平和外交研究所

中国

2017.10.17

米国が北朝鮮・中国とディールする?

 最近、北朝鮮をめぐって二つの噂が流れている。一つは、米国が北朝鮮の核保有を認めるというものであり、他の一つは、米国が中国と共同で北朝鮮の核を強制的に管理下に置くというものである。この二つのうわさは一方は北朝鮮の核保有を認め、他方は認めないので正反対であるが、両方とも荒唐無稽な話である。

 前者の、米国が北朝鮮の核保有を認めるメリットは何か。まずこれが明確でない。噂では、米国はその代わりに北朝鮮からICBMの開発をしないとの約束を取り付けるとも言われている。メリットらしきものはこれだけであるが、これも少し冷静に考えれば怪しいものだ。ICBMの開発をしないことをどのように確保できるか。米国は北朝鮮の姿勢を強く批判しており、信頼を置いていない。そのような状況下で、北朝鮮のICBMを開発しないという約束だけは信用してよいというのだろうか。米国と北朝鮮の間に信頼関係がなくてもよいというのではないが、信頼関係は単一の政策で実現できない。お互いに確かめ合いながら進んで行って初めて信頼関係が築かれるのであり、時間もかかる。つまり、(闇)取引は1回できても信頼関係は簡単にできないということだ。

 デメリットはメリットのおそらく何十倍にもなるだろう。

 第1は、米国が戦後外交の重要な柱としてきた核不拡散について、北朝鮮を例外として認めることになる。そういうと、印度とパキスタンではすでに核開発が行われている(1998年に核実験)という意見が出てくるかもしれないが、これら両国はそもそもNPTに参加しておらず、核不拡散違反の問題は生じない。北朝鮮はNPTに参加していたし、1992年に韓国と共同で朝鮮半島の非核化を宣言していた。

 第2に、日本の米国に対する信頼を失い、日本を核武装化に追いやることになりうる。北朝鮮とは友好関係を築けるかもしれないが、日本との関係で被るダメージは計り知れない。
日本と米国の安保条約は戦後の国際政治を安定させるのに大きな役割を担ってきたが、これが揺らぐと日本の安全保障政策はもちろん、東アジアの安全保障状況は根本的な見直しを迫られることになる。

 第3に、米国は中国からも信頼されなくなる。中国は北朝鮮を壊滅させることを望んでいないが、北朝鮮の核を積極的に認めているのではない。にもかかわらず、米国が北朝鮮の核を認めるとこれまで米国が中国に働きかけてきたこと、たとえば、北朝鮮に圧力を強化することなどを米国が自ら否定する、あるいは無効化することになる。

 一方、米国が中国と共同で北朝鮮の核を管理下に置くこともおなじくらい奇妙な考えである。

 第1に、物理的、技術的に可能か疑問である。北朝鮮は米国からの攻撃に備えており、地下に、しかも複数の場所に軍事施設を隠している。米中が合同で作戦すれば、そのうち半分くらいは、これは腰だめの数字に過ぎないが、破壊できても、半分は残る。

 第2に、中国は北朝鮮の隣国であり、北朝鮮が混乱に陥るとその影響は中国東北部に及ぶ。中国では、かりに核戦争が起こったら、中国東北部で甚大な損害が発生することを恐れている。
しかも、中国にとっては北朝鮮の核は脅威でない。前述したように、北朝鮮の核は嫌悪していても、怖いとは思っていない。

 第3に、韓国や日本にも影響が及び、甚大な損害が発生する。

 第4に、かりに米中がそのようなことを始めれば、国際社会から非難されるのは避けがたい。

 以上、列挙したのは主要な問題点だけである。国家の命運にかかわるような問題をインテリジェンスや秘密工作で左右することはできない。秘密を保つことさえ困難だろう。

2017.10.13

陳敏爾‐習近平の後継者になれるか

 陳敏爾は、つい最近まで内外のチャイナ・ウォッチャーから、ポスト習近平の候補者として全くと言ってよいほど注目されていなかったが、さる7月中旬、重慶市で起こった政変により孫政才が左遷された後に同市の書記(同市のナンバーワン)として就任し、がぜん注目を浴びるようになった。しかし、陳敏爾は、その経歴からして中国の指導者にふさわしいか、考えさせられる点がある。

 陳敏爾は1960年、浙江省紹興市に属する諸曁(しょき)市で生まれた。学歴は紹興師範専科学校中国文学部までで、その後は就職して地元の紹興県や寧波市で勤め、順調に昇進して、習近平が浙江省の書記に就任した2002年には、同省の宣伝部長になっていた。陳敏爾は、習近平が浙江省の書記であった間に認められたという。
 
 陳敏爾は2012年、故郷の浙江省から貴州省に移り、3年後に同省の書記に就任した。同人は貴州省でも顕著な実績を上げたと言う。さる4月、習近平は、今次党大会への代表となるのに貴州省の党委員会から出ることとした。これは陳敏爾への信頼の表明でもあった。貴州省は中国の辺境地域であり、統治はそれだけ困難である。そこで比較的短期間に実績を上げた陳敏爾の力はなみではないのだろう。
 陳敏爾は、報道通りであれば、今回の党大会でナンバー3の地位に就く可能性がある。これは大抜擢である。しかし、5年後にはたして中国のナンバーワンになれるか、疑問なしとしない。

 陳敏爾の学歴は師範専科学校卒であり、これは日本の短期大学に相当する。共産主義国家にあって、本来、学歴は人物評価の基準にならないはずだが、鄧小平後の指導者はいずれも高学歴の持ち主であり、前総書記の胡錦濤も、現総書記の習近平も清華大学卒であり、習近平は博士号も取得している。陳敏爾の学歴はこれらに比べればやや見劣りする。
 職歴も、貴州省での実績はあるが、習近平や胡錦濤と比べればまだ経験が少ない。

 陳敏爾の後ろ盾となっているのは習近平総書記であり、次世代の指導者となる最低限の条件は満たしている。しかし、江沢民や胡錦濤は鄧小平によって認められていたし、習近平は革命元老の子(いわゆる「紅二代」)である。一般に、紅二代が政界や経済界で活躍することに否定的な見方が強くなっているが、有能な人物が多いのも事実であり、かつ、その人脈が広いのは大きな利点である。陳敏爾にはこれがない。

 このように見れば、実績においても、後ろ盾の点でも、知名度においても陳敏爾はこれまでの指導者とかなり違っていることは否めない。また、習近平はこれまで、党や軍の改革を通じて権力を一身に集め、「核心」と呼ばれる特別の指導者に祭り上げられるまでになった。国外では習近平は独裁者になったとも言われている。
 陳敏爾が総書記となってもこのような特別な地位をそのまま引き継げるか疑問である。何らかの中間的措置が取られる可能性もある。また、いずれにしても、習近平の影響力が強く残る公算が大きいと思われる。

2017.10.10

劉鶴 中国の改革派経済学者

 習近平主席の経済問題に関する側近である劉鶴について、米国に本拠地がある『多維新聞』10月8日付は次の特集記事を掲載している。

 劉鶴は1952年生まれ。劉鶴の父親は陜西の副省長級の指導者であり、おそらく習家と何らかの絆があったはずだとも言われている。劉鶴は、高級幹部子弟が通う101中学で習近平と同級生であり(注 もっとも習近平については別の学校に通っていたという説もあるが、いずれにしても幼少時からの知り合いであったことは間違いないようである)、習氏の信頼は厚い。
 劉は中国人民大学工業経済系を卒業後、ハーバード大学ケネディ・スクールオブガバメントでMPAを取得。現在、中財弁(中央財経領導小組弁公室。経済政策策定のかなめ)主任兼国家発展改革委員会の副主任。

 劉鶴は江沢民、胡錦涛および習近平各主席の経済演説を起案し、五か年計画についても第13期まで一貫して関与してきた。
 政策決定者のなかでもっとも強固な改革派であり、資源配分は市場に決定させるべきだと主張している。2016年、経済学者の林毅夫および張維迎との産業政策に関する論争において、劉鶴は古い産業政策を捨てること、産業政策に市場機能をもっと導入すべきことを主張した。中財弁はかつてのような裏方でなく、今や政策決定の前面に出てきている。
 習近平は党大会後、従来より多くの時間を経済問題に割くことになり、劉鶴の重要性はさらに高まるだろう。第19回党大会後、いずれ副総理に昇格すると見られる。

 劉鶴は改革開放の初期に大活躍した朱鎔基と比べられる。朱鎔基は1991年末、上海市書記であったが、鄧小平に抜擢されて経済担当の副総理になり、以後12年間にわたり中国経済の飛躍的発展の基礎を作った。

 朱鎔基や温家宝の時代と比べ、今、経済政策はすべて国務院で決定されている。習近平は18回党大会後、全面深化改革領導小組(深改組)を率いて一部の経済政策を握った。現在、経済政策は国務院、中財弁、中国人民銀行の3勢力が動かしている。劉鶴は中財弁を率いて改革の中枢にある。

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