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2019.04.23
しかし、北方領土問題について交渉態度を変更すべき客観的な状況の変化があったのではない。さる1月末の安倍首相とプーチン大統領との会談で日本側が期待するような結果を得られなかったが、交渉の失敗は双方の問題であり、日本だけが主張を変える理由にはならない。にもかかわらず日本側が一方的に交渉態度を変更し、ロシア側の主張に近づくのは、弱い姿勢を相手方に見せることなる。相手は日本側が「お情け頂戴」と言っていると誤解するのではないか。
安倍首相は日本国民との関係でも一貫した姿勢を示すべきである。プーチン大統領との交渉後、1月30日の衆院本会議で、「北方領土は我が国が主権を有する島々だ」とした上で、ロシアとの平和条約交渉について「対象は4島の帰属の問題であるとの一貫した立場だ」と述べたではないか。
「ザページ」に1月24日、「北方領土交渉 帰属問題の解決には米国の関与が必要」を寄稿した。その内容を以下に張り付けておく。
「安倍首相は1月22日、モスクワにおいてプーチン大統領と平和条約・領土問題について会談しましたが、交渉を具体的に進展させることはできなかったようです。
今回の交渉は、昨年11月14日の両首脳の合意から始まりましたが、これまでの先人たちの努力を最初から無視して交渉が始められたように思えます。安倍・プーチン両氏は、「平和条約締結後に歯舞群島と色丹島の2島を日本に引き渡すと明記した1956年の日ソ共同宣言を基礎に交渉の進展を図る」としましたが、日ロ両国間の最新かつ最重要の合意は、「択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島の帰属に関する問題を歴史的・法的事実に立脚し、両国の間で合意の上作成された諸文書および法と正義の原則を基礎として解決することにより平和条約を早期に締結するよう交渉を継続する」という1993年の「東京宣言」でした。
1956年宣言には歯舞・色丹島しか記載されていませんでしたが、その後、1973年の田中角栄首相とブレジネフ書記長との合意、1991年の海部俊樹首相・ゴルバチョフ書記長の合意を経て、1993年の細川護熙首相とエリツィン大統領による東京宣言で、「択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島」の、いわゆる北方4島が明記され、しかも、その「帰属に関する問題解決する」ため交渉することになったのです。
これは37年間にわたる日ロ両国の政治家や外交関係者らによる努力のたまものであり、重要な前進でした。1956年以降の交渉は少しも進展しなかったという人がいますが、事実に反します。
にもかかわらず、安倍首相とプーチン大統領の両氏は2島しか記載されていない1956年日ソ共同宣言だけを基礎として交渉を進展させることにしたのです。先人たちが長年にわたって積み重ねてきた合意の一部だけを取り出す恣意的な扱いと言わざるをえません。
私は今回のモスクワ交渉の結果、事態はさらに悪化したと思います。ロシア側は、「両国が合意可能な解決を目指す」と言いますが、「第2次世界大戦の結果、千島列島全島に対する主権を得た」という、日本としては認めることができないことを要求するようになったからです。
第2次大戦の結果、日本の領土は大幅に削減されました。1945年8月の「ポツダム宣言」では本州、北海道、九州および四国は日本の領土であることがあらためて確認されましたが、「その他の島嶼」については、「どれが日本の領土として残るか、米英中ソの4か国が決定する」こととになり、日本はその方針を受け入れました。しかし、「千島列島」や「台湾」などについて、帰属は決定されませんでした。
ポツダム宣言を受けて第2次大戦を法的に処理した「サンフランシスコ平和条約」は自由主義陣営と社会主義陣営による東西対立の影響を受け、「千島列島」や「台湾」の帰属を決定することはできず、日本はそれらを「放棄」するだけにとどまったのです。
日本の戦前の領土を縮小したのはポツダム宣言とサンフランシスコ平和条約の2つだけです。戦時中、米英ソの3国間ではドイツ降伏後のソ連の対日参戦などを盛り込んだ 「「ヤルタ協定」なども合意されましたが、それはあくまで連合国間の問題であり、日本はそれに拘束されません。
日本は、今日でもポツダム宣言とサンフランシスコ平和条約を忠実に守っており、「千島列島」については放棄したままです。ロシアは、現在の交渉において、「千島列島」は第2次大戦の結果としてロシアが獲得したことを認めよと主張していますが、「千島列島」を「放棄」した日本が、ロシアの主権を認めるのは同条約に違反することとなり、それはできません。法的に不可能なのです。また、このロシアの主張を裏付ける根拠は皆無であり、日本もその他の国もロシアが「千島列島」の領有権を得たと認めたことは一度もありません。
ではそうすればよいでしょうか。ロシアが現在の主張を改め、国際法にしたがった理論構成の主張に変えるのが一つの方法ですが、ロシアが果たしてそのようなことに応じるか疑問です。
もう一つの方法は、「第2次大戦の結果に基づいた解決方法をあらためて探求する」ことです。そのなかで米国の役割をあらたに明確化する必要があります。第2次大戦の処理においてもっとも影響力があったのは米国であり、実際ロシアに対して「千島列島」の「占領」を認めたのも、また、日本に対して、「千島列島」の放棄を求めつつ、ロシアへの帰属を認めなかったのも米国でした。
日本としては、米国に、そこで止まらず最終的な帰属問題の解決まで協力を求めることは理屈の立つことです。
もちろん、米国としても世界各地で起こる第三国間の領土紛争には関与しないという大方針があります。また、これまでの伝統的な米国政権の外交方針と一線を画すトランプ政権がどのようなポジションを取るか、予測困難な面もあります。しかし、「千島列島」の帰属の問題は米国による決定の結果です。現在の米国外交としては例外になるでしょうが、米国に関与を求めることは合理的です。
一方、ロシアは米国との対決姿勢から、北方領土交渉に米国の協力を求めることはしたくないという気持ちが働くでしょうが、千島列島の帰属など日本に不可能なことを要求するより現実的ではないでしょうか。
日ロ両国は、1956年宣言だけを交渉の基礎とするという不正常な状態を一刻も早く解消したうえ、あらためて日米ロ3国の立場を整理しなおし、その結果に従って米国の協力を求めるべきです。平和条約・北方領土問題については日ロ間で解決を図るという従来の方針とは大きく異なることになりますが、第2次大戦後の秩序を問題にすればするほど、二国間だけでは解決できなくなっていることは明らかです。
なお、北方領土問題は経済協力などを含め、将来の利用を抜きには語れなくなっています。また、安全保障にかかわる問題も出てきています。米国の協力を得ることはこれらの点でも望ましくなっています。」
政府の北方領土問題に臨む姿勢は間違っている
4月23日付の共同電は、河野太郎外相が同日の閣議で報告した2019年版外交青書では、18年版にはあった「北方四島は日本に帰属する」との表現がなくなり、「問題を解決して平和条約を締結」するとのみ言及したと伝えている。このようにした理由については、「ロシアに対する態度を一定程度軟化させることで、交渉を前進させる狙いがある」とコメントしているが、その通りであろう。しかし、北方領土問題について交渉態度を変更すべき客観的な状況の変化があったのではない。さる1月末の安倍首相とプーチン大統領との会談で日本側が期待するような結果を得られなかったが、交渉の失敗は双方の問題であり、日本だけが主張を変える理由にはならない。にもかかわらず日本側が一方的に交渉態度を変更し、ロシア側の主張に近づくのは、弱い姿勢を相手方に見せることなる。相手は日本側が「お情け頂戴」と言っていると誤解するのではないか。
安倍首相は日本国民との関係でも一貫した姿勢を示すべきである。プーチン大統領との交渉後、1月30日の衆院本会議で、「北方領土は我が国が主権を有する島々だ」とした上で、ロシアとの平和条約交渉について「対象は4島の帰属の問題であるとの一貫した立場だ」と述べたではないか。
「ザページ」に1月24日、「北方領土交渉 帰属問題の解決には米国の関与が必要」を寄稿した。その内容を以下に張り付けておく。
「安倍首相は1月22日、モスクワにおいてプーチン大統領と平和条約・領土問題について会談しましたが、交渉を具体的に進展させることはできなかったようです。
今回の交渉は、昨年11月14日の両首脳の合意から始まりましたが、これまでの先人たちの努力を最初から無視して交渉が始められたように思えます。安倍・プーチン両氏は、「平和条約締結後に歯舞群島と色丹島の2島を日本に引き渡すと明記した1956年の日ソ共同宣言を基礎に交渉の進展を図る」としましたが、日ロ両国間の最新かつ最重要の合意は、「択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島の帰属に関する問題を歴史的・法的事実に立脚し、両国の間で合意の上作成された諸文書および法と正義の原則を基礎として解決することにより平和条約を早期に締結するよう交渉を継続する」という1993年の「東京宣言」でした。
1956年宣言には歯舞・色丹島しか記載されていませんでしたが、その後、1973年の田中角栄首相とブレジネフ書記長との合意、1991年の海部俊樹首相・ゴルバチョフ書記長の合意を経て、1993年の細川護熙首相とエリツィン大統領による東京宣言で、「択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島」の、いわゆる北方4島が明記され、しかも、その「帰属に関する問題解決する」ため交渉することになったのです。
これは37年間にわたる日ロ両国の政治家や外交関係者らによる努力のたまものであり、重要な前進でした。1956年以降の交渉は少しも進展しなかったという人がいますが、事実に反します。
にもかかわらず、安倍首相とプーチン大統領の両氏は2島しか記載されていない1956年日ソ共同宣言だけを基礎として交渉を進展させることにしたのです。先人たちが長年にわたって積み重ねてきた合意の一部だけを取り出す恣意的な扱いと言わざるをえません。
私は今回のモスクワ交渉の結果、事態はさらに悪化したと思います。ロシア側は、「両国が合意可能な解決を目指す」と言いますが、「第2次世界大戦の結果、千島列島全島に対する主権を得た」という、日本としては認めることができないことを要求するようになったからです。
第2次大戦の結果、日本の領土は大幅に削減されました。1945年8月の「ポツダム宣言」では本州、北海道、九州および四国は日本の領土であることがあらためて確認されましたが、「その他の島嶼」については、「どれが日本の領土として残るか、米英中ソの4か国が決定する」こととになり、日本はその方針を受け入れました。しかし、「千島列島」や「台湾」などについて、帰属は決定されませんでした。
ポツダム宣言を受けて第2次大戦を法的に処理した「サンフランシスコ平和条約」は自由主義陣営と社会主義陣営による東西対立の影響を受け、「千島列島」や「台湾」の帰属を決定することはできず、日本はそれらを「放棄」するだけにとどまったのです。
日本の戦前の領土を縮小したのはポツダム宣言とサンフランシスコ平和条約の2つだけです。戦時中、米英ソの3国間ではドイツ降伏後のソ連の対日参戦などを盛り込んだ 「「ヤルタ協定」なども合意されましたが、それはあくまで連合国間の問題であり、日本はそれに拘束されません。
日本は、今日でもポツダム宣言とサンフランシスコ平和条約を忠実に守っており、「千島列島」については放棄したままです。ロシアは、現在の交渉において、「千島列島」は第2次大戦の結果としてロシアが獲得したことを認めよと主張していますが、「千島列島」を「放棄」した日本が、ロシアの主権を認めるのは同条約に違反することとなり、それはできません。法的に不可能なのです。また、このロシアの主張を裏付ける根拠は皆無であり、日本もその他の国もロシアが「千島列島」の領有権を得たと認めたことは一度もありません。
ではそうすればよいでしょうか。ロシアが現在の主張を改め、国際法にしたがった理論構成の主張に変えるのが一つの方法ですが、ロシアが果たしてそのようなことに応じるか疑問です。
もう一つの方法は、「第2次大戦の結果に基づいた解決方法をあらためて探求する」ことです。そのなかで米国の役割をあらたに明確化する必要があります。第2次大戦の処理においてもっとも影響力があったのは米国であり、実際ロシアに対して「千島列島」の「占領」を認めたのも、また、日本に対して、「千島列島」の放棄を求めつつ、ロシアへの帰属を認めなかったのも米国でした。
日本としては、米国に、そこで止まらず最終的な帰属問題の解決まで協力を求めることは理屈の立つことです。
もちろん、米国としても世界各地で起こる第三国間の領土紛争には関与しないという大方針があります。また、これまでの伝統的な米国政権の外交方針と一線を画すトランプ政権がどのようなポジションを取るか、予測困難な面もあります。しかし、「千島列島」の帰属の問題は米国による決定の結果です。現在の米国外交としては例外になるでしょうが、米国に関与を求めることは合理的です。
一方、ロシアは米国との対決姿勢から、北方領土交渉に米国の協力を求めることはしたくないという気持ちが働くでしょうが、千島列島の帰属など日本に不可能なことを要求するより現実的ではないでしょうか。
日ロ両国は、1956年宣言だけを交渉の基礎とするという不正常な状態を一刻も早く解消したうえ、あらためて日米ロ3国の立場を整理しなおし、その結果に従って米国の協力を求めるべきです。平和条約・北方領土問題については日ロ間で解決を図るという従来の方針とは大きく異なることになりますが、第2次大戦後の秩序を問題にすればするほど、二国間だけでは解決できなくなっていることは明らかです。
なお、北方領土問題は経済協力などを含め、将来の利用を抜きには語れなくなっています。また、安全保障にかかわる問題も出てきています。米国の協力を得ることはこれらの点でも望ましくなっています。」
2019.04.22
ザページに次の一文を寄稿しました。
こちらをクリック
シナイ半島で活動する自衛官の派遣
日本政府は自衛官2人をシナイ半島に派遣しました。これは「国際連携平和安全活動」の初のケースです。これは平和維持活動(PKO)ではなく、多国籍軍の一種で、これへの参加には憲法違反の疑いが濃厚です。ザページに次の一文を寄稿しました。
こちらをクリック
2019.04.18
金正恩委員長は、ハノイでのトランプ大統領との会談において「北朝鮮は寧辺の核施設を廃棄し、米国はそれと引き換えに制裁を緩和ないし廃止する」という取引が成立すると予想していたことは誤りであったと悟ったのであろう。ハノイでの首脳会談後、李容浩外相に異例の記者会見を開き、北朝鮮の考えをあらためて説明させていた経緯がある。
今回の演説で、金委員長は「米国との間で信頼関係が欠けている現段階では、北朝鮮として、安全保障上、すべての核をさらけ出し、包括的に交渉の俎上に載せることはできない」ということを前面に押し出した。この考えは分かりやすく、各国から理解されやすい、米国に対して段階的非核化を説得するのに効果的だとみているのであろう。
これに対し、米国はあくまで「包括的非核化」であるが、金委員長は、米国がその考えを改めれば第3回の首脳会談に応じるとする一方、北朝鮮としては非核化の大方針は変えない姿勢を示し、また、トランプ委員長と「立派な関係を維持している」と述べている。金委員長は、今年いっぱいを期限とするなど、米国の対応いかんでは以前の敵対状況に立ち返ることも辞さないことを示唆しているが、基本的には硬軟両様でトランプ大統領と対話を続け、なんとか妥協して合意を成立させたい考えだと思われる。
また、北朝鮮は、対米交渉と並行して第三国に対しても自らの主張の正当性をアピールしようとしている。とくに、中国とロシアであり、中国については昨年から今年にかけ金委員長が4回も訪中した。
ロシアとの連携は遅れていたが、4月24日、金委員長はウラジオストックを訪問し、プーチン大統領と初めての会談を行うことになったという。
中国とロシアは北朝鮮にとって数少ない理解者であり、制裁についても一部の緩和ならば北朝鮮を支持している。金委員長は、中ロ両国が今後の対米交渉について力強い味方になると見ているのである。
「段階的非核化」を目標とする北朝鮮の基本方針は中ロに対してのみならず、その他の国に対しても分かりやすく、理解されやすい。北朝鮮は今後、各国の支持まで獲得するのは簡単でないが、理解を求めるためにアピールを強めるだろう。外務次官の崔善姫(チェ・ソンヒ)を最高人民会議で国務委員に抜擢したのはそのためだと思われる。
一方、「包括的非核化」を求める米国の主張は、核問題、特に検証の専門家からすれば絶対的に必要であるが、分かりにくいのが難点である。北朝鮮との交渉にたずさわっている米国の高官からも、「包括的非核化」の必要性を本当に理解しているか疑問に思われる発言で出てくるのが現実であり、トランプ大統領にとって金委員長が打ち出した新方針はなかなかの難物になると思われる。
なお、韓国の文在寅大統領は、平壌で最高人民会議が開催されているのと同時期に訪米してトランプ大統領と話し合い、北朝鮮との関係の打開を図ったが、トランプ大統領から好意的な反応は得られなかった。しかも、金委員長からは、「(米朝関係の)仲裁者や促進者のふるまいをせず、民族の利益を擁護する当事者になるべきだ」と厳しく批判された。これでは文大統領の立つ瀬がないが、金委員長の新方針には韓国に期待することを当面止めるということも含まれていたように思われる。
北朝鮮の対米非核化交渉新方針
北朝鮮では4月9日から労働党と国家の最重要会議が開催され、12日には金正恩委員長が演説を行い対米交渉などに関する方針を語った。労働党の会議は拡大政治局会議と中央委員会総会であり、国家の方は最高人民会議(国会に相当)であった。金正恩委員長は、ハノイでのトランプ大統領との会談において「北朝鮮は寧辺の核施設を廃棄し、米国はそれと引き換えに制裁を緩和ないし廃止する」という取引が成立すると予想していたことは誤りであったと悟ったのであろう。ハノイでの首脳会談後、李容浩外相に異例の記者会見を開き、北朝鮮の考えをあらためて説明させていた経緯がある。
今回の演説で、金委員長は「米国との間で信頼関係が欠けている現段階では、北朝鮮として、安全保障上、すべての核をさらけ出し、包括的に交渉の俎上に載せることはできない」ということを前面に押し出した。この考えは分かりやすく、各国から理解されやすい、米国に対して段階的非核化を説得するのに効果的だとみているのであろう。
これに対し、米国はあくまで「包括的非核化」であるが、金委員長は、米国がその考えを改めれば第3回の首脳会談に応じるとする一方、北朝鮮としては非核化の大方針は変えない姿勢を示し、また、トランプ委員長と「立派な関係を維持している」と述べている。金委員長は、今年いっぱいを期限とするなど、米国の対応いかんでは以前の敵対状況に立ち返ることも辞さないことを示唆しているが、基本的には硬軟両様でトランプ大統領と対話を続け、なんとか妥協して合意を成立させたい考えだと思われる。
また、北朝鮮は、対米交渉と並行して第三国に対しても自らの主張の正当性をアピールしようとしている。とくに、中国とロシアであり、中国については昨年から今年にかけ金委員長が4回も訪中した。
ロシアとの連携は遅れていたが、4月24日、金委員長はウラジオストックを訪問し、プーチン大統領と初めての会談を行うことになったという。
中国とロシアは北朝鮮にとって数少ない理解者であり、制裁についても一部の緩和ならば北朝鮮を支持している。金委員長は、中ロ両国が今後の対米交渉について力強い味方になると見ているのである。
「段階的非核化」を目標とする北朝鮮の基本方針は中ロに対してのみならず、その他の国に対しても分かりやすく、理解されやすい。北朝鮮は今後、各国の支持まで獲得するのは簡単でないが、理解を求めるためにアピールを強めるだろう。外務次官の崔善姫(チェ・ソンヒ)を最高人民会議で国務委員に抜擢したのはそのためだと思われる。
一方、「包括的非核化」を求める米国の主張は、核問題、特に検証の専門家からすれば絶対的に必要であるが、分かりにくいのが難点である。北朝鮮との交渉にたずさわっている米国の高官からも、「包括的非核化」の必要性を本当に理解しているか疑問に思われる発言で出てくるのが現実であり、トランプ大統領にとって金委員長が打ち出した新方針はなかなかの難物になると思われる。
なお、韓国の文在寅大統領は、平壌で最高人民会議が開催されているのと同時期に訪米してトランプ大統領と話し合い、北朝鮮との関係の打開を図ったが、トランプ大統領から好意的な反応は得られなかった。しかも、金委員長からは、「(米朝関係の)仲裁者や促進者のふるまいをせず、民族の利益を擁護する当事者になるべきだ」と厳しく批判された。これでは文大統領の立つ瀬がないが、金委員長の新方針には韓国に期待することを当面止めるということも含まれていたように思われる。
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