平和外交研究所

中国

2015.06.15

蔡英文主席の訪米‐民進党の成熟か

 蔡英文民進党主席の5月29日から6月8日までの訪米は大成功であった。米国に本拠がある『多維新聞』6月11日付の論評は参考になる。 

 蔡英文が2011年9月訪米した時は国務省内に入れてもらえず、門の外で会談相手の国務次官補が出てくるのを待たされるなど冷たい仕打ちを受けた。訪米の失敗は翌年の総統選で敗れた原因の一つとなった。
 捲土重来した蔡英文は、今回はホワイトハウス、国務院、ペンタゴンにも入った。米台断交後、初めてのことであり、蔡英文に特別の栄誉が与えられた。
 蔡英文が今回の訪米に際して考えを明確に示したのはCSIS(戦略国際問題研究所)での演説であった。彼女は「中華民国」の現体制下で、民意にしたがい、中国と台湾が過去20年来協商と交流を積み重ねてきたことを大切にし、さらなる平和的発展を引き続き推進していくという方針を語った。
 米国はこの演説を評価し、翌日から歓待が始まった。蔡英文の前回の訪米と比べると天地の違いであった。米国は公式の表明は避けているが、蔡英文の演説に満足したことは明らかである。蔡英文は後に興奮を抑えながら、「端的に言うと、私は入っていったのだ」と言っていた。
 蔡英文はホワイトハウスの一票を確保した。これは重要な一票であり、彼女はこれをもって党内の急進派に対抗できる。蔡英文の相手は米国、中国および民進党内の急進派であるが、今次訪米で、「親米、避中、遏独(独立を抑えること)」の三つを獲得した。
 蔡英文は前回の訪米に失敗し、総統選で敗れた後、米国人の意見に耳を傾けず、かたくなに接触を拒否していた。2014年5月、統一地方選の前、『天下』誌とのインタビューの時も米国をあからさまに無視する態度をとっていた。しかし、統一地方選で大勝を収めた蔡英文は変わった。それからは、むしろ米国の考えを前面に掲げつつ発言するようになった。
 米国はなぜ国民党の総統候補が6月中に決定する前に蔡英文を持ち上げることにしたのか。蔡英文が総統選で勝利する可能性は非常に高いが、今後中間派を取り込んでいく必要があり、両岸関係に関する蔡英文の言動と北京の反応は重要な問題点である。
 米中間では、6月中に各種の協議があり、8月は米のシンクタンクが夏季休暇となり、9月には習近平が訪米する。台湾の総統選はその後から本格的に始まる。米国としてはこのような状況下で蔡英文に対する態度表明を遅くしないほうがよいと判断したのであろう。
 
 一方、中国も今回の訪米成功を評価したと思われる。習近平にとって台湾問題は冷静に処理できる「小事」であり、今回の蔡英文の訪米に対しても細かいことにいちいちこだわらず大きな態度で、冷静に、抑制して対応している。蔡英文を受け入れるわけではないが、何を言い、何を行なうかを見てみようとしている。中国からは、表面的には蔡英文の訪米に対して批判的な表明が相次いでおり、とくに蔡英文が「現状維持」についてはっきりしたことを言わないのは不満なようだが、蔡英文は前回の訪米時のように、民主化や人権など中国の弱みを突こうとしないことは注目しており、全体的には一定の抑制を利かせた批判になっている。
 蔡英文は「両国論(注 台湾は事実上独立しており、中国と台湾の関係は国家と国家の関係である)」の主張者であり、「台独」と完全に決別したわけではない。中国が「台独」を看過しないのはもちろんであるが、彼女の思想は成長しており、人民の意見にしたがうという姿勢が明確になっている。「台独」という極端な思想を掲げることはありえない。
 中国は、蔡英文が総統になるという現実を受け入れ、両岸関係のため一定のゆとりを認め、民進党が両岸関係に参加する機会を提供すべきである。「退くことにより前進を図る」ことが重要である。

2015.06.12

アウン・サン・スー・チー・ミャンマー国民民主連盟(NLD)議長の訪中

 アウン・サン・スー・チー・ミャンマー国民民主連盟(NLD)議長が6月10日から14日までの日程で訪中している。これは従来の中国とミャンマーの関係においては見られなかった展開である。
 中国はかねてより、アウン・サン・スー・チー氏を軟禁していたミャンマーの軍事政権との関係が緊密であり、国際的に孤立していた同政権にとって数少ない支持国であった。
 2011年、テイン・セイン大統領が率いる新政府が発足し、ミャンマーは民主的な国家への道を歩み始めた。軍人の影響力はまだかなり残っており、テイン・セイン大統領にとっては困難なかじ取りであるが、比較的着実に民主化を進め、2013年には欧米諸国が問題視していた政治犯全員に恩赦を与えた。また、対外面では2014年にASEANの議長国を務め、責任ある民主国家であることを内外にアピールしてきた。
 一方、スー・チー氏が率いるミャンマー最大の野党、NLDは政府と対立しつつ国民の支持を増やし、2012年の議会補欠選挙では圧勝した。2015年末に予定されている総選挙でも勝利すると予想されている。
 中国は、これまで軍事政権を支持し、西側寄りのスー・チー氏には近寄らないようにしていたが、ミャンマー内の政治状況の変化に対応してスー・チー氏へ接近を図り始めた。まず、2013年に李小琳(李鵬元首相の娘)が代表を務める中国国際友好連絡会の招待という形で訪中を要請したが、スー・チー氏はすでに国会議員になっており、民間である中国国際友好連絡会の招待に応じることは不適当と考え訪中しなかった。その後、2014年12月に訪中が実現しそうになったが、この時も儀礼上の理由で延期された。スー・チー氏側はあくまで公の立場であることに固執したと言われている。
そこで中国側は、今回、共産党中央連絡部からの招待としつつ、習近平主席と李克強首相との会見も実現するという破格の待遇をすることとしたので、スー・チー氏側も公の立場にこだわらず、招待に応じた(中国系の新聞の報道による)。
 かくして、ミャンマーの軍事政権を支持していた中国と親西欧のアウン・サン・スー・チー氏が率いるNLDとの交流が始まった。中国が譲歩したのは、来るミャンマーの総選挙でNLDが大勝することは確実という状況の中で、将来への手掛かりを強化しておこうという狙いからであろう。
 両国間には懸案がある。ミャンマー側では、中国資本が投下されているLetpadaung銅鉱山やMyitsoneダムなどが資源破壊のため住民の激烈な反対に遭っている。
 中国内では、アウン・サン・スー・チー氏の訪中が、同じくノーベル平和賞を獲得して軟禁されている劉暁波の解放につながることを期待する声が上がっている。しかし、NLDと中国の交流は始まったばかりであり、両国間のデリケートな問題については双方とも慎重に扱うので、進展は期待できない。
 これら二国間の問題もさることながら、中国の外交戦略においてミャンマーは重要な地位を占めている。南シナ海の問題で中国に批判的な姿勢を取る東南アジア諸国が増加傾向にあるなかで、中国としては「海のシルクロード」上の一重要拠点であるミャンマーを強い影響力を行使して手なずけていこうとするのか。それとも親西欧の政権がミャンマーに誕生した場合、新しい感覚で対応する用意があるか。
 中国が躍起となって推進しようとしている「一帯一路」構想やアジアインフラ投資銀行においてミャンマーを優遇できるかも注目される。

2015.06.09

(短文)習近平主席の側近

 6月1日付の香港紙『経済日報』は、5月27日に浙江省で開かれた第13次五カ年計画座談会に出席した習近平主席に随行した5人が側近ブレーンを形成しているとして、その略歴を次のように紹介した(同日付の『多維新聞』による)。

王滬寧 Wang Hu-ning
59歳。政治局員。2002年から中央政策研究室主任。18期3中全会で設置された「深化改革領導小組」弁公庁主任(事務局長的役職。同小組の主任は習近平)。

栗戰書 Li Zhan-shu
習近平が河北省正定県の書記だった時に認められ、62歳で中央に抜擢され、失脚した令計画の後をついで「大內總管(我が国の官房長官のような地位)」となった。2013年12月、栗戰書は中央警衛局特別行動隊を指揮して周永康前政治局員を逮捕した。

丁薛祥 Ding Xie-xiang
53歳。習近平が上海市書記だった時に認められ、同市の秘書長に抜擢された。2013年習近平の「大管家(清朝の言葉。大番頭)」に取り立てられた。すでに中央弁公庁常務副主任に就いている可能性がある。

劉鶴 Liu He
63歳。習近平の筆頭経済ブレーン。1960年代北京第101中学時代から習近平と知り合う。2013年3月より、中央財経領導小組弁公室主任、国務院発展改革委員会副主任。

何立峰 He Li-feng
60歳。習近平が福建省の書記であった時に認められた。2014年6月、国務院発展改革委員会副書記兼副主任に就任。同委員会は「小国務院」と呼ばれる中枢機関である。

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