平和外交研究所

2016 - 平和外交研究所 - Page 38

2016.05.17

(短評)日米韓ミサイル防衛合同演習

 日米韓3国は今年の夏ハワイ沖で弾道ミサイルの合同演習を行うことになったと報道されている。これは初めての試みだ。
 かつて、日韓両国の防衛協力や交流は2国間関係にあまり左右されずに維持されてきた。影響されそうになっても、報道に制限をかけること、いわば「静かに進める」ことにより問題化しないよう工夫がなされてきた。
 それでも朴槿恵政権になって両国関係がさらに落ち込むと、防衛協力にも顕著な影響が出てくるようになり、救助訓練や防衛担当者間の交流なども相次いで取り消された。
 そのような状況に比べると、今回日米韓で弾道ミサイルの合同演習を行うことになったのは大きな変化だ。昨年末以来の日韓関係の改善を反映しているのはもちろんだが、今回の合同演習は両国間の関係改善を固める意義がある。つまり、防衛当局者間の協力の再開は両国間関係の改善の結果だけでなく、そのさらなる改善に貢献すると思われる。

 一方、中国にとっては面白くないことだろう。北朝鮮の第4回目の核実験とそれに次ぐミサイルの発射実験に対抗して、さる3月、米韓両国が在韓米軍への高高度防衛ミサイル(THAAD)配備に関する実務協議が始めたことに強く反発していたが、今回明らかになった日米韓3国の合同演習は中国にとってそれに重なる不愉快な出来事であり、前回以上に強く反発することが予想される。
 
 韓国としてはそのような中国の反発を当然予想していただろうし、報道では日米による合同演習参加への求めにかなりためらったようだ。それも当然だが、そのような懸念を克服して参加を決定しただけに、韓国の日米との協力関係は本物になりつつある。韓国の外交姿勢が中国寄りから日米寄りに転換しつつあると印象さえあるが、あまり物事を単純化するのは危険だ。韓国の外交姿勢が日米韓というより大きな枠組みの中で幅が広がったという程度に見ておくべきかと思っている。
2016.05.16

(短評)ドゥテルテ・フィリピン新大統領をどう見るか

 来る6月30日にフィリピンの新大統領に就任するドゥテルテ氏は過激な発言で知られている。米国の大統領選でやはり過激な発言を武器に支持を拡大し、共和党の候補にほぼ確定しているトランプ氏によくなぞらえられているが、両者の間にはかなり違っている面があると思う。
 ドゥテルテの発言は、単に「過激」なだけでなく、たとえば、「私が大統領になれば、血を見る機会が増える」「犯罪者は殺す」と言ったり、同氏が女性を侮蔑する発言をしたので米国とオーストラリアの大使が非難したのに対して、「黙れ、両国と関係を切ってもいい」と言い放ったりするなど、「常軌を逸した」と評するほうが適切な感じがするくらいだ。
 女性を侮蔑する発言は、1989年にダバオで起きた刑務所暴動でオーストラリア人修道女が強姦殺人された事件について、自分が先に強姦しておけばよかったと冗談で言ったものであり、これは絶対許されないはずだ。ドゥテルテは後で謝罪したが、そんなことで切り抜けられるような問題ではないだろう。
 トランプもえげつないことを口にするが、ドゥテルテには及ばないようだ。

 外交政策においてはもっと顕著な違いが見られる。
 トランプの場合は、「偉大な米国を復活させる」ことを重視すると同時に、メキシコ、韓国、日本などに対する一方的認識、思い込みに基づいた攻撃的な注文をするところに特徴がある。
 一方、ドゥテルテは、他国に対する一方的な認識や判断は、少なくとも今のところ、見られない。前述した「関係断絶発言」も特定の国に対するものでなく、批判をされたのに対する反撃だった。常軌を逸する内容だが、特定国を攻撃したのではなかった。

 ドゥテルテの対中政策がどうなるか、これはとくに注目されている。フィリピンは南シナ海で中国と争っており、国際仲裁裁判所に提訴している。
 ドゥテルテは、裁判では南シナ海問題は解決できず、中国との話し合いが必要との考えであり、その理由は「祖父が中国人だから」だという説もある。
 しかし、ドゥテルテは、中国と領有権を争っている「スカーボロー礁に行って旗を立てる」とも発言している。話し合いについても、中国と2国間で行うという意味でなく、多国間で協議すると言っている。これは中国が嫌うことだ。このようなことから、ドゥアルテははたして中国に融和的か、強硬か、よくわからないとも言われている。

 ドゥテルテ新大統領には、今後官僚機構や専門家のアドバイスを受けてバランスの取れた外交政策を策定していくことを期待したい。トランプのような思い込みがないのであれば、それは可能だと思われる。
近く公表される(はずの)南シナ海に関する仲裁裁判の結果に対しドゥテルテ政権がどのように対応するか。その外交姿勢が問われることになるだろう。
 
2016.05.13

オバマ大統領の広島訪問と核の非人道性

昨日に続くTHE PAGEへの寄稿文です。

 核兵器(以下単に「核」)の廃絶がなかなか実現しないのは、現在の国際情勢下では核の抑止力が必要で完全に手放すわけにはいかないと考えられていることもさることながら、「核の非人道性に対する理解が十分でない」からだと思います。こう言うと、「いや、核が非人道的であることは明らかであり、理解されている」という反論が出てくるかもしれませんが、どういうことか以下に説明していきましょう。

 兵器は本来非人道的ですが、一部の兵器はあまりにひどい結果をもたらすので19世紀の終わりころから使用を禁止しようとする動きが起こり、国連では、「非人道性」とは何かを研究するとともに、一定の兵器を禁止する条約が作られてきました。
その結果、「非人道性」とは、「過度に」あるいは「無差別に」人を殺傷することだということが明確になってきました。
 核については、さらに「多数の市民を殺傷する」という問題があります。
そして、具体的には、毒ガスや対人地雷は条約ですでに禁止されていますが、核を禁止する条約はできていません。

 核不拡散条約(NPT)や国連では、核の「廃絶」や「使用禁止」について議論をしていますが、核保有国と非保有国との間の考えの相違はまだ大きく、「核の使用禁止」が成立するのは「核の廃絶」と同じくらい困難なようです。
 そこで、数年前からまず「核の非人道性」を確立しようとする運動が国際的に展開されてきました。この問題については1996年、国際司法裁判所は「核の使用は原則として国際人道法に反する」という判断をしましたが、これは「勧告」であり、各国に対して拘束力はありませんでした。
 新たに展開されている運動は、核の廃絶が実現するまでの間、中間的な方策として「核の非人道性」について各国の合意を形成しようとするものです。
 しかし、この運動においても核は抑止力のために必要だという考えが影響を及ぼしており、「核の非人道性」は国際的なコンセンサスとして確立するに至っていません。

 日本はこの運動に参加する一方、世界の指導者に対し被爆地を訪問し、被爆の実態をじかに感じ取ってもらうことを勧めています。「核の非人道性」を確立する国際運動は、いわば、「言葉で」目的を達成しようとしているのに対し、被爆地訪問は「体験により」核の非人道性を会得するものであり、4月に広島で開催されたG7外相会合は非常に効果的でした。
 特筆すべきは、「核の非人道性」は言葉では分かっていたようでも、被爆地で体験することはそれと大きく違っていることが分かったことです。ケリー米国務長官は率直に驚いたと表明しました。
 わたくしは軍縮大使であった関係上、広島や長崎で欧米諸国の人と一緒に被爆状況を展示している資料館を訪問したことがあり、彼らが想像を絶する強い衝撃を受けたのをこの目で見ました。ある人は、訪問が終わると、どんなにひどく叱責されるか、おびえるまなざしでわたくしを見ていました。
 「核の非人道性」は理屈や頭では分かっているつもりでも、実はその理解は浅いのです。その恐ろしさが言葉だけでなく、体で本当に分かってくると、核に対しての取り組みがより真剣になるのではないでしょうか。「核の非人道性」を知って取り組むのと、理解しないで取り組むのでは「核の廃絶」を推進する力も違ってきます。核爆発の実態を正しく知ることは核問題に取り組むのに絶対的に必要なことなのです。

 被爆地を訪問すると謝罪を求められると危惧する意見を始め、さまざまな消極的意見を克服してオバマ大統領が被爆地、広島を訪問することを決意されたことは、核軍縮にとっても、日米関係にとっても、さらには世界の平和にとっても言葉では言い尽くせない意義があると思います。
 今回実現しなかった長崎訪問も積極的に検討されることを希望しつつ、広島訪問がつつがなく完了することを願っています。

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