平和外交研究所

中国

2016.03.28

(短文)習近平主席に対して辞職を求める公開状の調査

 習近平主席に対して辞職を求める公開状(本研究所HP3月7日「習近平主席への公開状(抜粋)」に関し中国当局は引き続き調査を行っている。

 いわゆる「維権(権利擁護)」活動家の溫雲超(インターネットでは「北風」)は現在海外(米国らしい)に逃れているが、公開状の件で父母と弟が公安当局によって連行された。場所は溫雲超の故郷である廣東省揭陽。公安は3人に対し、溫雲超が公開状に関与していることを認めるよう迫っているそうだ。溫雲超は、自分はまったく関係ない、ただツイッターでこの公開状のことに触れただけだと言っていた(香港紙『明報』3月26日)。

 別のサイト「世界之声」は、「当局はすでに公開状の関係で20人余りを連行している。溫雲超に連絡してきたのは弟の妻であり、再度溫雲超から連絡を取ろうとしても通じなくなっている。また、溫雲超は、当局は溫雲超が公開状を書いたのでないことを知っているが、インターネットで広めたと思っている。だから作者を知っていると見て家族に圧力を加えている。認めさせて上司に報告したいのだ。今回の事件と中共が直面している二つの危機は関連がある。その一つは、習近平が権力を固める上での危機であり、もう一つは統治の上での危機と恐怖であり、だから当局は法を無視して非人道的なことも辞さないのだ」と溫雲超が述べたと報道している。

 この他、ジャーナリストの賈葭も取り調べを受けたとBBCが報道した。同放送の記者に対して、賈葭は、「無事であるが、どこにいるかは言えない。取り調べの状況についても今言えない」と答えたそうだ。
2016.03.26

(短評)馬英九の南シナ海工作

 3月23日、馬英九総統は内外の記者を南沙諸島の太平島に招待した。その際南沙諸島に関し仲裁裁判を申し立てているフィリピンと仲裁裁判所に対しても参加を求めたそうだ。記者たちは実際に太平島を訪問したが、フィリピンも仲裁裁判所もいかなかったはずだ。
 馬英九自身は1月28日に太平島に上陸した。米国にいったん諭されたのでいったん延期し、日を変えて実行したものだ。台湾では馬英九の積極的な行動が注目されている。

 馬英九の狙いは、一義的には、仲裁裁判で太平島を含め南沙諸島が島でなく、岩礁に過ぎないと認定されるのを防ぐことにある。太平島は南沙諸島の中で最大であるが、それでも岩礁とみなされる危険がないとは言えない。そのため、内外の記者に太平島は島であることを宣伝してもらいたいのだろう。
 なお、仲裁裁判の判断が出るのは5月とも、6月とも言われている。
 太平島は、特に台湾の領土問題に関心を持つ人でなければ知らないのが普通であるが、最近は中国の埋め立て工事、フィリピンの仲裁裁判申し立て、それに馬英九の行動が加わり、台湾、香港、米国などに本拠地がある中国語の新聞でしばしば報道されている。

 馬英九にはもう一つの狙いがあると思う。太平島に注意を向けさせることにより、来る5月に新総統に就任する蔡英文にその島の重要性を示し、その扱いを誤ると中国との関係が悪化することを印象づけようとしているのではないか。馬英九でなくてもフィリピンの仲裁裁判が台湾の新政権にとって扱いが困難な問題であることは知られるようになっている。民進党は本来中国や国民党のように膨張主義的でない。だから、太平島の領有権はさほど重要な問題でないが、台湾にもナショナリズムがあり、太平島などどうでもよいという態度はとれない。つまり、太平島は民進党政権を南シナ海と、ひいては国民党による統治からあまり離れさせないためのリードになっている。そのことを考えれば、馬英九としては、太平島の問題が大騒ぎになり、台湾のナショナリズムの注意がそちらに向かえば好都合なのだ。
2016.03.23

中国とガンビアの外交関係樹立

 ガンビアは英国から独立して3年後の1968年、中華民国と外交関係を樹立したが、1974年、中華人民共和国に乗り換えた。国連における中国代表権問題で中華人民共和国が中華民国に代わって中国の代表となったのは1971年であり、それまで中華民国を承認していた国は相次いで中華人民共和国を承認していた。ガンビアはそのうちの一つだった。
 1993年、ガンビアではヤヒヤ・ジャメがクーデタで政権を奪取し、外交方針を転換し始め、その一環で1995年、中華民国を再び承認した。中華民国にとっては中華人民共和国との外交戦争で失地を取り返した数少ない例の一つであった。
 ところが、18年後の2013年11月14日、ガンビアは中華人民共和国を再び承認し、4日後、中華民国は同国との外交関係を断絶した。中華民国はガンビアに援助を供与した直後のことであり、不愉快さは倍増していただろう。
 しかし、中華人民共和国は意外にもガンビアが手を差し出したのに応じなかった。通常承認すれば外交関係樹立に進むが、そうしなかったのだ。勝手に外交方針を変更するガンビアに不満であったかもしれないが、主たる理由は馬英九が率いる台湾の国民党政権へ配慮を示そうとしたのだ。若干前後するが、2013年6月、習近平主席は国民党の重鎮である吳伯雄との会談で、「我々は現在外交では休戦している」と語っていた。
 そして2016年3月17日、中華人民共和国とガンビアは外交関係を樹立した。中国が、今後台湾に対してどのような方針で臨むか、注目されているなかでの外交関係樹立である。台湾や香港の新聞がこの問題を比較的大きく取り上げたのはごく自然なことだが、実際に大きな影響が出るか。承認の問題は3年前に終わっていることなので、台湾にとって実害はないだろう。ちなみに、台湾を承認している国の数は22のままである。
 中国は厳しい姿勢を示すことにより、蔡英文総統に率いられる新政権が台湾独立に走らないようけん制したのだろうが、国民党をこれまでと同じ姿勢で支持することは台湾人にアピールできるか。台湾人としてのアイデンティティが顕著に強くなっている近年の状況にかんがみて疑問である。

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