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2017.01.05

反腐敗運動と信頼の構築は第2期習近平政権でも重要課題

 年の瀬も押し迫った12月30日、中国の国務院は「政務誠信建設の強化に関する指導意見」を公布した。「政治において誠意と信用を高めることについてのガイドライン」という意味だが、「政治に誠意も信用もない」ということが前提になっていると考えればよりわかりやすい。それは言い過ぎだ、中国に失礼だ、日本でも「政治に誠意も信用もあるか」と問えば、「ある」と胸を張って言える人はそう多くないという感じもするが、では、「中国の政治には誠意も信用もあるが、それをさらに高めよう」というのがこの国務院のガイドラインの趣旨だと言えるか。とても言えない。やはり中国の実情は、「政治に誠意も信用もない」に近いようだ。

 このガイドラインは「各級政府・公務員が信用を失ったことを記録するシステム」を整備せよと言っている。たとえば、法令違反を犯し、信用を失ったため判決、行政処罰、規律処分、問責処分などを受けたことなどを「政務失信記録」に記載すべきだというのだ。
 また、「新官不理旧賬」という問題があると指摘している。「新任の官吏は前任のツケを払わない」という意味で、全国にはびこっている悪質な問題なので6文字で分かりやすく表現したのであろう。たとえば、地方で土地を再開発して商業施設を建設する事業で政府は農民とさまざまな契約、協議書を結ぶが、部局が変わったとか、担当者が変わったという理由で簡単に破棄したり、無視したりしているのだ。農民にとってはたまらない問題だ。

 信頼の欠如はどこの国でも問題となりうるが、中国ではその程度がすさまじい。国家、政府、公務員に対する人民の信頼がないだけでなく、国家機関同士、人民の間でも信頼が欠如している。そのため法秩序にも信頼がなく、法の順守よりも蓄財を優先する。中国人自身昔からそのような悪弊を認識していた。孔子は、「民の信頼を失えば国は立ちいかない。信頼は軍備や食料よりも重要だ」と2500年も前に指摘していた。習近平主席が反腐敗運動に力を入れるのは、現在でも腐敗が蔓延し、中国がむしばまれているからだ。  
 2016年10月下旬に開催された六中全会、つまり第18期中国共産党第6回中央委員会全体会議で中央委員は197名中132名、中央委員候補は151名中120名が王岐山を次期党全国代表大会(19全大会)で例外的に政治局常務委員として留任させる嘆願書に署名したそうだ(12月28日付の『多維新聞』は香港の雑誌による報道としている)。王岐山は習近平の下にあって反腐敗運動を実際に指揮した人物であり、今後の反腐敗運動の継続のため欠くことができないというわけだ。
 同人は1948年生まれで、党大会の時点では69歳になる。中国の70歳定年制では67歳までは再任が可能だが、68歳以上は再任不可となっており、この規則に従えば、王岐山は党大会で引退することになるのだが、例外的に再任を認める嘆願書である。この嘆願に参加した人の数が多いだけでなく、宋平(革命戦争に参加した。周恩来の秘書も務めた)、朱鎔基(元首相)、遅浩田(元総参謀長)、呉儀(元副首相)らの元老も含まれていた。このようなことは極めて異例であり、六中全会は「留王狂潮」、つまり「王岐山を留任させる狂騒」だったとも言われている。
 
 一方、中国共産党は、2016年の初頭から検討してきた「国家監察委員会」を2018年3月に新設することにした。すべての公務員、つまり党員でない者も対象に腐敗行為を取り締まるのが目的だ。
 これまで習近平・王岐山チームは「中央規律検査委員会」と「巡視組」によって反腐敗運動を展開してきた。その厳しさは天下にとどろいており、取り締まりの実績は上がっていたと見られていたが、さらにこのような新機構を設置するのは必要だからだろう。つまり、これまで大々的に取り締まりを展開してきたが、それでも不十分なのだ。あらためて中国における腐敗のひどさ、そして信頼のなさを思い知らされる。
 習近平体制は今年の秋に開催される前述の党大会で第2期目に入り、さらに5年間中国を指導する。反腐敗運動は引き続き最重要問題として取り組むことがはっきりしてきた。腐敗を取り締まり、信頼を築くのに努めることは健全な政治だが、新反腐敗体制によってその効果が上がるか。中国共産党による上からの指導によって信頼を築くことができるか、根本的な疑問は消えない。

2016.12.31

稲田防衛相の靖国神社参拝

 稲田防衛相は、安倍首相の真珠湾訪問に同行して帰国した後、靖国神社に参拝した。12月29日であった。
 この参拝について感想を求められた「米国務省員は、米政府は癒しと和解を進めていくことが重要だということを強調し続けるとコメントした」と、ウォールストリート・ジャーナル紙は29日報道した。

 我が国の閣僚による靖国神社参拝については、中国および韓国とともに米国の見解にも注意を払うことが必要である。日本国民の一部がかりに先の戦争を正当化しようとすれば、米国は賛同しないどころか強く批判するだろうからである。
 首相や閣僚が靖国神社に参拝することは、直接的には戦争の正当化でないとしても、そういう意味があると解される恐れがあり、そうなると戦争において多大の犠牲を払った中国など近隣諸国の感情は再度傷つけられ、ひいては日本との和解が困難になるので、米国はやはり警戒する。このような米国の姿勢はかねてから様々な機会に示されており、疑う余地はない。

 日本は米国と同様主権国家であり、同等の立場に立っているのでそのような米国の考えや批判に屈服する必要はないという反発があるかもしれないが、先の戦争に関するかぎり日本はそのような主張をすることはできない。日本が独立を回復した平和条約で日本は極東軍事裁判を含め戦争の処理を受け入れているからであり、また、そのことを無視して米国と対立すれば日本を守ってもらうことなど期待できなくなるからだ。

 稲田防衛相は靖国神社参拝について「未来志向に立ってしっかり日本と世界の平和を築いていきたいという思いで参拝をした」と説明している。また、「戦死者を慰霊することはどの国でも行っていることであり問題ない」ということも述べている。しかし、この未来志向も、戦死者の慰霊も米国が問題視していることでない。
 米国は戦争を美化すること、それにつながるようなことに反対しているのであり、もし、稲田防衛相が戦争指導者を祀っている靖国神社参拝にはそう意味がないという信ずるのであればそのことを説明すべきである。そのことにふれずに、どの国でも行っていることという側面だけを論じるのは論点のすり替えだ。

 この問題は安倍首相にも無縁のことでない。また、稲田防衛相以外の閣僚も繰り返してきたことであり、かれらの靖国神社参拝についても同じ問題がある。戦争を指導した人たちについての考えを整理したうえで、なおかつ靖国神社参拝は純粋に戦死者の慰霊のためだけだと思っているのなら、戦争指導者を神社がまつることの意味を堂々と説明してほしい。そうしないで、米国などの諸国が問題にしていることには沈黙を決め込んで、都合のよいことだけを口にするのは米国を軽視し、ひいては国益を害することにならないか。

2016.12.29

安倍首相の真珠湾訪問

THE PAGEに寄稿した一文です。

 「安倍首相は12月27日、ハワイの真珠湾を訪問し、アリゾナ記念館でオバマ大統領とともに戦死者を追悼しました。また、その後の演説で、戦争の惨禍を繰り返さない決意を表明するとともに、日本に対して示された寛容の心に感謝し、和解の力を強調しつつ世界に向かって訴え続けていくと述べました。戦後、ハワイを訪れた日本の首相は数人いましたが、真珠湾で戦死者の慰霊を行ったのは安倍首相が初めてであり、日本と米国の関係において歴史的な一歩となったと思います。

 ハワイは世界でも屈指の観光スポット。日本人観光客も毎年大勢押し寄せ、楽しいひと時を過ごしています。しかし、真珠湾は75年前、日米間の戦争が始まった場所にほかなりません。今でも心にわだかまりを抱いている人は少なくないでしょう。

  なぜ日本軍は1941年12月7日、真珠湾の米軍基地を攻撃したのか。
  なぜ米国人はこの攻撃を不意打ちであったと見ているのか。
  なぜ日本は、攻撃の前に宣戦布告しなかったのか。
  なぜルーズベルト大統領は日本の攻撃意図を事前に知っていたのに米国民に教えなかったのか。

 日米間の戦争については歴史や国際政治の立場からさまざまな研究が行われており、日本が米国を攻撃する前に、米国では対日石油禁輸、日系米人に対する差別的な強制移住などさまざまな出来事があったことや、米国は一方的に日本に敵対行動を取ったのではなく、日本が中国などへ侵略したからであったことなど研究しつくされていると言っても過言でないでしょうが、私は説明をいくら読んでも、いくら聞いてもわだかまりを完全に解くことはできません。

戦争の開始だけでなく、戦争状態の終結に関してもわだかまりが生まれました。とくに、日本が極東軍事裁判で一方的に裁かれ、また、サンフランシスコ平和条約でその判決を受け入れたことにより、日本は国家として弁明できなくなったからです。

 安倍首相の真珠湾訪問へ反対する人たちにはそのようなわだかまりがあり、なかには極東軍事裁判についての見方を変えるべきだと主張する人もいます。しかし、極東軍事裁判を見直すことは不可能です。国家として平和条約で受け入れたからには、それに異を唱えることはできません。日本の行動について公に弁明する道はないのです。

 わだかまりを解くには、相手方と和解することが必要だと思います。戦争を起こした責任はどこにあるかを忘れるのではなく、責任は明確にし、かつ償いをし、また受け入れつつ、戦争は過去のこととして心の整理をし、双方の現在および未来に影響させないことが肝要です。

 安倍首相の真珠湾訪問は日米両国民の和解のために非常に意義深いことでした。日本の攻撃により命を落とした人たちを日本の首相が慰霊をし、また、米国が安倍首相に謝罪を要求しなかったことはまさに和解の精神を体現していました。

 米国人の間には真珠湾を奇襲攻撃されたことについてのわだかまりが残っています。オバマ大統領が今年5月に広島を訪問する前に、米国務省から日本の首相が真珠湾を訪問しないかという打診があったことにそのわだかまりが垣間見えていました。

 一方、日本側でもわだかまりがありました。米大統領の広島訪問と日本の首相の真珠湾訪問は性質が異なります。原爆は広島市と長崎市を攻撃し、犠牲となったのはほとんどすべてが一般市民でしたが、真珠湾攻撃は米海軍の艦船を無力化するため米軍基地を対象に行われたからです。

 しかし、実際には米国政府は広島と真珠湾を関連付けることを控え、また日本政府は関連付けしないことを条件にしませんでした。両政府とも和解に努めた結果だったと思います。

 私は、真珠湾攻撃も広島・長崎への原爆投下も戦争の悲惨さを象徴していたのであり、それぞれについてのわだかまりを真珠湾訪問、あるいは広島訪問で解くことは極めて有意義なことだったと考えています。

 なお、両国民はこれまで和解してこなかったのではありません。国際社会での協力や同盟関係を結ぶこと、さらには両国民の交流など様々な形で和解を進めてきました。安倍首相の真珠湾訪問はその上でのさらに大きな一歩だったのです。
 しかし、これで和解が完了したのではなく、両国民はさらなるわだかまりの解消のために今後も努力が必要です。

 特に靖国神社については、首相が参拝すべきだという考えもありますが、戦争の指導者を祀ることは「偉かった」とみなすことであり、それは内外を問わず多くの人に受け入れられないのではありませんか。私は、この問題は日米両国民の和解を妨げており、戦争指導者は靖国神社に祀らないという形で、つまり、いわゆる「分祀」などにより一刻も早く解決すべきだと考えます。

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