2016 - 平和外交研究所 - Page 22
2016.08.11
この戦争を指導したのは米英などであり、日本もこれら諸国からの要請を受けて自衛隊をイラクに派遣した。
米英などでは、この戦争に関しすでに部分的あるいは全面的に反省が行われているが、日本ではイラクの大量破壊兵器に関する外務省の情報が十分でなかったことへの反省だけが行われており、戦争自体の是非、自衛隊のかかわりの是非については何も行われていない。
しかし、イラク戦争のような事態は今後も起こりうる。その場合にイラク戦争についてできるだけ客観的な立場からの反省や見直しが行われていたか否かは決定的に重要な問題となろう。このような観点から、次の一文をTHE PAGEに寄稿した。
「2003年のイラク戦争への参加に関する英国の独立調査委員会(チルコット委員会)の報告書が7月6日に公表されました。非常に興味深い内容です。
日本もイラク戦争の際自衛隊を派遣しました。そのことについて賛否両論がありましたが、その検証はまだ行われていません。英国の調査報告が発表されたのを機会に、我が国における検証の在り方について振り返って考えてみたいと思います。
イラク戦争について反省の言葉が最初に出てきたのは、戦争遂行の中心であった米国からでした。ブッシュ大統領は2005年12月、ワシントン市内で演説し、「イラクの大量破壊兵器に関する情報機関の分析は、多くが誤りであることが判明した。大統領として、イラク攻撃を決断した責任がある」と述べました(時事通信12月14日)。
米議会上院の情報特別委員会はブッシュ大統領の発言より先の2004年7月、イラクの大量破壊兵器について、「米中央情報局(CIA)が多くの過ちを犯し、誇張して伝えた。米大統領や議会が開戦にあたって判断材料とした情報には欠陥があった」と厳しく指摘していました。
英国でも米国と並行して、英国が参戦したのは誤りだったのではないかという議論が起こっていました。かなり時間が経過してからのことですが、ブレア元英国首相は2015年10月、米国のCNNとのインタビューで、「我々が入手した情報が間違っていたという事実については謝罪する」と述べました。
今回発表された独立調査委員会の報告は、「イラクに対しては査察も外交的努力もまだ継続されていた。英国は安保理の承認なしに戦争に踏み切った。最後の手段として戦争に訴えざるを得ない状況には立ち至っていなかった」との趣旨を述べ、情報に欠陥があったことだけでなく、戦争をしたことをも明確に批判しました。
日本では2012年12月に、「対イラク武力行使に関する我が国の対応(検証結果)」が発表されました。しかし、この中で反省しているのは、イラクの大量破壊兵器に関する外務省の情報についてであり、趣旨を要約すると、外務省は「情報が十分でなかったことは我が国としても厳粛に受け止める必要があり、今後情報収集能力を強化する必要がある」と指摘しました(読みやすい表現にしました)。
米英の反省と比較すると、正しい情報がなかったという点でブッシュ大統領やブレア首相の反省と似ている印象がありますが、米国において正しい情報が伝えられなかったことは戦争の開始に直接影響しうる問題でした。しかし、日本の情報が十分でなかったことは、幸か不幸か、米英による戦争の開始を決定づけることでありませんでした。したがって、日本外務省の情報検証は戦争開始の是非を検証したものではありません。
しかも、外務省の検証は、「日本政府が米英等の武力行使を支持したことの是非自体について検証するものではなく」と前置きしています。つまり、イラク戦争の際、日本の自衛隊が「非戦闘地域」において後方支援や復興支援などに従事したことの是非は検証しないと言っているのです。
実は、日本は単にイラク戦争の検証をしていないのではありません。日本はイラク特措法を恒久法にして「国際平和支援法」を制定しましたが、これにも問題がありました。それより先にイラク戦争への関与が適切であったか検討すべきだったのです。その理由は、英国の調査報告のようにイラク戦争の開始についてはそれを承認する国連の決議が十分でなかったこと、また、査察についてまだ継続中であったことなどの重大な問題がありえたからです。問題のある可能性がある案件であれば、その実現のために立法をするべきではありません。しかし、「国際平和支援法」はその問題は素通りして、あたかも何事もなかったかのように制定されました。「国際平和支援法」を制定した人たちは、日本のイラク戦争への関与は間違いでなかったという前提に立っていたのではないでしょうか。
イラク戦争は我が国にとってはもちろん、国際社会にとっても賛否が大きく分かれる重大な問題であり、それをどのように受け止め、また日本としてどのような行動をとるべきかの検討は日本が自衛隊を派遣する決定の前に必要でした。政治にはその時々の状況があり、いつでも正しい決定ができるとは限りません。
大事なことは、後日、様々な理由ですでに下した決定が疑問になれば、勇気をもって再検討することです。それができることは健全な国家として絶対的に必要なことですし、それができなければ将来同じ過ちを繰り返す危険があります。そのことを示す例は歴史にいくらもあります。先の大戦の処理においてもそのことが問われました。
米英はイラク戦争を始めるに際して日本の支持を強く求めてきました。その米英は今やイラク戦争に疑問を覚え始めています。日本の国民感情としては複雑なものがありますが、日本としては一刻も早く日本としてのあるべき姿を虚心坦懐に再検討することが必要です。
イラク戦争の総括
2003年に起こったイラク戦争は、紛争が絶えず不安定な政治状況にあるためテロの温床ともなるなど病的症状を抱える国や地域に対し、国際社会としての姿勢を問われ、また責任を果たすことを求められる重要問題であったが、国連での決議の有無が不明確な場合に行動するという危険を伴うことであった。この戦争を指導したのは米英などであり、日本もこれら諸国からの要請を受けて自衛隊をイラクに派遣した。
米英などでは、この戦争に関しすでに部分的あるいは全面的に反省が行われているが、日本ではイラクの大量破壊兵器に関する外務省の情報が十分でなかったことへの反省だけが行われており、戦争自体の是非、自衛隊のかかわりの是非については何も行われていない。
しかし、イラク戦争のような事態は今後も起こりうる。その場合にイラク戦争についてできるだけ客観的な立場からの反省や見直しが行われていたか否かは決定的に重要な問題となろう。このような観点から、次の一文をTHE PAGEに寄稿した。
「2003年のイラク戦争への参加に関する英国の独立調査委員会(チルコット委員会)の報告書が7月6日に公表されました。非常に興味深い内容です。
日本もイラク戦争の際自衛隊を派遣しました。そのことについて賛否両論がありましたが、その検証はまだ行われていません。英国の調査報告が発表されたのを機会に、我が国における検証の在り方について振り返って考えてみたいと思います。
イラク戦争について反省の言葉が最初に出てきたのは、戦争遂行の中心であった米国からでした。ブッシュ大統領は2005年12月、ワシントン市内で演説し、「イラクの大量破壊兵器に関する情報機関の分析は、多くが誤りであることが判明した。大統領として、イラク攻撃を決断した責任がある」と述べました(時事通信12月14日)。
米議会上院の情報特別委員会はブッシュ大統領の発言より先の2004年7月、イラクの大量破壊兵器について、「米中央情報局(CIA)が多くの過ちを犯し、誇張して伝えた。米大統領や議会が開戦にあたって判断材料とした情報には欠陥があった」と厳しく指摘していました。
英国でも米国と並行して、英国が参戦したのは誤りだったのではないかという議論が起こっていました。かなり時間が経過してからのことですが、ブレア元英国首相は2015年10月、米国のCNNとのインタビューで、「我々が入手した情報が間違っていたという事実については謝罪する」と述べました。
今回発表された独立調査委員会の報告は、「イラクに対しては査察も外交的努力もまだ継続されていた。英国は安保理の承認なしに戦争に踏み切った。最後の手段として戦争に訴えざるを得ない状況には立ち至っていなかった」との趣旨を述べ、情報に欠陥があったことだけでなく、戦争をしたことをも明確に批判しました。
日本では2012年12月に、「対イラク武力行使に関する我が国の対応(検証結果)」が発表されました。しかし、この中で反省しているのは、イラクの大量破壊兵器に関する外務省の情報についてであり、趣旨を要約すると、外務省は「情報が十分でなかったことは我が国としても厳粛に受け止める必要があり、今後情報収集能力を強化する必要がある」と指摘しました(読みやすい表現にしました)。
米英の反省と比較すると、正しい情報がなかったという点でブッシュ大統領やブレア首相の反省と似ている印象がありますが、米国において正しい情報が伝えられなかったことは戦争の開始に直接影響しうる問題でした。しかし、日本の情報が十分でなかったことは、幸か不幸か、米英による戦争の開始を決定づけることでありませんでした。したがって、日本外務省の情報検証は戦争開始の是非を検証したものではありません。
しかも、外務省の検証は、「日本政府が米英等の武力行使を支持したことの是非自体について検証するものではなく」と前置きしています。つまり、イラク戦争の際、日本の自衛隊が「非戦闘地域」において後方支援や復興支援などに従事したことの是非は検証しないと言っているのです。
実は、日本は単にイラク戦争の検証をしていないのではありません。日本はイラク特措法を恒久法にして「国際平和支援法」を制定しましたが、これにも問題がありました。それより先にイラク戦争への関与が適切であったか検討すべきだったのです。その理由は、英国の調査報告のようにイラク戦争の開始についてはそれを承認する国連の決議が十分でなかったこと、また、査察についてまだ継続中であったことなどの重大な問題がありえたからです。問題のある可能性がある案件であれば、その実現のために立法をするべきではありません。しかし、「国際平和支援法」はその問題は素通りして、あたかも何事もなかったかのように制定されました。「国際平和支援法」を制定した人たちは、日本のイラク戦争への関与は間違いでなかったという前提に立っていたのではないでしょうか。
イラク戦争は我が国にとってはもちろん、国際社会にとっても賛否が大きく分かれる重大な問題であり、それをどのように受け止め、また日本としてどのような行動をとるべきかの検討は日本が自衛隊を派遣する決定の前に必要でした。政治にはその時々の状況があり、いつでも正しい決定ができるとは限りません。
大事なことは、後日、様々な理由ですでに下した決定が疑問になれば、勇気をもって再検討することです。それができることは健全な国家として絶対的に必要なことですし、それができなければ将来同じ過ちを繰り返す危険があります。そのことを示す例は歴史にいくらもあります。先の大戦の処理においてもそのことが問われました。
米英はイラク戦争を始めるに際して日本の支持を強く求めてきました。その米英は今やイラク戦争に疑問を覚え始めています。日本の国民感情としては複雑なものがありますが、日本としては一刻も早く日本としてのあるべき姿を虚心坦懐に再検討することが必要です。
2016.08.08
しかし習近平政権の厳しい言論統制にあい、ごく最近、とうとう息の根を止められてしまった。
『炎黄春秋』誌については、さる4月22日に当研究所HPに掲げた「習近平政権の言論統制‐2016年(その2)」で以下のような解説をした。
「中央の宣伝部門にとっては、このような雑誌を野放しにしておくことは危険であり、様々な形で圧力を加えてきた。習近平主席が言論統制を強化する方針を打ち出したことは宣伝部門にとって追い風となり、2015年6月、当時の楊継縄編集長を辞任に追い込んだ(当研究所HP 2016.01.09付「習近平主席の2本の鞭-その2言論統制」)。
習近平も「紅二代」だ。この雑誌の関係者は習近平と同等レベルの大物ばかりであり、その編集長を首にすることは習近平の直接の指示なしにはできないはずだ。
一つ意外なことが『炎黄春秋』誌で起こった。同誌は閉刊近くまで追い込まれていたのだが、当局は今年の春節(旧正月)を前にして態度をがらりと変えた。習近平の側近が同誌を訪問し、天安門事件で失脚した趙紫陽の業績をたたえることを勧めたのだ(米国に本拠がある『多維新聞』3月22日付)。
また、同誌は昨年、新春交歓会を直前になって突然中止させられたのだが、今年は開催を認められた。
杜導正同誌社長はかつて趙紫陽の薫陶を受けた人物だ。直ちに趙紫陽の業績をたたえる一文を掲載した。趙紫陽は天安門事件で学生に同情しすぎて失脚したのであり、趙紫陽についてこのような文章を発表することは、いわゆる民主派の不満を吸収する政治的意義がある。
ただし、習近平に変化があったか否か、この件だけで判断することは困難だ。ジェスチャーだけかもしれない。」
そして、さる8月2日、『炎黄春秋』誌は「法定代表人が杜導正から郝慶軍に交替した」という「公告」を出した。今年の春起こったことはやはりジェスチャーだったようだ。
ちなみに、郝慶軍は杜導正の半分くらいの年齢の(50歳未満)文学者であり、その権威は杜導正には比較にならないくらい低い人物だ。党中央としては思い通りに動かせるのだろう。
要するに、中国において単なる党官僚の代弁者でなく、革命も重視しながら経済建設の行きすぎには苦言を呈する、したがってリベラルに見えることもある雑誌の息の根がとうとう止められてしまったのだ。習近平政権の過酷な言論統制を象徴する出来事である。
最後に、当研究所は中国の言論統制に関し次のような諸論評を掲げている。
2013.10.23 「中国の言論統制強化」
2016.01.09 「習近平主席の2本の鞭-その2言論統制」
2016.03.07 「習近平主席への公開状(抜粋)」
2016.03.28 「(短文)習近平主席に対して辞職を求める公開状の調査」
2016.03.30 「(短文)習近平に対する第2の辞任要求」
2016.04.20 「習近平政権の言論統制‐2016年(その1)」
2016.04.22 「習近平政権の言論統制‐2016年(その2)」
習近平政権のさらなる言論統制強化- 『炎黄春秋』編集人の交代
『炎黄春秋』とは、中国革命の元老の次の世代、すなわち「紅二代」に属する胡徳平(胡耀邦の子)、李鋭(毛沢東の秘書)らにより出版されてきた雑誌であり、共産党中央におもねることなく比較的リベラルな発言で改革開放の推進を後押ししてきた。もちろん全く自由ではなく、一定の範囲内だが、中国ではユニークな立場にあり、例外的な雑誌である。しかし習近平政権の厳しい言論統制にあい、ごく最近、とうとう息の根を止められてしまった。
『炎黄春秋』誌については、さる4月22日に当研究所HPに掲げた「習近平政権の言論統制‐2016年(その2)」で以下のような解説をした。
「中央の宣伝部門にとっては、このような雑誌を野放しにしておくことは危険であり、様々な形で圧力を加えてきた。習近平主席が言論統制を強化する方針を打ち出したことは宣伝部門にとって追い風となり、2015年6月、当時の楊継縄編集長を辞任に追い込んだ(当研究所HP 2016.01.09付「習近平主席の2本の鞭-その2言論統制」)。
習近平も「紅二代」だ。この雑誌の関係者は習近平と同等レベルの大物ばかりであり、その編集長を首にすることは習近平の直接の指示なしにはできないはずだ。
一つ意外なことが『炎黄春秋』誌で起こった。同誌は閉刊近くまで追い込まれていたのだが、当局は今年の春節(旧正月)を前にして態度をがらりと変えた。習近平の側近が同誌を訪問し、天安門事件で失脚した趙紫陽の業績をたたえることを勧めたのだ(米国に本拠がある『多維新聞』3月22日付)。
また、同誌は昨年、新春交歓会を直前になって突然中止させられたのだが、今年は開催を認められた。
杜導正同誌社長はかつて趙紫陽の薫陶を受けた人物だ。直ちに趙紫陽の業績をたたえる一文を掲載した。趙紫陽は天安門事件で学生に同情しすぎて失脚したのであり、趙紫陽についてこのような文章を発表することは、いわゆる民主派の不満を吸収する政治的意義がある。
ただし、習近平に変化があったか否か、この件だけで判断することは困難だ。ジェスチャーだけかもしれない。」
そして、さる8月2日、『炎黄春秋』誌は「法定代表人が杜導正から郝慶軍に交替した」という「公告」を出した。今年の春起こったことはやはりジェスチャーだったようだ。
ちなみに、郝慶軍は杜導正の半分くらいの年齢の(50歳未満)文学者であり、その権威は杜導正には比較にならないくらい低い人物だ。党中央としては思い通りに動かせるのだろう。
要するに、中国において単なる党官僚の代弁者でなく、革命も重視しながら経済建設の行きすぎには苦言を呈する、したがってリベラルに見えることもある雑誌の息の根がとうとう止められてしまったのだ。習近平政権の過酷な言論統制を象徴する出来事である。
最後に、当研究所は中国の言論統制に関し次のような諸論評を掲げている。
2013.10.23 「中国の言論統制強化」
2016.01.09 「習近平主席の2本の鞭-その2言論統制」
2016.03.07 「習近平主席への公開状(抜粋)」
2016.03.28 「(短文)習近平主席に対して辞職を求める公開状の調査」
2016.03.30 「(短文)習近平に対する第2の辞任要求」
2016.04.20 「習近平政権の言論統制‐2016年(その1)」
2016.04.22 「習近平政権の言論統制‐2016年(その2)」
2016.08.07
今回の中国側の行動は、南シナ海に関して先月国際仲裁裁判の判決が下り、中国が全面敗訴したことと関係があると思う。中国はそのためだとは言わないが、判決後、日本に対して南シナ海の問題にかかわるなと主張し、また、「行動を慎め」と外交儀礼を欠いた発言を行うなどしていた。
尖閣諸島付近での行動が南シナ海問題と関係があると自ら言わないのは、問題を拡大し、情勢を悪化させたのは日本側だ、と主張するためだろうが、実際には中国が関連付けている。これについては7月22日付の当研究所HPに掲載した「南シナ海の判決を中国が受け入れないもう一つの理由―台湾・尖閣諸島への影響」を参照願いたい。
残念ながら中国は今後もこのようなことを繰り返す危険がある。そうなった場合、日本はあくまで冷静に、毅然とした態度で、国際法と日本の法令に従って対処するのはもちろんだが、南シナ海情勢との関連にも注意する必要がある。
(短評)中国の公船の尖閣諸島海域への侵入
8月6日、中国の公船数隻(7隻?)が尖閣諸島付近で我が国の接続水域に侵入し、日本側からの警告を無視して長時間居続けた。日本は外交チャネルで抗議したが、中国はまったく聞き入れなかっただけでなく、一部公船は日本側からの抗議の後、日本の領海内にも侵入するという無法ぶりであった。これまで何回も繰り返されてきたパターンだが、今回はかなりひどかったらしい。今回の中国側の行動は、南シナ海に関して先月国際仲裁裁判の判決が下り、中国が全面敗訴したことと関係があると思う。中国はそのためだとは言わないが、判決後、日本に対して南シナ海の問題にかかわるなと主張し、また、「行動を慎め」と外交儀礼を欠いた発言を行うなどしていた。
尖閣諸島付近での行動が南シナ海問題と関係があると自ら言わないのは、問題を拡大し、情勢を悪化させたのは日本側だ、と主張するためだろうが、実際には中国が関連付けている。これについては7月22日付の当研究所HPに掲載した「南シナ海の判決を中国が受け入れないもう一つの理由―台湾・尖閣諸島への影響」を参照願いたい。
残念ながら中国は今後もこのようなことを繰り返す危険がある。そうなった場合、日本はあくまで冷静に、毅然とした態度で、国際法と日本の法令に従って対処するのはもちろんだが、南シナ海情勢との関連にも注意する必要がある。
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