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2017.08.27

朝鮮人「徴用工」問題

 朝鮮人徴用工とは1944年8月に国民徴用令が朝鮮人にも適用されることとなり、それ以来終戦までの間、日本政府に徴用された人たちのことである。実際には日本の民間企業で労働に従事した。
 ただし、自由意思で日本にわたってきた朝鮮人も多数おり、日本外務省の1959年7月11日の説明では、1939年から終戦の時点までに約100万人の朝鮮人が渡来しており、その大部分は自由意思に基づき日本での労働に従事したとされている。その中の、徴用された朝鮮人の数については説明がなく、わずかに、「1959年時点での在日朝鮮人の総数は約61万で、外国人登録票について調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきたものは245人であった」とのみ記されていた。つまり、100万人のうち大部分は終戦から1959年までに朝鮮に戻っていたので、1959年に日本に在住していることが確認された徴用工の数は245人という小さい数字であった。
 そもそも、徴用された朝鮮人の数があるはずだが、公表されていないようである。このような状況から徴用工の数を具体的に示すことは非常に困難であり、研究対象になっているのが実情である。
 また、戦争中には中国人も日本の企業で労働に従事していたので、いわゆる徴用工の問題を考える場合にはこれも考慮する必要がある。

徴用工問題と慰安婦問題はともに戦争の犠牲になって過酷な労働、あるいは生活を強いられたという点で類似しているが、違っている点もある。上述した、徴用工全体の数字が把握しにくいこともその一つである。

 徴用工の賠償あるいは補償を求める請求権については、国民徴用令に基づいて徴用されたので日本政府に対する請求が行われる可能性があるが、国民徴用令は日本国籍を有する者全員を対象としていたのであり、朝鮮半島出身者だけが特別に扱われる理由はない。日本人も朝鮮人も徴用されたことに対する補償を受けられるのが理想であるが、それは畢竟戦争の問題であり、国民は甘受するほかなかった(なお、この点はさらに確認する必要があるが、現時点では筆者の理解を記しておく)。
 ともかく、日韓両国政府は1965年、日韓基本条約と同時に請求権・経済協力協定を結び、財産・請求権の問題を「完全かつ最終的に」解決した。
 請求権とは、朝鮮人の側では、日本による植民地統治時代にこうむった苦痛と損害に対する補償要求、日本人(企業を含む)の側では朝鮮半島に残してきた工場、住居などの財産についての返還請求がある。それらの清算のため両国政府は長期間交渉したが、請求権問題は極めて複雑であり、一括解決せざるを得なかった。そうしなければ日韓両国が不幸な植民地時代の歴史を乗り越えて対等の立場で再出発することができなかったのである。日韓両国がこの協定を順守していかなければならないのは、単に国際法的に当然というだけでなく、歴史的意義がある重要な約束だからである。

 しかし、韓国政府は、慰安婦問題は請求権協定で解決していないという立場である。これに対し日本政府は、慰安婦問題も請求権協定で解決したという法的立場を曲げるわけにはいかないとしつつ、可能な限りの対応をしてきた。

 一方、徴用工問題については、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権下の2005年、日韓の請求権協定には徴用工問題も含まれ、賠償を含めた責任は韓国政府が持つべきだとの政府見解もまとめた。文在寅氏は当時大統領首席秘書官としてその方針決定にかかわった。
 そして、文在寅(ムンジェイン)大統領は、大統領就任100日を迎えて開かれた2017年8月17日の記者会見で、これまでの韓国政府の見解から逸脱するかのような認識を示した。韓国においては2012年5月、大法院(最高裁判所)が、「請求権協定で放棄された外交保護権と個人請求権は別」という判断を示し、そのころから韓国政府はそれまでの立場とは異なる姿勢を見せ始めたのだが、文在寅大統領はこの大法院判断に触れつつ、「政府はその立場から歴史認識問題に臨んでいる」と語ったのである。
 また、文氏は、その2日前の植民地解放の式典でも、慰安婦問題と徴用工問題を並べて取りあげ、「日本指導者の勇気ある姿勢が必要」だと訴えた。
 要するに、文在寅大統領は、盧武鉉政権で決定したことを変更して、日本政府に、韓国の世論が希望する解決のために行動するよう求めたのである。
 文在寅氏はこの問題の困難性を十分理解しているはずである。にもかかわらず、韓国世論に迎合して日本政府に要求をするのは無責任であると言わざるを得ない。文在寅氏は、韓国の世論に対して国家間の約束を尊重すべきことを説得すべきであった。百歩譲って、現実の政治ではそのとおりにすることが困難であっても、文在寅氏には、日本政府に要求をするのとは異なる対応があるのではないか。もしその対応が今見つからなければ、引き続き模索し続けるべきではないか。

 一方、日本政府は国際的にどのように振る舞うべきか。これには最大限の慎重さが必要である。日本側としては徴用工問題についての文在寅大統領の理不尽さを突きたいところであっても、下手に動けば日本政府は元徴用工の人々に対しても批判的な態度を取っていると誤解される危険がある。慰安婦問題において見られたように、一部の事実関係についての誤りを指摘することは政治家がすべきことでない。このため日本がいかに不利な立場に置かれたか肝に銘じるべきである。
 徴用工問題についてもそのような危険はありうる。請求権問題は人権問題と絡んで国際的運動で取り上げられやすい面があるだけに、事実関係の誤りを正して相手の主張の信頼性、信憑性を崩すという手法は百害あって一利ないことに注意が必要である。
 一方、首脳レベル、外相レベルで国際約束を順守すべきこと、韓国政府がいったん決めたことを政権が代わったからと言って反故にするようでは韓国の信用にかかわることなどを日本側から冷静に説くことは当然である。
 しかし、その場合も対外発表は最小限にとどめるべきである。そうしないと、メディア報道を通じて国際的な混乱が生じる恐れがある。


2017.08.24

中国にとっての北朝鮮問題

 中国にとって北朝鮮問題とはなにか、米国や日本の強い働きかけに本当に応じる用意があるのか、などに関する一文を東洋経済オンラインに寄稿した。
 米国と中国の立場は大きく異なっている。米国は、国連安保理の決議を忠実に実行すれば北朝鮮問題は解決するという考えであり、中国は、それでは北朝鮮の安全は確保されない、したがってまた核・ミサイル問題も解決できないという考えである。
 日本として米国と同じ立場に立つのは自然だが、北朝鮮問題が解決しない、核・ミサイル問題も解決しないというのであれば単純に米国と同じ立場に立てばよいとは言えなくなる。
 北朝鮮問題を論じる場合つねに悩まされることだが、今回は中国の側から見ればどう見えるかという視点に立って分析を試みた。
 「東洋経済オンライン」→「米朝チキンレースを静観する中国の深謀遠慮」にアクセスしてご覧いただきたい。
2017.08.21

日米地位協定

 江崎鉄磨沖縄北方担当相の発言があったので、ザページに以下の一文を寄稿した。日米地位協定の内容にはいくつか改善すべき点がある。沖縄の人々が被っている苦痛が少しでも緩和されるよう努めなければならないのは当然だが、沖縄の担当相が地位協定の改定を提起するからには事前によく勉強しておいてもらいたい、この問題は結局日米安保条約の問題だ。主張するなら、そこまで考えた上で発言してほしいと思いながら書いたものである。

「 日米地位協定とは、日米安全保障条約に基づき我が国に駐留する米軍が使用する施設・区域、すなわち基地と、米軍の我が国における地位に関する日米両国の合意です。これがないと米軍は日本で行動することが実際上困難になります。たとえば、基地をどこに置くか決まっていなければ米軍の居場所はありません。宿舎についても決めなければ米軍人とその家族が住むところがありません。米軍が人を雇うにも、米軍人ではないので日本側との合意が必要になります。基地で使用する電気、水などをどちらが負担するのかも決めなければなりません。地位協定は日米安保条約を機能させるのに必要な取り決めです。
 現在の日米地位協定は、1960年に現在の日米安全保障条約が締結された際結ばれました。それ以前には、旧日米安全保障条約に基づく行政協定がありました。行政協定が結ばれた1952年は日本が独立を回復した年であり、日本政府の発言力は限られており、行政協定は不平等性が強かったと見られていました。
地位協定は行政協定の内容をほぼそのまま承継したので問題があり、改正が必要だという意見がありますが、歴史的経緯には留意すべきでしょう。

米軍基地の運営や米軍人の行動についてはさまざまな問題が発生しています。いわゆる「基地問題」であり、全国の米軍専用施設面積の約75%にのぼる米軍基地が集中している沖縄はとくに大きな苦痛を強いられています。沖縄県は、米軍基地の沖縄への集中の是正、住民の安全確保などのため地位協定の見直しを求め、また、日本各地と連携して基地問題を解決するため「全国行動プラン」を実施し、全国知事会で協力を呼びかけています。
 
現実には、しかし、日米地位協定の改定は1回も実現していません。最近環境保護と米軍の「軍属(米軍に勤務する米国籍民間人など)」の範囲の縮小に関して追加の協定が結ばれましたが、いずれも「地位協定の補足協定」と位置付けられています。これらは実質的には協定の改定と言えるので、地位協定の改定が行われたことがないことにあまり大きな意味を持たせるのは適当でないでしょうが、地位協定の改定をしないことには歴代日本政府の弱い姿勢が象徴的に表れているという見方もあります。

 代表的な問題を二つ見ていきましょう。
 
第1に、米軍基地の提供・返還に関する手続き・要件を地位協定は具体的に規定していないことです。基地として使用する場所の範囲や使用期間、条件などが明記されていないのです。そのため、返還を求める場合もどうすればそれが可能か、どういう条件を満たせば可能かはっきりせず、常に政治的な交渉になってしまいます。
 
この問題についての日本政府・外務省の考えは公表されていません。地位協定は、行政協定で日本が提供した基地をそのまま継続して使用することとしている(2条1(b))ので、あらためて基地の提供について合意する必要はないという考えなのでしょう。その他の具体的な問題は日米双方の実務者から構成される合同委員会で対応策を協議し、合意していくという方針だと思われます。
 
第2に、地位協定は米軍・米軍人が日本の法令を順守すべきことを明記しています(第16条)が、実際にはそれが実行されていないことに強い不満があります。いわゆる裁判権の問題です。

公務内と公務外を分ける必要があり、公務内であれば日本の法令は原則として適用されません。

一方、公務外であれば日本の法令が適用されます、たとえば、米軍人が住民に暴行を加えた場合、日本の警察が現行犯逮捕等を行ったときには、それら被疑者の身柄は、米側ではなく、日本側が確保し続けます。

 しかし、被疑者は捕まる前に基地内に逃げ込むことがあり、その場合には、公訴が提起されるまで、米側が拘禁を行うこととされています。その間に被疑者が米国へ逃亡することもあります。1995年に沖縄で起こった米軍人による暴行事件の場合も控訴提起まで日本側に引き渡しされませんでした。後に日本で裁判にかけられ有罪が確定しましたが、極めて悪質で卑劣な行為であり、引き渡しが実現しないことは現地で大問題となりました。

 そのようなことでは住民の安全は確保できないので地位協定の改定を求める声が強くなります。

しかし、政府・外務省は、前述したように、協定の改定でなく、米軍への直接の要望や合同委員会で解決を図ろうとしています。
 
日米地位協定はNATO諸国、とくに同じ敗戦国であったドイツ(ボン補足協定)やイタリアの場合と比較して改定を求められることもありますが、米軍人が犯罪を犯した場合の扱いは、日本の場合とドイツやイタリアの場合と基本的には同じです。ただ、NATOの場合は条約上米国と欧州諸国が平等の地位に置かれているのと違い、日米安保条約は実質的には片務的であり、日本は米本土を守る義務を負っていないので、そもそも平等ではありません。
なお、ドイツのボン補足協定と日米地位協定を比べると、前者は原則として重大犯罪についてドイツの裁判権を認めており、その意味ではドイツは同国の主権を米軍にも及ぼしていますが、他方、ドイツはその裁判権をほとんどすべての場合放棄しています(日本外務省の説明)。本当の比較は協定条文だけでなく、実際の運用も含め慎重に行う必要があります。

日米安保体制は日本の安全保障の根幹であり、これを揺るがせることはできません。しかし、日本国民、沖縄の人々の安全を確保することもおろそかにできません。この両方の必要性を同時に満たすのは容易なことでありませんが、日本としては粘り強く交渉して米国の理解を求めていくことが必要です。」

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