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2021.06.29

オリンピックの水際対策は解決困難でないか。

 東京五輪・パラリンピックの開催による新型コロナウイルス感染拡大の危険はますます増大している。

 開催が賭けであること、危険を冒さなければならない理由はいまだ何も示されていないこと、細かい規則を定めている「プレーブック」は完ぺきに実行することはできない危険が大きいことなどはすでに指摘したが、新たに水際対策の欠陥が露呈してきた。

 東京五輪・パラリンピックに参加するため日本にすでに入国した選手や関係者の中に、新型コロナウイルスに感染していた人がまじっていることである。6月に入国したウガンダ選手団の2人、またそれより以前に入国したフランス1人(2月)、エジプト1人(4月)、スリランカ1人(5月)、ガーナ1人(6月)である。フランスは東京大会関係者、エジプトはコーチ、スリランカはスタッフ、ガーナはサッカー選手だという。

 日本政府は外国人の入国を原則として認めていないが、「特段の事情」がある人、例えば帰国日本人は次の条件の下に認めている。
 〇日本への出国前72時間以内の検査で「陰性」であった証明書の提出。
 〇日本への入国後14日間、自宅などでの「待機」。
 〇コロナ感染の危険が高いと疑われる場合、入国後3日~数日間の「隔離」。

 東京五輪・パラリンピックで「特例入国」する選手や大会関係者については、14日間の「待機」を免除しているが、日本入国時にウイルス検査を行い、陽性者は隔離し、陰性者は入国させている。

 しかし、この仕組みが機能していないことをウガンダの選手などは実証した。日本の水際対策は「ザル」だと言う人もいる。

 水際対策が機能しない理由はさまざまだが、例えば、空港での検査が抗原検査という簡易検査であり、感染を発見できないことが一つの理由とされている。

 どのような理由があっても、日本へのウイルスの持ち込みは防止しなければならない。それができなければ、選手たちを大会期間中無菌状態にしておくための、いわゆるバブルにもウイルスが持ち込まれることになる。

 現在組織委員会で対策が検討中だというが、真に有効な対策を講じることは可能か。疑問は増大するばかりである。

 根本的な問題は検査体制があまりにも弱いことである。今後日本に到着する五輪・パラリンピック関係者の数は、大会組織委員会は約9万4000人と見込まれている。最近は6万8000人くらいだという数字も出てきている。昨年の延期決定以前には20万人規模とされていたので、半減以下になっているが、それでも検査体制と対比してあまりにも多い。
 空港での検査を抗原検査という簡易検査にせざるを得ないのはそのためであり、もし正規のPCR検査にすると空港は検査待ちの五輪・パラリンピック関係者であふれかえることになろう。

 詳しくは述べないが、濃厚接触者の判断をどの機関が行うかという問題もある。ウガンダ選手団の場合、うち1人が検疫で新型コロナウイルス陽性となったにもかかわらず、同行者は事前合宿地の大阪府内に移動してから調査を受け、成田到着から3日後に全員が濃厚接触者と判定された。これではウイルスを保持している可能性が高い人が日本国内に散ってから、判断されることになる。だが、国は「滞在先の保健所が対応する」と言い、自治体は「政府の空港検疫で留め置くべきだ」と、足並みはそろっていない。濃厚接触者の判断を空港で行うことになれば、前述した空港での混乱はさらにひどい状況になる。

 菅首相は6月28日、羽田空港を視察し、水際対策を徹底するよう指示した。それに対し検査の責任者が現場でどのような説明を行ったか不明であるが、推測するに、「徹底するよう努めます」という趣旨の応答ではなかったか。要するに、首相が現場を視察して水際対策の徹底を指示したのはよかったが、そこで問題点の解決にめどがついたとは到底思われない。

 水際対策については、徹底すればするほど諸外国との矛盾も出てくるだろう。インドなどは不公平な措置であってはならないという声が上がっている。諸外国でのワクチン接種、ウイルス検査、証明状況はまちまちであり、日本側からどんなに細かい要望や指示を出しても対応は国によって異なる。

 感染者を入国させないという大方針を実現するには、日本側で徹底した検査をするほかない。しかし、数万人の検査を短い時間内に行うことは困難である。そのように考えれば、新型コロナウイルスのパンデミックが収まらない状況下で五輪・パラリンピックという一大祭典を行うことが賢明かという問題に帰らざるを得ない。日本政府は万難を排してこの大会の中止または延期を決断すべきである。よくそれには遅すぎるというというが、危険を避けるのが日本にとってのみならず、世界にとっての優先課題である。
2021.06.23

沖縄1945年6月23日

 1945年6月23日は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日。戦って命を落とされた方々を悼んで、1995年、読売新聞に以下の一文を寄稿した。

 「戦後五十年、戦争に関する議論が盛んであるが、戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。あくまでも個人的見解であるが、一考察してみたい。

 個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は、少々考えるべき点があるのではないだろうか。

 歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
 では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。従って「犠牲者」のイメージで連想される弱者には似つかわしくない。勇者と呼ぶにふさわしいと思う。また、[殉国]のイメージとも違う。[殉国]型の評価は、個人が国家のために一身を捧げたとみなされており、自らを守ることについて特に評価は与えられていないのだ。
 個人と国家は区別され、その個人の評価は国家に対する献身なり、貢献という角度から下されている。しかし、ひめゆり学徒隊の大部分は、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。

 これは軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。もちろん罪でもなく、任務であり、当たり前のことである。

 他方、このことと戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
 さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。他方わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。

 したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。

 もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動を中心に評価が行われていない。
 顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。

 戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。個人の行動を中心に評価するとなれば、積極的に評価できない場合も当然出てくる。
一方、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。

 もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。

 個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。

 個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」
2021.06.19

米ロ首脳会談

 バイデン米大統領とロシアのプーチン大統領は6月16日、ジュネーブで会談した。バイデン氏は米国の大統領に就任して以来、ロシアに対し厳しい姿勢をみせていた。

 2回の電話会談では直接ぶつかっておらず、失効が間近に迫っていた新戦略兵器削減条約(新START)の延長合意(1月26日の第一回目の電話会談)など協力的なこともあった。

 しかし、米大統領選挙においてドナルド・トランプ前大統領を有利にするための工作をプーチン大統領が承認した可能性が高いという米国家情報長官室(ODNI)の報告書が3月16日に発表されると、バイデン氏の姿勢は厳しく反発し、ロシアに対する新たな制裁を科すことなどに言及した。

 折からロシアの野党勢力の指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の体調悪化について、欧米で懸念が強まっており、サリバン米大統領補佐官は18日、ナワリヌイ氏が収監されている刑務所で死亡すればロシアは「報い」を受けることになると警告した。

 バイデン氏は米ABCニュースとのインタビューで(3月17日放送)、プーチン氏を「人殺し」だと思うか質問され、「そう思う」と述べ、「確実に、ロシアは自分たちが取った行動に対して責任を問われることになる」とも発言した。

 この発言にプーチン大統領は反発し、駐米大使を一時召還(17日)。翌日にはロシアのテレビに出演し、バイデン氏の発言について、「そっちこそそう(人殺し)だ」と反論した。もっともプーチン氏はバイデン氏に対し、19日か22日にオンラインでの公開直接対話を呼びかけるなどもした。

 そのような経緯を背景に、バイデン氏はプーチン氏と直接会談したのであり、それまでの鋭い対決姿勢にかんがみれば、両者の間で協力的な雰囲気が生まれなくても不思議でなかった。

 約3時間半続いた会談後、両首脳は別々に記者会見を開催した。それだけ見れば、両者は立場の違いを強調したようにも取れたが、会談結果は両者が協力的な姿勢を取ったことを示唆していた。バイデン氏は「米ロ関係への対処について、明確な基盤ができた」、プーチン氏は「多くの点で立場が違うが、相手を理解し近づける道を見つけたいという双方の望みが示された」と発言したからである。バイデン氏は以前からロシアと「予見可能で安定した関係」を構築することが重要だと述べており、今回の会談はその点でも評価し得るであろう。

 両者はなぜ、意外と思えるほど協力的な姿勢をみせたのか。新戦略兵器削減条約(新START)の5年延長の合意は大きい。両国は新たな軍備管理協議の開始を明記した共同声明である「戦略的安定」を発表した。新たな協議は二国間の軍備管理のあり方やリスクを縮小する方策をさぐる「総合的な対話」であり、両国の軍事専門家と外交官が参加する見通しだという。

 もちろん両首脳はすべてについて意見が一致したのでない。サイバー攻撃やロシア国内の人権問題についての両者の隔たりはなお大きい。

 最大の疑問点は中国との関係である。今次首脳会談でバイデン氏とプーチン氏が中国についてなにか言及したか、外部にはなにも伝えられていない。プーチン氏にとって中国は欧米に対抗する上でもっとも頼りになる仲間であり、中国との関係は、冷戦時代の軍事同盟関係はすでに解消されているが、何にもまして重要であることに変わりはない。そのような状況にあって、プーチン氏がバイデン氏に対し中国について軽々に発言することはありえない。

 しかるにバイデン氏は今次会談後、記者団に「ロシアは困難な状況にある。中国に押し込まれつつある。必死に大国でいたがっている」と述べたという。実に興味深い発言であり、今次会談では中国について話し合いが行われたのではないが、米ロ関係について話し合う中で、ロシアは中国に押され気味であることが「にじみ出た」のではないか。外交の世界では発言よりも「にじみ出た」ことのほうが真実に近いことがある。バイデン氏が解説した中にはその一例が示されていると思われてならない。

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