オピニオン
2018.10.19
プーチン氏のこの発言はさる9月、ウラジオストクで開催中の「東方経済フォーラム」で突然、「いま思いついた。平和条約を前提条件なしで結ぼう。今ここでとはいわない。今年末までに結ぼうではないか」と、文字通りの”思いつき発言”をしたのと趣旨は同じである。
プーチン氏はロシアの指導者として北方領土問題の解決と平和条約締結に熱心でない。それだけでなく、プーチン氏の安倍首相に対する態度は、1時間近くも待たせたり、今回のような発言をしたりするなど「無礼」ではないか。
詳しくは、東洋経済オンラインの9月13日付「プーチンが「領土棚上げ」を口走った深刻事情 「年内平和条約」の提案は何を意味するのか」と題する記事をご覧願いたい。
こちらをクリック
日本政府には毅然とした態度で正しく対応してもらいたい。日本政府は、プーチン氏のウラジオストク発言はプーチン氏の「平和条約締結への熱意の表れ」だなどと説明している。このような説明は事実に即さず、あまりにも欺瞞的ではないか。
プーチン大統領の対日関係発言
プーチン・ロシア大統領は10月18日、ロシア南部ソチで開かれた有識者との会合で、日ロの平和条約問題は、「70年間も足踏みをしており、終わりを見渡せない」などと述べつつ、条約締結には北方領土問題の解決が必要とする日本と考えが違っており、また、ロシアが2014年にウクライナ南部のクリミアを編入し、日本が経済制裁を科したことは日ロ間で必要な信頼醸成に役立たないなどと発言した。プーチン氏のこの発言はさる9月、ウラジオストクで開催中の「東方経済フォーラム」で突然、「いま思いついた。平和条約を前提条件なしで結ぼう。今ここでとはいわない。今年末までに結ぼうではないか」と、文字通りの”思いつき発言”をしたのと趣旨は同じである。
プーチン氏はロシアの指導者として北方領土問題の解決と平和条約締結に熱心でない。それだけでなく、プーチン氏の安倍首相に対する態度は、1時間近くも待たせたり、今回のような発言をしたりするなど「無礼」ではないか。
詳しくは、東洋経済オンラインの9月13日付「プーチンが「領土棚上げ」を口走った深刻事情 「年内平和条約」の提案は何を意味するのか」と題する記事をご覧願いたい。
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日本政府には毅然とした態度で正しく対応してもらいたい。日本政府は、プーチン氏のウラジオストク発言はプーチン氏の「平和条約締結への熱意の表れ」だなどと説明している。このような説明は事実に即さず、あまりにも欺瞞的ではないか。
2018.10.01
ロヒンギャ問題に関しミャンマー政府に対する国際的な批判が非常に強くなってきた。2018年9月末にミャンマー軍の関係者を訴追すべきだとする厳しい内容の決議が採択された。事実関係の調査は今後も続く。ミャンマー政府が抵抗すれば制裁は強化されるだろう。
アウン・サン・スー:チー最高顧問はきびしい状況に置かれている。同氏は、ミャンマーが民主化の第一歩を踏み出して以来、少数民族問題を解決し、軍を政治から遠ざけ、真に民主的な憲法を採択(ないし改正)することを目指したが、現在は、少数民族問題も民主化・軍問題も進展を期待できない状況に陥っている。
ロヒンギャ問題が原因で国際社会との関係も悪化し、とくに欧米諸国の間では、アウン・サン・スー・チー氏はミャンマーの最高権威者にふさわしい行動を取らないという批判が高まっている。
日本政府はミャンマー政府の立場を理解・尊重してきたが、事実関係の究明などについては、ミャンマー政府が嫌がっても実行するのが、結局はミャンマーの利益となる。監視カメラの設置などもよいが、国際NGOが実施している衛星写真の活用は有効な手段であり、支援すべきである。
ミャンマー政府ができないことを強要すべきでないが、その言いなりになってはミャンマーためにもならない。
(ロヒンギャ問題の経緯)
アウン・サン・スー・チー氏の解放後、ミャンマーにおける最大の政治課題は、民主化を進めることと少数民族を平和裏に統合することであった。しかし、少数民族の一部は政府に敵対し、武装闘争も続けているので政府としては軍に頼らざるを得ない、そのため、民主的な政治を実現することもできないという、困難な状況にある。
ロヒンギャの難民が増加し始めたのは2012年6月、ロヒンギャ(イスラム)と仏教徒の大規模な衝突が起き、多数のロヒンギャが犠牲となった事件がきっかけであり、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、2012年からの5年間で、ミャンマーから逃れたロヒンギャは16万8千人以上と推計している。
その後、ロヒンギャに対する迫害は繰り返され、また、ロヒンギャの側でも武装勢力が政府や仏教徒を襲撃するなどしてきた。
また、この間、ミャンマーにおいてロヒンギャは国籍も認められていないことに国際的な関心が集まった。
このような経緯から、ミャンマー政府に対してロヒンギャの迫害・襲撃の即時停止、難民の帰還を認めること、帰還が可能となるように環境を整えることなどが求められたが、進展していない。国際社会はミャンマーに対する不満を増大させ、国連などと同政府の関係は悪化した。
真相究明は国連側が必要とするのはもちろん、ミャンマー側も否定できない。アウン・サン・スー・チー国家顧問は2016年8月、特別諮問委員会を設置した。委員長は元国連事務総長のコフィ・アナン氏。ほかに3人の外国人と6人のミャンマー人の専門家で構成された。
この諮問委員会は2017年8月24日、ミャンマー政府に、「暴力は問題を解決しない」と指摘しつつ、国籍法を見直してロヒンギャに国籍を認めること、治安部隊の教育体制や指揮系統を見直し、検問所に監視カメラを設置して部隊への監視を強化すべきだなど、難問も含め計88項目を勧告した。アナン委員長は勧告発表後の記者会見で「実行の責任は政府にある」と政府に勧告履行を促した。スー・チー氏は「政府全体で勧告を推進する枠組みを作る」と答えたという。
国連ではミャンマー政府の対応では不十分だとの考えが強く、諮問委員会の報告が出る前であったが、2017年3月、国連人権理事会(UNHRC)は独立した国際調査団を早急に派遣する内容の決議を採択した。
当初、ミャンマー政府はこれを受け入れようとしなかった。ミャンマー側では諮問委員会の検討が進行中であったのと、国連人権理事会が決めた調査は公正性を期待できないとの考えであったからであろう。その背景には、仏教徒対イスラム教徒の対立が影響を及ぼしていた可能性もあった。
後に、ミャンマー政府は調査団をしぶしぶ受け入れた。
事態をさらに悪化させたのは、8月25日から始まったロヒンギャ武装勢力と政府軍の衝突であり、ふたたび多数の難民が流出した。国際社会では危機感が高まり、ミャンマーのイメージはさらに悪化した。グテーレス国連事務総長は、記者に「これは民族浄化だと考えるか」と問われ、「ロヒンギャ人口の3分の1が国外に逃れている。これを形容するのにより適した表現がほかにあるだろうか」と答えたという。
人権理事会は12月5日、ミャンマーによるロヒンギャへの対応を非難するとともに、ミャンマーに独立調査団への協力を呼びかける内容の決議を賛成33、反対3、棄権9で採択した。反対は中国、フィリピン、ブルンジ。棄権は日本、インド、コンゴ、エクアドル、エチオピア、ケニア、モンゴル、南アフリカ、ベネズエラであった。
また、国連総会でも12月24日、同趣旨の決議が採択された。
しかし、ミャンマー政府は調査団の特別報告者、Yanghee Lee(韓国人児童心理学者。漢字表記では「李亮喜」)の入国を拒否し、調査団に協力しないことを通告した。これについてYanghee Leeは「ミャンマー政府の決定に失望している。大変なことが起きているに違いない」と非難した。ミャンマー側は、Leeが2017年7月の訪緬の際「以前の(軍事)政権の手法が今も用いられている」などと批判したことが、「偏っており不公正だ」として、協力取りやめの理由に挙げたという。
12月12日、ミャンマー政府は、ラカイン州で取材していたロイターの記者2人(ワ・ロンとチョー・ソウ・ウー)と、協力者の警察官2人を逮捕した。
翌年9月3日、両記者はいずれも禁錮7年の判決を言い渡された。
この事件はミャンマー政府と国際社会の関係をさらに悪化させ、国連事務総長が判決の見直しを要求したのをはじめ、各国は非難の声を上げた。
2018年6月6日、ミャンマー政府はUNHCR(難民担当)およびUNDP(援助担当)との間で、難民のミャンマーへの帰還を可能にするためにとるべき措置について覚書を結んだ。
これはミャンマー政府と国連との間での一つの進展であった。また、アナン氏の諮問委員会の勧告が実施されれば、国連との関係も改善されるが、いずれも結果が出るには時間が必要であった。
8月27日、人権理事会が派遣した調査団がついに大部の報告書を作成し、発表した。ロヒンギャ難民ら875人への面談記録や、焼失した村の衛星画像などを根拠としつつ、ミャンマー国軍や治安部隊が国際人道法に違反する行為を行っており、ミン・アウン・フライン最高司令官には「特定集団を抹殺する意図があったと判断できる」と指摘し、ルワンダや旧ユーゴスラビアの紛争指導者と同様に、国際法廷で裁くべきだと指弾した。
1カ月後の9月27日、人権理事会はミャンマー政府を非難する決議を採択した。決議は報告書を踏まえており、ロヒンギャについて起こっていることは「ジェノサイド」という最も重い人道犯罪の疑いがあるとも述べた。さらに、ロヒンギャ問題のみならず、北部カチン、シャン両州での迫害にも言及した。
さらに、決議は調査団の活動延長に加え、証拠集めなどに当たる独立機関の設置を決めた。
この決議は国連でのミャンマー政府に対する非難・要求の集大成し、かつ、さらに内容を厳しくしたものである。ミャンマー政府はす抜き差しならぬ状況に陥った。
この間、アウン・サン・スー:チー最高顧問はきびしい状況に置かれた。同氏は、ミャンマーが民主化の第一歩を踏み出して以来、少数民族問題を解決し、軍を政治から遠ざけ、真に民主的な憲法を採択(ないし改正)することを目指したが、現在は、少数民族問題も民主化・軍問題も進展を期待できない状況に陥っている。
ロヒンギャはさらに各国との間で困難な問題となり、今や、とくに欧米諸国の間ではミャンマーの最高権威者であるが行動に出ないアウン・サン・スー・チー氏に対する風当たりが強まっている。同氏はノーベル平和賞を受賞していたが、それを返上すべきだという声も上がっている。
スー・チー氏はアナン諮問委員会を構成するまでは、積極的に応じようとしていたが、それ以降は国際社会の期待に応えられないでいる。とくに、2017年8月の事件発生以来防戦一方となり、スー・チーはなすべきことをしていないという印象が強くなっている。
スー・チー氏は内外の困難な矛盾に直面しており、解放された直後の高揚感はなくなっている。2017年3月には引退を示唆する発言をしたこともあった。
日本の対応については、2017年8月の事件後、安倍首相をはじめ河野外相からアウン・サン・スー・チー最高顧問などに懸念を表明し、問題解決への努力を促した。調査団の受け入れも求め、ミャンマー政府として独立調査団の活動に協力する用意があるとの発言を引き出したこともあった。
概して、日本政府は難民問題の解決には積極的であり、自ら拠出をしつつ、必要資金が集まるよう各国に働きかけも行い、この面では実績は上がっている。
国連での決議については、欧米諸国がミャンマー政府を厳しく批判するのと異なり、棄権投票を続けている。その理由について、河野外相は、「国連の委員会に決議が提出されましたが,その中には事実調査団の派遣といったような内容もありましたが,現実的にミャンマー政府が受入れるものでなければ,きちんとした調査ができないというようなこともあり,日本としては棄権をいたしました」などと説明している。
しかし、今やミャンマー政府ができる範囲内での行動を求めるだけでは乗り切れなくなりつつある。調査は今後も続く。ミャンマー政府が抵抗すれば、制裁は強化されるだろう。事実関係の究明などについては、ミャンマー政府が嫌がっても実行するのが結局はミャンマーの利益となるのではないか。アウン・サン・スー・チー最高顧問にとっても、ミャンマーの民主勢力にとっても、軍の良識派にとっても。
そうであれば、衛星写真の活用はアムネスティ・インターナショナルがかねてから実行していることであるが、日本政府としても積極的に支援すべきである。それだけでなく、事実関係の究明により積極的に取り組むべきである。
ロヒンギャ問題の長期化はミャンマー経済に深刻なダメージを与えている。投資も観光も減少している。前述の国際調査団の報告書は、ミャンマーに進出する外資企業に軍やその関係企業と経済関係を持たないようクギを刺している。
ミャンマー政府ができないことを強要すべきでないが、その言いなりになるのはミャンマーのためにも許されない。
ロヒンギャ問題と窮地のミャンマー政府
(要旨)ロヒンギャ問題に関しミャンマー政府に対する国際的な批判が非常に強くなってきた。2018年9月末にミャンマー軍の関係者を訴追すべきだとする厳しい内容の決議が採択された。事実関係の調査は今後も続く。ミャンマー政府が抵抗すれば制裁は強化されるだろう。
アウン・サン・スー:チー最高顧問はきびしい状況に置かれている。同氏は、ミャンマーが民主化の第一歩を踏み出して以来、少数民族問題を解決し、軍を政治から遠ざけ、真に民主的な憲法を採択(ないし改正)することを目指したが、現在は、少数民族問題も民主化・軍問題も進展を期待できない状況に陥っている。
ロヒンギャ問題が原因で国際社会との関係も悪化し、とくに欧米諸国の間では、アウン・サン・スー・チー氏はミャンマーの最高権威者にふさわしい行動を取らないという批判が高まっている。
日本政府はミャンマー政府の立場を理解・尊重してきたが、事実関係の究明などについては、ミャンマー政府が嫌がっても実行するのが、結局はミャンマーの利益となる。監視カメラの設置などもよいが、国際NGOが実施している衛星写真の活用は有効な手段であり、支援すべきである。
ミャンマー政府ができないことを強要すべきでないが、その言いなりになってはミャンマーためにもならない。
(ロヒンギャ問題の経緯)
アウン・サン・スー・チー氏の解放後、ミャンマーにおける最大の政治課題は、民主化を進めることと少数民族を平和裏に統合することであった。しかし、少数民族の一部は政府に敵対し、武装闘争も続けているので政府としては軍に頼らざるを得ない、そのため、民主的な政治を実現することもできないという、困難な状況にある。
ロヒンギャの難民が増加し始めたのは2012年6月、ロヒンギャ(イスラム)と仏教徒の大規模な衝突が起き、多数のロヒンギャが犠牲となった事件がきっかけであり、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、2012年からの5年間で、ミャンマーから逃れたロヒンギャは16万8千人以上と推計している。
その後、ロヒンギャに対する迫害は繰り返され、また、ロヒンギャの側でも武装勢力が政府や仏教徒を襲撃するなどしてきた。
また、この間、ミャンマーにおいてロヒンギャは国籍も認められていないことに国際的な関心が集まった。
このような経緯から、ミャンマー政府に対してロヒンギャの迫害・襲撃の即時停止、難民の帰還を認めること、帰還が可能となるように環境を整えることなどが求められたが、進展していない。国際社会はミャンマーに対する不満を増大させ、国連などと同政府の関係は悪化した。
真相究明は国連側が必要とするのはもちろん、ミャンマー側も否定できない。アウン・サン・スー・チー国家顧問は2016年8月、特別諮問委員会を設置した。委員長は元国連事務総長のコフィ・アナン氏。ほかに3人の外国人と6人のミャンマー人の専門家で構成された。
この諮問委員会は2017年8月24日、ミャンマー政府に、「暴力は問題を解決しない」と指摘しつつ、国籍法を見直してロヒンギャに国籍を認めること、治安部隊の教育体制や指揮系統を見直し、検問所に監視カメラを設置して部隊への監視を強化すべきだなど、難問も含め計88項目を勧告した。アナン委員長は勧告発表後の記者会見で「実行の責任は政府にある」と政府に勧告履行を促した。スー・チー氏は「政府全体で勧告を推進する枠組みを作る」と答えたという。
国連ではミャンマー政府の対応では不十分だとの考えが強く、諮問委員会の報告が出る前であったが、2017年3月、国連人権理事会(UNHRC)は独立した国際調査団を早急に派遣する内容の決議を採択した。
当初、ミャンマー政府はこれを受け入れようとしなかった。ミャンマー側では諮問委員会の検討が進行中であったのと、国連人権理事会が決めた調査は公正性を期待できないとの考えであったからであろう。その背景には、仏教徒対イスラム教徒の対立が影響を及ぼしていた可能性もあった。
後に、ミャンマー政府は調査団をしぶしぶ受け入れた。
事態をさらに悪化させたのは、8月25日から始まったロヒンギャ武装勢力と政府軍の衝突であり、ふたたび多数の難民が流出した。国際社会では危機感が高まり、ミャンマーのイメージはさらに悪化した。グテーレス国連事務総長は、記者に「これは民族浄化だと考えるか」と問われ、「ロヒンギャ人口の3分の1が国外に逃れている。これを形容するのにより適した表現がほかにあるだろうか」と答えたという。
人権理事会は12月5日、ミャンマーによるロヒンギャへの対応を非難するとともに、ミャンマーに独立調査団への協力を呼びかける内容の決議を賛成33、反対3、棄権9で採択した。反対は中国、フィリピン、ブルンジ。棄権は日本、インド、コンゴ、エクアドル、エチオピア、ケニア、モンゴル、南アフリカ、ベネズエラであった。
また、国連総会でも12月24日、同趣旨の決議が採択された。
しかし、ミャンマー政府は調査団の特別報告者、Yanghee Lee(韓国人児童心理学者。漢字表記では「李亮喜」)の入国を拒否し、調査団に協力しないことを通告した。これについてYanghee Leeは「ミャンマー政府の決定に失望している。大変なことが起きているに違いない」と非難した。ミャンマー側は、Leeが2017年7月の訪緬の際「以前の(軍事)政権の手法が今も用いられている」などと批判したことが、「偏っており不公正だ」として、協力取りやめの理由に挙げたという。
12月12日、ミャンマー政府は、ラカイン州で取材していたロイターの記者2人(ワ・ロンとチョー・ソウ・ウー)と、協力者の警察官2人を逮捕した。
翌年9月3日、両記者はいずれも禁錮7年の判決を言い渡された。
この事件はミャンマー政府と国際社会の関係をさらに悪化させ、国連事務総長が判決の見直しを要求したのをはじめ、各国は非難の声を上げた。
2018年6月6日、ミャンマー政府はUNHCR(難民担当)およびUNDP(援助担当)との間で、難民のミャンマーへの帰還を可能にするためにとるべき措置について覚書を結んだ。
これはミャンマー政府と国連との間での一つの進展であった。また、アナン氏の諮問委員会の勧告が実施されれば、国連との関係も改善されるが、いずれも結果が出るには時間が必要であった。
8月27日、人権理事会が派遣した調査団がついに大部の報告書を作成し、発表した。ロヒンギャ難民ら875人への面談記録や、焼失した村の衛星画像などを根拠としつつ、ミャンマー国軍や治安部隊が国際人道法に違反する行為を行っており、ミン・アウン・フライン最高司令官には「特定集団を抹殺する意図があったと判断できる」と指摘し、ルワンダや旧ユーゴスラビアの紛争指導者と同様に、国際法廷で裁くべきだと指弾した。
1カ月後の9月27日、人権理事会はミャンマー政府を非難する決議を採択した。決議は報告書を踏まえており、ロヒンギャについて起こっていることは「ジェノサイド」という最も重い人道犯罪の疑いがあるとも述べた。さらに、ロヒンギャ問題のみならず、北部カチン、シャン両州での迫害にも言及した。
さらに、決議は調査団の活動延長に加え、証拠集めなどに当たる独立機関の設置を決めた。
この決議は国連でのミャンマー政府に対する非難・要求の集大成し、かつ、さらに内容を厳しくしたものである。ミャンマー政府はす抜き差しならぬ状況に陥った。
この間、アウン・サン・スー:チー最高顧問はきびしい状況に置かれた。同氏は、ミャンマーが民主化の第一歩を踏み出して以来、少数民族問題を解決し、軍を政治から遠ざけ、真に民主的な憲法を採択(ないし改正)することを目指したが、現在は、少数民族問題も民主化・軍問題も進展を期待できない状況に陥っている。
ロヒンギャはさらに各国との間で困難な問題となり、今や、とくに欧米諸国の間ではミャンマーの最高権威者であるが行動に出ないアウン・サン・スー・チー氏に対する風当たりが強まっている。同氏はノーベル平和賞を受賞していたが、それを返上すべきだという声も上がっている。
スー・チー氏はアナン諮問委員会を構成するまでは、積極的に応じようとしていたが、それ以降は国際社会の期待に応えられないでいる。とくに、2017年8月の事件発生以来防戦一方となり、スー・チーはなすべきことをしていないという印象が強くなっている。
スー・チー氏は内外の困難な矛盾に直面しており、解放された直後の高揚感はなくなっている。2017年3月には引退を示唆する発言をしたこともあった。
日本の対応については、2017年8月の事件後、安倍首相をはじめ河野外相からアウン・サン・スー・チー最高顧問などに懸念を表明し、問題解決への努力を促した。調査団の受け入れも求め、ミャンマー政府として独立調査団の活動に協力する用意があるとの発言を引き出したこともあった。
概して、日本政府は難民問題の解決には積極的であり、自ら拠出をしつつ、必要資金が集まるよう各国に働きかけも行い、この面では実績は上がっている。
国連での決議については、欧米諸国がミャンマー政府を厳しく批判するのと異なり、棄権投票を続けている。その理由について、河野外相は、「国連の委員会に決議が提出されましたが,その中には事実調査団の派遣といったような内容もありましたが,現実的にミャンマー政府が受入れるものでなければ,きちんとした調査ができないというようなこともあり,日本としては棄権をいたしました」などと説明している。
しかし、今やミャンマー政府ができる範囲内での行動を求めるだけでは乗り切れなくなりつつある。調査は今後も続く。ミャンマー政府が抵抗すれば、制裁は強化されるだろう。事実関係の究明などについては、ミャンマー政府が嫌がっても実行するのが結局はミャンマーの利益となるのではないか。アウン・サン・スー・チー最高顧問にとっても、ミャンマーの民主勢力にとっても、軍の良識派にとっても。
そうであれば、衛星写真の活用はアムネスティ・インターナショナルがかねてから実行していることであるが、日本政府としても積極的に支援すべきである。それだけでなく、事実関係の究明により積極的に取り組むべきである。
ロヒンギャ問題の長期化はミャンマー経済に深刻なダメージを与えている。投資も観光も減少している。前述の国際調査団の報告書は、ミャンマーに進出する外資企業に軍やその関係企業と経済関係を持たないようクギを刺している。
ミャンマー政府ができないことを強要すべきでないが、その言いなりになるのはミャンマーのためにも許されない。
2018.09.19
〇陸上自衛隊を「多国籍軍」に派遣することを検討中という。
〇「平和維持活動(PKO)」と「多国籍軍」は異なる性質の活動であり、PKOは紛争が終結した後の活動として国連で承認されているが、「多国籍軍」についてはそのような承認はなく、紛争の状態について意見が分かれる。この区別は極めて重要である。
〇「多国籍軍」への部隊派遣については日本国憲法違反の問題がある。
〇イラク戦争の際、日本は戦争が行われている地域の付近にまで自衛隊の部隊を派遣し、米軍への物資輸送など後方活動に従事させたが、戦争に参加はしなかったと説明した。
〇2015年に成立した安保関連法によれば、自衛隊の「多国籍軍」への派遣は認められる。イラク戦争の際のような法擬制を作る必要はなくなったのだが、そもそも安保関連法は憲法違反の疑いが濃いものである。
〇今回検討されている「多国籍軍」への派遣は自衛隊を「PKOに派遣する場合の5原則に照らして問題ないと法律で定められていると言うが、PKOでない活動にPKO原則を適用するのは筋違いであり、意味がない。
〇日本国民は「多国籍軍」へ関与する覚悟があるのか、あらためて問われる。
(説明)
日本政府は派遣をまだ決定していない。陸上自衛隊員2名の派遣を考えているようだ。
この報道が行われたのは2018年9月18日である。
PKOは、国連の決議でPKOとして認定された活動である。「多国籍軍」の場合、PKOとしての認定がないのはもちろんだ。しかし、国連の決議がまったくないわけではない。関連の決議はあるが、その内容が問題であり、国連として「武力行使」を認定しているか否かについて各国の意見が分かれる。イラク戦争の場合が「多国籍軍」の例であり、1991年の湾岸戦争以来何本かの決議が安保理で採択された。しかし、2003年のイラクへの攻撃開始の直前になっても、直接的にイラクを攻撃してもよいという決議は、米英などが懸命に努めたが反対意見が強く、成立しなかった。反対意見の最大の根拠は、査察が行われている途中だからであった。
しかし、米国はそのような国連の状況ではらちが明かないと判断して攻撃に踏み切り、英国などが続いた。
日本は、特別措置法を制定して、自衛隊を戦争の近くに派遣した。戦争に巻き込まれてはならないので「非戦闘地域」に限って自衛隊が活動できるようにした。しかし、これは法律によって作り出された擬制であり、「戦闘地域」と「非戦闘地域」の区別は言葉としては明確でも実際にははっきりしなかった。国会でその区別の説明を求められた小泉首相は、「そんなことは分からない。自衛隊が派遣されているところが非戦闘地域だ」と、条件と結論をさかさまにした答弁を行った。
日本国憲法は、日本が国際紛争に巻き込まれ、武力行使することを禁止している(9条1項)。「多国籍軍」は紛争がある中で行動するので、それに参加すれば憲法違反となる危険が高い。そのため政府は「イラク復興支援特別措置法」を制定し、そのような仕組みにしたのであった。憲法をかいくぐるための措置であったが、政府としては米国に協力するためやむを得ない判断だった。
多国籍軍への自衛隊派遣
(要旨)〇陸上自衛隊を「多国籍軍」に派遣することを検討中という。
〇「平和維持活動(PKO)」と「多国籍軍」は異なる性質の活動であり、PKOは紛争が終結した後の活動として国連で承認されているが、「多国籍軍」についてはそのような承認はなく、紛争の状態について意見が分かれる。この区別は極めて重要である。
〇「多国籍軍」への部隊派遣については日本国憲法違反の問題がある。
〇イラク戦争の際、日本は戦争が行われている地域の付近にまで自衛隊の部隊を派遣し、米軍への物資輸送など後方活動に従事させたが、戦争に参加はしなかったと説明した。
〇2015年に成立した安保関連法によれば、自衛隊の「多国籍軍」への派遣は認められる。イラク戦争の際のような法擬制を作る必要はなくなったのだが、そもそも安保関連法は憲法違反の疑いが濃いものである。
〇今回検討されている「多国籍軍」への派遣は自衛隊を「PKOに派遣する場合の5原則に照らして問題ないと法律で定められていると言うが、PKOでない活動にPKO原則を適用するのは筋違いであり、意味がない。
〇日本国民は「多国籍軍」へ関与する覚悟があるのか、あらためて問われる。
(説明)
日本政府は派遣をまだ決定していない。陸上自衛隊員2名の派遣を考えているようだ。
この報道が行われたのは2018年9月18日である。
PKOは、国連の決議でPKOとして認定された活動である。「多国籍軍」の場合、PKOとしての認定がないのはもちろんだ。しかし、国連の決議がまったくないわけではない。関連の決議はあるが、その内容が問題であり、国連として「武力行使」を認定しているか否かについて各国の意見が分かれる。イラク戦争の場合が「多国籍軍」の例であり、1991年の湾岸戦争以来何本かの決議が安保理で採択された。しかし、2003年のイラクへの攻撃開始の直前になっても、直接的にイラクを攻撃してもよいという決議は、米英などが懸命に努めたが反対意見が強く、成立しなかった。反対意見の最大の根拠は、査察が行われている途中だからであった。
しかし、米国はそのような国連の状況ではらちが明かないと判断して攻撃に踏み切り、英国などが続いた。
日本は、特別措置法を制定して、自衛隊を戦争の近くに派遣した。戦争に巻き込まれてはならないので「非戦闘地域」に限って自衛隊が活動できるようにした。しかし、これは法律によって作り出された擬制であり、「戦闘地域」と「非戦闘地域」の区別は言葉としては明確でも実際にははっきりしなかった。国会でその区別の説明を求められた小泉首相は、「そんなことは分からない。自衛隊が派遣されているところが非戦闘地域だ」と、条件と結論をさかさまにした答弁を行った。
日本国憲法は、日本が国際紛争に巻き込まれ、武力行使することを禁止している(9条1項)。「多国籍軍」は紛争がある中で行動するので、それに参加すれば憲法違反となる危険が高い。そのため政府は「イラク復興支援特別措置法」を制定し、そのような仕組みにしたのであった。憲法をかいくぐるための措置であったが、政府としては米国に協力するためやむを得ない判断だった。
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