平和外交研究所

2015 - 平和外交研究所 - Page 15

2015.10.20

プーチン大統領の訪日延期と大八車

 日ロ両国が予定していたプーチン大統領の訪日が延期されたのは、ウクライナ問題の影響で日ロ関係まで悪化してしまい、交渉を行なう状況でなくなってしまったためだ。

 日ロ関係は上り坂で大八車を押し上げるようなものだ。この大八車を「日ロ号」と名付けよう。日ロ双方で懸命に日ロ号を押し上げようとするが、途中でロシアの外、時には内から力が働いて支えられなくなり、日ロ号は坂下まで転げ落ちてしまう。このようなことを何回も繰り返してきた。交渉開始は坂の上にあるのでどうしても上げなければならない。
 
 日ロ両国が戦争状態を終了させ、領土問題の解決について中間的な合意を達成したのは1956年の日ソ共同宣言であった。ところがその後ソ連は領土問題について何も合意しなかったかのような態度を取るようになった。冷戦時代、ソ連側が問題にしたのは日米安保条約であった。
 ソ連側が勝手に日ロ号を坂下まで蹴落としたので、日本側は坂下からまた押し上げなければならなかった。
 1973年、田中首相がソ連を訪問し、ブレジネフ書記長から、両国間には未解決の諸問題があり、その中に北方四島の問題が入っていることの確認を引き出した。これは画期的な合意であり、日ロ号は日ソ共同宣言よりさらに少し高いところまで押し上げられた。
 この合意が実現した背景に2年前の沖縄返還があり、それが、日ソ関係を進める影の要因となっていた。
 しかし、冷戦が継続するなかでソ連の態度は元へ戻ってしまい、日ロ号はまた坂下まで落ちてしまった。

 ゴルバチョフ書記長のペレストロイカは日ソ関係にも好影響を及ぼし、1991年4月、同書記長の訪日が実現し、海部首相との間で「歯舞群島、色丹島、国後島および択捉島の帰属についての双方の立場を考慮しつつ領土画定の問題を含め」両国間の平和条約の話合いが行われたという内容の共同声明が発表された。
 文書で、しかも四島が実名で示され、解決すべき問題であることが確認されたのだ。日ロ号は一九五六年の共同宣言よりも、また、田中・ブレジネフ合意よりもさらに一歩高いところまで押し上げられた。
 しかし、海部・ゴルバチョフ会談からわずか4カ月後の8月、ソ連で政変が起こり、ゴルバチョフは書記長を辞任した。

 エリツィン大統領はゴルバチョフ書記長にもまして対日関係の改善に熱心だった。ソ連邦が解体して12の共和国に分かれるという激動のさなかの9月、エリツィン大統領は海部総理に宛てた親書を持たせてハズブラートフ・ロシア最高会議議長代行を日本へ派遣した。さらに、エリツィン大統領自身が訪日しようとしたが、その対日姿勢が政争の的になり、訪日開始予定期日のわずか4日前に宮澤総理に電話を寄こし、ロシア国内の事情により訪日を延期せざるをえないと伝えてきた。
 しかし、エリツィン大統領は93年10月に訪日を実現させ、細川総理と、「択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島の帰属に関する問題」を解決して両国間の関係を正常化することに合意した。このことは東京宣言として発表された。

 細川内閣は短命で、その後を羽田首相、さらにその後を村山首相が継ぐなど短時日の間に3人の首相交代があった。
 村山首相の後を継いだ橋本首相は1997年、クラスノヤルスクで「東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」ことに合意し、さらにエリツィン大統領が98年4月に再度訪日したさいに、東京宣言に基づき四島の帰属問題を解決すべきことを再確認した。「川奈合意」である。その際、さらに突っ込んだ内容の話し合いが非公式に行われた。全体を通して、「日ロ号」号はかつてない高みにまで押し上げられた。
 しかし、橋本首相はその年の参議院選挙での自民党大敗の責任を取って辞任してしまった。11月、橋本総理の後を継いだ小渕総理はエリツィン大統領と「東京宣言、クラスノヤルスク合意および川奈合意に基づいて平和条約の締結に関する交渉を加速する」ことに合意した。両首脳は、また、「平和条約を2000年までに締結するよう全力を尽くすとの決意」も再確認した。日ロ号は川奈合意の高いところで支えられたのだ。
 
 ところが、今度はロシアの事情が変わった。ロシア国内の政治状況は厳しくなり、また、エリツィン大統領は健康状態が悪化して執務に困難をきたすようになり、99年の大晦日突然辞任した。

 プーチン大統領は、2000年9月、訪日し森首相と会談した。翌年3月、森首相が訪ロして会談を重ねた結果、「東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くすとのクラスノヤルスク合意の実現のための努力を継続する」ことに合意した(イルクーツク声明)。この中に「川奈合意」は言及されなかった。プーチン大統領が拒否したためである。
 日ロ号は、少し引き下ろされたのだ。
 森首相の後を継いだ小泉首相は2003年1月に訪ロし、プーチン大統領と、1956年の共同宣言、東京宣言、イルクーツク声明を基礎として、四島の帰属など諸問題の早期解決のために交渉を加速することで合意した(日ロ行動計画)。
 日ロ号の高さはイルクーツク声明と同じであった。

 プーチン大統領は、2008年5月から2012年5月までメドヴェージェフに大統領を譲り、自らは首相になった。この間、サハリンで麻生首相とメドヴェージェフ大統領の会談もあったが、目立った進展はなく、参議院予算委員会における麻生首相の、「ロシアによる北方四島の不法占拠」発言や、2010年7月の択捉島での軍事演習、11月のメドヴェージェフ大統領の国後島訪問などで雰囲気が悪化し、ロシアの強硬な姿勢が目立つようになった。
 日ロ号は坂を下り始めた感があった。
 
 2012年5月に大統領に復帰したプーチンは、領土問題の解決に熱意を示し、1956年の共同宣言は重視していることを示しつつ、以前森首相と合意したイルクーツク声明については維持するのか否か不明の発言も行なった。
 日ロ号はイルクーツク声明より低いところまで引き下ろされる危険が出てきた。

 2013年4月29日、安倍首相が日本の首相として10年ぶりにロシアを公式訪問してプーチン大統領と発表した共同声明では、「両首脳は,平和条約締結交渉を,2003年の日露行動計画の採択に関する日本国総理大臣及びロシア連邦大統領の共同声明及び日露行動計画を含むこれまでに採択された全ての諸文書及び諸合意に基づいて進めることで合意した」と言及された。
 「全ての諸文書及び諸合意」には東京宣言やイルクーツク声明などの重要合意が含まれるのは当然であるが、それを具体的に列挙することにロシアは応じなかった。

 その状態で今回のプーチン訪日延期となったのだ。
 日ロ号が坂を引き下ろされたとは思いたくない。しかし、ロシアの対応は、冷戦時代をほうふつとさせるところがある。ウクライナ問題の関係で日本が西側の対ロシア制裁に加わっていることが不満で日本との関係を進めることには積極的になれないというのは、かつてのロシアの行動パターンではないか。
2015.10.19

金正恩の権威確立と北朝鮮の対外積極姿勢

「北朝鮮が対外関係の改善へと進み始めた理由」と題する一文を10月19日、東洋経済オンラインに寄稿しました。要点は次の通りです。

○北朝鮮労働党創設70年記念日で注目すべきは、冷え切っていた中朝関係が修復に向けた一歩を踏み出したことだ。
○中国も北朝鮮も関係改善の努力をし、金正恩第1書記は中国の劉雲山代表を熱烈なハグで歓迎した。
○北朝鮮は、今もなお朝鮮戦争における中国軍の参加を高く評価し、恩義を感じていることを示した。
○北朝鮮の新しい指導者として金正恩の権威確立が進んだことにより、中国や米国との関係で積極的な姿勢を取れるようになった。
○米国は、これまでのように中国や六者協議に頼るのでなく、北朝鮮との平和条約締結に向け積極的に乗り出すことを期待する。
2015.10.17

日韓首脳会談

 安倍晋三首相と朴槿恵大統領の会談が開かれることになった。ソウルで11月1日に開かれる予定の日中韓首脳会談に合わせて実施される。
 最大の懸案である慰安婦問題について、安倍首相は踏み込んだ議論をするのがよい。当研究所HPに本年3月6日アップした一文を再掲する。

「慰安婦問題は日韓両首脳の直接会談で打開を図るべきである」
 朴槿恵大統領は3月1日の「独立節」記念式典で演説し、日韓関係の重要性を指摘しつつ、慰安婦問題の早期解決を日本政府に促した。 
 日韓関係全般については、国交正常化50周年の意義を認め、日韓両国は重要な隣国であり、正常化後の交流、協力の成果は「驚くほどだ」と認め、さらに「より交流できるようにするのも国がすべきことの一つ」と語るなど朴槿恵大統領は非常に積極的であった。友好的であったとも言えるだろう。ある日本政府関係者は「国交50周年を意識し、必要以上に日本を刺激しないという意思を感じる」と語ったそうである。
 2月22日の、島根県での竹島の日式典に内閣府の政務官が出席したことについて韓国外務省が抗議した直後であった。韓国では支持率アップのために竹島問題が利用されるおそれがあるが、朴槿恵大統領の今回の演説にそのようなことは見られなかったことは留意しておきたい。
 この間、日本外務省はホームページ上の韓国紹介文から「自由と民主主義、市場経済等の基本的価値を共有する」という表現を削除し、「最も重要な隣国」とだけ表現していた。韓国が日本にとっても最も重要な隣国であることを再確認したのは適切なことである一方、基本的価値を共有すると言い切るには疑問がありすぎるということであろう。日本の新聞記者に対する対応などにかんがみればやむをえない修正であると思う。

 一方、慰安婦問題について朴槿恵大統領は、「必ず解決すべき歴史的な課題」「(元慰安婦の)平均年齢は90歳に近く、名誉回復の時間はいくらも残されていない」などと早期解決を重ねて求めた。これまでと同じ姿勢である。
 この問題については、安倍首相が朴槿恵大統領と直接話し合うのがよいと思う。安倍首相はこれまで未来志向の話には応じる姿勢を示しているが、慰安婦問題については度重なる朴槿恵大統領の要請にまったく応えていない。それには理由があるのだが、そこで止まっているだけでは両国関係はよくならない。そこから一歩を踏み出すことが必要であり、そのために両首脳は直接話し合い、交渉するのがよいと思うのである。
 かりに両首脳が話し合うこととなると、安倍首相から話すべきことは次のとおりである。
①日本政府は正式に謝罪した。橋本首相の謝罪の手紙を慰安婦の方々に届けた。この他歴代の首相も謝罪した。このことを知っているか。知っているとすれば、韓国はなぜ謝罪を要求するのか。
②日本政府は慰安婦となった方々に対し、国民的な償い事業を行ない、償い金をお渡しした。日本政府はこの償い事業に資金面でも可能な限りの協力を行なった。そのことを知っているか。知っているならば、そのことについて韓国はどのような見解をもっているか。
③日本が慰安婦問題は法的には解決済みとしているのは、日韓基本条約で、請求権は条約締結までに判明している請求権も、また将来持ち出されるかもしれない請求権も解決済みであると両国が合意したからである。
 韓国政府が理由としている韓国憲法裁判所の判断と日本政府の法的解釈は異なる。日韓間で解釈が異なる場合、外交ルートで解決を求め、それでも解決しなければ仲裁手続きを求めることとなっているが、韓国政府は外交ルートで解決を求めただけではないか。

注 (イ)日韓請求権協定第2条1項は、「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」と規定している。
(ロ)条約の解釈について意見が異なる場合、まず外交ルート、それで解決できなければ仲裁によるという解決方法を定めているのは請求権協定3条である。韓国の憲法裁判所の決定は2011年8月30日に下され、その理由とされたのは「日韓会談では協議されていなかったので未解決だ」ということであり、その際、同裁判所は「韓国政府が、日本政府と解決のための協議を行わないでいるのは、政府に国民の人権を守る義務を課している韓国憲法に違反する」と述べていた。日本政府は、韓国憲法裁判所の決定とは異なり、請求権の問題は複雑で長年交渉してもらちが明かなかったので、日韓両国が関係を正常化するに際して、協定2条のように「完全かつ最終的に解決された」ということで合意したのであり、条約交渉において議論されたか否かは問題とならないという解釈である。
(ハ)仲裁については、韓国政府も検討しているという話もあるが、まだ踏み切っていない。

④韓国政府が慰安婦問題は日韓基本条約の対象でないと主張するならば、その根拠は何か。いわゆる徴用工の問題についても韓国は日韓基本条約の対象外だと主張するのか。もし、例外を広げるならば、日本側にも請求権がありそれを持ち出す請求をする可能性もあるが、韓国側は応じる用意があるか。
⑤韓国側の「解決せよ」という主張だけでは内容が明確でない。韓国側は一方的に要求し、日本側が具体的に実行するということはありえない。日本が行動するには日韓政府間で合意が必要であるが、韓国政府は日本政府と正式に合意できるか。また、この合意では徴用工の問題はどのように処理するか。

 ①から④までは、これまで外交当局間でさんざん議論されてきたことであるが、韓国の大統領がこれらの重要事実をどの程度理解しているか、失礼ながら疑問なしとしない。さらに言えば、韓国にとって都合の悪いことは韓国外務省から上げていないのではないかという疑念もある。⑤は、韓国国内から、あるいはその一部から突き上げを受ける恐れがあると韓国政府としては日本政府と合意できないのではないかと思われるからである。
 慰安婦の方々には日本人の一人として心からお詫びするが、韓国政府にはしっかり対応してもらう必要がある。日本の行動から発した問題だが、その解決のため日本政府が行った努力を認めようとしない、あるいはそれでは不十分だと言うならば、韓国政府は自らも関わるべき問題としてとらえ、責任を持って対応する必要がある。韓国政府は観客席から日本に要求するだけでは当事者になれない。そのような姿勢はまさに韓国の憲法裁判所が問題視していることなのではないか。
 両国の首脳が事務方の調整を飛び越えて直接会談するというのはもちろん異例であり、不可能に近いかもしれないが、この問題の特殊性にかんがみれば、常識的でない方策も検討に値するのではないか。
 

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