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2021.01.08

イランのウラン濃縮に関する新方針

 イランは年明け早々の1月4日、濃縮度20%のウランを製造し始めたと発表した。そこまで濃縮度を高めれば、核兵器に必要な90%の高濃度ウランを短期間で製造できるようになる。2015年、イランと米英仏独中ロの6カ国の合意では20%濃縮は禁止された。

 イランはこの合意に違反することになるわけだが、言い分がある。「イランはこれまで合意を守ってきたにもかかわらず、欧米諸国は制裁緩和を実行しなかった。制裁緩和も合意されたことである。だからイランも合意に縛られないこととした」という主張である。

 イランは合意を破棄したのではない。米国のように離脱したのでもない。欧米諸国が合意に従って制裁緩和を実行するならば、ウランの20%濃縮も中止するとザリフ外相が明言している。その意味では核合意は維持しているのである。

 そもそもイランに対する制裁を欧米諸国が緩和しなかったのは、トランプ米大統領が「2015年の合意はイランの核兵器開発を防止するには不十分なので、合意の再交渉を求める」と主張し、2018年に一方的に離脱したためであった。しかし、トランプ氏には、イランが核兵器を開発すれば脅威にさらされるイスラエルの安全を確保したいという思惑があったともいわれている。

 アラブ諸国ではこれまでエジプトとヨルダンだけがイスラエルを承認していたが、トランプ氏は2020年8月以降、アラブ首長国連邦(UAE)、バーレーン、スーダンおよびモロッコにイスラエルを承認させた。これもイスラエルを安定化させるためである。トランプ政権の中東外交は画期的な成果を上げたといえる。

 イランをめぐる状況はそれだけ厳しくなったのだが、イラン内での米国に対する反発は非常に強く、核合意についても譲歩するどころか、逆に強気に出て今回の措置を取ったのである。

 このような状況の中、バイデン政権は2週間後の1月20日に発足する。バイデン氏はイランの核合意の扱いについて、昨年12月2日付の米紙ニューヨーク・タイムズのインタビューで「核計画(の協議)が中東地域を安定化させる最良の方法だ」と述べ、トランプ政権が2018年に離脱した核合意への復帰に意欲を見せた。ただ、単純な復帰でなく、「イランの合意順守」を復帰条件に求めた。これに対し、イランのザリフ外相は「(米国は)条件を設定する立場にない」と反発した。イランからすれば、核合意から一方的に離脱したのは米国であるので、合意を尊重するならば一方的に復帰すればよい、イランに対し先に合意順守を求めるのは順序が違うということなのであろう。

 米国ではまた、ミサイルの開発制限も合意に含めるべきだとの考えが出てきている。核だけでもうまくいかないのに、新しい問題を持ち込むと事態は一層複雑化する。

 ちなみに、2015年の合意はオバマ大統領が決断した結果であり、トランプ氏はオバマ氏が行ったことはすべて否定しようとする傾向があった。バイデン氏の場合は当然のことながら基本的にはオバマ大統領に近い立場であろう。

 しかし、核合意をめぐる状況はすでに変化している。米国内にはイスラエル支持のユダヤ教徒が強い政治勢力を張っており、トランプ政権の下で進展したイスラエルの安定化を後退させることとなれば強力な反対が起こるのは必至である。オバマ大統領は、特に任期の前半は中東問題にかまけてアジア・太平洋への関心が薄かったといわれた。バイデン新大統領も中東問題に忙殺される可能性は高い。地球温暖化問題は米国がパリ条約に復帰すると宣言すれば外交的には一件落着となるが、中東問題はそうはいかないのが現実である。
 
2021.01.01

金委員長の新年の辞

 北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長は1日、国民向けの新年書簡という形でメッセージを送った。北朝鮮では新年に際し、指導者の「新年の辞」あるいは国営メディアの「共同社説」などの形で内政や対外政策の基本方針を表明してきた。特に2018年の金委員長による「新年の辞」はオリンピックに参加する用意があることを述べ、その後、6月のトランプ・金会談に発展していった。

 翌年の新年の辞は米朝関係改善の流れに沿ったものであり、北朝鮮の「非核化」に初めて言及した。しかし、2月末のハノイにおける第2回トランプ・金会談が失敗に終わったことから米朝関係は著しく後退し、金委員長は対米関係を含め、基本政策の立て直しを図った。

 2020年は、前年末に開かれた党の大会議の結果報告が「新年の辞」に代わるものとなった。この報告は北朝鮮が従来のような米国との対決姿勢に半ば戻ることを示唆し、非核化交渉を進めるためには年末までに米国が方針を改める必要があるなどと表明した。

 「世界は遠からず、新たな戦略兵器を目撃する」とおそろしいことも述べていたが、結局何が開発されたのか、よく分からないまま、1年が過ぎた。コロナ禍の影響も間接的ではあったが、北朝鮮に及んでいたのであろう。

 北朝鮮は本年1月初旬に、5年ぶりの労働党大会を開催する予定である。北朝鮮の今後の内外の方針は、その際に示されるのであろう。

 対外面では、やはり米国との関係が最重要であるが、タイミング的にバイデン新政権の成立を間近に控えているだけに、金委員長は慎重な姿勢を維持しつつ米国との関係改善の方途を探っていくものと思われる。

 韓国の文在寅政権は支持率の低下が顕著であり、北朝鮮として韓国に役割を期待する状況でなくなっている。今後も韓国には、規制措置の緩和について積極的な役割を果たすことを要求しつつ、厳しい姿勢で臨むであろう。

 今回の党大会で特に注目されるのは、経済の立て直しについてどのような方針ないし展望が示されるかである。北朝鮮ではこれまで中国の元や米ドルがかなり広く通用していたが、最近外貨の使用を禁止する方針が打ち出された。金委員長は経済の立て直しに熱心である。もっとも、外貨の使用禁止は北朝鮮経済の立て直しには不可欠の措置であろうが、富裕層に打撃を与えるだけに国内が不安定化する危険がある。
2020.12.30

中国の外交にかかる暗雲

 中国は新型コロナウイルスの感染拡大をほぼセロに近いレベルまで抑え込み、また、そのことを背景に外交面でも強い姿勢をみせている。しかし、一方では、各国との協力関係は弱体化し、孤立化しつつあるとの見方も出てきている。中国外交については今後もそのような両面を見ていく必要がある。米国のバイデン新政権はトランプ政権のような派手なポーズは取らないとしても対中姿勢が軟化するとは思えない。

 そんな中、ドイツが中国重視のアジア太平洋政策の修正に乗り出した。クランプカレンバウアー独国防相による、中国の南シナ海での覇権主義的行動の批判はそのような方針転換を象徴的に物語っていた(12月27日付時事)。同氏は、15日の岸信夫防衛相とのオンライン対談でインド太平洋に軍艦を派遣すると表明した。独政府が9月に策定した「インド太平洋指針」にも、中国の南シナ海での領有権主張を否定した仲裁裁判所判決への言及など、中国に対する厳しい見方が示された。

 新しいインド太平洋戦略を策定した欧州諸国としては、2018年のフランス、今年になってドイツ、さらににオランダが続いている。

 中国に対して厳しい姿勢をみせる以前はどういう状況であったかというと、ドイツは西側諸国としてユニークであったが、ある程度の許容量をもって中国と接してきた。西側諸国として中国へ最初に大規模な投資をしたのは、フォルクスワーゲンによる上海での工場建設であった。

 メルケル首相は2005年の就任以来、12回訪中した。きわめて異例の多さである。当初、メルケル氏は文化的に関心があったのと同時に、中国は大化けするかもしれないとみていたのではないかと推測している。そしてドイツの企業はドイツ政府の親中姿勢を背景に、競って中国側と大型契約を交わし、中国はドイツにとって輸出入総額で最大の貿易相手国になった。

 この間、ドイツは中国に対して日本との和解を勧めてきた。表面的な友好でなく独仏間のように心底からの和解を勧めたのだが、これは両刃の剣であった。中国は、日本に対してはドイツの例を出して圧力を加えるのがつねであったが、ドイツから説得されることは好まなかった。

 2017年12月13日、中国が南京事件80年記念の行事を行った日であったが、ドイツとフランスの在中国大使は連名で、英フィナンシャル・タイムズ紙中国語版に独仏の和解の経験を語る一文を投稿した。その中には、「犯罪を犯した者は自らの罪を認め、被害者は許さなければならない」との趣旨の言及があった。
 中国としては、「日本は罪を認めなければならない」というのは好都合であったが、「中国は日本を許さなければならない」というのは癇に障ったのであろう。人民日報系の環球時報12月28日付が掲載した評論は、両大使の寄稿は「中国内政に対する粗暴な干渉」「中国人に対する無礼なお説教である」と述べるなど、不愉快極まりないという感情があふれていた。

 ドイツにとって重要な問題は、日中が和解することとならんで、中国が民主化することであり、この時点では民主化についてもまだ希望を失っていなかったと思われる。積極的に民主化を予測するまでは至らなかったが、中国が改革開放を進め、経済発展するに伴いいずれ民主化に向かうという期待感があったのである。

 このような期待感は西側の主要国の間で共有されており、日本も天安門事件に際しては中国を孤立化させないよう努めるのがよいと説得していた。先般公開された外交文書公開から民主化について淡い期待があったことが窺えた。

 しかし、結局ドイツは中国に失望することとなった。特に政治面であるが、ドイツが対中姿勢を転換した理由は以下のことであったと思われる。
 第1に、日中の和解についてのドイツによる説得に、中国は耳を傾けようとしなかった。
 第2に、南シナ海での中国の拡張的行動に関する国際仲裁裁判所の判断を中国は一顧だにせず、中国の利益に沿わない国際法など順守しない姿勢を示した。
 第3に、EUにおいて、中国は独仏などの言いなりにはならないというハンガリーなどを後押ししている。東南アジアにおけるカンボジアと同じような役割を果たさせているのである。
また、イタリアを中国の一帯一路に組み入れるなど、中国はEUの一体性に反する行動を取っている。
 第4に、中国は、国際的な公約であった香港の現状を尊重するとのコミットメントを強引に反故にしてしまった。
 第5に、中国は民主化に向かわない。ドイツの外交筋は、中国は経済発展を遂げても民主化に至らない「異質な国」であると述べているという。

 もっともドイツとしても中国との経済関係を重視する姿勢は当面不変であろう。EUと中国は投資協定を交渉中であり、年内にも妥結の可能性があるという。

 しかし、政治面でのドイツの中国政策の転換は日本外交にとっても重い意味がある。日本にとって、ドイツはEUの主要国である上に、日中関係においても一定の役割を果たしうる。ドイツがインド・太平洋外交について新ガイドラインを取りまとめ、わが国など自由資本主義体制を取る国との連携強化を打ち出したことはもちろん歓迎である。
 日本とドイツは政治面で完全に立場が一致しているわけではない。人権問題に関しては、表面的にはともかく、日本とドイツでは温度差がある。そんなことも含め、日本としては、中国との関連でドイツをどのように位置づけるべきかあらためて検討が必要である。

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