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2019.02.25

普天間飛行場の辺野古移設問題

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設のために名護市辺野古沿岸部を埋め立てることについて沖縄県民の是非を問う投票が2月24日、投開票され、「反対」が72・15%の43万4273票に達した。玉城デニー氏が昨年9月の知事選で得た過去最多の39万6632票をさらに上回った。投票率は52・48%であり、注目されていた50%を超えた。投票をした人が少なすぎるのであれば沖縄県民の意思表示にならないという問題はクリアされたと見られている。「埋め立て反対」の県民の強い民意が示されたのである。

 政府はあくまで辺野古での新飛行場建設の方針を変えないようだが、埋め立てを強行することは考え直すべきだ。

 第1の理由は、今回の投票によって圧倒的に多数の沖縄県民が反対していることが改めて示されたからである。

 第2に、橋本龍太郎首相の下で普天間基地を移設する検討が始まったのが1996年。翌97年には、名護市辺野古付近に移設する方針が固まった。それ以来20数年が経過するが、沖縄県民の反対はむしろ強くなっている。辺野古への移転が決定される経緯も、その後の経緯も、米側との話し合いも極めて複雑だが、これだけ長い期間にはさまざまな環境変化が起こっているはずであり、20数年前の決定は改めて見直すべきである。もちろん、日本が一方的に変更することは許されないが、米国とあらためて代替案を検討すべきである。

 第3に、米国は沖縄駐留の海兵隊をグアム島に移転する計画を進めており、日米両政府間でも2013年、一部海兵隊のグアム移転を20年代前半に開始することで合意している。これは全体の中の一コマに過ぎないが、中長期的には沖縄駐留の海兵隊は減少傾向にあり、辺野古に新飛行場を建設しなければならないとは言えないはずである。

 第4に、最善の策は、沖縄以外で米軍基地を受け入れることができる地方を探求することだ。政府と米国は辺野古移設しか解決の方法はないと言うが、他の場所を真剣に検討したのか、どうしても疑問が残る。全国どこにも米軍基地を受け入れるところがないとは思えない。
 民主党政権時代に沖縄県外への移設の試みが大失敗に終わったが、だからと言って、沖縄に辺野古移設を強要してよいことにならない。

 第5に、辺野古移設を強行するより、普天間住民の移転を政府が支援するほうがよいのではないか。普天間飛行場に隣接する場所には約1万2000世帯が居住している。その移転を強行することはできないが、移転を希望する住民に政府として支援することは可能である。
 住民移転案は以前にも出たことがあるが、あまり広がっていない。辺野古案と住民移転案の費用比較、沖縄への政府からの補助への影響、運動を推進している政党の考えなどさまざまな事情が絡んでいるのだろうが、細かい損得勘定はともかくとして、飛行場移設より住民移転のほうが痛みは少ない。政治的立場の違いを超えて合意を形成できる案だと考える。
 米国は日本政府と同様「辺野古しかない」という立場を表明しているが、普天間に残ることは受け入れ可能だと思う。

2019.02.20

徴用工問題

徴用工問題解決のカギは韓国政府にあります。
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2019.02.14

韓国国会議長の妄言と安倍首相の対応

 韓国の文喜相(ムンヒサン)国会議長が米ブルームバーグ通信とのインタビューで、慰安婦問題について「日本を代表する天皇が謝罪されるのが望ましいと思う。その方はまもなく退位すると言われるから。その方は戦争犯罪の主犯の息子ではないか。だから、その方がおばあさんの手を握り、本当に申し訳なかったと一言言えば、すべて問題は解消されるだろう」と述べ、注目を浴びた。

 韓国国会の報道官は、文議長は「戦争犯罪」という言葉を使っていなかったなどと弁明したが、ブルームバーグはインタビューの音声を公開するなどしたので、文議長の発言として伝えられたことは正確であったとみてよい。

 文議長は、無知、無責任、無礼である。

 「無知」というのは、昭和天皇が「戦争犯罪人でない」ことを知らないからである。昭和天皇は極東国際軍事裁判(いわゆる東京軍事裁判)でも、また、他のどこでも「戦争犯罪」を犯したと判断されたことはない。
 
 ちなみに「戦争犯罪」の意味は注意して見ていく必要がある。「戦争犯罪」とは、「戦時国際法に違反する罪のことで交戦法規違反をさす」という教科書的説明もあるが、これは法技術的な説明である。政治的な責任にも踏み込む説明もあり、「戦争犯罪」の意味はかならずしも明確になっていない面がある。
 
 具体的に誰が、どのような「戦争犯罪」を犯したかについては、どのような根拠で、また、どのような手続きを経てそう判断されるかを明確にしておかなければならない。これは重要な問題だ。その点を明らかにしないまま「戦争犯罪人」だと決めつけると人権侵害になるおそれがある。
 
 日本の場合、極東国際軍事裁判および一連の戦争裁判により誰が、どのような「戦争犯罪」を犯したが確定されている。それ以外の場で日本人が「戦争犯罪」を犯したとされたことはない。

 これらの裁判については、日本として認めるべきでないとの主張があるが、日本は戦後独立を回復するにあたって、サンフランシスコ平和条約により一連の戦争裁判の結果を受け入れたので尊重する義務がある。

 つまり、「戦争犯罪」についてどのような立場をとるかに関わらず、昭和天皇が「戦争犯罪」を犯したと判断されたことはないのである。

 文議長が「無責任」というのは、今回の発言が正しくなくても同議長は何ら責任を取らないし、また取れないにもかかわらず発言しているからである。
 文氏の発言は1965年の日韓基本条約・請求権協定や慰安婦問題に関する2015年の日韓両政府間の合意ほどの意味も重要性もない。かりに文議長の主張通りに日本側が対応しても問題が解決しない場合どうなるか。それは誤りであったと簡単に覆されるだろう。

 「無礼」というのは、戦争犯罪人でなく、日本の元首であり、日本国と国民統合の象徴として尊敬されている昭和天皇に対して極めて失礼なことを言ったからだ。
 
 しかるに、安倍首相の対応は適切であったか。安倍氏は、「多くの国民が驚き、かつ怒りを感じたと思う」、「甚だしく不適切であり、また、同議長はその後も同趣旨の発言を繰り返している。これは極めて遺憾だ」と国会で述べているが、この答弁も問題だ。

 なぜ、「昭和天皇は戦争犯罪人ではない」と明言しないのか。国民が怒りを覚えていることに言及するのは結構だが、それは国民の感情である。それも重要だが、昭和天皇に関する重大な事実誤認を正すのが先決であろう。その必要性に比べれば、国民の怒りも安倍氏が遺憾に思っていることも二次的な問題である。安倍首相の答弁は、ふわっとしている印象が強い。いつもの通りかもしれないが、内容が大事なはずだ。

 日本政府は5回にわたり韓国政府に抗議し、謝罪と撤回を求めたという。それも結構だが、鼎の軽重を間違えてはならない。韓国側にそのように行動をすることを求めるまえに、「昭和天皇は戦争犯罪人でない」と断言しておくべきである。日本政府はそのことを明確にしたのだろうか。どうも疑問である。

 日韓議員連盟会長の額賀元財務相は、韓国の李洛淵首相と会談した。会談後、額賀氏は記者団に、「しっかりと反省して、今後、日韓関係についてよく働いてもらうように伝えてほしいという話をした」と語ったという。額賀氏の発言は前向きだが、それだけでは足りない。やはり、文氏の発言の問題性を正しく指摘しておくべきであった。

 野党も「昭和天皇は戦争犯罪人でない」ことに十分注意し、また、国会でしかるべき質問をしたか、非常に疑問である。

 昭和天皇に戦争責任があるかいなかを議論するのを止めろとは言わない。しかし、「戦争犯罪人である」などとありもしないことを言われた場合には、日本人としてそれを明確に否定しておかなくてはならない。相手国の立場を尊重して慎重に対応するのは結構だが、明らかな誤認は指摘しておくという姿勢が必要である。

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