平和外交研究所

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2015.08.12

そもそも「戦後70年談話」は必要なの?

談話とは何か

 安倍首相の戦後70年談話が14日に発表されることとなったと報道されています。6日には、有識者懇談会の報告が提出されましたが、どの程度参考にされるか不明です。
 「談話」とは首相や官房長官などの見解の表明であり、対象となる事柄はさまざまです。
 「談話」は、たとえば、「天皇皇后両陛下のパラオ共和国御訪問に関する内閣総理大臣談話」のように「談話」という言葉が出てくる場合(狭義の「談話」)と、メッセージ、声明、見舞い、祝辞、コメントなどを総称して「談話」と呼ばれる場合(広義の「談話」)があります。外務省の文書では両方が使われています。「談話」「メッセージ」「声明」は実質的には同じであり、重みに区別はありません。
 これら「談話」および類似の言葉を区別する基準は明確に決まっているわけではなく、文脈や慣用にしたがって使い分けられています。
 たとえば、「見舞い」や「祝辞」がそれぞれどのような場合に使われるかは自明であり、混同されることはまずありえないでしょうが、他の言葉については紛らわしい場合があります。
 とくに、「声明」と「談話(狭義)」の使い分けは明確でありません。しいて言えば、「声明」は「談話」より硬い感じがあります。2015年1月25日と2月1日にそれぞれ発表された湯川遥菜氏と後藤健二氏殺害の場合はともに「声明」でした。
 一方、英語では通常「談話」と「声明」は区別されておらず、ともにstatementです。前述の両陛下のパラオ御訪問に関する談話もstatementと訳されています。
 安倍首相は2013年12月26日、靖国神社へ参拝した直後に「談話」を発表し、なぜ参拝したかを説明しました。この英訳もstatementでした。

国会決議との違い

 国会も重要事項について決議を採択して立法府としての見解を表明することがあります。戦後50年に際しては、村山首相の談話が発表されたのが8月15日の終戦記念日。それに先立つ6月9日に、衆議院で「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」が採択されました。これは「終戦50年決議」とも、また「不戦決議」とも呼ばれることがあります。また、これは厳密には衆議院の決議ですが、通常は「国会決議」と呼ばれています。参議院においてはこれに相当する決議はありませんでした。
 法的に言えば、予算、条約、首相の指名などのように憲法で「国会の議決」によることが明記されている場合を除き、「国会決議」というものはありません。すべて衆議院かあるいは参議院の決議です。内容が同じことであっても両院の別々の決議です。

 憲法などに想定されていない任意の事項に関する場合、すなわち「終戦50年決議」のような場合は、厳密に言えばすべて衆議院か参議院の議決なのです。
 しかし、「国会の場で行なわれた決議」という意味で「国会決議」と表現することは誤りでないとみなされており、政府の文書においても「国会決議」の表現が使われることがあります。
 戦後60周年の際には、やはり8月15日に小泉首相の談話が発表されるのに先立ち、衆議院で8月2日、「国連創設及びわが国の終戦・被爆60周年に当たり、更なる国際平和の構築への貢献を誓約する決議」が採択されました。これは「終戦60周年決議」と略称されています。
 「決議」と「議決」は文脈に応じて使い分けられますが、意味は同じです。また、「国会決議」は全会一致で採択されることが多いですが、「終戦50年決議」「60周年決議」のように多数決で採択された場合もあります。
 「国会決議」「衆議院決議」「参議院決議」の効果については、前述した予算、条約、首相の指名などのように憲法に定められている場合を除き法的には定められていませんが、その内容についてそれぞれ国会、衆議院、参議院が責任を負います。

閣議決定の意味

 村山談話も小泉談話も閣議決定されました。
 行政をつかさどる内閣はさまざまな問題について審議・決定します。その様式には「閣議決定」と「閣議了解」があり、「閣議決定」が正式かつ最高の決定です。
 「閣議了解」は、本来各省庁の主務大臣の権限に属することですが、とくに重要な問題について内閣の了承が求められた場合に行われることです。
 このほか、閣議では「閣議報告」「配布」「閣僚発言」など、さらに閣議に引き続き開かれる閣僚懇談会で「了承」されることもあります。いずれもそれなりに重要なことですが、内閣としての意思決定ではありません。
 首相談話の発表については、必要な手続き・要件は決まっておらず、首相の判断次第でできますが、村山談話も小泉談話も閣議決定されました。これにより両談話とも内閣全体で決定したこととなり、閣議決定されない首相個人限りの談話より一段と重くなりました。

70周年談話は必要か

 安倍首相はどのような内容の談話を出すのでしょうか。前例としては50周年の村山談話と60周年の小泉談話があります。そもそも70周年に談話を発表することは必要でありませんが、発表するからには有意義な談話になることを望みたく思います。中国、韓国、さらには米国なども新しい談話の内容に強い関心を寄せています。

(THE PAGEに8月11日掲載)

2015.08.10

(短評)70年談話有識者懇談会の報告書‐韓国関係部分の記述には問題がある

 8月6日提出された報告書の中の日韓関係に関する記述には問題がある。
 
 安倍首相は第1回の会合で、議論し検討すべき問題として「20世紀の世界と日本の歩みをどう考えるか。私たちが20世紀の経験から汲むべき教訓は何か」をはじめいくつかのポイントを示した。いずれも非常に大きなテーマであり、半年程度の議論で結論を出すのは困難なのかもしれない。
 
 韓国との最近の関係に関する部分は、他の部分と違って、韓国のみならず日本自身の行動を客観的に観察し、事実に即して議論する姿勢が薄弱であり、筆者の主観的理解をあたかも客観的なこととして描写している。
 一つ例を挙げると、朴槿恵大統領については、「李明博政権下で傷ついた日韓関係の修復に取り組むどころか、政権発足当初から心情に基づいた対日外交を推し進め、歴史認識において日本からの歩みよりがなければ二国間関係を前進させない考えを明確にしている」と記載している。
 しかし、「日本からの歩みよりがなければ二国間関係を前進させない考えを明確にしている」のは事実でないだろう。同大統領は日本の指導者が歴史問題を直視することを求めており、そうでないかぎり首脳会談に応じないという態度であり、それは私もかたくなだと思うが、「日本側からの歩みよりがなければ二国間関係を前進させない」と言っていないし、そのような考えでもない。たとえば、安倍首相が日韓の首脳会談で歴史問題についても話し合おうという態度を表明すれば、朴槿恵大統領は会談に応じるだろう。かりに応じなければ、「日本側は歴史問題を直視している。話し合いを拒否しているのは韓国側だ」と堂々主張できる。
 報告書には金大中大統領に対する積極的な見方が示されているが、同大統領が前向きの姿勢を取れたのは小渕首相が率直に歴史問題を語り、「我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのおわびを述べた」からである。このように物事は両面から見ていくことが重要であるが、朴槿恵大統領の描写についてはこの視点が全く欠けている。
 朴槿恵大統領は、「心情を前面に出し、これまでになく厳しい対日姿勢を持つ」と言うのも皮相的な見方だ。彼女は「心情」で歴史問題を語っているのではない。それは彼女の「信念」だからだ。彼女は原理主義に近いと思うことがあるが、そのような姿勢は彼女の生きざまであり、日本との関係に限ったことでない。たとえば、朴槿恵大統領は盧武鉉大統領についても実に厳しい態度で接したことが彼女の自叙伝に出てくる。そのような姿勢の人物が大統領にふさわしいか議論はありうる。しかし、朴槿恵氏を選んだのは韓国人だ。日本人は、強い信念を持つ朴槿恵大統領を冷静に観察・分析すべきだ。
 懇談会の報告書には、他にも、「韓国人が、日韓基本条約を平然と覆そうと試みる」「いかに日本側が努力し、その時の韓国政府がこれを評価しても、将来の韓国政府が日本側の過去の取組を否定するという歴史が繰り返されるのではないかという指摘が出るのも当然である」「韓国政府が歴史認識問題において「ゴールポスト」を動かしてきた」などの不適切表現がある。
 最後の引用は取り上げるほどのことはない、表現だけの問題かもしれないが、米国でも条約を署名しながら批准しないことがあり、それは米国としての「ゴールポスト」を動かしたのではないか。それと韓国の場合とはどう違うのか明確にできるだろうか。
 総じて、韓国関係の記述は一方的だと思う。
2015.08.08

70年目の広島・長崎 核廃絶に日本ができること

 70年前、広島・長崎に投下された原爆のものすごい破壊力は瞬く間に各国に伝わり、数カ月後の1946年1月に国連が活動を開始した時には、各国とも、このままではいけない、世界を核兵器の惨禍から守らなければならないという考えを強くしていました。
 そのことを物語っていたのが歴史的な国連総会決議第1号であり、同決議によって原爆など大量破壊兵器の廃絶のための方策を検討する国連原子力委員会の設置が決められました。過去70年間を振り返ってみて、各国が核兵器廃絶にもっとも力を入れて取り組もうとしていたのはこの時だったのではないかと思われます。
 しかし、核についての危険の意識と廃絶の熱意だけでは核軍縮は進まないことがすぐに露呈されてきました。米国以外の国は、一方では、核の廃絶に賛成しつつ、他方では、みずから核兵器の開発を急ぎました。そして、米国に4年遅れてソ連が核兵器の開発に成功し、さらに英国、フランス、中国と続きました。国連で各国が決意した廃絶が実現する前に核兵器が5カ国に広がってしまったのです。
 しかも、原爆の数千倍の破壊力を持つ水爆が開発され、また、核兵器の絶対数も増加し続けました。その結果、米ソ両国だけで7万発以上の核兵器が生産され、もし何らかのきっかけで核戦争が起これば地球はほぼ確実に壊滅するという恐ろしい状態に陥りました。
 
 さすがに米ソ両国としても、このような状況は放置できず、核兵器の削減を始めました。
 核兵器の保有数は、現在、5カ国の合計で2万発以下になっていると推定されています。全体として見れば、核軍縮ははたして進展していると言えるか、疑問の声があるのも事実です。核問題に関係する人々の間でよく知られているたとえ話が、「コップの中に水が半分入っている場合、半分も減ったと見るか、半分しか減っていないと見るか」の違いがあります。つまり、現在、世界に存在している核兵器の数量は、観点によって、まだ多過ぎるとも、かなり少なくなったとも言えるのですが、米ロ両国の保有量が絶対的に減少しているのは事実です。

 核兵器の削減が期待通りに進まない主要な原因は、「核の抑止力」のためです。核の廃絶の努力が続けられる一方、世界が東西に分かれて鋭く対立する過程で、核兵器は相手の攻撃を抑止する力であり、必要であるということが認識されるようになったのです。
 現実の国際政治の中で一種のジレンマが生まれたのです。核兵器は危険だから廃絶しなければならない。しかし、核兵器を持たないと安全を確保できなくなるというジレンマです。理想は、世界の核兵器を一度にすべてなくしてしまうことですが、世界政府が存在しない今日、それを実現する手段はないからです。このジレンマは、残念ながら、今日も解消されていません。
 
 非核保有国は、米ロ両国の核削減交渉に参加できませんが、核不拡散条約(NPT)の場などで核兵器の廃絶を主張してきました。
 日本は唯一の被爆国であり、核兵器の恐ろしさ、非人道性をどの国よりもよく知っており、それを国際社会に訴え、核軍縮を進める必要性を強調しています。具体的には、NPTの場で、包括的な核軍縮を訴える決議案を提出し多数の賛同国を得ています。これは核軍縮について具体的な結論を出すものではなく、国際世論の形成ですが、核の一層の削減を迫る圧力となります。
 日本はまた、核軍縮を実現するには若い世代の人たちが核の恐ろしさを理解することが必要であるとの考えから国連での軍縮教育に力を入れ、その一環として広島・長崎への訪問を組み込んでいます。さらに、核実験の禁止についても、地震に関する知識を応用して核実験を探知する施設の建設や技術の向上などに貢献を行なっています。
 今後日本は、これまで進めてきたこれらの方策をさらに強化しつつ、各国と協力して「核兵器の非人道性」の確立に努めていくべきです。核の廃絶が進まない理由の一つは核の抑止力だと前述しましたが、核の非人道性に対する理解が弱いことがもう一つの理由だからです。
 世界の人々、指導者は必ずしも「核の非人道性」を理解していません。核兵器も通常兵器も人を殺傷するので質的な違いはない、違うと言っても程度問題だ、と思っている人がいるのが現実です。しかし、核は、ひとたび使用されれば、膨大な数の市民を殺傷します。また、被爆した人たちに長期間、多くの場合一生、耐え難い苦痛を与え続けます。これは深刻な人道問題です。私は軍縮大使時代、そのようなことを理解していない欧州某国の大使と大論争をしたことがあります。
 今年春に開催されたNPTの重要会議(再検討会議)で日本政府は世界の指導者が広島・長崎を訪問することを提案しました。これは決定にはなりませんでしたが、「核の非人道性」について理解を深めてもらうためによい提案だったと思います。
 来年のG7の関係で、日本政府は外相会合を広島で開催することに決定したと報道されています。首脳会合は伊勢志摩で行なわれますが、その前後にエキストラで、たとえば自由参加として被爆地訪問を提案することもできるのではないでしょうか。オバマ大統領はかねてから諸条件が整えば、広島を訪問したいとの希望を表明しています。何らかの形でこれが実現することは画期的な意義があります。
(the PAGEに8月6日掲載)

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