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2020.02.22

ダイヤモンドプリンセス号での検疫体制の問題点

 日本における新型コロナウイルスによる感染数は2月20日現在で、728人(うちクルーズ船での感染数は634人)とまだ増え続けている。
 クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号(以下DP)からの非感染者の下船は予定通り19日から始まり、21日に終わるまでの3日間で970人が下船した。
 また、全国各地でも感染者が出てきており、日本全体が新型コロナウイルスによる感染への対応に追われている。
 
 日本政府は、武漢からの邦人の帰国、隔離、ウイルス検査、帰宅許可などについては正しく対応したが、DPに関しては次のような問題があった。

 1月20日に横浜から出航したDPが同港へ帰ってきたのは2月3日であった。その時点では、1月25日に香港で下船した80歳の男性乗客が新型コロナウイルスによる肺炎と確認されたことは分かっていた。
また、2月1日には那覇港に入港し、乗客の中に複数の発症者がいた(2月20日の国立感染症研究所の資料)。那覇では乗客のほとんどすべてが一時下船したので、発症者から沖縄県内に感染が広がった可能性があったという。

 そのような経緯はあったが、日本政府はDPの横浜港への入港を拒否しなかった。

 後に香港発のクルーズ船「ウエステルダム」が沖縄県などに入港許可を求めたが、日本政府は感染者がいる可能性があるとし、出入国管理・難民認定法に基づき入港を認めなかった。

 DPの場合は横浜港への入港を認めたが、検疫が条件であった(検疫法この第四条)。DPは日本政府の指定した場所に停泊し、検疫を受けることとなった。

 ここで日本政府は一つの大きな判断を行った。検疫をDPの船内で行うこととしたのである。

 一般に検疫は隔離状態で行われる。たとえば、武漢からチャーター機で帰国した人たちはいったん宿舎に入れられ、そこで検疫を受けた。このオペレーションだけでも大変困難であったが、それは大きな問題なく実行された。

 DPをチャーター機とみれば、検疫をDPの船内で行うのでなく、乗客・乗員をいったん下船させ、隔離に適した場所に移すことになったであろう。暖かい季節ならば、埠頭にテントを張り検疫を行うこともあり得た。

 しかし、DPの場合は、4千名近い乗客・乗員のうちかなりの人数が感染している疑いがあったので、日本政府はDPの船上で検疫を行うこととした。そして船内を隔離区域(レッドゾーン)と安全区域(グリーンゾーン)に分けた。加藤勝信厚生労働相が国会で答弁したとおりである。

 だが、これは中途半端な措置であり、実際には検疫体制を確保することはできなかった。

 2つ大きな問題があった。第1に、船はさまざまな人が交流するのに便利なように作られており、船の機能上、構造上、隔離施設と安全区域を截然と区別することは困難であった。

 第2に、船は船長の指揮下にあるという性格から脱却できなかった。真の検疫所にはなりえなかったのだ。船の中の一部を検疫所として使わせてもらっただけなのであった。政府の方では使わせてもらったという認識でなかっただろうが、実際には船を隔離地域(検疫所)と安全地域に分けても、それは小手先の措置でしかあり得なかった。

 事実、隔離区域と安全区域の区別が徹底されていないことは多くの乗客に目撃されていた。

 船内の状況を視察(調査?)した岩田健太郎神戸大学教授は、区別が維持できていない状況に非常な危機感を覚え、告発した。その告発に反論しようとした橋本岳厚労省副大臣は、驚くべきことに、岩田教授の指摘を裏付ける画像をツイートした。

 DPで検疫を開始する際、政府はこのような困難性を予測すべきであった。もし予測できていたならば、大きな決定が必要であることに気づいたであろう。政府の中には検疫について詳しい専門家は多数いる。その人たちは気づいていたと思うが、政府を動かした形跡はなかった。見えてきたのは、現場で献身的に働いている人たちが両区域の区別を守ろうと必死になって努力する姿と乗客の隔離への協力、つまり自室からでないことであった。

 日本政府は、後に船内が危険な状況になっていることに気づいたかもしれない。岩田教授の告発も橋本副大臣の証言もあったので、当然気づいたはずである。しかし、必要な決定を行わないで走り出した検疫体制は変えなかった。政治的な理由から、すべてはうまくいっているという説明は変えられなかったのかもしれない。そして、政府は隔離区域と安全区域との区別が維持されているといい続けた。

 日本政府がDP船上で検疫を行う際に必要な決定を行わなかったことは残念だが、なにせ実態が分かっていない新型コロナウイルスのことだし、今まで経験したことがない数の検疫が必要な事態であり、日本政府の怠慢も大目に見られるかもしれない。

 しかし、検疫所として問題があることが分かってからは、隔離区域と安全区域は区別されているといい続けるべきでなく、検疫体制を抜本的に変更すべきであった。具体的には、少なくとも次の2点を含む決定をすべきであった。

 ①DP全体を検疫所とする。つまり、船舶を借りて検疫を行うのでなく、隔離が徹底できる場所にすることである。
 ②それを適正に運営する体制を構築する。3千数百人について検疫を行う権限も実力も備えた体制である。船内で検疫を妨げる者が出てくれば、実力で排除することも必要だったかもしれない。自分たちだけでできなければ、警察の力を借りることも必要だったかもしれない。

 このような決定は従来からの検疫の常識では不可能であり、できたとすれば、それは政府をおいて他にはありえなかった。

 政府は新型コロナウイルス感染症対策本部を設置し、安倍首相が本部長になっていた。ところが、閣僚の欠席が相次ぐ有様であった。安倍首相も14日には8分しか会議に居なかった。安倍首相の実際の行動は、2月9日の「やるべき施策はちゅうちょなく実施する」との発言とはまるで違っていた。

 検疫の実態について憂慮が深まっても、担当の加藤厚労相は現場へは行かなかった。その部下の副大臣がひどい状況を伝える写真を撮ってきても動かなかった。

 政治家の認識不足と怠慢は言い逃れできないのではないか。
2020.02.12

新型コロナウイルス肺炎と台湾

 台湾における新型コロナウイルスによる肺炎の感染者数18人(2月10日の厚生労働省の発表)であり、周辺の香港36人、フィリピン3人、ベトナム14人、マレーシア17人、シンガポール43人、韓国27人と比較して高くないが、特に少ないわけでもない。

 この中でフィリピンが特に少ないのは、各国に先駆けていち早く中国からの入国を完全禁止するなど果断な措置を取った結果であるという印象もあるが、新型コロナウイルスによる感染者数の把握は困難であり、また時間の経過とともに急速に増大していることも斟酌する必要があろう。

 フィリピンはさらに10日夜、入国禁止措置の対象地域に台湾を含めると発表した。フィリピンの新型コロナウイルスに関する強い警戒姿勢がここにも表れているが、その際行った「一つの中国政策に基づくもの」との説明はいただけない。中国の主張はともかく、事実として台湾は中国の一部でないし、独自の防疫体制を敷いていることを無視しているからだ。台湾は一方的な決定を改めるようフィリピン側に申し入れると表明している。

 台湾がWHO(世界保健機関)から締め出されていることはかねてから問題となってきたが、今回の新型コロナウイルスに関連して台湾は再び苦痛を強いられている。

 WHOは公式サイトで公表している「状況報告書」の1月22日版で、台湾を「中国台湾(Taiwan China)」と表記。同23、24日版は「台北直轄市」とし、同25日版以降、「台北」としていたが、最新の2月5日版では「台北および周辺地域」に変えた。いずれも中国国内の他の省市と並べて表記した。
 また、2月4日には、当時10人だった感染者数を13人と発表。その後修正されたが、誤った数字が記載されたのは中国当局が提供した情報が原因だったという。台湾が「われわれは台湾だ。WHOは名称をいったい何度、変えるのか。多くの国が台湾は中国の感染地域にあると誤解し、非常に困っている」と強く反発したのは当然であった。

 台湾が中国からいじめを受けていることは各国で注目され、台湾に同情する声が上がっている。日本では安倍首相が1月30日、参議院予算委員会で「政治的な立場からこの地域は排除するということを行うと、地域全体の健康維持、感染の防止は難しくなる」と答弁した。蔡英文総統は同日の記者会見で「新型肺炎の問題を通じ、世界が防疫における台湾の重要性を理解してきた。米国や日本の支持に感謝したい」と述べている。

 各国の声援があってか、2月11日から始まったWHOの緊急会合では台湾の専門家も参加が認められた。彼らは「台北」からの参加と位置づけられ、また、テレビ会議の形式であった。これでは台湾にとっては問題が完全に解消したわけではないだろうが、全く拒否されるよりはましであろう。

 台湾は2003年にSARSが流行した際、防疫体制の不手際から60人以上の死者を出した(中国に次いで多かった)苦い経験がある。情報が遅れたともいわれていた。それが真の原因か否かはともかく、その時の経験から今回の新型コロナウイルスによる感染には神経質に対応している。当然である。またWHOとしては台湾での対応が遅れをとらないよう細心の注意を払うべきである。

 来る5月初め、WHO総会を迎えるに際しては、台湾の参加が、オブザーバーとしてでもよい、認められるべきである。どの国も中国の台湾についての立場に穴をあけようとしていない。ただ、感染の拡大を防止する国際的体制を整備・改善するには、台湾を中国の各都市と同列に扱うのでなく、独自の防疫体制を持つ地域として扱うべきである。
2020.02.10

五島列島と韓国

 先日、五島列島へ旅行して、名所旧跡の説明が日本語、英語、中国語、それに韓国語で書いてあるのを見て感心した。日本語以外の言語でも説明する努力は全国的に行われているので珍しいことではないが、今でも日本語だけ、あるいは日本語と英語だけのところは少なくない。しかし、五島列島では、どこでも、生真面目に4つの言語で説明が書かれていた。

 もちろん、中国人や韓国人が多数訪れるからであるが、市町村の役場のほうでも4つの言語で説明するよう指導しているのだろう。そうでなければ、例外なく4言語で説明するようにはならないと思う。いずれにしても立派な「おもてなし」である。

 説明を読んでの感想は中国人と韓国人とでは大きく違っているはずである。名所旧跡の説明には、たとえば弘法大師が唐に渡り学んだことなど中国との関係がしばしば出てくるので、中国人は五島と中国との関係の歴史を知り、興味深いと思うだろう。中華の偉大さを想起する人もいるだろう。

 一方、五島の名所旧跡は韓国と関係がないので、説明に韓国関係の言及はなく、韓国人は第三国のことについての説明を読むことになる。それも興味深く思う韓国人もいるだろうが、自国についての説明を読む中国人とはまるで違った感想を持つだろう。なかには、歴史的怨念を思い出す韓国人がいるかもしれない。

 昔から韓国人は、東アジアで影響力があったのは中国やロシア、また、近代以降は欧米諸国や日本であり、韓国は常に影響を受ける国であったことに強い不満を抱いてきた。そのような背景を持つ韓国人は、五島の名所旧跡で説明を読むと、「また、中国と日本だけか」と思うかもしれないのである。このような韓国人の感覚は日本人には無縁なだけに、注意しておいて損はない。

 かと言って、韓国語の説明を止めた方がよいと言いたいのではない。むしろ逆であり、韓国とのご縁はできるだけ表に出し、アピールしたほうがよいと思う。

 五島と言えば教会群のイメージがあまりに強すぎて、遣唐使や中国との交易の歴史でさえかすんでしまうほどであり、韓国となるとさらにひどくて無関係だと思われているかもしれないが、実は、五島は韓国と無関係でない。

 若松島(上五島)の日島(ひのしま)というところには、中国および朝鮮との交易拠点があった(現存しているのは墳墓群のみ)という。

 15世紀、朝鮮通信使の一行に加わっていた申叔舟(しん しゅくしゅう、シン・スクチュ)は『海東諸国紀』の中で、日島の人が朝鮮と交易していたことを書き残しているくらいなので当時は重要な場所だったのだろう。位置関係を見ると、五島と朝鮮半島の間で交易が行われていたのはごく自然なことである。

 五島では今でも友人のことを「チング」と呼ぶが、これは韓国語だ。これに「ヨ」をつけて「チングヨ」ともいう。「友人です」という意味であるが、「ヨ」をもって「です」の意味を表すのは韓国語で普通の表現である。

 現在、日本と韓国との関係は悪化しているが、将来は何らかのきっかけで五島と韓国との交流が再び盛んになるかもしれない。かりに五島で韓国との関係についての研究が進み、その結果旅行者にも説明できることが出てくれば面白いことになる。韓国と言えば、何と言っても対馬だろうが、五島も韓国に近い。それに、五島ではいわゆる嫌韓意識は全く感じなかった。韓国に対して平常心で臨めるのは、徹底した韓国語での表記と並んで五島のアセット(財産)である。五島には可能性があると思う。

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