オピニオン
2019.03.07
文大統領は演説の中で、「歴史を鏡とし」と訴え、日本が独立運動を鎮圧した際に多数の死傷者が出たことを、「蛮行」や「虐殺」といった言葉で表現した。また、「親日残滓の清算はあまりに長く先送りされた宿題だ。左右の陣営の敵対は、日帝が民族を分裂させるために使った。我々が一日も早く清算すべき代表的な親日残滓だ。われわれは日本と外交で葛藤要因を作ろうということではない。親日残滓の清算も外交も未来志向で進むべきだ」と、かねてから文政権が重視してきた「積弊清算」政策をあらためて強調した。
一方、徴用工問題、慰安婦問題、レーダー照射問題、竹島などには直接言及しなかったが、「力を合わせ、被害者の苦痛を実質的に癒やすとき、韓国と日本は心を通じた本当の友達になるだろう」とも語った。文氏は日本との関係をこれ以上悪化させたくないという気持ちを表明しつつ、持論を語ったのである。
なお、文在寅大統領は5日、南部の慶尚南道・昌原の海軍士官学校で開かれた海軍士官候補生の卒業・任官式に出席する前に、同校練兵場沖に待機していた揚陸艦「独島(竹島の韓国名)」に搭乗していた。三一演説では竹島に言及しないこととバランスを取ったのであろう。
総じて文在寅大統領の三一演説は日韓関係のさらなる悪化は防ぎたいという気持ちが現れていたと評価できる。
ただし、文氏の呼びかけには、植民地時代の影響の除去について韓国自身が判断してきたことも一部含まれている。
韓国における左右両陣営の対立は日本が植民地統治のために作り出したことであっても、その後70年以上もその流れが続いてきたのは韓国がそうしたからではないか。同じ論法を日本に当てはめてみると、日本にはGHQが指示した改革の影響は今もいくつも残っているが、それをGHQの責任にすることはできない。
時間的には三・一記念日よりさかのぼるが、文大統領は2月15日、国家情報機関(国情院)・検察・警察改革戦略会議で演説し、「今年、我々は日帝時代を経てゆがめられた権力機関の影から完全に脱する元年にしないといけない」と、ここでも「積弊清算」政策を述べ、「日本の植民地時代の検察と警察は、日本の強圧的な植民地統治を支える機関だった」「独立運動を弾圧し(韓国)国民の生殺与奪権を握っていた恐怖の対象だった」と述べている。
しかし、韓国の現在の権力機関が抱える問題点は日本統治時代に起因するとしても、その改革をしないできたのは韓国政府ではないか。さらに言えば、歴代の韓国政府は改革しないほうが都合がよかったのではないか。その問題を植民地統治のせいにするのはいかがなものかと思われる。
日本側では植民地支配は70年以上も前に終わったことであるという認識が強く、そのため日韓関係を改善するのに植民地支配の影響を軽視する傾向があることは忘れてはならないが、文大統領には反植民地主義が強すぎるのではないかという問題も考察してもらいたいものである。
韓国における三・一大統領演説
3月1日、韓国の独立運動記念日に文在寅大統領は恒例の演説をおこなった。同大統領は以前から反植民地主義傾向が強く、しかも日韓関係が近年最悪と言われる状況の中で行われる演説であっただけに特に注目されていた演説である。文大統領は演説の中で、「歴史を鏡とし」と訴え、日本が独立運動を鎮圧した際に多数の死傷者が出たことを、「蛮行」や「虐殺」といった言葉で表現した。また、「親日残滓の清算はあまりに長く先送りされた宿題だ。左右の陣営の敵対は、日帝が民族を分裂させるために使った。我々が一日も早く清算すべき代表的な親日残滓だ。われわれは日本と外交で葛藤要因を作ろうということではない。親日残滓の清算も外交も未来志向で進むべきだ」と、かねてから文政権が重視してきた「積弊清算」政策をあらためて強調した。
一方、徴用工問題、慰安婦問題、レーダー照射問題、竹島などには直接言及しなかったが、「力を合わせ、被害者の苦痛を実質的に癒やすとき、韓国と日本は心を通じた本当の友達になるだろう」とも語った。文氏は日本との関係をこれ以上悪化させたくないという気持ちを表明しつつ、持論を語ったのである。
なお、文在寅大統領は5日、南部の慶尚南道・昌原の海軍士官学校で開かれた海軍士官候補生の卒業・任官式に出席する前に、同校練兵場沖に待機していた揚陸艦「独島(竹島の韓国名)」に搭乗していた。三一演説では竹島に言及しないこととバランスを取ったのであろう。
総じて文在寅大統領の三一演説は日韓関係のさらなる悪化は防ぎたいという気持ちが現れていたと評価できる。
ただし、文氏の呼びかけには、植民地時代の影響の除去について韓国自身が判断してきたことも一部含まれている。
韓国における左右両陣営の対立は日本が植民地統治のために作り出したことであっても、その後70年以上もその流れが続いてきたのは韓国がそうしたからではないか。同じ論法を日本に当てはめてみると、日本にはGHQが指示した改革の影響は今もいくつも残っているが、それをGHQの責任にすることはできない。
時間的には三・一記念日よりさかのぼるが、文大統領は2月15日、国家情報機関(国情院)・検察・警察改革戦略会議で演説し、「今年、我々は日帝時代を経てゆがめられた権力機関の影から完全に脱する元年にしないといけない」と、ここでも「積弊清算」政策を述べ、「日本の植民地時代の検察と警察は、日本の強圧的な植民地統治を支える機関だった」「独立運動を弾圧し(韓国)国民の生殺与奪権を握っていた恐怖の対象だった」と述べている。
しかし、韓国の現在の権力機関が抱える問題点は日本統治時代に起因するとしても、その改革をしないできたのは韓国政府ではないか。さらに言えば、歴代の韓国政府は改革しないほうが都合がよかったのではないか。その問題を植民地統治のせいにするのはいかがなものかと思われる。
日本側では植民地支配は70年以上も前に終わったことであるという認識が強く、そのため日韓関係を改善するのに植民地支配の影響を軽視する傾向があることは忘れてはならないが、文大統領には反植民地主義が強すぎるのではないかという問題も考察してもらいたいものである。
2019.02.25
政府はあくまで辺野古での新飛行場建設の方針を変えないようだが、埋め立てを強行することは考え直すべきだ。
第1の理由は、今回の投票によって圧倒的に多数の沖縄県民が反対していることが改めて示されたからである。
第2に、橋本龍太郎首相の下で普天間基地を移設する検討が始まったのが1996年。翌97年には、名護市辺野古付近に移設する方針が固まった。それ以来20数年が経過するが、沖縄県民の反対はむしろ強くなっている。辺野古への移転が決定される経緯も、その後の経緯も、米側との話し合いも極めて複雑だが、これだけ長い期間にはさまざまな環境変化が起こっているはずであり、20数年前の決定は改めて見直すべきである。もちろん、日本が一方的に変更することは許されないが、米国とあらためて代替案を検討すべきである。
第3に、米国は沖縄駐留の海兵隊をグアム島に移転する計画を進めており、日米両政府間でも2013年、一部海兵隊のグアム移転を20年代前半に開始することで合意している。これは全体の中の一コマに過ぎないが、中長期的には沖縄駐留の海兵隊は減少傾向にあり、辺野古に新飛行場を建設しなければならないとは言えないはずである。
第4に、最善の策は、沖縄以外で米軍基地を受け入れることができる地方を探求することだ。政府と米国は辺野古移設しか解決の方法はないと言うが、他の場所を真剣に検討したのか、どうしても疑問が残る。全国どこにも米軍基地を受け入れるところがないとは思えない。
民主党政権時代に沖縄県外への移設の試みが大失敗に終わったが、だからと言って、沖縄に辺野古移設を強要してよいことにならない。
第5に、辺野古移設を強行するより、普天間住民の移転を政府が支援するほうがよいのではないか。普天間飛行場に隣接する場所には約1万2000世帯が居住している。その移転を強行することはできないが、移転を希望する住民に政府として支援することは可能である。
住民移転案は以前にも出たことがあるが、あまり広がっていない。辺野古案と住民移転案の費用比較、沖縄への政府からの補助への影響、運動を推進している政党の考えなどさまざまな事情が絡んでいるのだろうが、細かい損得勘定はともかくとして、飛行場移設より住民移転のほうが痛みは少ない。政治的立場の違いを超えて合意を形成できる案だと考える。
米国は日本政府と同様「辺野古しかない」という立場を表明しているが、普天間に残ることは受け入れ可能だと思う。
普天間飛行場の辺野古移設問題
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設のために名護市辺野古沿岸部を埋め立てることについて沖縄県民の是非を問う投票が2月24日、投開票され、「反対」が72・15%の43万4273票に達した。玉城デニー氏が昨年9月の知事選で得た過去最多の39万6632票をさらに上回った。投票率は52・48%であり、注目されていた50%を超えた。投票をした人が少なすぎるのであれば沖縄県民の意思表示にならないという問題はクリアされたと見られている。「埋め立て反対」の県民の強い民意が示されたのである。政府はあくまで辺野古での新飛行場建設の方針を変えないようだが、埋め立てを強行することは考え直すべきだ。
第1の理由は、今回の投票によって圧倒的に多数の沖縄県民が反対していることが改めて示されたからである。
第2に、橋本龍太郎首相の下で普天間基地を移設する検討が始まったのが1996年。翌97年には、名護市辺野古付近に移設する方針が固まった。それ以来20数年が経過するが、沖縄県民の反対はむしろ強くなっている。辺野古への移転が決定される経緯も、その後の経緯も、米側との話し合いも極めて複雑だが、これだけ長い期間にはさまざまな環境変化が起こっているはずであり、20数年前の決定は改めて見直すべきである。もちろん、日本が一方的に変更することは許されないが、米国とあらためて代替案を検討すべきである。
第3に、米国は沖縄駐留の海兵隊をグアム島に移転する計画を進めており、日米両政府間でも2013年、一部海兵隊のグアム移転を20年代前半に開始することで合意している。これは全体の中の一コマに過ぎないが、中長期的には沖縄駐留の海兵隊は減少傾向にあり、辺野古に新飛行場を建設しなければならないとは言えないはずである。
第4に、最善の策は、沖縄以外で米軍基地を受け入れることができる地方を探求することだ。政府と米国は辺野古移設しか解決の方法はないと言うが、他の場所を真剣に検討したのか、どうしても疑問が残る。全国どこにも米軍基地を受け入れるところがないとは思えない。
民主党政権時代に沖縄県外への移設の試みが大失敗に終わったが、だからと言って、沖縄に辺野古移設を強要してよいことにならない。
第5に、辺野古移設を強行するより、普天間住民の移転を政府が支援するほうがよいのではないか。普天間飛行場に隣接する場所には約1万2000世帯が居住している。その移転を強行することはできないが、移転を希望する住民に政府として支援することは可能である。
住民移転案は以前にも出たことがあるが、あまり広がっていない。辺野古案と住民移転案の費用比較、沖縄への政府からの補助への影響、運動を推進している政党の考えなどさまざまな事情が絡んでいるのだろうが、細かい損得勘定はともかくとして、飛行場移設より住民移転のほうが痛みは少ない。政治的立場の違いを超えて合意を形成できる案だと考える。
米国は日本政府と同様「辺野古しかない」という立場を表明しているが、普天間に残ることは受け入れ可能だと思う。
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