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2013.06.27

朴槿恵大統領の訪中

朴槿恵韓国大統領が訪中している。これに関連して、キヤノングローバル戦略研究所のホームページに2013年1月15日付で掲載した論文を再掲する。

 「2012年、日、米、韓、中、ロで新しい政権が発足した。日本と韓国および中国との関係が新しい指導者の下でどのように展開するか。この三ヵ国は経済的にはもちろん、政治的にも協力しあい、アジアの、ひいては世界の平和と繁栄のために大きな力となりうるが、歴史問題のように心配な面もある。

 安倍総理は新年早々額賀元財務相を韓国へ派遣し、朴槿恵次期大統領に対して、両国間の友好関係増進にかける意欲を示した。朴槿恵氏は、安倍総理からの訪日要請に感謝しつつ、「多くの面で日韓の協力が必要だ。日本とは歴史を直視しつつ、融和と協力の未来を志向する信頼関係を強めたい」と語ったと報道されている。日韓関係は新年上々の滑り出しであるが、朴槿恵氏が歴史問題に言及したことには注意が必要である。

 朴槿恵氏はハンナラ党代表として2006年に来日したことがあり、当時の森喜朗前総理、扇千景参議院議長、河野洋平衆議院議長、安倍晋三官房長官、麻生太郎外務大臣らと会った後、小泉総理と会談した。朴槿恵氏は、日韓両国は経済、外交、両国間交流など各分野で意見が一致しうるとしつつ、「歴史問題を解決できなければ、両国は無限の可能性を持っているが、一歩たりとも先へ進めない」と率直に語っている(同氏の『自叙伝』 以下の引用はすべて同書からである)。

 朴槿恵氏が日本の政治家に向き合う姿勢は剣士の正眼をほうふつさせる。同氏は「(日本で)多くの政治家と会った。一様に日本側の論理で武装した人たちだった」と一刀で論断し、また、小泉総理には、自由民主主義と市場経済の価値を共有する日韓両国が協力していかなければならないことを強調した上で、「両国関係は独島(竹島)問題、教科書問題、靖国参拝、慰安婦問題などに引っかかり、先へ進めないでいます」と訴え、これに対して小泉総理が、両国関係は困難な問題にもかかわらず発展してきており、友好親善を拡大していきたいなどと応じたところ、「小泉総理は本質的な問題に対する答えを避けていると感じた」と吐露している。これが会談の記録として正確か確かめてはいないが、すくなくとも朴槿恵氏はそのように受け止めたのである。

 朴槿恵氏は経験豊かな政治家だ。老練と言うのはもちろん、百戦錬磨と言ってもその優雅で落ち着いた物腰とはあまりにもかけ離れてしまうが、22歳の時に母親が凶弾に倒れた後ファーストレディとして父親の朴正熙元大統領に付き従い、その5年後に同大統領が暗殺された後は後継政権の内外で起こった誹謗中傷と戦った。不遇の時には「日記と読書で考えを整理し、詩を書いたりして心を慰めた。仏教経典も読みふけり、「『貞観政要(唐の太宗の言行録))』、『明心宝鑑(高麗時代に作られた儒学の箴言集)』などは枕元に置き何回も読んだ」。1997年の金融危機後、韓国の窮状を憂い政治の世界に飛び込み、爾来政治家としての喜びもつらさも経験した。ハンナラ党内部で改革を志したが、失敗し、一時期離党を余儀なくされた。復党した後、2004年にはどん底に落ちていたハンナラ党の党首となった。応援演説のさなか暴漢に襲われたことがあり、「(出血を抑えるために)抑えていた指が傷口に入るほど」頬を切られた。この間(2005年)、政権運営に行き詰まった盧武鉉大統領から大連立のラブコールがあったが、きっぱり断った。それでも外遊に出発する盧武鉉大統領に誕生日のお祝いの言葉を贈ったのに対し、「突拍子もない返事が返ってきた」。何が突拍子もないか、朴槿恵氏は自叙伝で説明しているが、大胆に要約すれば、あまりに自虐的な返事であったので驚いたということである。つまり、優しい言葉をかけたら、いじけている返事が返ってきた。おバカさんね。というようなやり取りに思われる記載であり、少なくとも精神的には、野党の党首である彼女がはるかに優位に立っていたことがうかがわれる。

 歴史問題について、中国は基本的に韓国と同じ立場にある。習近平総書記がどのような考えであるか見極めることも重要なことであるが、中国では、とくに歴史問題については共産党としての方針が決定的であり、総書記個人の考えが左右する余地はあまりない。いずれにしても、中国は歴史問題について今後も厳しい態度を取り続けるであろう。新年になってからもすでに、靖国神社に放火した犯人を韓国が日本に移送せず、中国へ返したことを歓迎するなどしている。

 一方、韓国大統領選挙での朴槿恵氏の勝利について、中国は早々と強い関心を見せている。中国の報道やインターネットに見られる反応であるが、朴槿恵氏が中国の古典を愛読していることや中国語に堪能であることを紹介するとともに、選挙期間中から中国との協力を強化しようとしていたと積極的に評価している。また、当選直後、朴槿恵氏が中国、米国、ロシアおよび日本の大使と同時期に会見したのは、李明博氏が当選した時に米国と日本の大使とだけ会ったのを改めるものであり、ここにも朴槿恵氏の中国重視の姿勢が表れていると強調している。

 朴槿恵氏は中国語を独学で学び、かなりのレベルに達しているらしい。彼女はもともとフランス語の教師になることを目指していたくらいであり、「英語、フランス語、スペイン語の勉強に熱中した経験は、中国語の独学に大いに役立った」と語っている。初めて胡錦涛主席に会見した際中国語であいさつしたので、胡錦涛主席は「目を丸くしながら満面の笑みを浮かべた」そうである。以上、いくつかの例を挙げただけであるが、朴槿恵氏が中国について強い関心を抱いていることを示すエピソードには事欠かない。

 民主党の文在寅氏は反日で、朴槿恵氏は親日だと言う人がいるが、そのように単純化した見方では本当のことはわからない。安倍新政権には、根の深い歴史問題を賢明に処理し、韓国および中国との友好関係を増進してもらいたいものである。」

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2013.06.26

中国の武力行使

中国新疆ウイグル自治区北西部の町で「暴動」が起き、ナイフなどを持った武装グループが地元の警察署や政府機関を襲って、警察官や市民ら17人を殺害し、武装グループのうち10人が警察官に銃殺されたそうである(新華社が伝えたのは6月26日)。
中国は、「過去30年間、対外的に武力を行使したことはない」と言っている(たとえば、先のシンガポールでのシャングリラ対話でも)が、このウイグル自治区やチベットでは武力を使っている。国内と国外は違うと主張するかもしれないが、チベットも台湾も尖閣諸島も南沙諸島も中国領だと主張している。そうであれば、中国は、たとえば、日本の九州に対しては武力を使わないとしても、尖閣諸島には使う可能性があるということか。
チベットやウイグルにおいて武力を使ったことをただちに非難するのではないが、中国の姿勢には疑問がある。

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2013.06.23

戦死者評価は個人基準に

1945年6月23日は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日。戦って命を落とされた方々を悼んで、18年前、読売新聞に以下の一文を寄稿した。

「戦後五十年、戦争に関する議論が盛んであるが、戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。あくまでも個人的見解であるが、一考察してみたい。
個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は、少々考えるべき点があるのではないだろうか。
歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。従って「犠牲者」のイメージで連想される弱者には似つかわしくない。勇者と呼ぶにふさわしいと思う。また、[殉国]のイメージとも違う。[殉国]型の評価は、個人が国家のために一身を捧げたとみなされており、自らを守ることについて特に評価は与えられていないのだ。
個人と国家は区別され、その個人の評価は国家に対する献身なり、貢献という角度から下されている。しかし、ひめゆり学徒隊の大部分は、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。
これは軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。もちろん罪でもなく、任務であり、当たり前のことである。
他方、このことと戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。他方わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。
したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。
もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動を中心に評価が行われていない。
顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。
戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。個人の行動を中心に評価するとなれば、積極的に評価できない場合も当然出てくる。
一方、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。
もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。
個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。
個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」

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