平和外交研究所

オピニオン

2016.08.23

The nature of the Chinese claim of islands

The legal effect of the award of the International Arbitration Court on the Chinese aggressive conducts in the South China Sea is limited to the dispute between the Philippines and China, but if legal action is raised for other islands, the court may well apply the same principle that the claim has to be proven against evidence. In fact the court would not dare discuss such hypothetical cases, but countries can.
As for the Senkaku islands China argues that there are mentions in the Chinese old documents, but they are mostly travel records by the emissaries sent from the Ming Court to Okinawa(Ryukyu),and they do not indicate that the Ming Court ruled the islands.
To the contrary, there are many official documents of the Ming Dynasty which specifically said the border of that Empire was basically the coast line of the continent.
Examples:
『観海集』「過東沙山、是閩山盡處」
『皇明実録』「臺山、礵山、東湧、烏丘、彭湖、彭山 、皆是我閩門庭之内、豈容汝一跡此外溟渤、華夷所共」
萬暦『福州府志』巻三「疆域」「東抵海一百九十里」
『大明一統志』巻七十四福建・福州府「東至海岸一百九十里」

These documents are relevant with Taiwan as well. Taiwan is also far away from the Ming border which ended at the coast line. Taiwan was situated in the area 溟渤,華夷所共.
These descriptions fit well with the history of Taiwan. Taiwan was surely under the rule of Ching dynasty, but only since 1683 and only partially. The greater part of the Eastern half of Taiwan was never ruled by any dynasty of China. That area was demarcated as 番’s land and the Chinese were prohibited to enter. No doubt China should be aware of this history.
Despite all these documentary records China claims that Taiwan, Diaoyu (Senkaku) islands, Penghu islands etc. are territories of the PRC as is written in the Territorial law of 1992. And in addition to that, China maintains ‘One China’policy that Taiwan and China constitute China.
One reason for the 1992 law may be that China wants to become an oceanic super power and to secure the area between the continent and the so called ‘first chain of islands’ which runs from the Okinawa, Taiwan, the Philippines and Borneo. China claims that it has jurisdiction over the oceanic area of three million square kilometers. It also claims that the continental shelf of China extends well beyond the half line between the continental coast and coast lines of Okinawa, the Philippines and Borneo.
There is another reason, I think. These islands mentioned in the 1992 law were all held by the militarist Japan, and isn’t China trying to take them ‘back’?
The Japanese militarism has always been the biggest problem for China. On the one hand, China is nervously opposed to its revival, which should be supported by many countries, and on the other hand, wants to take all the territories which were ‘stolen(Cairo/Potsdam Declaration)’by the militarist Japan, which should not be supported by countries.
Even if China has these two reasons, it must follow the international law. With respect to the ocean, countries have to abide by the United Nations Convention on the Law of the Sea (UNCLOS).
As to the settlement of war with Japan, the situation is a bit more complicated. Japan accepted at the time of surrender to the allied powers the Cairo Declaration through the Potsdam Declaration, Therefore Japan had no objection to returning Taiwan to the Republic of China, and fulfilled its commitment in the San Francisco Peace Treaty by renouncing the right to Taiwan(article2b).
Therefore the Taiwanese people may think that Taiwan was returned to the ROC, but the Japanese are not quite sure, which does not mean that the Japanese think that Taiwan was returned to the PRC. They are not sure of that either. Japan only renounced Taiwan, because at the time of the Cairo Declaration there was only one regime in China, that is the ROC, but at the time of the Peace Treaty there were two regimes, that is the ROC and the PRC.
For the PRC there is another aspect. Taiwan is the place where the internal war between the KMT and the CCP is still going on. The two sides are not actually fighting now, but they have agreed neither to end the war nor to cease fire.
Therefore for China, Taiwan is an island to take back not only from the militarist Japan, but also from the ROC.
This is, I think, the nature of the Chinese claim hidden behind their ‘one China’ policy.
China could try to solve these problems in accordance with the international law. But China does not want to do so, because it can easily foresee the bad result if it is taken to the international court.
Therefore China decided, I think, to pursue a new course of action to ignore such international rules and to solve by consultations excluding the countries of other area and the international authorities, while repeating that these islands belong to China ever since the ancient times.
But it is simply impossible to solve the problems left behind from the militarist Japan excluding the major members of the allies of the Second World War. China should realize that there cannot be any real solution which goes against the international law. I hope China understands that countries cannot be moved by Chinese lucrative offers in trade, tourism, infrastructure building, etc.
2016.08.22

ミャンマー・中国関係‐アウン・サン・スー・チー国家顧問の訪中

 ミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問が8月17日から21日まで中国を訪問した。この訪問は両国にとって重要な意義があると思う。
 ミャンマーでは今月末に、ビルマ族、各少数民族、武装グループがすべて参加する大同団結会議(新パンロン会議)が開催される予定だ。8月31日開催とも言われている。
 日本などでは少数民族といっても深刻な感じはないが、ミャンマーでは大問題だ。ミャンマーの政治はこれまで軍政とアウン・サン・スー・チーが率いるNLD(国民民主連盟)などが求める民主政治の2本柱で語られることが多かったが、実は、1948年に英国の植民地支配を脱して独立して以来これに少数民族が加わる三つ巴状態であった。ただ、少数民族問題はあまり進展しなかったために、軍と民主勢力のせめぎあいだけに焦点が当たってきた。
 実際には、少数民族問題はミャンマーの政治に強い影響を及ぼしていた。軍が政治を牛耳ってきたのは全人口の3割近い少数民族と政府が対立状態にあるからだ。彼らにとって政府はビルマ族であり、不信感は根強い。
 一方、政府はなんとか武装闘争をやめさせようと努力してきたが、現実には「国軍」に頼らざるを得なかった。
 しかし、民主化勢力にとって「国軍」は民主化を妨げる敵であった。その本質が露呈されたのが1990年の総選挙であり、NLDが大勝したが、時の軍事政権は選挙結果を完全に無視して政権の移譲を拒否した。それ以来、「国軍」は民主化に対する反対勢力となっており、民主的に選ばれた政権への移行が実現した今でも、議会では4分の1の議席を憲法上確保しており、国政に対して決定的な影響力を保持している。
 つまり、民主化勢力にとって、「国軍」は必要な友であると同時に敵でもある。また、「国軍」としては少数民族の武装闘争を鎮圧しなければならないが、過度の民主化には抵抗せざるを得ない。さらに少数民族としては、正当な要求を聞き入れてもらえずやむを得ず戦うが、敵は「国軍」だけでなくビルマ族主体の政府であり、NLDである。

 さる3月に発足した、アウン・サン・スー・チー氏が率いる新政権は少数民族との和解に力を注いできた。それが実現しない限りは軍の影響力を排除できず、憲法を民主的な内容に改正することもできず、真の民主政治を実現できないからだ。
 しかし、建国以来70年近い間解決しなかった少数民族問題であり、和解は簡単なことでない。新パンロン会議は当初7月の開催を目指していたが8月にずれ込んだ。ごく最近まで少数民族側には新政権に対しても不信感をあからさまに表明する指導者もおり、さらに一部地域では武装闘争が継続していた。はたして全少数民族が会議へ参加するか危ぶまれていたのだ。

 このようななか、会議まであと2週間というタイミングでアウン・サン・スー・チー国家顧問が訪中した。しかも4日間も中国に滞在する。新政権の最高指導者として国務に忙殺されているはずであり、常識的にはありえない訪問だが、2つのことが読み取れる。1つは、会議の開催準備が整い、スー・チー国家顧問が1週間近く国を離れられるようになったことであり、もう1つは少数民族が同会議に協力するよう中国が協力したことである。
 今回の会議成功のカギを握っているのはカチン州であり、カチン独立機構(KIO)とその軍隊(KIA)は数年前からミャンマー政府と武装闘争状態に陥っていた。この紛争で仲介役を務めてきたのが中国である。ミャンマーと中国との間には約1千キロの国境があり、ミャンマーの少数民族は中国との国境近くに居住しているため、かねてより中国との往来も、また、もめ事も多いが、カチンの問題について中国は不信感の強い政府とカチン族を雲南省の瑞麗(ruili)に招いて両者の協議を手助けするなどしてきた。
 中国とカチン州の関係は深く、カチンからの難民数千名が中国領内に逃れてきており、中国としてはカチンの和平が実現し、難民が帰国することを望んでいる。
 一方、ミャンマー側は、カチンの武装勢力に中国側から武器が提供されていること、ミャンマーの資源が中国に輸出され、環境破壊も起きていることなどへの懸念がある。なかでも36億ドルのプロジェクトであるミッソン・ダムは中国の資本によって建設されるがほとんどすべての発電は中国へ送られることになっていたところ、環境破壊のために反対が強くなり、建設は中止されている。
 しかし、スー・チー最高顧問は中国との関係を進め、かつ、カチン州の問題を解決して新パンロン会議を成功させるめどが立ったものと思われる。訪中に先立って、会議に対する中国の関与を求める考えを側近に漏らしたとも報道されている。

 一方、中国はかつてミャンマーの軍政を支持し、スー・チー氏から批判されていたが、新政権との関係を回復、増進させる方針に転換したようだ。王毅外相は新政権成立後各国要人に先立ってミャンマーを訪問し、関係改善への熱い気持ちを示し、そして今回、スー・チー最高顧問を最大限の歓待で迎えた。同顧問は9月に米国を訪問することになっており、また、日本からもスー・チー最高顧問の訪日を要請しているが、それに先立って実現したのだ。訪問の順序という点ではいろいろな考えがありうるが、ミャンマーとしては新政権の今後を左右する新パンロン会議を成功させるために必要だったのだろう。

 もちろん中国は慈善事業でミャンマーに協力しているのではなく、注文があるのは当然だ。ミッソン・ダムの凍結解除を求めるのではないかという観測が出ているが、これもカチン州にあり、住民の反対はなお強い。ミャンマーの新政権と中国との間では、環境への影響がより少ない小型のダムを複数建設することなど代替案を模索する動きもあるそうだ。
 また、中国はかねてからミャンマーの港湾利用のためミャンマー政府の協力を必要としている。ミャンマーの西海岸にあるチュオピュ港の建設とパイプラインで雲南とを結ぶ計画も進めている。
 このようなプロジェクトの重要性もさることながら、中国としては軍政時代の反動で反中国的傾向が強くなったミャンマーを再び中国に引き寄せ、東南アジアでカンボジア、ラオスに次ぐ親中国国にするという戦略を重視していると思われる。

2016.08.16

(短評)中国の指導者が思案していること‐北戴河などで

 「北戴河は北京の東280キロにある海岸で避暑地として知られているが、ここで夏を過ごす中国の指導者は懸案について協議し、事実上の決定を下すこともある。正式でないのはもちろんであるが、非常に重要な話し合いも行われる。だから、中国に駐在の各国大使館、報道機関などは北戴河でどのような動きがあるか、懸命に情報収集を試みる。
 しかし、噂の類は別として、正確な情報を得るのは困難であり、数年たって初めて実情が分かってくることもある。たとえば、1987年早々に失脚した胡耀邦総書記の場合、突然問題が起こったのでなく、そこへ至るまでにさまざまな経緯があり、なかでも前年、北戴河で話し合われたことは大きな節目であった。しかし、当時、そのような事情はよく分からなかった。
 今年はどうなるか。中国の指導者が北戴河で何を話し合うかなど外から推測できるわけはないが、話題になりそうなテーマとしては次のようなことが考えられる。」
 これは昨年の今頃にアップした北戴河会議に関する一文の出だしであるが、今でもここに書いたことは変わっていないのでまず再掲しておく。
 
 来年(2017年)は中国共産党第19回大会が開催される。5年に1回の大会であり、前回の2012年には習近平政権が誕生した。来年の会議ではトップ指導者の異動が最大関心事となる。
 現在の政治局常務委員、つまりトップ7のうち、習近平と李克強の2名だけは来年64歳と62歳なので次期の5年も務められるが、この両名以外は定年の70歳以上となるので退任する。王岐山は来年69歳だが、68歳以上は再任されないことになっている。
 政治局常務委員が7人になったのは2012年の第18回大会以来であり、そのうち5人が交代するのは大きな出来事だ。習近平が次期も安定的に政権を運営していけるか、新人事にかかっている。
 政治局常務委員にはある程度担当の職務が決まっている。なかでも王岐山が規律検査委員会の長として反腐敗運動を担当しているのは有名だ。
 2012年までは政治局常務委員は9人であったが、習近平は公安担当を廃止し、自ら公安関係の元締めとなっている。前期、公安関係を担当していた周永康は汚職の罪で摘発され、有罪が確定している。
 
 習近平が腐敗取り締まりと言論統制を2本の鞭として中国を統治してきたことは本研究所のHPで何回か指摘してきた。反腐敗運動はすでに山を越したという見方もあるが、腐敗の摘発と政治改革は関連があり、この運動は今後も中央および地方で継続されるだろう。
 王岐山は腐敗取り締まりの最高実務責任者として腕を振るってきたので、同人が引退するとなると次期政権ではその代わりに誰がつくのか大きな注目点となるが、具体的な候補は不明だ。
 
 言論統制は、今後、従来以上に厳しく行われるだろう。言論の自由化ないし緩和を求める声は常に存在するし、何らかのきっかけで大問題になる危険性がある。習近平政権としては統制を緩めることは困難だ。
 習近平は党の宣伝部の在り方に不満であり、その上に新しい機構を作って自ら責任者となった。現在の厳しい言論統制はこの新体制の下で進められているが、宣伝部関係者が一つの派閥となってかく乱要因、あるいは阻害要因になっているという指摘もある。

 最近浮上してきた問題として、共産主義青年団(共青団)と毛沢東記念堂の地方移転がある。
 「共青団改革計画」は8月2日、党中央弁公庁から発表された。共青団幹部の人数を減らすなど厳しい内容だ。共青団は共産党を支え、将来の幹部を養成する機関であるが、最近は官僚主義化し、本来の趣旨から離れて派閥を構成しているとみられていた。習近平は共青団の活動に不満であったらしい。
 「共青団派」は「太子党」や「上海閥」とならぶ派閥であり、「太子党」は中央を牛耳り、「共青団派」は地方を支配した、などと言われることもあった。習近平は派閥を嫌い、このいずれも破壊しようとしていると言われている。
 共青団の改革は計画通りに進むか。共青団は地方のみならず中央にも根を張っており、共青団から胡錦濤前主席、李克強総理、李源朝国家副主席、周強成最高検察院院長、汪洋副総理などが出ている。

 毛沢東については様々な死後評価があるが、なかでも、毛沢東の「70%は正しく、30%は過ち」という鄧小平の評価は、当初厳しいものと受け止められたが、改革開放後の中国において一種有権的解釈のような重みがあり、今日に至るもその評価は基本的に維持されている。
しかるに、最近決定された毛沢東記念堂の地方移転は鄧小平による評価よりも厳しい意味合いがある。単純化して言えば、地方移転により、毛沢東思想は今後中国の指針でなくなり歴史的意味のみが残る、また、首都北京に同思想を想起させる記念堂を置く価値がないという位置づけになるからだ。
 もちろん記念堂の移転だけで毛沢東の評価が決定されるのではない。共産党の歴史資料でどのように評価されるかも見る必要があるが、記念堂の移転決定は現在の中国を象徴しているように思われる。
 習近平自身は地方を重視しており、権力を保持し、富を蓄えるのに余念がない「権貴階級」には批判的である。大衆を重視するあまり「左派」だと言われることさえある。しかし、毛沢東思想をあまり高く掲げると、権力闘争が起こる恐れがあり、これは危険だ。習近平としては政治のバランスを維持しなければならない。そのような微妙な情勢の中で今回の記念堂移転に踏み切ったのは、習近平としても経済成長の回復を重視せざるを得ない、その限りにおいては大衆の利益などにかまっておれない、だからまた毛沢東思想をあまり高く掲げることはできないという判断になったのかと思われる。

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