あまりに激しいところがあるだけに強い反発を受ける危険がないとは言えないような気もする。
金正恩第1書記の激しい人事
今回の「人工衛星」打ち上げに関する30数分間の映像が北朝鮮当局から提供されている。いろんな角度から取ったものであり、発射後のロケットからの映像も含まれている。北朝鮮のロケットと撮影の技術向上がうかがわれるが、金正恩第1書記の指導力を称賛する場面も印象的だ。「人工衛星」打ち上げとほぼ並行して、李永吉総参謀長が処刑されたと伝えられた。金正恩第1書記は就任以来、軍も含め指導層の人事を激しく動かしてきた。金正日総書記時代の指導者で追放されたものも少なくない。金正日の葬列で霊柩車に付き添った5人の軍人は、死亡した者を除き、すべて追放された。処刑された者もいる。
軍のナンバー・ツー(Noワンは金正恩)である総参謀長は、金正日時代に任命されていた李英浩を玄永哲に,次いで金格植に、さらに李永吉に代え、今回はさらに李永吉も代えた(処刑した?)ので、金正恩は4年あまりの間に4回総参謀長を変えたことになる。極めて異常な人事であり、その理由は、詳細な事情は知る由もないが、金正恩の指示について疑問を呈したり、反対意見を言ったりしたためではないかと推測されている。北朝鮮の発表にはそれを示唆するところがある。
人民武力相(防衛相)については総参謀長よりさらに頻繁に代えている。
金正恩としては新指導者として、経験豊かな軍人でも指示に従ってもらわなければならないという気持ちが強いのだろう。最近北朝鮮では、党の指導性を強調する言説が増えている。
金正恩の猛烈な人事異動を示す象徴的な例が崔竜海だ。同人は建国初期の人民武力相(防衛相)の子だが、党歴が長かった。金正日の葬儀時の序列は第18位であったが、その後金正恩の下で急上昇し、国防委員会副委員長兼人民軍総政治局局長となり、側近ナンバー2にまで上り詰めた。政治局常務委員にもなった。
しかし、2014年ころから雲行きが怪しくなり、5月には序列が下がり、次帥から大将に格下げになった。崔竜海に代わって総政治局長・次帥になったのは黄炳瑞だ。
崔竜海は政治局常務委員でもなくなり、党では「書記」として、また、「国家体育指導委員会委員長」として報道された。体育振興は北朝鮮で重要なことだが、権力の中枢からは離れる。
しかし、同年10月、崔竜海は黄炳瑞、金養建とともに北朝鮮のビッグスリーとして訪韓し、韓国側と会談した。再び重用されるようになった証であった。同月、金正恩がサッカー試合を観戦した際、付き従った者として崔龍海、黄炳瑞、崔泰福、玄永哲、朴道春、姜錫柱等の名が報道された。崔竜海はいったん追い抜かれた黄炳瑞の上位にカムバックしたのだ。
ところが、2015年2月末の報道では、崔龍海はまた黄炳瑞の下位に下がってしまった。同年3月の「国際女性の日」記念イベントでは、平の「政治局員兼党中央委員会書記」に下がっていることが判明した。
9月には、北京で開催された抗日戦争勝利記念に出席したが、中朝関係が悪化している中で金正恩に代わっての出席であり、あまり晴れがましいことでなかったはずだ。中国は朴槿恵韓国大統領を優遇しただけであり、崔竜海はその他大勢の一人に過ぎなかった。
11月、軍の元老の李乙雪が死去した。崔竜海の名前は葬儀委員会に含まれていなかったので、ついに失脚したかと噂されたり、地方で労働教育を受けているとも言われたりした。
しかし、12月、金養建の葬儀委員名簿では、崔竜海は、金正恩、金永南、黄炳瑞、朴奉珠(首相)、金己男(金永南の弟、宣伝担当か、金正日の葬儀で霊柩車を囲んで歩いた5人の軍人の1人)に続く第6位という序列になっていた。ライバルの黄炳瑞よりは下位だが、中枢の一員である。
以上のように激しく浮沈を繰り返す例は他にない。共産主義体制下では失脚が始まると止まらないのが常識であり、カムバックすること自体珍しいが、崔竜海の場合は上がったり、下がったりを繰り返すという特異なケースだ。
あえて仮説としてその特色を上げれば、金正恩の人事は激しい(これは仮説というより事実だ)。中には処刑という極端な処分もあるが、上げたり下げたりすることもある。上述の金己男も、2015年4月には主席壇でなく一般席にいたが、後にしかるべき地位に戻された。
若年であるにもかかわらず、これほどまでに人事を動かせる金正恩は強い指導者としての権威を急速に確立しつつあると見られるが、あまりに激しいところがあるだけに強い反発を受ける危険がないとは言えないような気もする。
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