平和外交研究所

中国

2014.01.07

人民解放軍の統一司令部設立問題

昨年秋の三中全会いらい人民解放軍の指揮系統を統一する問題が注目されている。人民解放軍は歴史的経緯から陸海空の三軍がバラバラであり、そのなかでは陸軍の力が圧倒的に強く、中枢機能である総政治部、総参謀部、総後勤部および総装備部も陸軍に置かれてきたが、近年海空両軍の重要性が飛躍的に高まり、統一的に軍を運用することが必要になったのにともない、3軍を統一指揮のもとに置き、総参謀部なども陸軍ではなく3軍の上に置くことが課題となっている。
しかるに三中全会から日も浅い時点で、一部の新聞が、国防部は「統一作戦司令部」の設置を決めたと断定的に報道したのに対し、国防部のスポークスマンは11月28日の定例記者会見でそれを否定した経緯があった。
その後一部の新聞が「国防部は連合作戦司令部を将来の適当な時期に設立することにしており、その準備を始めている」と、今度は設立の時期をぼかした報道をしたのに対し、年が明けて早々の5日、国防部はそれも「根拠のない報道である」と完全否定した。
事実関係はそれだけのことであるが、国防部の非常に神経質な反応は、軍内でこの決定がまだ行われていないだけでなく、陸軍などが承服せず微妙な問題になっていることをうかがわせるものである。

2014.01.04

吳康民の「普遍的価値」批判の批判

吳康民(香港の左派。全人代の代表にもなった)による「普遍的価値」批判の批判を『明報』が掲載している(1月3日)。その要点である。

○毛沢東生誕120周年記念に大陸ではまた「普遍的価値」批判が起こっている。この批判は数年前から始まったものであり、「普遍的価値」とは米国式の民主政治、ブルジョワの価値を称揚するものだととらえており、一部の最高指導者が批判して以来猛獣をあふれさせる(洪水猛獣)ような状況になった。「普遍的価値」は、ブルジョワが社会主義を平和的に変革する精神的武器、砂糖でくるんだ毒薬とみなしている。
○前国務院総理の温家宝は「民主、法制、自由、人権、平等、博愛などは資本主義に特有のことではない。全世界が長年の歴史において共に形成してきた文明の成果である。全人類が共に追求する価値観である」と言ったことがあるが、この発言は裏で批判された。(注 吳康民は温家宝と近い関係にあると言われている)
○しかし、「普遍的価値」を批判する人は、それが何か、本当に分かっているのか。「普遍的価値」は中国の憲法にも明記されている。(注 これはよく言われることであるが、問題は中国では共産党の事実上の一党独裁制の下で、憲法が遵守されていないところにあるので、この議論はあまり意味がない)
○「普遍的価値」を批判する人は、「普遍的な発展の道」と混同している。どの国にも国情があり、同じでないので発展の道筋が異なるのは当然である。
○もう一つの問題は、一部に政治改革に反対する勢力がいることであり、彼らは既得権益を失うことを恐れている「権貴経済集団(権力と富を独占する集団)」である。この圧力は確かに強いが、政治体制改革がこれに影響されてはならない。

2014.01.03

「財新」記者辞職の政治的背景

中国のメディア「財新」の龐皎明記者が辞職させられたことに関し、習近平支持者と江沢民の大番頭、曾慶紅の間で争いがあることを示唆する記事がインターネットに流され話題になっている。『財新』は、1998年に創刊された経済誌『財経』(外国から最も信頼されている中国のメディアの一つ)の創刊者の一人である胡舒立が2009年、同誌の中心メンバーとともに独立して立ち上げた新しいメディアであり、サイトの『財新網』、週刊誌の『新世紀』、月刊誌の『中国改革』が「財新グループ」を形成している。以下は2013年12月27日付の多維新聞が伝える事件のいきさつである。

「『財新』は習近平に近いと見られている。胡舒立は『財経』時代、江沢民の大番頭である曾慶紅の家族による7百億元にも上る腐敗を暴いた女傑で、彼女のことを「中国の最も危険な女性」と呼ぶ人も居るくらいである。この暴露記事のため胡舒立とその仲間は辞職を要求された。そこへ調停に入ったのが王岐山政治局常務委員で、胡舒立は王が農業信託投資公司の総経理の時から知りあいであった。結局胡舒立は『財経』を辞職することとなり、『財新』を立ち上げ、王の支持のもとに海南の雑誌『中国改革』をそのグループ吸収した。
2013年の初頭、『南方周末』の新年賀詞改ざん事件が起こったが、これが収まったのは「著名な女性報道関係者」が王岐山に頼み、胡春華(習近平の後継者候補として名高い)が調停に入ったからだと『中国改革』の前社長が中国版ツイッターで話していた。
龐皎明はもともと『中国経済時報』の記者であったが、一人っ子政策の実態を隠す政府の関与を暴く記事を書いたことで胡舒立から目をかけられていた。しかし、その後広州・武漢鉄道の資材にまつわる汚職事件を報道したため当局からにらまれて同紙にいられなくなり、『南方都市報』を経て、2011年から『財新』の記者となっていた。
龐皎明は『財新』に入ってからも鋭い記事を書き続けては当局から目をつけられ、そのたびに胡舒立の保護の下に筆名を変えて追及を逃れてきたが、結局かわせなくなり辞職することになった。」

この記事については、龐皎明記者の辞職に関するいきさつは比較的正確であろう。しかし、胡舒立と曾慶紅の争い、習近平と江沢民の関係などについては一定の関連事実はあるであろうが、このような話は中国にありがちな権力闘争にまつわることでもあり、なお今後の展開を注目する必要があると思われる。

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